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38.穏やかな午後


放課後、私はエディと一緒に温室への道を歩いていた。


というのも、今日はとある人物に呼ばれたからである。エディから招待の手紙を渡されたときはなんのことかと思ったが、そういえば話を聞いてほしいなんていう会話をしたなぁとわずかな記憶を思い出した。


そしてあの兄弟は温室が好きなのだろうか、私を呼び出すのは揃いも揃って温室である。もしもこれが口裏を合わせたのでないのなら、両者ともに温室が好きなのだと勝手に思っておこう。


エディは温室に来るのは初めてなようで、物珍しげにきょろきょろ辺りを見回しながら私の後を着いてくる。そして時折小さく歓声を上げたり、けらけらと笑い声を出していた。


何が面白いのかと聞けば、目に映るものはなんでも面白いのだという。そういえば自分もこの学院に来たころは周囲のものすべてに興味を引かれていたように思う。


温室に辿り着き、ガラスの扉を開けた。途端、花の香りがふわりと一気に漂う。どうやら今回は花の主張が強いらしい。


一歩中に入ると確かに溢れんばかりの花が迎えてくれたので、きっとトレビス先生が本気を出したのに違いない。いやでもあの人は、一番好きなのはハーブではなかっただろうか。なんてことを考えていると、さっきよりも軽快な声が後ろから飛んでくる。


「うわあ、すごいよ姉さん!これフロストアスターだよ!ダリアも綺麗!あっ、こっちのはもしかしてマム・・・?すごい、こんな楽園があったなんて!」


エディは植物がとても好きなので、温室に入るやいなやはしゃいだ様子であちこちを見回していた。


彼はきっとこれから温室に入り浸るに違いない。トレビス先生に挨拶しておいた方が良いような気がした。


そして温室の奥には、すでに呼び出した人物が待ち構えていた。あのときの彼の兄のように陰鬱な空気はまとっていない。兄弟といえど、その辺りは違うようだ。いやそもそも状況が違う。


「お越し下さってありがとうございます」


ロベルトはどこか可笑しそうに笑いながら仰々しくお辞儀をしたので、私もわざと制服のスカートを持ち上げて淑女の礼を取る。


「こちらこそ、お招き頂きありがとうございます」


さらにはエディまでもがロベルトの真似をした。


「お待たせしてしまい申し訳ございません、ロベルト殿下」


一通りの挨拶を述べると、耐えきれなくなったようにロベルトは噴き出した。お腹を押さえながら笑っている。


「くふふっ、君に殿下と呼ばれるなんて・・・っ、なんだかくすぐったいからやめてくれ」


「いくらでも呼んであげるよ?ロベルト“殿下”」


どうやら友人だというこの2人は、軽く冗談を言い合う辺り、確かにかなり仲が良いらしい。殿下、殿下とやめないエディに、ロベルトはさらに笑いが止まらなくなったようだった。


「ふふ、本当に仲が良いのね、エディとロベルト殿下って」


「フィオナさんまで、やめてくださいな。あははっ・・・はぁ」


ロベルトは深呼吸をして笑いを抑え込むと、涙の滲む瞳でこちらを見やり、私たちに座るよう促した。


ソファに座るなりエディがこそっと教えてくれたが、ロベルトは先ほどの通り笑い上戸らしい。本当に些細なことで笑ってしまうので、王国の催事のときには人知れず奮闘しているようだ。


「他にもね、実は授業中に1人でこっそり笑ってるんだよ。教授の冗談とかよくツボに入ってるのすぐ分かるよ」


「おい、どうしてそのことを知ってるんだ」


「僕の席からロベルトのこと見えるの、知らなかった?」


エディがからかうようにそう言うと、ロベルトは腑に落ちない、といった表情を浮かべた。が、すぐに元の表情に戻すと、ごほんとひとつ咳払いをしてこちらを見た。


「さて、こちらからお招きしたのにお茶のひとつも出さない、なんてことはさすがにしませんよ」


ロベルトはそう言うと、ローテーブルに置いてあったティーポットを手に持ち、3つのカップに紅茶を注いでいく。


私はその光景をエディと一緒に黙って見ていた。正直、王子殿下が自ら、というこの状況はかなり畏れ多い。しかしだからといって私たちがやりますというのもそれはそれで違うようで、やはり見ているしかなかった。


「どうぞ」


「ありがとうございます」


にこやかな笑みを浮かべながら、ロベルトは私とエディの前にティーカップを置いた。純度の高そうなその紅茶は、とても綺麗な琥珀色をしていて美味しそうである。


私はそのまま飲んでみたいと思ったので、ミルクも砂糖も何も入れずに飲むことにした。隣をちらりと見やるとエディもそのまま飲む気らしく、ティースプーンにすら手をつけていない。


「姉さんの瞳みたいに綺麗だね」


「それは紅茶に失礼じゃないかしら」


私はすかさずエディの言動をたしなめる。こんなに美しい紅茶と私の目の色を比べるでない。それにそんなことを言ってしまうとエディの瞳もこの紅茶のように綺麗だと言っているのと同じである。


いや、今のエディなら自画自賛しかねない。


弟のことは放っておいて、私は早速ティーカップに手を伸ばした。


「いただきます」


こくり、とひとくち紅茶を飲む。マイルドな香りのおかげか、紅茶の味がよく感じられた。渋みや苦みがほとんどなく、まろやかな味わいがぶわりと広がった。


ほわぁ、とうっかり変な声が出てしまうほどに美味しい紅茶だった。ここまで美味しいものにはなかなかお目にかかれない。さすがは王子殿下、と言えばいいのか。


「美味しい・・・」


「ふふ、それは良かったです」


嬉しそうな顔でロベルトはそう言った。


私は顔を上げて前方のロベルトを見る。彼の足を組む動作になんとなく目がつられたからだ。


本来、目の前で足を組むとその相手は不快に感じるものだが、どうしてかロベルトには不快感を抱かない。それどころか、様になっているなぁと見とれてしまうほどである。


やはり王族ということが関係しているのだろうか。


そういえば、彼は兄のアルバートとは容姿も性格もあまり似ていない気がしていた。けれど王族が持つオーラとでも言うのだろうか、兄弟揃って似たような空気感を醸し出すのだなと思った。


そしておそらくそれは、ひとつひとつの仕草の優雅さや洗練具合、ソファに座る姿勢といった目に見えるものだけではないはずだ。きっと彼らは幼い頃から王族としての意識を叩き込まれているのだろう。あくまで想像でしかないが。


「あの、フィオナさん、早速ですがひとつお願いがあるのです」


ロベルトは少し気まずそうな顔をしてそう切り出した。私にできることなら、そう返すと、彼は穏やかな笑顔に戻って言った。


「敬語はやめていただけませんか?エディのお姉さんに敬語を使われると、ちょっと変な気がするのです」


「えぇぇ・・・そうは言っても・・・」


王族の子息2人相手に敬語を使わない公爵令嬢とはいかがなものか。そう思ったが、弟たち2人の攻撃の方が強かった。


「ほら姉さん、僕らこんな調子で軽口を言うんだよ?なぁロベルト?」


「な。エディ、頼むからフィオナさんを説得してくれよ。あぁ、そういえばフィオナさん、兄さんにも敬語を使わないでくれって言われているんですよね」


そして2人してにこにこ顔でこちらをじっと見つめてくる。ブルーとアンバー2対の瞳がきらりと光った。


「・・・わかったわ。これで構わないかしら?あと、それならあなたも敬語はやめてほしいのだけれど」


「ううん、それは難しいお願いですねぇ」


さらりと拒否されたのでしばしの間食い下がってみたが、私からの提案は見事に却下された。なぜ、どうして。この国の王子がいち公爵令嬢に対して年下だからという理由だけで敬語を使うなどと。ましてや令嬢からは敬語を使うなとは、なかなかシビアな話であろう。


しかしやはりロベルトは退かなかったので、しぶしぶそのお願いを受け入れることにした。


「やっぱり姉さんは年下に甘いよね」


満足げに笑うエディとロベルトを見て、確かにそうだなと自覚させられる。だがそれは大いにエディのせいだろう。可愛い弟を持つとだいたいの年下の子は可愛く見えるものである。


「そういえば、あれから何かあったの?」


話題を変えるべく、私はロベルトにそう聞いた。これ以上敬語云々の話をしていては、余計なことまでからかわれそうだったのだ。


それに、元はといえば彼の話を聞くのが目的なのではなかっただろうか。また何か大変なことでも起きていようものなら、話を聞くくらいはできるだろう。そう思ったが、ロベルトの表情は変わらず明るく、彼はにこりと笑って首を横に振った。


「特になにもなく、平和そのものですよ。まぁ、兄様の惚気話は100パーセント増しではありますが」


それは実に平穏な事件である。エレーナとアルバートの仲が良いことに越したことはない。


「これでこの国の未来も安泰というものです。やはり次期国王は兄様でなくては」


「ロベルトさんの次期国王支持の派閥もあるってエレーナから聞いたわ。やはり王家は複雑なのね」


とはいえ、王位争いの中心となり得る人物が自ら兄を次期国王にと支持しているのだから、ひとまず幸先はいいのだろう。


「そうなんですよ。どうしてよりにもよって僕が候補に上がるのか、理解に苦しみます。兄様こそ次の国王にふさわしいと言うのに」


「あー、少し違うかもしれないけど、僕も思うよ。僕がこの学院に来たせいなのか、エルラントの次期領主はエディオッドだって勘違いしている人が多いみたい」


エディは溜め息まじりにそう言った。ロベルトはそんなエディの様子に強く共感するらしく、ゆっくりと頷いた。


「そんなことないのにな」


「ほんとだよ」


そして2人は同じタイミングで、はぁと息を吐き出した。


この2人は案外似たもの同士、のようだ。少なくとも同い年で同じ弟である上、兄姉が次の家の主の座につくことが決まっている者同士、通じ合う部分が多いのだろう。


「いいなぁ、僕にもフィオナさんみたいな姉がいたら良かったのに」


「エレーナが義姉になるじゃない」


義理とはいえ、曲がりなりにも家族となるのである。そう聞くと、ロベルトは困惑気味に首を傾げた。


「エレーナ様もいいんですけど、やっぱり少し遠慮してしまうというか。なぁエディ、少しの期間でいいからフィオナさん貸してよ」


「やだよ、断固拒否!これ以上姉さんに弟はいらない」


「ほんと姉好きだよなぁ」


エディがあまりにきっぱり拒否したので、ロベルトは可笑しそうにくすくすと笑っている。この2人は遠慮なくものを言い合うので、慣れてしまえば彼らのやりとりが面白く見えてきた。


「じゃあ、妹ならいいの?」


エディの言葉の隙を突いてみると、彼は苦々しい顔をする。


「・・・いつか僕が結婚したら、義妹ができるでしょ。百歩譲ってその人限定だよ」


「つまり君は、唯一の弟の座を譲る気はないって言うんだね」


ロベルトがそうまとめると、エディは肯定の代わりに腕を組み、ふんと言わんばかりにソファの背もたれへと沈み込んだ。


「そういえばフィオナさんは、結局どなたなんですか?」


「・・・はい?」


ふいに投げかけられた質問の意味が理解できず微妙な返事をすると、ロベルトは構わず続きを話す。


「噂によると、ドエトル・ウィスタリアとブラッド・スタキオースの二強だとか。あ、いやでも2年のエンジ・メレルドロフとも仲が良いらしいですね。この間一緒に出かけるのを見たと言っている人がいますよ」


「ちょ、ちょっと待って、なんのこと?」


「待って、僕もそれ初耳なんだけど。メレルドロフって、王都の騎士公爵?」


ロベルトの話に、エディはがばっと起き上がって彼に突っかかる。


その前に私はなんのことかさっぱりで、まったく理解が追いついていない。


「え、だから、フィオナさんのお相手ですよ。有力候補が何人かいますが、結局誰なのか判明してませんから、みんな知りたがってます」


けろりとした様子でロベルトはそう言ってのけた。


相手って、つまり結婚相手とか恋人とか、そういうこと!?そんな噂が流れていたの!?


「待って、姉さんにはダン兄さんもいるんだよ!?」


「まだ候補がいるんですか?さすがフィオナさん、引く手あまたですね!」


私は初めて聞くその噂話に驚きが隠せず、返事の声が出ない。


それに、ちょっと待って。よくよく考えてみたらブラッドにドエトルにエンジって・・・前世のゲームの攻略対象まんまじゃない!あぁもう、久しぶりに思い出したわ!


一体いつの間にそんな流れになっていたのか。そもそも彼らとはそんな間柄ではない。確かにブラッドとは友人でダンは幼馴染みだけれど、ドエトルは将来の仕事仲間のようなものだし、エンジは可愛い後輩だし。


「いや、あの、そういうものじゃないんだけど・・・」


「えぇ、そうなんですか?なんだ、じゃあやっぱりただの噂か・・・」


私が説明して否定すると、ロベルトはがっかりした様子でそう呟いた。しかし隣でエディが面白そうににんまりと笑っている。あまり良い予感はしない。


「ふっふっふ、そう思うでしょロベルト?でも姉さんのことだからただでは終わらないよ?」


「というと?」


「こう見えて姉さん、すっごく鈍感だから!」


「・・・それを本人の前で言うのね」


しかしなぜかロベルトはさっきまで落胆していた様子はどこへやら、一変して面白そうな表情を浮かべる。そして、楽しくなってきたよと、にこにこ笑顔で言った。


なんだか自分のことで勝手に楽しまれているような気がするが、実害がないならまぁいいかと思うことにした。


それにしても、さっきのような噂が学院中に流れているとは。少し振る舞いに気をつけた方がいいのかもしれない。人の噂も七十五日、とも言うけれど。


楽しそうな1年生2人のやりとりを見ながら、私はぼんやりと考える。


しかしなんとも穏やかな午後のひとときである。同時にそう思った。




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