1.下された命
時は現代、私は父アストラッドと母ジーナの下、エルラント家の一人娘としてこの世に生を受けた。私に与えられた名前は、フィオナ・クルシド・エルラント。
エルラント家は歴とした公爵家で貴族と言える立場ではあったが、任された領地は他の貴族に比べると随分と小さく、加えて王国の辺境にあった。領民のほとんどが農家で、エルラント領の貴族もほとんどが農業を営んでいて、エルラント家も例に違わず畑を耕していた。そのため王都ではたびたび田舎貴族と揶揄されている。
けれど私はこの地がとても好きだった。領民たちはとても温かいし、気候も安定している。あらゆる種類の作物が育ち、山の景色は季節ごとに美しく変化していく。
今後私は父の跡を継いで領主となり、先代たちのようにこの地を守っていくのだとずっと信じていたし、いつも周囲にそう言っていた。そりゃ、時々は領主になるための勉強が大変だと思うことはあったけれど、辛いと思うほどではなかったし、わくわくする気持ちの方が大きい。
とにかく、私はこのエルラントの地で平穏に生きていくのだ。
そう、ずっと思っていた。あの日までは。
――――それは、私が15になった年の初夏頃だった。
「フィオナ、今私が言ったように、お前は王都の学院に入りなさい」
いつもどおりの朝食の後、父様が話したいことがあると言って執務室に私を呼び出した。そして、先ほどのことを言われたのだ。
執務室には母様もいた。父様が冗談を言っているようには見えない。
どういうことですか、と私は父様に問うた。エルラント家が今まで王都の学院に通ったということは聞かされていなかったのだ。現に、父様も王都へは通っていない。
父様は神妙な面持ちで私に言った。
「お前はこの秋から、王都にあるシェルクラーク王立学院に通うのだ。その後に、このエルラントの跡を継いでほしい」
「な、何故ですか。私は王立学院に通わなければ、跡を継げないのですか?」
まるで今の私では跡継ぎに相応しくないと言われているかのように聞こえる。確かに、他の貴族からは田舎と呼ばれるこの領地の学校にしか通っていなかったけれど、これでもきちんと勉強をしているはず。
しかも、通うのは王都だ。ここから王都へは隣町に出かけるような距離ではないし、となるとエルラントを一時的にでも離れるしかなくなる。
不安な私の心を読んでか、母様はそうではないのよ、といつもの優しい声で言葉を紡いだ。
「王都からエルラントに対する風向きが少しずつ変わってきているの。あなたは次期領主として立派にやっているわ。それでもね、特に女性領主となるから余計に、王都で学んだという経歴を持つ必要があるの」
学院を卒業すれば、エルラントに帰ってこられるから。母様はそう続けた。
「お前には私のような苦労はしてほしくない。フィオナ、お前自身と将来のエルラントの為なのだ」
どうやら私が王立学院に通うことは避けられないらしい。万が一避けられたとしても、風当たりの強い中、エルラントを守らなければならなくなる。それは領民たちにとっても芳しくないこと。
ならば。私は覚悟を決めて、ひとつ深呼吸をした。そして、父様の目をまっすぐ見上げる。
「・・・私が学院に通うことで、エルラントの為になるんですね」
父様はゆっくり深く頷いた。
「ああ。必ず」
母様もにっこりと笑った。
「あなたは、本当にエルラントが好きね」
そして母様は私に近づくと、優しく頭を撫でてくれた。
「ふふっ、大好きです!」
豊かな緑も、温かい人も。母様の手のぬくもりを感じながら、私は生まれ育ったこの地が好きだと改めて思った。
「入学まではまだ時間がある。しっかりと準備をしておきなさい」
「はい」
母様はとても優しい人だ。父様も一見すると厳格そうだが、母様のように優しい思いで溢れている。
私はこの人たちの下に生まれて良かったと思うと同時に、しばらく離れなければいけない不安感にも包まれた。でも、学院を卒業すればまた帰ってくることができる。その思いを胸に私は頑張っていこうと思った。
それにしても、ひとつ気になることがある。
シェルクラーク王立学院。なんだか妙に聞き覚えがある。いや、王都の学校なのだからどこかで聞いたのだろう。でも、どこで?こんな田舎に住んでいて、しかもエルラント家からの入学は初めてらしいのに、聞くことなんてあっただろうか。
「痛っ…」
思いだそうとすると頭が痛い。でも、不思議と気になる。
「まあ、いつか思い出すのかな」
とりあえずは気のせいにすることにして、出発の日を迎えたのだった。
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