5.始まる学院生活
入学式を終え、見慣れない学院の校舎に目移りしながら歩く。寮があれだけ豪華だったのだから学院の方もそうかと思っていたところ、やはり予想に反せず絢爛な建物だった。基本は白を基調とした建物で、大きな窓がいくつもあるおかげで校舎内はとても明るかった。ところどころに彫刻や絵画などが飾られていて、本物なんて見たことない私はここがお城でいいのではないかと思った。
学院には通常の教室だけでなく、音楽室や美術室といった専門教室に中庭、食堂、講堂など様々な施設があるらしい。といっても広いから初めは覚えるのだけでも苦労しそうね。
クラスは各学年にAとSの2つがあり、Sクラスの方がより優れた人材の集まりなのだそう。それぞれは成績や家柄、学院に対する寄付金など様々な理由で選別されているとのこと。そして私に振り分けられたのはAクラスだった。ちなみにあのアルバートやドエトルたちはSクラスらしいので、顔を合わせる機会が減って正直ありがたい。彼らはゲームと同様人気者らしいので、あまり深く関わって他のご令嬢からやっかみを受けてもしょうがない。
そうこうしているうちに教室に辿り着いた。今日から基本の講義はこの教室で受けるのだそう。ほとんどの人がこの学院の中等部からの持ち上がりだからか、周囲の人たちはそれぞれの仲の良い人同士で集まって話をしていた。そっと教室に入って自分の席を確認すると、後ろから声を掛けられた。
「あの、高等部から編入してきた方ですよね?」
振り向くと、そこにいたのはなんとも可愛らしいご令嬢だった。
全ての光を吸収したようなブロンドヘアはカールを帯びていて、見るものにふわふわとした印象を与える。身長は私よりも低く、容易に頭を撫でられそうだ。愛らしい顔立ちと少し緊張したような面持ちからどことなく守りたくなる雰囲気が醸し出されるが、はっきりと開かれた大きなコバルトブルーの目がどこか芯の強さを感じさせる。全体を通して人形のように愛らしい、そんな印象をフィオナは抱いた。
「ええ。私、教室を間違っていたかしら?」
初めて来る場所だからひょっとすると間違えたのかもしれない。そう私が考えていると、彼女は意外にも強く言葉を放って否定した。
「いいえ合ってます!そうじゃなくて、あの、突然ですが私はクレア・ルファエルと申します」
彼女はすっとお辞儀をした。ふわっと揺れた髪から花の香りがする。
「ずっと挨拶しようと思っていたのです。寮であなたのことを見かけて、とても綺麗な人だなぁって思っていたので」
そして彼女もといクレア嬢はふわりと微笑んだ。
「あなたこそとても可愛らしいです。こちらこそ挨拶もせずすみません。フィオナ・エルラントと申します」
よろしくお願いします、と言ってこちらもお辞儀をした。
「入学式で高等部の方なんだって知って、同じクラスだってわかって、私すごく嬉しいんです!良かったら、私と友達になってくれませんか?」
クレア嬢はそう言うと、私の手をそっと取って握った。小さな彼女によく似合う、小さくて可愛らしい手だ。
正直いきなりのことで少し驚いている。けれど、入学早々声をかけてくれるなんてありがたいことだと思ったし、なにより断る理由などない。
「ええ、私でよければ、喜んで」
クレア嬢はさっきよりも嬉しそうに笑った。花が咲くような笑顔とはよく言うけれど、彼女の笑顔はまさにその表現がぴったりくるなと、まだ何も知らないこのご令嬢に対して私は思った。
「あ、じゃあね、私のことはクレアって呼んで?それと、堅苦しい敬語はなしにしましょ、ね、フィオナちゃん!」
さきほどの態度とは打って変わって、あどけない少女の顔になった彼女はそう提案してきた。貴族のご令嬢ってこんなにフランクでいいのかしらと心配になったけど、辺りを見回しても特に咎められそうにないからきっとこれは大丈夫な範囲なのだろう。都会ってもっと堅苦しいものだと思っていた。
「わかったわ、クレア。これからよろしくね」
クレア嬢、もといクレアと友人になったことで、その後他のクラスメイトからも自己紹介をいくつも受けた。やはりこのクラスに高等部からの編入生は私だけだったようで、皆興味深そうに私に質問を投げかけてきた。
「エルラントって、あのエルラント公爵家?」
「紅茶はお好き?今度お茶会しましょう!」
「高等部からの編入って大変ですよね、試験って難しかったんですか?」
どうやらこのクラスは明るく温厚な人が多いらしい。皆貴族だったり商家だったりで社交性に長けているようで、いきなり入って来た私を温かく迎え入れてくれた。けれどその口火を切ったのはクレアだ。彼女が私に声をかけてくれなければ私は皆と打ち解けるのに時間がかかっただろう。本音を言うと少し不安だったところもあるので、クレアには感謝しなければ。
王立学院での初日が終わり、寮へと歩いて戻っているときだった。隣にいるクレアはもうすでに旧知の仲であるかのように話をしていて、笑ったり怒ったりくるくると変わる表情に素直な子なのだと知る。見た目に反して意志がはっきりしていて、フィオナが道を間違えたときにはばっさりと切り捨ててくれたのを思い出す。
朝来たときと違う道を歩いているらしく、見たことのない光景が目に飛び込んできた。それはひとつの建物で、大きな木がその建物を数本囲んでいるからか森の中にいきなり現れたような錯覚に陥る。寮や学院の校舎よりいささか小さいそれは、神殿のような造りをしていた。入り口の前に数段の階段があり、その先に続く木造の扉は重厚感を漂わせている。
「これは、教会・・・?」
私はクレアにそう聞いた。しかし聞きながらも少し教会とは違うような感想を抱いていた。教会にしては纏う雰囲気が堅いような気がする。
クレアは私の考えを読んだのか、くすくすと笑ってから答えてくれた。
「ここはね、学院図書館だよ。昔は校舎内にあったらしいんだけど、あまりに規模が大きくなってきたから独立したんだって。学院生なら誰でも利用できるよ。入ってみる?」
「ええ!ぜひ!」
あらゆる本を読んで勉強したいと思って、校舎内を歩きながらずっと図書館がないか探していたのだ。結局1日目では見つけることが叶わなくて諦めていたのだが、まさかこんなところにあったとは。
私の勢いの強さにクレアは笑いが止まらなくなったようで、お腹を押さえながらくすくすと笑っている。
「ふふっ、フィオナちゃんてほんと、面白いね。よし、入りましょっか」
クレアに先導されて階段を上がった。手前まで来てみると思ったよりも建物は大きくて、その中身の充実さを想像して期待が膨らんでしまう。
扉を開けようとクレアが手を伸ばすと、丁度タイミング良く扉が開いた。どうやら中から誰かが出てくるようで、私はとっさにクレアを引き寄せて彼女がこけないように肩を支えた。
「あ、こんにちはブラッドさん」
現れたのはひとりの男子学生だった。容易にクレアが名前を呼んだのでおそらく知り合いだろう。
扉が開いたことで風が彼の黒い髪をふわりと掬い上げる。ブラッドと呼ばれた彼はグレーの切れ長の目をこちらに向けて凝視し、かと思えばわずかに見開いてすぐさま逸らした。
「・・・どうも」
会釈と共に短く吐き出された言葉とぴくりとも動かない表情に少し冷たい印象を抱く。どこか鋭い雰囲気を放っていて、例えるならそう、暗闇の中で光る研ぎ澄まされた一振りの剣といったところだろうか。
彼はそのまま私たちの横を通り過ぎ、足早に図書館を後にした。後ろ姿になんだか見覚えがあるような。
「今の人はブラッド・スタキオースさん。同じクラスだよ」
「え!?」
クレアはなんでもないようにさらりと彼のことを教えてくれた。同じクラスだったなんて、それなら顔を合わせていたはずなのにどうして覚えていなかったのか。いや、だから後ろ姿に既視感があったのだろうか。
「いやー、ブラッドさんはいつも無表情だし、あれが普通だよ」
確かに、彼はクレアの挨拶に対して無視をしたわけでもなく、そして怒っていたかというとそんな雰囲気はなかった。必要以上に人に近づかないタイプなのだろうか。
「入ろう入ろう!ここの本は貸し出しもできるから、寮に持って帰って読むこともできるんだよ」
クレアがさっさと図書館に入っていったので、今のブラッドという人のことを忘れて私も館内に足を踏み入れた。
「わぁ・・・」
途端に漂う本の香り。入ってすぐ左側にカウンターがあり、そこで貸し出しや返却の手続きをしたりするようだ。館内にはどうやら上にも階があるらしく、カウンターとは反対の右側に螺旋状の階段がある。本棚はどれも天井近くまでそびえ立っていて、ところどころに掛けられた梯子で本を取るのだろうと推測できた。思っていたよりも奥まで本棚が続いていて、調節された明かりのせいか最奥が見えない。
「ね?すごいでしょ?」
クレアはなんだか得意げにそう言った。想像以上の図書の多さに私は目を奪われていた。
「こんな図書館エルラントにはないわ。すごいわね」
「本当は王宮図書館の方がもっとすごいんだけどね、ここも負けてないよ」
クレアは私の手を引いてカウンターへと歩いていく。
「あの、初めてここを利用する方なんです。手続きをお願いできますか?」
そうだった、目を奪われているだけじゃ本は読めないし、ましてや借りることはできない。クレアが司書さんと思しき人に話しかけたのを見てはっと我に返る。
それから手続きを済ませて、今日はもう時間だからということでぱっと目についた本をいくつか借りて図書館を出てきた。本当はもっと色々見てみたいのだけど、閉館時間は守らなくてはいけないし、それにまだ今日来たばかりである。これからゆっくり見ていけばいい。
「クレア、ありがとう」
「どういたしまして。どのみちいつかは誰かが案内してたと思うけど、早いほうがいいでしょ?フィオナちゃん今日1日探してたみたいだったし」
あんなに喜んでくれるなんて連れてきて良かった、と言いながらクレアは笑っている。今日初めて会ったばかりというのに彼女にはお見通しなようだ。それとも私が分かりやすいのだろうか。
寮に戻り、さっそく借りてきた本を読む。学べることはすべて学びたい。せっかくこんな良い環境に来ることができたのだし、エルラントのために力をつけるべきだと思う。できることならあの図書館の蔵書を全部読んでみたい。
そこではたと、私はさきほどの出来事を思い出した。
図書館の前ですれ違ったクラスメイトだという男子学生。名前は確か、ブラッド・スタキオースだったかしら。この名前もまた、どこかで聞いたことのある名前。
「・・・あ」
私はあることに気付いた。
そうだ、ブラッドもあのゲームの攻略対象だった。
「あらまぁ、なんてこと・・・」
ゲームではSクラスだった彼が今はAクラスだということに若干疑問を持ちつつ、私は彼にも近づかないようにしなければと思った。
この学院生活、思ったよりも大変かもしれないわね。