44.ふとした時に
学院の図書館の窓辺は春の暖かな光に包まれ、ぽかぽかとしている。もしもここに猫がいたならば、間違いなく日向ぼっこをしていることだろう。
この前までプロフォンド公国とのパーティーだの、公子リアンの陰謀だのと気だけは慌ただしく言っていたのに、ふと周りを見ればこんな陽気だ。
春の試験が迫っている中、完全に平和ボケしてしまっている窓際で、私とブラッドはいつものように勉強していた。
「うーん、それにしてもここは暖かいわね~」
キリの良いところまで進んだので、私はペンを置いて大きく伸びをした。猫でなくても寝てしまいそうな気持ちよさである。
「もう春だからね」
ブラッドも同じようにペンを置き、ふわりと欠伸をひとつした。
普段、ブラッドが欠伸をする姿などあまり見ない。珍しいなと思いつつ、それだけ昼寝に値する気候なのだと実感する。
「でも、もうすぐ試験なのよねぇ」
日頃から勉学に励んでいるおかげで、試験前だからと焦る必要はない。なのだが、他のクラスメイトたちが落ち着きを失くしている様子を見ると、なんとなくそわそわしてくる。
しかも今期の試験は卒業にもかかってくる。成績が悪ければ順当に卒業試験を受けることが叶わず、追試は確定して卒業の延期、最悪の場合は留年だ。
そんなことになっては家の恥、そして己の将来にも関わってくる。同級生たちが躍起になるのも当然だった。
まぁ、皆、最終学年ともなってきているので、それらの焦りは笑顔の下に隠してはいるのだが。
「卒業したら、しばらくは皆と会えなくなるのね」
各々、進路が違うのだ。王都に残る者、さらに進学する者、各領地に帰る者。
私に至っては、用がない限り、今後は領地に引っ込むかもしれない。王都に呼び出してくれるのは王政府かエレーナくらいだろうから、おそらくその推理は間違っていないだろう。
「フィオナは寂しいの?」
ブラッドはペンをくるくると回しながらそう言った。
「そりゃ寂しいわよ。せっかく仲良くなれたのに、たまにしか会えないんだもの」
距離もさることながら、これからは父様の仕事を覚えていかなければならないのだ。責任を持つ立場に立つということは、そう簡単にどこへでも飛んでいけるというものではない。
「ふーん」
興味があるのかないのか。どこか上の空のブラッドは、相変わらず器用にペンを親指の上で回している。
「なによ、ブラッドは寂しくないの?」
ブラッドからの返事はない。何かを考えているらしく、私の質問すら聞こえていない可能性がある。
こういうときのブラッドはちょっと待った方がいい。すごい作戦を考えていることもあるからだ。
この状況で何の作戦を考えるのかと疑問に思ったが、私は黙って蜂蜜色のペンが円盤になるのをぼんやりと眺めた。
「・・・・・・」
しかし、急に回転がぴたりと止まった。
そしてペンは音もなく静かにノートの上に置かれた。陽光が反射して、ただの蜂蜜色が宝石のようにきらりと光る。
「ねぇ、じゃあさ」
口を開いたブラッドは先程とはうってかわって、楽しげな顔をしていた。
「僕と結婚しよう」
「・・・・・・え?」
今、なんて言った・・・?
咄嗟のことで言葉が出なかった。
頭が真っ白になっている私とは裏腹に、ブラッドは余裕そうに笑っている。彼がこんなに笑うのも珍しい。いや、今はそんなことを考えている場合ではなくて・・・!!
「だから、僕と結婚しようよって言ったんだよ」
「えっ、あの、け・・・私と、ブラッド・・・?」
「他に誰がいるのさ」
自信たっぷりな表情でブラッドはこちらを見ていた。すっと左手を上げたかと思えば、その手は私の右頬に添えられ、するりと撫でてくる。
「僕、フィオナが好きだよ」
「・・・っ」
ブラッドの告白に驚いて、心臓が一瞬きゅっと小さくなった。
「フィオナが好きだから、ずっと一緒に居たいんだ。君のことをそばで支えたいし、いろんな姿を見たい。もっとたくさんの時間を共有して、2人で笑えたらいいよね。それで・・・」
すっと手を取られたかと思えば次の瞬間、ブラッドは私の手の甲にキスをした。
「フィオナのこと、世界で一番幸せにするから」
射抜くようにまっすぐで熱い目に、私は何も言えなくなる。告白されている方なのに、強烈な緊張で体は硬直、そして心臓の音が全身に鳴り響いた。
せめて何か言葉を返そう。そう思って口を開いても出るものはなにもなく、そっと閉じた。
「ごめん、突然でびっくりしたよね。でも、困らせたいわけでもないからさ」
申し訳なさそうにブラッドは俯いた。
「あ、あの、驚きはしたけれども、そんなに困っては・・・いないと思うわ?」
自分でも分からなかったが、不思議だった。確かにパートナーがまだいないので、そういった手続き的な困惑はしていないのは事実だ。
けれど今までブラッドとのことなんか考えたこともなく、今後彼と共に歩んでいくという選択肢を突然渡されて、動揺しているらしい。自分で自分が分からない。
ブラッドがおもむろに顔を上げた。まだその目は爛々と輝いていた。
「返事は今すぐじゃなくていいから、僕とのこと、考えてくれる?」
こんなにまっすぐな想いをもらってしまっては、真剣に考えるしかない。というか、ブラッドに言われなくとも考えるつもりだった。
私はゆっくりと、だが確かに、大きく頷いた。
「良かった、可能性がゼロじゃないみたいで。ありがとうフィオナ」
「そんな、ありがとうなんてこちらの台詞よ」
人に好きになってもらえるなんて、そうあることではない。だからこそ、このことはしっかり考えたい。
時間をくれたブラッドには感謝しかないのである。
ブラッドとのことを真剣に考えるということは、つまり私がブラッドのことを好きかどうかということも含めて結婚したいかどうか、ってことよね。
だってこれは政略結婚じゃないもの。お互いに気持ちがあって初めてできることで。そしてブラッドの気持ちは私にあって・・・。
「ふふっ、フィオナ、顔が真っ赤だよ」
「っ!そ、そんなことない・・・」
ブラッドに指摘され、咄嗟に頬を両手で隠す。頬がいつもより熱い気がするのは、緊張で手が冷えたせいだ。
頬の表面積を増やせば早く冷めるかもしれないなんて突拍子もないことを考えた。くだらない持論に縋りたくなるくらい、自分は緊張しているようだ。
「こ、告白される側がこんなにどきどきするなんて知らなかったわ」
「へぇ、僕にどきどきしてくれたの?・・・可愛いな」
都合の良い言葉を拾い上げ、ブラッドはニヤリと笑った。黒曜石のような瞳がじっとこちらを見る。
はっと気づいたときには、その近さおよそたった5センチ。息づかいも鼓動も、すべてが伝わり隠せない距離。
「ちょ、あの、ブラッド!」
私は慌ててブラッドの肩に手を当てて押し退ける。それほど力は入れなかったが、ブラッドは簡単に遠のいていった。
普段通りの距離になったところで、不服そうな顔をしたブラッドは惜しい、と呟いた。
「もう少し近づいたって良いでしょ」
「ここ図書館よ!?」
あまり周りに人はいないとは言え、さすがにそういうのは良しとは思えない。声を抑えてブラッドにツッコミを入れる。
全く、油断も隙もあったものじゃないと思った。というか、今までずっと一緒にいたのにブラッドがこんなとんでもないことを考えていたなんて、全然知らなかった。
「大丈夫。フィオナが返事を考えてくれている間は、ちゃんと友人やるから」
友人をやるとは。ブラッドの中で私は自然な友人枠ではなかったのか。
あぁ、でもそうか、それはつまり私のことを好きでいてくれていたっていうことで。
「・・・ループじゃない、これ」
せっかく少し治まってきていた頬の熱が、再び顔を出す。嘆きの感情に駆られ、顔を伏せて手で覆った。
「あはは、フィオナってこんなに可愛くなるんだ。これはこれで楽しいな」
今日はころころと表情が変わるブラッド。告白してすっきりしているのか、どこか満足げに私の頭を撫でてくる。
「あぁそうだ。エルラント家へは既に話を通してあるから、政治的な意味合いで悩まなくていいからね」
「・・・え、話を通してある・・・!?」
穏やかな顔をしたまま、ブラッドはもうひとつの爆弾発言をした。
エルラント家に話が行っているということは、つまりブラッドは父様たちに結婚の話をしたということ・・・?
そしてこの様子だとおそらく受理されている。そんな話は聞いていない。だが、後は私の返事次第なのかもしれない。
外堀を埋められるとはこういうことか、と私は驚きつつどこか冷静に判断した。
「ほんと、エディに許可もらえて良かったよ。公爵や夫人より、あいつが一番頑固だったんだから」
あいつとブラッドが呼ぶということは、それなりの仲らしい。全く、エディの周りはどう繋がっているのか底知れない。我が弟は恐ろしい。
どちらにせよ、私はブラッドへの返事を考える必要がある。なんだかもう、好きとか嫌いとかの単純な域を越えている気もするが。
「が、頑張るわね」
私はブラッドの方を向いて、真剣に言った。
「うん。期待してる」
ブラッドは良い笑顔で頷いた。




