4.初めての王都と衝撃③
目が覚めると、そこは部屋の中だった。どうやら私は今、ベッドの上にいるらしい。
朝日が差し込まないあたりなんだかいつもと違うけど、早く起きて牛たちのご飯を準備しなくちゃ。あぁ、それからエディたちを起こしに行って、メイドたちに手伝ってもらいながら朝食も用意しなくちゃね。
よいしょ、と手をついてベッドから半身を起こした私は、目の前に広がる光景に言葉を失った。
少し高い天井と白い壁で囲われた部屋はとても広くて、きらびやかなシャンデリアが上から吊り下げられている。部屋の中央にはダークブラウンの丸いテーブルと、それに合わせられたセンスの良い椅子が2脚ある。家具はどうやら全体的にダークブラウンで統一されているようで、何も入っていない本棚もチェストも全て同じシックにまとめられていた。
部屋の奥の大きな2つの窓には白いカーテンが掛けられているけど、よく見ると刺繍が施されているらしく、とても繊細な印象を受ける。床にもボルドーの豪華な絨毯が敷かれていて、とてもふかふかそうだ。
そしてなにより大事なことは、ここは私の部屋じゃない。ここは、どこ?
「やあ、起きたか?突然倒れるからびっくりしたぞ」
茶髪の男性がふいに椅子から立ち上がって言った。
びっくりして、私は思わず肩が跳ねる。誰かいたのね、というかデスクまであったのね。
「長旅で疲れてたんだろ?なんせエルラントから一人で来たらしいしな」
そうだ、私は王都の学院に通うためにエルラントから出てきたんだった。それで、確か学院の寮まで辿り着いて、アルバートだかドエトルだかといういろんな人に出会って。
・・・私は前世の記憶を思い出したんだった。
あの記憶から察するに、前世の私は交通事故かなにかに遭ったのよね。それで今ここにいるってことは、きっと助からなかったのだろう。
じゃあ何故、以前プレイしていたゲームの世界にいるのだろう?目の前にいる人物もといドエトルも普通にそこに生きているし、周りもホログラムとか仮想空間みたいなものじゃないし、なにより私の感覚がはっきりしている。
夢だとするなら、随分長い夢を見ているものだなぁ。生まれてからの15年ものストーリーを見る夢なんて聞いたことがない。
ならばもしかして、これは噂に聞く転生トリップとかいうものなのかしら?
しばらく私が黙って考え事をしていたからか、ドエトルは訝しげな顔をしてこちらを覗き込んできた。
「なあ、君ほんとに大丈夫?具合悪いなら今日はもう寝るか?」
綺麗な翡翠色がまっすぐこちらを見ていた。私ははっとして、慌てて両手をひらひらと振る。
「いえ、もう大丈夫です。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
頭を下げて謝罪の意を表した。
ドエトルは大丈夫だぜ、と軽く流すと、にかっと人好きのする笑顔を浮かべた。なんだか少しダンに似ている。
そういえば、ゲームの中の彼も同じように気さくな人だったな。アルバートの印象はかなり違って乱暴に見えたけど。
あれ、ここがもしゲームの世界だとすると、私は一体なんのポジションになるのだろう。まさかのヒロイン役?悪役令嬢?それとも悪役令嬢の取り巻きだったりして。いえ、確かあのゲームのヒロインは二年生への転入生だったから、私はヒロインのポジションではないわ。それに彼女は領主の娘とかでもなくて、王都の下町の子とかじゃなかったっけ。
私が自分の立場を模索しつつベッドから立ち上がると、ドエトルはじゃあ、と言って話を始めた。
「手っ取り早く言うと、ここが君に割り当てられた寮の部屋だ。倒れたときに医務室の先生に診てもらったんだが、問題なさそうだったからここに運んだんだ」
「えっ・・・」
運ばれてしまった。しかもここが私の寮部屋って。ベッドの脇を見ると、確かにそこにはとても見覚えのある鞄があった。
「なんというか、重ね重ねすみません」
「いやいや、何も問題なくて良かったよ。それに君軽いからさ、君の3人分くらい俺には楽勝だぜ?」
それは見て分かる。ドエトルはかなりしっかりした体躯をしているし、なによりゲームの中でも力持ちだった。剣の腕が立つことも知っているし、王都の騎士団とかでも活躍できるに違いない。あ、いや、彼はウィステリア公爵家の跡取りなんだっけ。
なんて、私がそんなに彼について詳しかったらおかしいわよね。これから発言に気をつけなきゃ。
「っていっても、華奢なように見えて意外と筋肉あるよな?」
・・・なんだか褒められているのか貶されているのかわからないことを言われている気がする。いや、本人の表情から察するに褒めているんだろうけど。普通の女の子より重いって言いたいのかな。
「田舎出身なもので。毎日馬に乗ったり木に登ったり、山を家畜たちと駆け回っていましたから」
「あぁ、なるほどね、道理で良い体つきをしているなぁって思ったんだ!・・・あ、変な意味じゃないぜ?剣とか弓とか向いてそう~って話で!」
慌ててドエトルは台詞を付け足した。
「あ、はい、大丈夫です・・・」
ドエトルが嘘を吐くような人ではないし、体を鍛えるのが趣味だということも知っているけれど、それをわざわざ本人に言うのは少しデリカシーがないんじゃ・・・。なんだか彼の将来のお嫁さんが心配ね。
というか、ここがゲームの世界だとしても。いや、もうそう思うことにする。ゲームに出てきた彼らと今私が接している彼らは全く同じなのだろうか?たとえばアルバートのように、実は違う人物になっていたりしないだろうか。
ドエトルはげほんと咳払いをすると、気まずさを払拭するように明るい声を出した。まぁ、相手がキャラクターとして知っていたとしても、今私が接している人たちが本物よね。ちゃんと相手を見るべきだわ、父様も物事をよく見極めることが大切だと言っていたじゃない。
「さて、この寮部屋なんだが、本来は二人で使ってもらうものなんだ。だが丁度今は空いていてな、寂しいだろうが一人で使ってくれ」
なるほど、だからベッドもデスクも、本棚なんかも二組ずつあるのね。確かに少し寂しい気はするけれど、こんな広い部屋を一人で使えるのはラッキーじゃないかしら。
「入寮生は君で最後だけど、今は長期休暇中だから皆まだ帰ってきてないんだ。だからまた今度挨拶に行くといいよ」
それから、ドエトルは様々なことを教えてくれた。
寮でのルールや食事のこと、王都のこと、これからはじまる高等学院の入学式の説明や学院生活のことなど。本当に寮長らしい。
そして驚いたのだが、私はどうやらドエトルやアルバートたちと同じ学年だったらしい。てっきり彼らの方が年上だと思っていた。
「とまぁ、こんなとこかな。わからなかったら俺のところか、寮母のところに聞きに行くといい」
「はい、わかりました」
「じゃ、俺はそろそろ行くとするわ。悪かったな、女性の部屋に入り浸ってて」
詫びなければならないことを彼はしていないと思うのだけれど。それに倒れた私を看病して、学院や寮の説明までしてくれたのだから、むしろこちらがお礼を言うべきだ。
「いえ、ドエトル様が謝ることではありません。こちらこそありがとうございました」
「じゃあ、またな。学院で共に学べるのを楽しみにしてるよ」
ドエトルはドアノブに手をかけて、ドアを開けた。そして振り返りざま、そうそうと思い出したように私に告げる。
「同い年なんだから、敬語は無しな。あと、様つけられるのも慣れてないんだ。頼んだぜ」
そして彼は帰っていった。
同じ公爵家で同い年といえど、ウィステリア家の方なら私より立場が上でしょうに。困った要求をされてしまった。
私は勢い良くベッドに倒れ込んだ。ぼふり、と気持ちいい音と共に体が布団に沈み込む。布地がさらさらしていて気持ちいい。
なんだかよくわからない疲れがどっと押し寄せてきて、はぁーと溜め息を吐いた。中途半端に前世の記憶があるせいで、何を信じればいいのかわからない。
私は誰?前世の人間?それともフィオナ?・・・前世の頃の名前は思い出せないのに感情だけが蘇ってくる。
“私”は日本という国の生まれで、東京に家族と一緒に住んでいて、確か会社員だったと思う。毎日朝から晩まで働いて、恋人もいなくて。そんな“私”が唯一楽しみにしていたこのゲーム。
「死んじゃったんだ・・・」
痛かったのかな。きっと苦しかったんだろうな。家族は悲しんだだろうなぁ。
私はなんで転生したんだろう。それになんで前世の記憶を持ったままなのかな。なんだか考え出すときりがない。
ふと、鞄のポケットに何か紙のようなものが差されているのを見つけた。こんなところに紙なんて差しただろうか。不思議に思って、私はベッドの上をずりずりと這いずり端に寄る。そのまま手を伸ばして、紙を引き抜いた。こんな姿は父様に怒られるわね。
「手紙・・・?」
広げるとそれは手紙のようで。一番上にフィオナ様へと書かれている。しかもなんだか見覚えがある字をしていた。
――フィオナ様へ
頑張れよ。帰ってくるのを待ってます。
――ダン
それはあの故郷の幼馴染みからの手紙だった。たった一行だけの短い手紙だ。
「・・・慣れないことしてるわね」
ところどころ字が震えていた。普段あの幼馴染みから様付けされることなんてないし、敬語を使われることもないのに、こんなときだけきちんとした姿勢を見せてくる。意外な一面を見たと同時に、一体いつの間に鞄に入れられていたのだろうかと疑問が湧いた。
「待っている、か」
幼馴染みははっきりと、私が帰るべきところを示してくれていた。
なんだ、迷うことないじゃない。私は転生していて、しかもその先がゲームの中の世界だけれど、今ちゃんとここで生きている。
頑張って、しっかり勉強して、そして堂々と胸を張ってエルラントに帰りたい。
「もう揺らがないわね、私!」
なんだか学院生活が少し楽しみになった。3年間、全くエルラントに帰れないわけじゃないみたいだけど、どうせならうんと立派に成長して帰ってやろう。そしてみんなをびっくりさせるんだ。
そんなことを考えていたらいつの間にか眠ってしまった。
そして、次の日から私の学院生活がはじまった。