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バウムクーヘン

 芳賀に見送られたその後、そのまま藤木は件の店へ向かった。いつもであれば八時ちょうどくらいに着くのだが、今日はゆっくりと気持ちの整理をつけながら歩いたため、普段よりも十分程過ぎた頃の到着だった。


 考え事をしていると、ついゆっくりとした足取りになる。周りを見て歩かなければならないのは重々承知なのだが、どうにも思考の海に引きずり込まれてしまうのだ。


色々と考えすぎなのは悪い癖だと周囲からもよく言われるのだが、最早これは性格の問題のようで何度試みても直らない。自信など欠片も持ち合わせていない藤木にとってはポジティブになるというのが恐ろしくもある。だがこのネガティブさ、自信の無さが普段の疲れや気落ちの原因になっていることは明らかなのだ。


何とかしなければとは思うのだが、自分で自分の首を絞めるようなことばかりをしてきた。歩く間ずっと考えこんでいたためだいぶ煮詰まり、何今更の事を考え込んでいるんだろうかと達観できた頃合いの入店となった。


 そうだ、あれからもう今まで二度もここへ足を運んだのだ。きっと今日も同じように時間を過ごし、そうしてもとの平和な日常へ戻るのだろう。ああ、なんだかあれから短いような長いような時間が過ぎていったなあ……。


日常の過ぎ去る速さに感嘆の息を漏らしながら、今回はいつも飲んでいるカプチーノを注文した。いつもの席でいつもの場所で、とにかく心落ち着けたかった。







一方その頃、数キロ程離れた道路上で猪端のミラが走る。運転するのは猪端、天井部分の手すりに掴まって助手席で怯えているのが佐々木だ。




「どこだ佐々木! あの駅の⁉西口⁉東口⁉」


「東‼ 東口‼ 猪端待って、頼むからもうちょっと落ち着いて運転してくれ!」




車中での話し合いの後、猪端へ粕谷が投げかけた最後の一言、




「いいよ、行ってらっしゃい! くれぐれも気をつけて、と伝えておいて! あとこっちは気にしないでいいからって伝えてね!」




という言葉を完全に右から左へスルーし、そして訳の分かっていない佐々木を拉致して向かうは件の駅近のカフェ「金雀枝珈琲店」。


ちなみに現在に至るまで話がどう動いているのかなど一切説明していない。それもそのはず、時間がないのはもちろんだが猪端は久方ぶりに燃えに燃えているのだ。なんとしても浮ついた話の無いこの生真面目一辺倒な同僚に春を! あとそんなほっとけない雰囲気の女の子とかめっちゃ気になる! そのただシンプルな好奇心が猪端を荒々しく突き動かしていた。




「お、あそこか!あそこの店か⁉ちっくしょ目の前路駐してんじゃねえか! 少し過ぎたとこ停めんぞ!」


「そうだけど! そこだけど! 頼むから落ち着いてくれ、そこ一時停止……ああぁあお巡りさんが見てる!」


「大丈夫バッチリ左右確認済みだ! こんな緊急時に事故起こして足止めされてる場合じゃないからな!」


「そうじゃない止まんなきゃいけないところだろそこは!!」




――もうぐっちゃぐちゃのてんやわんやだ。減速したとはいえ一時停止無視、お巡りさんが追いかけてくるのをミラーで確認し、ついに佐々木は思考を放棄した。




 そんなこんなでたどり着いた、金雀枝珈琲店。佐々木は入口をくぐる頃にはぐったりとしていた。まるで二日分の仕事をこなしてきたかのような疲労感だ。意を決して入った店内のふわりと香るコーヒーの香りと、適度な音量のBGMがくたくたに疲れきった心によく染みた。




ちなみに猪端は、佐々木が車を降りて少しした頃追い付いたお巡りさんに話しかけられていた。当然だ。


——はて、そういえばあいつは何をどう言って職場を抜けてきたのか……無茶苦茶なことを言っていないだろうか。明日の出勤が怖い。というかその前に今日残っていた仕事はどうしよう、その前に何も言ってなかったがあいつは路上でずっと待っているつもりなんだろうか。何があいつをこうも突き動かすんだ、あのパッションはどこから湧いて出るんだ。


様々な方面にクエスチョンマークを浮かべつつも、とりあえずいつものカプチーノを注文した。食べるものはいい、とりあえず落ち着きたい。そう思い、カップを手にし、駄目元で店内に視線を巡らせた。




「……あっ」




あの壁際の隅の、コーヒーカップを手に一息ついている女性。いつもとなんだか雰囲気が違う感じを受けるが、あのひとは例の、あの!


やっと来れた初日にして会えるなんて! と嬉しくなり思わず一歩前に踏み出した。しかし、なんと声をかけたらいいんだろうか。この前はどうも? こんばんは、この前はすみませんでした? いやいや……? ここ数日ああでもないこうでもないと散々頭を悩ませてきたものが、いざという局面だからとぱっと出てきてくれるはずもない。思考が停止したままどんどん近づいてしまう。







藤木は淹れたての温かいカプチーノを飲んで一息つく。やはり肌寒くなってきた頃の温かい飲み物は良い、一口飲むごとに体を強張らせていた余分な力が抜けていくのを感じた。これこそが至福のひととき……。ささやかだけど、最高のご褒美だなぁ、なんて。


落ち込んでいる時には耳に届かない心地よいBGMに聞き入り、周りの適度なざわつきに身を沈める。絡まり合った糸が解けていくような心地よさに身を浸す。と、その時。横で小さくきゅっと鳴った靴音を拾ったように思い、顔をあげた。




「……あっ」




この時ばかりは、周囲の話し声も、慎ましやかなBGMも。一瞬にして意識の外へ追いやられすべてが静まり返ったように感じた。




「……こ、こんばんは……。」


「こんばんは……こ、こちらご一緒しても……?」


「どうぞ。……お久しぶりになりますね。」




酷く緊張しているのか表情は硬いが、まぎれもなくあの時の人だ。この声、あのブラウンの目。向こうが緊張しているという状況がおかしくて、笑みがこぼれる。すると向こうもほっとしたようで、体の力を抜いてくれた。




「本当、お久しぶりです。そうだ、前回の約束守らせてください。食べ物、何がいいですか?」


「え、それは悪いですよ。きちんとお支払いしますから、注文しに行きましょう。」


「いえ、これは俺のエゴなんで……前回ご迷惑おかけしたので、おごらせてください。」


「……じゃあ、お言葉に甘えて。……厚切り焼きバアムでお願いします。」




テーブルには二つのカプチーノに、厚切り焼きバアムとモンブラン。そんな可愛らしいラインナップとは対照的に、ぎこちない表情で向き合う藤木と佐々木。二人とも時折テーブルのものに目を向けたり一口、ドリンクを飲んでみたり、結局静かなままである。


リラックスムードで満たされている店内において唯一、緊張感溢れる雰囲気を醸し出している一角だった。




「「…………」」




この状態になって早くも五分が経った。思わぬタイミングで再会した、そこまではいいのである。最初こそ会話はあったのだ。




「なんだかお疲れのようですね。お仕事お忙しいんですか?」


「ちょっと上司の無茶ぶりでばたばたしてしまって…。なかなかここへも来られなくて、遅くなってしまってすみません」


「いえ、約束していたわけじゃないんですから、お気になさらず」




……といった会話止まりだった。口を開いたり閉じたり、傍からみれば息苦しくなるような重い雰囲気なのだが、当の本人たちはそれどころではない。なにも進展がなくとも頭の中だけはフル回転である。そんな中モンブランを大きく一口、意を決して口を開いたのは佐々木だった。




「……この前は、すみませんでした。本当に突然の申し出でご迷惑おかけしてしまって……」


「え、いえ……たしかにびっくりしましたけどそんな。気にしないでください。」


「あの後思い返して、突然面識もない女性を捕まえて何を言ってしまったんだと。言われた方はさぞ怖かったろうと……」


「い、いえ……」




突然口を開いたかと思えば、随分としょんぼりとしてしまった。心なしか、くたりと垂れた犬の耳が見える……などと思考があらぬ方向へ飛びかける。考えることに疲れてくると突拍子の無い方に向かってしまうから危ない。また黙りこくってしまった藤木の表情をうかがうようにちらりと視線が送られる。




「あ……す、すみません、私……自分の考えを言うの、苦手で……どう答えるのがいいのかわかんなくなってしまって。でもあの、ほんとびっくりしたし色々と考えてしまいましたけど、今また会ってみたら心配していたような悪い人ではないんだろうなって思って、やっと安心できました。」




あの一件の直後に関しては怖かったというのは否定しませんが、今はもう大丈夫です、と付け足して言うと、表情が和らいでいく。成人男性に向けて言う言葉ではないのだろうが、良かった、と花開くように笑う様は天真爛漫というのがぴったりなくらいだ。


……悪い人ではないのだろう、多分。先程も、黙って考え込んでいたかと思えば口を開きかけてまた閉じて、ひどく頭を悩ませているのがはっきりとわかった。


不器用な人なのだろうな、と思った。お揃いだ、とも。しかし話すのにモンブランを食べて勢い付けるとか、本当に子どものようで面白い。そんな佐々木は、ぽりぽりと頬を掻きながら答える。




「それ、なんかわかります……どう答えるのが一番いいかな、伝わりやすいかなって考えて結局纏まらなくなってしまって、っていうやつですよね。俺もそうなんです。」




会話ってなんだかんだ難しいですよね。そう言ってはにかむ彼の顔をみると余計、心の中がとっ散らかって何をどうしたらいいのかわからなくなってしまった。どうしたって落ち着かない、何か動いていたい気持ちに駆られてしまう。知らぬ間に手元で折ったり引き延ばしたりしていたストローの袋は、もうぐしゃぐしゃになって転がっていた。




「……でも、できればで全然良いんですが。俺、何でも聞きますんで。急かしたりなんかしないし、否定もしませんから。だから……あまり考えこまず感じたまま話す、喋り友達になってみませんか。」もちろん何度でも言い直しとかオッケーなんで、と付け加える。


「……そんなこと。きっと気分を害してしまうだけですよ」


「いいや、それはないです! あんなことまでして貴女を引き留めたかった人間ですよ、俺は。烏滸がましいでしょうが、助けになりたいと思ってしまったんです。」


「……そんなに酷い顔してましたかね? 私。」


「……酷い顔っていうか、失礼ですがいろいろすっぽ抜けたような。抜け殻みたいな顔してました」


「……そんな顔を見られてたんですね。……えっ、恥ずかしい」


「こちらこそ不躾にすみません……。でもなんかそれで、なにか話聞けたらなあって。ちらっと見えた時から何か助けられることってないかなあって考えてたんです」


「それで、ああして声をかけてくれたんですね。……カウンセリングとか、そういうお仕事されてるんですか? 名刺には営業さんとありましたけど……」


「いえ、実はそういうのは全く。あ、そういえば名刺渡しただけでちゃんとした自己紹介はまだでしたよね。佐々木景人と申します」


「……あ、すみません。私名刺持つような職業じゃなくて名刺のお返しができないんですが……。藤木万桜と申します」


「なんだか可愛らしい響きのお名前なんですね。どういう漢字を書くんです?」


「ああ、こういう……藤、木、万、桜……こうです」




名刺がない代わりに、持ち歩いているメモ用紙に名前と連絡先を書いて渡す。…こちらだけ向こうの連絡先を知っているだけというのはフェアじゃないし、と自分を納得させる。なんてことはないただのメモ用紙なのに、ありがとうございます、と丁重に名刺ケースへと収納されていくのを不思議に思いながら見送った。




「……俺は、名刺の通り医薬品の卸に勤めているんです。藤木さんはどういったお仕事されているんですか?」


「私は、ただの登録販売者です。少し離れたとこにあるドラッグストアに勤めていて……あ、そうするとなんだか似たようなこと仕事にしているんですね私たち」




そうですね、とふにゃりと笑う。こちらまでぽかぽかしてくるような笑顔だ。その笑顔に何だか陽だまりを思い出しながら、頼んでもらった食べ物に一切口をつけていなかったことに気が付く。




「佐々木さん、ケーキ食べながらお話ししましょう。なんだかお互いに緊張しいみたいですし。」


「そうですね。あ、このモンブランすごい濃厚に栗が主張してて美味しい。」


「ん、こっちのバアムも厚焼き部分がザクザクした食感で中はしっとり……美味しいです。」




ここのバアム、美味しいって聞いていたんですけどなんだかんだチャレンジできてなくて。おかげさまで今日口にできました! と素直に感想を述べてみる。




「そうなんですね、それはよかった……本当に」




そうこうして二人ともモンブランを厚焼きバアムをぺろりと平らげた。甘いケーキとほろ苦いカプチーノがよく合う。今回はカフェオレでなくカプチーノにしていて良かった。


と、その時ちらりと壁際の時計が目に入った。針は九時四十分を指している。ということは……もうすぐ十時? 閉店の時間?


と、そこで佐々木も視線に気づき、時計に目をやる。え、え⁉ と突然慌てふためく様子がなんだか可愛かった。




「すみません、もうこんな時間だったんですね⁉ な、長らく引き留めてしまって申し訳ないです……!」


「いえ、私も今目に入ってびっくりしていたところなんで……! もうこんな時間になってたなんて、まだ九時過ぎたくらいかと思っていました。」


「俺もそれくらいかと。今日はもうこの辺りにしておかないとですよね、明日もお仕事ですか?」


「ええ。佐々木さんも明日も?」


「いや俺は明日は休みで。水日で休みなんです」


「へえ……固定休かあ、いいなあ」


「藤木さんの方はシフトですか、大変だなあ」




また、良ければご飯でもしましょう、と笑う。良く笑う人だなあとか何だか幸せそうだなあとか。自分とはあまり縁のなさそうな人生を歩いている暖かい人の香りがしたように思った。例えるなら、日向ぼっこした後の優しい匂い。


——なんだかさっきからこの人からわくイメージが陽だまり、ひなたぼっこ、と暖かいものばかりなのに気が付いて、不思議に思う。




「それじゃあ、今日は会えて良かったです、……本当に」


「こちらこそ、もう会わずに終わるのかと思っていましたから、良かったです。……では、また」




なんだか、妙な人と妙な縁ができたものだなあと思った。別れた後も、胸中は太陽みたくぽかぽかと暖かい。押しも強いのか弱いのかわからないし。面白い人がいるものだ。その日就寝するころまで、胸のぽかぽかは続いた。

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