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始まりの聖女  作者: 吉野
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暁光〜オクタヴィア視点〜


怒りに囚われヒトである事をやめてしまったノールは、見る間に龍の鱗で全身覆われた異形の怪物へと変わってしまった。


滴るほどの憎悪を瘴気に変えて撒き散らす姿は、まさに魔王そのものだ。



その咆哮をまともに喰らい、兄上は跡形もなく吹っ飛んだ。


いや…兄上だけではない。

王宮内の3分の1が吹っ飛び、一瞬にして瓦礫と化した。


咄嗟に最大出力で防御壁を展開しなければ、私もアラタも無事では済まなかっただろう。



その間も胸を抉られるような慟哭が、王宮内に響き渡る。



「っ!ノール…」



歪な前足でアカリ様を大事に抱える、ノールであった者に声をかけるアラタ様。



振り向いた魔王の目に宿るのは…ヒトとしての理性?

妖魔に堕ちてなお、彼の中でヒトとしての尊厳と抑えきれない激情とがせめぎ合っているというの?



「ノール、灯をどうするんだ?」


「アカリハ、ワタサナイ!」



悲しい叫びだった。



「アカリ様とあなたを引き離そうなんて、思ってない!

でも今のあなたの姿を見たら、アカリ様はきっと悲しむわ」


「…ウルサイ」


「灯を弔ってやりたいんだ、せめて故郷のやり方で。

それにいつまでも血塗れの苦しそうな姿のままじゃ、可哀想だろ?」


「ダマレ」



私とアラタ様の説得も、今の彼には届かないのか。



「ダマレ!」


彼の…魔王の目が赤く光った。

同時に、背筋を冷たいものが駆け抜け、皮膚が粟立つ。



凄まじい衝撃波に、防御壁がよく保ってくれたものだと思う。


魔力の殆どをつぎ込んだ防御壁ですら、自身とアラタ様を守るので精一杯だった。

もう1度、同様の攻撃を喰らえば…恐らく次は保たないだろう。


先祖返りのノールが持つ魔力は、私と同等かそれ以上。

ヒトであった頃の彼なら、決して外す事のなかった制御装置を、今の彼は外してしまっている。


つまり、容赦なく全力以上の攻撃を仕掛けてくる、という事だ。




『魔王はヒトの弱さより生まれし者。

悪しき者、邪な者のなれの果て』


デュランダール神官長の言葉が脳裏をよぎる。



魔王が…ノールが「悪しき者」「邪な者」?

そんな訳、ない。


ただアカリ様を愛しただけじゃない!



「お願い、もうやめて!」


ノールの母が兄上の乳母という事もあり、私達3人は兄弟のように育った。


実の兄よりよほど信頼していた。


身内…いえ、兄として慕ってきた彼のこんな姿、見たくはない。



「ノール!アカリ様を悲しませないで!」




叫んだ瞬間。


「誰か」の目を通して「何か」を見ているような、不思議な感覚に見舞われた。




『貴女は決して価値のない人間ではない。

侮られたり馬鹿にされた時には怒ってもいいし、言い返してもいいんだ』


諭すように告げる真摯な声。

これは…ノールの声?


でも、私は言われた事のない言葉。



——そうか、アカリ様に言っているのね。



同時に、アカリ様の記憶が頭の中に流れ込んでくる。



背の高い、かなり年上の男性。


アカリ様に対して居丈高に接し、言動全てを馬鹿にし、否定して支配しようとしていた。

挙句、思い通りにならない事があると、罵ったり怒鳴り散らしたり。



——ホント、最低。



けれど、アカリ様は彼に言い返すどころか怯えているようだった。



『怖かったり辛かったら逃げても良いんだ。


逃げる事は決して卑怯な事でも、恥ずべき事でもない。

立ち向かうよりも、むしろ勇気のいる事だ。


だからアカリの心や身体が傷付けられるくらいなら、いっそ逃げてくれ』



——アカリ様はノールの、この言葉に救われたのね。




場面が変わるように、見えていた風景が変わる。



見覚えのない建物の中、血まみれで立つ先程の男性。


その足元には、折り重なって倒れる中年の男性と女性。

そして…腹から血を流して倒れているアラタ様。


血まみれで立つ男性が、思い切りアカリ様の頬を打ち…衣服に手をかけた。



——これは…召喚の直前、アカリ様とアラタ様の身に起こった事⁈



アカリ様の…おそらく人に知られたくないであろう過去を勝手に覗いている罪悪感。


それ以上に、大切な家族を傷付け惨殺しただけでなく、女性としての尊厳までも踏み躙ろうとする婚約者とやらに激しい憤りを感じる。




すると、またしても場面が変わった。


夜中悪夢にうなされ、泣き叫ぶアカリ様を抱きしめ宥めるノール。



ノールは今、私が目にした「光景」を直接は見ていない筈。

だとしても、つがいに選んだ女性が怯え、泣き叫ぶ原因を知らなかった筈はない。



どんなにか…悔しかった事だろう。




——こんな辛い夜を、何度2人で乗り越えてきたのだろう。


アカリ様の恐怖は、同じ女としてとても辛くて苦しくて、悲しい。




兄上に理不尽を強いられた時も、もしかしたら同じ恐怖を感じたかもしれない。


本当は逃げ出したかった筈。


でも、自分が逃げ出せばノールの立場が苦しくなる。


最悪の事態も頭をよぎっただろう。



だからこそ…あのようなやり方で。




「アカリ、ノ、イナイ、セカイ…」


絶望に彩られた魔王の昏い瞳が映しているのは、光溢れる温かな世界。



ノールの絶望と孤独を思うと胸が塞がれたように苦しくなる。





『ノール、闇に堕ちてはダメ!』



「その言葉」はスルリと口から飛び出た。


まるで…アカリ様が私の体を使い、ノールに語りかけているかのように。



——いいえ、アカリ様の「存在」を確かに感じるわ。


アカリ様の、ノールに直接語りかける術をもたないもどかしさが伝わってくる。



ならば、私をお使いください。



防御壁を解き、全てを受け入れる覚悟で目を閉じる。



「オクタヴィア姫…何を?」


アラタ様の呟きに答える余裕はなかった。




アカリ様の残留思念が、「想い」が身体の中に奔流となって流れ込んでくる。



『ノール!

お願い、聞いて。

闇に堕ちてしまったら、貴方の魂は永遠に暗闇を彷徨う事になる。

そうなってしまっては、私達は二度と巡り会えない』



アカリ様の想いが、私の口から溢れ出す。


その言葉に、魔王は訝しげな様子ながらも動きを止めた。



『今回は共に過ごした時は短く、悲しい別れ方をしてしまったけれど…いつかまた貴方と出会いたい。


次こそはちゃんと結ばれて、共に生きていきたい!

私を救ってくれたあなたを、こんな形で失いたくないの、お願い!』



アカリ様の最後の願いがノールへ届くよう、祈らずにはいられなかった。



「アカ…リ?」


『ノール!貴方は誇り高い龍の子孫。

祖先が愛し守ってきたこの国を、そこに生きとし生けるものを守って』



赤く濁った魔王の目に、ヒトとしての理性が戻った…気がした。


何かを探すように辺りを見回し、両腕に抱いたアカリ様に目をむける。


その表情が哀しげに歪んだ。



…かつてヒトであった頃のように。



「アカリ、イナイ」



『いいえ、肉体は滅んでも想いは消えない。

貴方が愛したこの国を、貴方と共に見守っていくわ。


ノール、私の名前の「灯」ってね「明るく照らす光」または「導く為の目印」という意味もあるのよ。

私がここに呼ばれた理由、それはつまりそういう事なんだと思うの』




ポロリ。


ポロリ…。



1つ、また1つ。


魔王の顔から、体から鱗が剥がれ落ちてゆく。




『そして、いつかまた生まれ変わったら…。

もしまた巡り会えたなら、その時は絶対離さないで。

私も貴方を探し続けるから。

絶対、見つけ出して見せるから、私の事忘れないでね』



「…アカリ」



なんて慈しみに満ちた、切なくも優しい声でアカリ様を呼ぶの。



ノールの深い愛情に応えるように、鱗の下からその素顔が現れた。


赤く濁っていた眼は、完全にヒトの理性と竜の誇りを取り戻しているように見える。




「アラタ、その剣でアカリごと俺を斬れ」


ノールの声に呼応するかのように、眩い光がアラタ様の剣を包む。



…これは、アカリ様の浄化の力。




「タヴィア、最後まで面倒かけたな。

すまんが後は頼む」


子供の頃はよく呼んでくれていた愛称で呼ばれ、思わず涙が溢れた。



「っ!ノール」


目元だけで頷いてみせたノールの顔は、今は不思議なほど穏やかだった。




「アラタ」


「っ!いやだ、お前を斬りたくない」


「一度は妖魔に堕ちた俺を救えるのは、勇者であるお前だけなんだ」




魔王を倒せるのは魔力を持たない勇者だけ。


今となっては残酷な事実に、アラタ様は拳を握りしめた。



「アカリが待っているんだ。頼む、アラタ」



完全にヒトの姿を取り戻したノールは、アカリ様を大事そうに抱え直しアラタ様に背を向けた。



***



王宮内の被害は甚大で、壊滅状態といっても良い状況だった。


王宮内だけではない。


一方的とはいえ、即位宣言したばかりの王とその側近達を失ったのだ。

致命的とも言える痛手を負った我が国にとって、その立て直しは急務と言えた。


けれど、不幸中の幸いというべきか。

兄によって投獄された、亡き父を支えてくれた人達は無事だった。


親交の深い国から支援の手も差し伸べられた。



私もまた、覚悟を決めなければならなかった。


「俺達はまだ生きている。

生きている限りは足掻き、前に進み続けるしかないんだ」


私の背を押してくれたのは、アラタ様のこの言葉だった。



生きていくという事はお伽話とは違う。


お伽話なら「白馬に乗った王子様が迎えに来て、お姫様は城で幸せに暮らしました」で終わるけれど。


現実はそんな簡単ではない。


求めても、救われない事の方が圧倒的に多いし、報われないまま死んでしまう事もある。



けれど…それでも進む事をやめてはいけないのだ、私達は。



どんなに辛くとも、彼らが愛し守ろうとしたこの国を守っていかなければならない。


ノールと共にアカリ様が見守ってくださる事を信じて。




「あの方は愛でもって、竜騎士(ノール)と…国を救ってくださった。

まさしく聖女であらせられたのだな、アカリ様は」


デュランダール神官長の言葉に、深く同意する。




そして…あの時アカリ様から託された『力』。


本来、異世界から召喚された聖女のみが持つ「癒しの力」と「浄化の力」。


この力を私が託された事にも、何か意味があるのかもしれない。


それを知る為にも…私は生きる事を、前に進む事を決して諦めない。




いつかまた、ノールとアカリ様に会えるその日まで。



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