34.乱入者・兄
夏の66日といえば、ブラッドの誕生日だ。しかし彼は実家に呼ばれ、急遽予定を繰り上げて帰っていった。聞けばこのままバージェス領に行くと言うのだから、きっと元からついでに帰るつもりだったのだろう。
「ブラッドさんのばかぁぁ!」
クレアはルファエル家でパーティをしようとこっそり画策していたようだったが、計画が白紙になり嘆いていた。今年こそちゃんと祝おうと思っていたのに本人がいないのではしょうがない。バースデーカードを送り、休暇明けにまたお祝いを述べることにした。
そうしてブラッドがバージェスに帰った後も、時々フリードリヒはルファエル家にやってきた。あちらの騎士学校もちょうど夏休暇のようで、どうせなら愛しの婚約者殿と一緒にいたい、ということらしい。
クレアは私との時間が減る、と断っていたが、夏休暇が終わっても私とは学院で一緒だと説けば渋々承諾した。
和解したとはいえ、未来の夫に対してそれで良いのかクレア。
フリードリヒが来ている間は、たまに一緒にお茶したり、2人の剣の稽古を見学したりした。ちなみにそれ以外の時間はシエーナに誘われている。というか、半ば強制連行されている。いや、楽しいからいいのだけど。
今日は3人で過ごそうとクレアに強く希望され、サロンでくつろいでいる。読みたい本が山ほどある上、クレアと同じソファに座ったフリードリヒが彼女を離さないので、正直私はここにいる理由がわからなくなっていた。
フリードリヒは、言葉足らずな割りに言葉で愛を表現しようとする。けれど、まるで指南書のような言い回しに、クレアは若干引いていた。
おそらくだが、比喩など使わずストレートに褒めた方が彼女には響くのではないかと私は勝手に思っている。
さて、それでは本を読もう。せっかく騎士団率いるルファエル家なのだから、戦術の類について書かれたものがいいと書庫から借りてきた一冊を手に取る。護身の心得、なんていう本だ。一体どんなことが書かれているのかと期待に満ちる。
しかし、表紙を開いた直後、サロンに執事が現れた。
「失礼します、皆様。ドエトル様がいらっしゃっておりますが、お通ししてよろしいでしょうか?」
「兄上が?」
いきなりの来客に、私たちは驚いた。しかも、弟であるフリードリヒまでもがびっくりした顔をしているので、本当に予定もなく来たようだった。
「何か、この家へ用件でもあっただろうか」
「その台詞、そのまま返してやろうかフリード」
私たちの返事を待たず執事の後ろから現れたのは、フリードリヒの兄であるドエトルだった。
「家の集まり抜け出しやがって!ここにいるような気がしたから来てみれば・・・!」
「お言葉ですが兄上、俺はきちんと顔を出した後、許可を得てこちらへ来た次第です。兄上こそ、黙って抜け出してこられたのでは?」
しれっとした顔で負けじとフリードリヒがそう反論すると、ドエトルは頭をがしがしとかいた。
「あー、そうだよ!やってられっかあんな集会!」
フリードリヒに怒り、また別のものに怒り。はぁーっと大きなため息をついたドエトルは、私の横のソファに座った。
そんなドエトルに空気を読んだ執事がそっと飲み物を手渡すと、彼はぐいっと一気に飲んだ。暑かったのだろう、よく見れば額には汗が伝っている。
なにやらウィスタリア家は色々あるらしい。休暇中ではあるが駆り出されていたというこの兄弟は、サボりの矛先としてこの家を選んだようだ。
「なんか、大変そうですね、ドエトル様も」
珍しくクレアがドエトルに対して同情の目をしていた。
「ほんとにな。それにしても、兄が大変な思いをしていたときに、お前は何婚約者殿といちゃついてんだよ。正直羨ましいぜ」
「未来の妻となる人と親睦を深めるのは当然のことですから」
涼しい顔でフリードリヒはそう言うと、クレアをそっと抱き寄せた。暑い、と一言溢したクレアだが、フリードリヒの腕の中でおとなしくしている。
「・・・そうだよな。1日くらい、ずらかっても良いよな」
そんな微笑ましい2人を見ていたドエトルは、ぽつりとそう呟いた。そしてあの意地の悪い笑みを浮かべると、ぱっとソファから立ち上がる。
「よし、なら行くぞフィオナ!」
「え?」
名前を呼ばれて呆けていると、ぐいっと腕を引っ張られて無理矢理立たされた。落ちかけた本を慌てて持ち直す。
「あっ、ちょっと!私からフィオナちゃんを盗らないでくださいよ!」
「だったら半日借りるぞ。夕刻までには返すから。じゃあな」
いやいや私、物じゃないんだけど。
そんな抗議の声はあっけなく無視され、クレアの悲鳴が響く中、私はドエトルに連れ出されていた。
抵抗もむなしい状況で、私はどこか遠巻きに思う。この人はいつもどうして、こうも強引なのか。
その後、馬車で向かった先は繁華街にある服屋だった。
首を傾げていると着るように言われたのは、とても庶民的なワンピース。私にとってはエルラントでよく着ていたものに似ているので馴染み深く、あっさりと体にフィットした。一方のドエトルも平民の男性が着るようなシャツとパンツを身に纏って現れ、次いで着替えた私の姿に微妙な顔をした。
「・・・うん、やっぱり、似合うんだよなそういう格好も・・・」
「はいはい、所詮田舎貴族よ」
「違っ・・・そうじゃなくてさ!」
ドエトルはというと、お貴族様がお忍びでいらしている、という雰囲気が出ていた。やはり何か、隠しきれぬものが高位貴族にはあるのだろう。
私も公爵家では、という突っ込みは受け付けない方向で。
そしてドエトルは馬車を自分の屋敷に帰らせると、大きな馬を1頭借りてきた。今度は馬に乗れと言われ、抗うのも面倒なので大人しく従う。
ドエトルも一緒に乗ると、手綱を引いて走り始めた。1頭しかいない時点で相乗りだろうなとは思っていたが、手綱すら握らせてくれないのは少し寂しかった。
でも、まあ、馬は何も悪く無い。2人乗りで重いはずなのに、雄馬は爽快な足取りで街中を駆けていく。栗毛の馬だったが、毛づやも良く、きちんと飼い主に愛されているのだろうということがひしひしと伝わってきた。
「ところで、どこに向かってるの?」
今は繁華街を抜けて街道を走っていて、街並みは徐々に郊外へと姿を変えていく。ちらりとドエトルの左腰を見やればそこには剣が差さっているし、服まで着替えたのだからおそらく貴族の集まるような場所ではないはずだ。
ドエトルは馬の速度を落とすことなく手綱を握り締めている。ぽすんと頭に顎が乗っかった感触がして咎めると、頭上から笑い声が聞こえてきた。
「行ってみればわかるさ」
ドエトルがようやく馬の速度を落としたのは、海沿いの街道に着いた頃だった。
王都の港とは違い、海の近くといっても船は見当たらない。そもそも港らしきものはなく、ただそこに海があるだけといった感じだった。民家も街道沿いにはほとんどなく、街灯もないので夜は真っ暗だろう。
街道からわずかにある階段を降りればすぐそこまで波が来ていて、うっかり足を滑らせてしまったら落ちてしまうのではないかと少しの不安がよぎる。それでも海はとても澄んでいて、ザァーン・・・と心地よい音を立てながら佇んでいた。
「すごいだろ?ここらの海は透明度が高いんだ」
「ええ、すっごく綺麗ね。私、山育ちだから、こんなに開けた海は初めてよ」
「ははっ、良かった。フィオナが楽しそうで」
今日は天気もとても良い。よく晴れた青空に綿のような雲がところどころ漂っている。
馬を休憩させるために下り、しばらく街道を歩くことにした。太陽の日差しが少し暑いが、海風が程よく吹いていて気持ちよかった。
ドエトルがどこかからセロリを取り出して馬に与えていたのを見て、この栗毛の馬はセロリが好きなのだなとぼんやり思った。
通る人もおらず、ただ波と馬の蹄の音だけを聞きながら雄大な海を堪能する。地平線まで見渡せるほどの海は本当に初めてなので、すっかり目を奪われてしまった。
しゃがみ込んで波打ち際を眺めていたら、同じようにドエトルが隣に座ってきた。
そして彼はたっぷりと時間を置いてから、珍しく少し言いにくそうに、あのさ、と口を開く。
「フィオナがスタキオースの三男と恋仲だってフリードから聞いたんだが・・・」
スタキオースの三男とはつまりブラッドのことである。そういえば確かに恋人だとフリードリヒに言いはしたが、あれはその場しのぎの嘘であって、さすがにドエトルまで騙す必要はない。
「ふふ、違うわ。フリードリヒさんの疑念を晴らすために、振りをしただけ」
事の経緯を説明すると、ドエトルは大げさなくらいに笑った。
「そっか!そうだよな!なんせあの面倒な弟のことだもんな、そりゃその方が手っ取り早いよな!」
そしてそのまま後ろに手をついて、上を仰ぎ見た。大きく息を吐いて、何事かを呟く。
「なにか言った?」
「いーや、なんも」
再び辺りは波の音で埋め尽くされる。
何も考えず、ただ海を眺めていると時間がゆっくりと過ぎて行くような気がするのはどうしてだろうか。山ももちろん好きだけれど、海も良いものだなと思えた。
「ところでフィオナ。この界隈は海が綺麗なのに、ウィスタリア民があんまりいない。どうしてかわかるか?」
いきなりのドエトルからの質問に、私は止まっていた頭を再稼働させる。
どこの地域だって人がいないところは少なからずあるだろうに、わざわざ聞いてくるというのは何かあるに違いない。領都からのおおよその位置を推測し、来るときに見たものや彼の意図を考えた。
そういえば、この辺りの民衆の服装が少し違うように見えたかもしれない。ウィスタリア領民はシャツとスカートが分かれているものが多いようだったが、ここらではワンピースが多い。それに、木造の頑丈そうな高い家屋が目立つし、私たちが平民に見えるような格好をする必要があるということは。
「・・・来るときに見えた、廃棄物の山もヒントかしら」
ドエトルを見ながら言うと、彼はにたりと笑った。
「さすが、鋭いな。この辺りは移民が多くて領都より治安が安定してない。貴族が単身で来たら、格好の餌食だ」
クレアからちらりと聞いた、移民による問題を思い出す。
「最近はヴァリオからの移民が増えてて、ここらだけじゃなくもう少し南の方も移民街になりつつある。けど、あいつらは悪くない。実際にはただ故郷を追われて住むところがなくなっただけなんだ。急激に増えるもんだからこっちとしても戸籍処理が追いつかなくてな」
それに、とドエトルは続ける。
「見たろ、あの家の細工。木造であんなでっかいのに、釘ひとつ使ってないらしいぜ」
「釘をひとつも!?」
来る時に見た、ウィスタリアには珍しい木造の家屋を思い出す。高さもあるし、頑丈そうだとは思ったが、釘ひとつ使わずに建てられたことを聞いて私は驚いた。
それに、玄関先にはどこも動物の木彫りやら繊細なアーチやらが飾られていて、素直に綺麗だな、なんて感想を抱いていた。
「なんだかんだ言ってヴァリオの奴らの物作りの技術は相当なもんだ、やっぱ蒸気機関を開発してるって噂も伊達じゃない。ウィスタリアとしては、ぜひとも手を組んでいきたいところなんだがな」
そこへ、さきほどの問題がやってくるのだという。しかも彼らは領都から離れたこの海沿いに集まっていて、すでに自治体が形成されているらしい。連携を取るのが難しい、とドエトルは零した。
せっかく高い技術を持つヴァリオ民がいて、こんなに綺麗な海がそばにあるというのに勿体ない、と思った。
「王都に続くウィスタリアって言っても、全部が全部綺麗なもんじゃねぇんだ」
「でも、それを見せるために連れてきてくれたのよね」
私の問いかけに、あぁ、とドエトルは頷くと、こちらを見てまたにやにやと笑う。
「それに、デートと言っても流行りの小洒落た店に行くより、こっちの方がお前は喜びそうだろ?」
「それは、確かにそうかもしれないわね。・・・って、デート?」
他領の市井の様子をこの目で見られるのはとてもありがたいし、故郷にはない綺麗な海を感じられるのも嬉しい。が、さりげなく放たれた言葉が意外で、私は聞き返した。
「馬に乗って遠出すりゃ、デートだろ?」
「・・・そういうもの?」
デートの定義はわからないが、ドエトルがそう言うのならそうなのだろう。しかしそれなら、私はエルラントの山間の村にいる知り合いのおじいさんの元へダンと出かけた時点でデートになってしまう。あちらでは馬が主な移動手段だというのに。
「なんでもいいけど、他のご令嬢方にはちゃんとしなきゃ駄目よ?」
騎乗に慣れている令嬢は少ないだろう。まぁ、女ったらしで有名な彼のことだから、さすがにきっちりしていそうだ。そう結論づけると、ドエトルは苦笑いをした。
「他の、ねぇ・・・いまだにそう思ってんだ」
「あら、何か間違ってる?」
言い返すと、ドエトルはわざと大げさに肩を落とした。やれやれ、といったジェスチャーつきで。
「なにげに俺の扱いが酷くないか、フィオナ?」
「普段の行いじゃない?」
「女の子は全員愛でるべきもんだけどな、浮気はしない主義だぞ」
自身のポリシーを私に宣言されても困る。適当に相づちを打っておいて、私はドエトルに提案した。
「せっかくだし、移民街の方を見てもいいかしら?」
ひょっとすると、ものすごい細工の建造物なんかが見られるかもしれない。それに一体どんな人たちなのか、とても気になった。
「大丈夫だろ、町長とは顔見知りだしな。最も、俺から1センチも離れないという条件付きで」
「ずっとくっついてろ、と?」
暑いのに、この熱そうな人にひっついてろとは中々の拷問だ。いや、まぁ、それでも移民街は見てみたいし、ドエトルに万が一の迷惑をかけるわけにはいかない。
逡巡した結果頷き、少し退屈しかけていた馬に跨がった私たちは移民街を訪れた。
そこは想像していたものとは違い、ちゃんとした街だった。
最近出来てきたから道はまだ補整されていないが、技術の詰まった家屋が均等に建ち並んでいる。人々の暮らしも急ピッチで整えられたとは思えないほど充実しているようで、彼らはなんのために故国を追いやられたのかが気になった。
一通り見て回って、気がつけば日は斜めに差していた。ドエトルが言った、夕刻には私を帰すという言葉を覆すことはないようで、また今度な、の台詞を合図に領都へと馬を向けた。
そして何事もなかったかのように元の服に着替え、なぜかワンピースは土産だと言って私にくれた。
ルファエル家に辿り着いた頃には空はすっかり茜色で満ちていて、東の空には紺色さえ窺える。玄関の扉を開けるなり飛びついてきたクレアにびっくりしながらも、私はドエトルに別れの挨拶を告げた。
「じゃ、またな。楽しかったぜ」
「えぇ、こちらこそありがとう」
馬で去りゆくドエトルの背中を見ながら、そういえば彼は家の用事を抜け出してきたのではなかったかと思い出す。
きっとこれから大変なとこだろう。でも、どうやら彼も楽しかったようなので、息抜きにはなったんじゃないか。
「なんか、ドエトルさんと仲良くなってる・・・?それに、その紙包みは?」
不安そうに瞳を揺らしたクレアに、私は今日のことをかいつまんで話した。移民街まで行ったと言えば、おそらくクレアは心配してくると思ったので、あえて言わないでおく。何事もなかったならきっと大丈夫だろう。
ちなみに、翌日再び現れたフリードリヒは私とブラッドの演技について知っていた。おそらくドエトルによるものだろうが、特に憤慨するようなこともなかったので、彼が上手く言ってくれたのに違いない。正直残念に思えたが、ずっと騙し続けるのもいたたまれないものである。
そして、さらに翌日からウィスタリア兄弟がルファエル家に入り浸ることになろうとは、このとき誰も予想していなかった。




