46.星の瞬く夜に
「おぉ、綺麗に晴れてんなぁ。こっち来いよ」
どこへ行くのかと疑問に思いながらドエトルに着いて行くと、彼は寮の屋上に出た。
雲のない夜空はなんだか清々しい気持ちになる。大きく欠けた月は星たちの輝きを邪魔することなく、ひっそりと空に浮かんでいた。
屋上にはまだほんのり冷えた風がそよいでいる。もしカーディガンを羽織っていなければ少し寒かったことだろう。やはり晴れた日は気温の差が激しいものだと実感する。
「夜と昼とでは、やっぱり風景が変わるわね」
寮の周辺の森は闇に包まれ、おぼろげに輪郭が見える程度である。反対に、建物や街灯の光はいっそう眩しく見えた。
実は寮の屋上へは片手で数えるほどしか来たことがなく、ましてや夜に上がったことはない。普段は鍵を掛けられているので入れないのは当然である。
だが、さきほどドエトルはどこからともなく鍵を取り出すと、涼しい顔をして扉を開けた。
これは恐らくだが、常習犯である。彼は寮長であるので、鍵の管理にも関与しているから鍵を持ち出すことは可能だ。
さきほどの慣れた様子からも、彼が日頃から頻繁にここへ来ているのだと私は推測した。
柵の近くまで進んだドエトルに続いて、私も歩いていく。あまり柵に近づきすぎると、強い海風が吹いたときに飛ばされそうだった。
「……」
「……」
ドエトルは用事があるようだったので何を話すのかじっと待っていたが、彼は口を開きそうにない。その代わり、やたら伸びをして星空を眺めている。
まだ話したくはないのだろう。それなら無理に聞き出す必要はない。
それに剣術大会で体力も精神力も使ったに違いない。なんだかんだ疲れているのかもしれなかった。
「決勝トーナメントまで残ったなんてすごいわね、おめでとう」
とりあえず、はっきり祝えていなかった祝辞を述べることにした。
実は彼がずっと他の学院生たちに囲まれていて、タイミングがなかったのだ。
「ありがとうな。目標まで勝ち上がれて良かったわ」
「目標?」
なるほど、仮に優勝することを目指していなければ、目標に到達した時点で満足できるものだ。
ではなぜ、優勝が目標にならなかったのか。私にはいまいちわからなかった。
「予選は抜ける、が決勝では勝たずに終わる、そこが落とし所だったんだ。あぁもちろん、手を抜いたわけじゃないぜ」
ドエトル曰く、家の関連の政治的判断があったようだ。
ウィスタリア騎士団を統括する家の跡取りが簡単に負けていては評判が悪いが、かといって剣の道に生きている弟よりあまり上位にいくのも弟の面子に関わる。
フリードが決勝で勝ち進めば話は変わったかもしれない。だが彼はあえなく予選に留まった。結果、決勝トーナメントでは勝たないことを選択したらしい。
どちらにせよ決勝に進んだことである程度の評価は得たのだ。それ以上価値のないことをしても意味がないとドエトルは考えたのだという。
「まぁ、もともと出場すらする気なかったしな。あーゆーのは本職の奴らに任せればいいんだよ」
剣技を披露するのは自分の仕事ではない、とドエトルは言った。
「色々考えなきゃいけねぇのは分かってるけど、やっぱ大変だよな。人の心なんか見えねぇし」
弱音を吐くのは、ドエトルにしては珍しい。
きっとこの剣術大会は彼にとって、別の意味の腕試しだったのだろう。
屋上の地面に座り込んだ彼の少し横にしゃがみこむ。座ってしまっても良かったが、服を汚せば後でクレアに怒られるかもしれないのでやめた。
「あと、他にも考えなきゃいけないことがあってな。それでよそ見してたら負けた」
「あら」
模造剣といえど、剣術は命のやり取りである。意識を削がれる要因があれば敗北が近くなるのは当然だった。
「考え事っつーのは、まぁアレなんだけど……」
そこでドエトルは言葉を濁した。
なんだろう、卒業試験のことだろうか。いや彼の成績なら問題なくクリアできるだろう。ではきっと別の話である。
私を呼び出したということは、公爵家の跡取り問題辺りだろうか。もしも私で力になれることがあるなら、手を貸す心積もりはもちろん出来ている。
ドエトルは嫌なことでも思い出したのか、ため息をつくと苦々しい顔をした。
「俺に婚約者がいないことで煮えを切らした家から釣書が来たんだ。それもたぶん、ほぼ確定のやつが」
悩み事は跡取り問題でも、配偶者問題の方だった。
しかも、どうやら彼は乗り気ではないらしい。口角を上げ、ははっと乾いた笑いを溢した。……目は笑っていない。
「確かに、あなたのような立場の人だと、周囲も婚約者がいないことに疑問を抱くわよね」
「フィオナ、同じ立場なの分かってる?」
「……ウィスタリアと比べると、エルラントはまだ軽いから」
できれば今私に婚約者問題を振らないでほしい。別に隠しているわけではないが、公になって噂になるのは少し勘弁だ。
「ははっ、軽い、な。変わらないとは思うけど」
「言葉のあやってものよ」
実際、ブラッドのことがなくても、父様たちは焦らないと思う。なんなら身分など関係なく、まるで人を雇うように婚約者を見繕ってくるのではないだろうか。
……きっとそうだ、あの2人なら面接や試験をやりかねない。
「まぁそこでなんつーか、提案ってゆーか」
珍しく歯切れの悪いドエトルだった。いつもならはっきりすっぱり物事を言うのに、何かをためらうかのように言葉を濁す。
「前にも少し言ったけど、フィオナ、ウィスタリアに来ないか?」
そう言うドエトルの表情は真剣そのものだった。
「でも、私にはエルラントがあるわ」
「そのエルラントだがな、エディオッドに任せろよ」
エルラントの経営をエディオッドに託し、私はウィスタリア家に嫁ぐ。つまりドエトルの話はそういうことだった。
確かに、ウィスタリア家と繋がりを持つことは、エルラントにとっては良いことかもしれない。けれどウィスタリア家からしたら、あまり有益ではないのでは。
強いて言うなら、食糧難に陥る可能性が少し減るくらいだろうか。でも今だってウィスタリア領にも農産物は卸しているから、やはり大きく変わるものではない。
それに、ドエトルにも話していないが、ブラッドのことは完全にお断りすることになる。
……ブラッドではなく、ドエトルと結婚する。
「……ううん……」
そう考えると、なんだかもやっとした。
別にドエトルのことは嫌いではない。初めはちょっと近づきたくないとは思っていたけれど、彼を知れば、以外にも誠実で責任感が強いということが理解できる
。
いや、結婚なのだから家同士の繋がりを優先すべきだろう。個人のことはある程度置いておいた方が良い。それなりに知っている人なのだから、信頼関係を築くのは難しくないはず。
「そうだよな、伝わんねーよな、こんな辞令みたいな言い方じゃ」
困惑する私に気づいたのか、ドエトルはガシガシと頭を掻きながら何事かを小さく呟く。そしてすっと立ち上がった。
なんとなくつられて私も立ち上がる。
ドエトルの顔を見上げれば、彼はとても真剣な表情をしていた。
「フィオナ嬢、あなたのことを愛しています。俺と結婚していただけませんか?」
「……え」
彼から予想もしていなかった言葉を投げ掛けられ、私は一瞬思考が停止した。
結婚したい、それは聞いた。でも、私を愛してるなんて、聞いてない。
驚きで止まった頭を無理やり稼働させる。
つまりドエトルは家の事情も含めるけれど、結婚するなら私が良いと個人的に思っているってこと?
ドエトルを見ても、嘘を言っているような顔ではない。すなわち本気だ。
「ええと」
全然そんなことは考えてもいなかった。これはブラッドのときもそうだ。
……私は案外周囲のことを、何も見えていなかったのだろうか。
なんと返事をすれば良いのか考えていると、ドエトルは破顔して言った。
「フィオナのことだから、どうせ何にも気づいてなかったんだろ?今から考えてくれれば……っていうかむしろ今から考えてくれ」
ブラッドと同じことを言われてしまった。
そんなに私って鈍感だったのだろうか。内心落ち込んでいると、ドエトルにぽんと頭を叩かれた。
「そーゆー打算もしないし、変な壁を作らないとこがフィオナの良いとこなんだから、今考えてることは気にすんなよ」
「……ありがとう」
ドエトルの話をしていたはずなのに、考えがバレる上にフォローまでさせてしまい、なんだか申し訳なくなった。
「私ってそんなに分かりやすい?」
「知らない奴からすれば分かりにくいだろうな。でも、よく見てりゃ分かるさ」
暗によく見ていると言われ、ちょっとびっくりした。
普段はどこかおどけた調子のあるドエトルが、本気で私と結婚を、と考えている。
これは私もちゃんと考えなくては。
少しだけ時間を欲しい、そう言おうと口を開いたとき、私が声を出す前にドエトルの言葉が降ってきた。
「返事はゆっくりでいいから。あぁでも、学院祭の頃には欲しいな。卒業パーティーでドレスを合わせたいだろ?」
「そ、そうね」
ドレスのことは置いておいても、さすがにそんなに待たせるのは悪い。
「ちゃんと考えるわ。でも、考えるからって、あなたの意志に応えられるかはわからない」
「あぁ、そんときはそんときだ。考えてくれるっつーだけで嬉しいんだから」
ドエトルは本当に嬉しそうに、にかっと笑った。
そろそろ戻ろう、そう言ったドエトルに私は頷き、後を追う形で扉に向かう。
階段を降りながら私は思った。
この沈黙から、何を話せば良いのだろう。
ドエトルも何も言わないし、そもそも今どんな顔をしているのかもわからないし、たぶん変に気を遣わない方が良いのだろうけどさっきの今じゃ無理だ。
ただトントンと響く靴音を数えていたら、余計にどうすれば良いのかわからなくなった。
「ありがとな、フィオナ」
談話室の前まで戻ってきたとき、ふいにドエトルがこちらを見ないままでそう言った。
それは私の台詞、そう言う前にドエトルはすっと談話室の中に消えてしまった。
「……決めなくちゃ、ね」
ここからは私の番。ドエトルもブラッドも、私に気持ちを伝えてくれた。
そしてたぶんどちらでも、両親は認めてくれるのだろう。
「む、難しいわ……」
その夜、私は考えがぐるぐると頭の中を巡って、全然眠りにつけなかった。




