暗闇〜ノール視点〜
神話の時代、まだ龍や一角獣とヒトが共存していた頃、1頭の龍が乙女を見初めた。
乙女はその国の王女であった。
王女と父である国王は、龍の求愛を受け入れる代わりに国の守護を求めた。
龍は快諾。
生きている間は自分が、死後は子孫が国を守る事を誓った。
やがて生まれた子供には、身体の一部に龍の特徴である鱗が見られ、それは代々受け継がれていった。
王家は龍と一族に敬意を払い龍騎士の称号を与え、それがそのまま家名となった。
龍とその子孫はとても情が深い。
求愛が受け入れられれば、その1人を『番』と呼び、生涯の伴侶とする。
求愛が受け入れられなければ、命を絶つ者も居たという。
そして…俺は歴代の子孫の中でも、特に龍の血を濃く継いだらしい。
龍の血が濃いという事は、それだけ魔力の保有量が多いという事。
そして…番を求める気持ちが強いという事。
幸いにも、俺は生きている間に番に巡り合う事が出来た。
界を越え、その直前の悲劇に弱っていた彼女につけ込んだような気がしなくもないが…それでもアカリに番に選んでもらえた。
この短い間に、傍らにアカリが居るのが既に当たり前となっていた。
無骨な俺にとって、想いを直接口にするなどとてもじゃないができるモノではない。
そう思っていたのに。
アカリを前にすると、愛しい想いが言葉となって溢れ出る。
自分でも驚くくらいに、甘やかしたくて仕方がない。
ガキじゃあるまいしと思うのだが…側にいないと落ち着かない。
もっと言うなら、常に触れていたい。
誰の目にも触れないところで、俺だけを見ていてほしい。
そんな独占欲すら感じてしまう。
いい歳した大人が、しかもどちらかといえば厳つい見た目のこの俺が、7つも年下のアカリに振り回されっぱなしだった。
年上の余裕など、ありはしない。
だが、その必死さに絆されたと言われれば、悪い気はしないのだから…。
番とは、こんなにも心を揺さぶる愛しい存在なのか。
その時の俺は、少し浮かれていたのかもしれない。
もっと周りに目を配っていれば…。
異変に気がついた時には、すでに手遅れだったという事を、まだ知るよしもなかった。
***
聖女となったアカリは1ヶ月の間、魔力の制御に学んだ。
勇者となったアラタも、剣を振るう事には慣れていたらしい。
聞けば軍人という、こちらでの騎士のような職に就くため、専門の学問を修めていたとの事。
こちらの剣術や戦い方をすぐに習得し、最終的に俺と互角に打ち合えるまでとなった。
流石にそれは想定外の事だったが、向こうでは実践経験もあったらしい。
国にとっても嬉しい誤算だろう。
なんせ、まともに剣をふるった事がない者が勇者として召喚された事も、かつてはあったというのだから…。
「アラタの太刀筋はこの国のものとは違うから、次にどう来るか読めないな」
日課となった鍛錬の後、刀や武器、格闘術について意見を交換しながら昼飯をとる。
これも、この1ヶ月間で「いつもの事」となった。
アカリの兄だというのなら、できれば今後も上手くやっていきたい。
…そんな心配をする必要のない位、アラタはまっすぐで気持ちの良い男だった。
最初、『龍』とは蛇の親玉か?と訪ねたのが嘘のように。
誇り高い龍が堕落の象徴である蛇なんかと同格、いや親玉だというなら一応格上であるとしても、眷属など馬鹿にしてるのかとカチンと来たのだが。
もっとも、龍についてはアカリも同程度の認識だったので、これは宗教観や文化の違いなのだろう。
代々龍の家系には男子しか、しかも1人しか子が生まれない。
生まれた子は龍騎士である父から、戦いの全てを学び、父を倒す事によって龍騎士となるのだ。
国の守護神である龍の子孫である龍騎士は、通常の騎士とは立ち位置が違う。
近衛騎士団にも王立騎士団にも属さない、最強の騎士。
王の命のみに従い、縁戚であり臣下であり友である。
誇りを持って王と国の安寧の為に尽くし、身を捧げる。
それが龍騎士だ。
父とラムズ陛下の関係が、まさにそうだった。
絶対的な信頼と絆で結ばれた主従であり、いざという時には盾とも矛ともなる存在。
俺も次代の王となるであろう殿下達と切磋琢磨し、良い関係を築けるよう努めてきた。
父とラムズ陛下のように。
そして1ヶ月の後。
我々…アラタとアカリ、それに龍騎士である俺と何人かの騎士達、そして意外な事にユーグ殿下ではなくオクタヴィア殿下で、王の勅命のもと討伐隊が編成された。
確かに…オクタヴィア殿下の魔力保有量も聡明さも、ユーグ殿下をはるかに上回る。
王の第1子、しかも男子である事からユーグ殿下が次の王となるであろうという見方が、宮廷内の大半を占めている。
が、王子の胸中には余人には計り知れない思いがあるのかもしれない。
ともあれ、討伐隊はラムズ陛下の見送りを受け、すぐさま魔王の元へ移動を開始。
我々とアラタは馬で、アカリと殿下は馬車で進んで行く。
今回魔王の現れた国境付近へは、2日もあれば到着する。
アカリとは、この討伐が終わったら正式に婚約する事を約束していた。
だから全力でアラタを助け、アカリ自身を守り抜いて、何としても生きて王都に戻る。
そう誓っていた。
「アカリは殿下と共に、後ろから皆の補助を。
アカリの浄化の力で瘴気は完全に抑えられるから、こちらも助かっている。
殿下は魔法障壁を頼みます」
「ノールと新は?」
「俺は騎士達と突破口を切り開く。
アラタに確実に魔王を仕留めてもらう為にな」
アカリの目に不安の影がよぎる。
界を越える直前、両親が惨殺された事は聞いていた。
そのせいか、アカリは身近な者が傷つく事を極端に恐れている。
「大丈夫!アラタの事は俺が必ず守る」
「…バカ、貴方の事だって心配しているのよ」
思わず顔がにやけてしまうのは、アカリが可愛すぎるからだ。
またかと溜息をつくアラタと、呆れた顔を隠さない殿下を尻目に、アカリを抱きしめる。
「アカリ、何度も言っているが龍の鱗はとても硬いし魔力をよく弾く。
俺を傷つける事ができる奴など、そうはいない。
大丈夫だ、俺を信じろ」
耳元で囁くと、背に回された腕に力が篭る。
「ノールの事、信じてる。
信じてるけど…怖いの」
——こんな可愛い番を置いて死ねるか。
真剣にそう思う。
けれど…現地に到着してわずか数日後には魔王を倒す事に成功。
実にあっさりと帰還の途につく事となったのだった。
「…あまりにも呆気なさすぎて、逆に怖いというか心配です」
殿下の言葉は、皆の不安でもあった。
記録には死闘の数々が残されている魔王討伐だが…。
これ程手応えがないと、逆に召喚によって向こうでの全てを捨てざるを得なかったアラタとアカリに、申し訳ない気にさえなる。
「まぁ、怪我人が出なかったのは不幸中の幸いですね」
良いように言ってくれたアカリの言葉に、みな苦笑いを浮かべる。
——本当に…これで終わりなのだろうか?
何かこの後、とてつもなく恐ろしい事が起きなければ良いが。
拭いきれない不安を胸の内に宿したままの帰還となった。
***
王都に帰還した我々を迎えたのは、ラムズ陛下ではなかった。
王宮内は異様な雰囲気に包まれ、出迎えたユーグ殿下は新王を名乗った。
ラムズ陛下の『崩御』を告げるユーグ殿下。
今まで被っていた優しげで親しみやすい仮面を取り払った彼は、我々にも王宮の一角で個別に謹慎を命じた。
聞けば、王宮内は既に王子とその一派に制圧され、王女派並びに旧臣の一部は投獄されたという。
王子が綿密に計画を練り、機を窺っていたのだという事は容易に推察された。
アラタとアカリの召喚ですら、計画の一部だったのであるまいか?
そんな邪推も生じるほど、周到に入念に準備していたのだろう。
何においても優秀な妹と比べられ、笑顔の下でずっと劣等感に苛まれていた事も。
第1子であるユーグ殿下より、第2子しかも女性のオクタヴィア殿下を後継に望む声も、決して多くはないがあるという事実に、苛立ちを募らせていた事も。
ラムズ陛下から絶大な信頼を寄せられた父を恨み、その子である俺をも妬んでいた事も。
思い返せば心当たりはいくらでも出てきた。
そしてようやく謹慎が解け、面会が叶ったその時には…全てが遅かった。
ユーグ新王による一方的な王位継承宣言。
そして聖女アカリを妃に迎えるという意向が内外に示される。
周到に根回しがされ、断る事のできない状況に追い込まれていた。
「お待ちください、で…陛下!
アカリは我が番、正式に妻となる身です。
アカリもそれを了承しています」
必死に訴える俺を見下ろす冷たい眼差しに、アカリの方が凍りついた。
「我が地位を盤石とするため、聖女は妃として最適。
竜騎士であるお前が、まさか王に背くなど致すまいな?」
言外に「王命」を滲ませるユーグ陛下。
血に刻み込まれた王家への忠誠と、アカリへの愛で板挟みになる。
しかし…ここで引き下がる訳にはいかない!
「…他のどんな命にも従います。
隣国を滅ぼせとおっしゃるならその通りに!
しかし番の件は別。
どうかお考え直しを」
必死になればなるほど、陛下の顔が愉悦に歪む。
「アカリは正妃とする。これは決定だ」
嬉々としてアカリの腕をとると、強引に連れて行こうとする。
咄嗟に剣の柄に手をかけた俺を、近衛騎士達が取り囲んだ。
「イヤです、離して!ノール…!」
「陛下!兄上、お待ちを!」
「灯を離せ!
無理やり召喚した挙句、嫌がる者に婚姻を強いるなど、それが王たる者のやり方か!」
アカリの嫌がる声も、オクタヴィア殿下の制止の声も、アラタの非難も届きはしなかった。
『武の要として竜騎士ノールが目を光らせ、政の要としてオクタヴィアが宰相となり、ユーグを支える。
そうすれば国は安泰だ。
あれは王としての器量にイマイチ欠ける。
だからこそお前達でしっかり支えてやってくれ』
亡きラムズ陛下の言葉を思い出す。
王は迷いながらもユーグ殿下を後継と定めていた。
俺もオクタヴィア殿下も、ユーグ殿下を支え、国を守っていこうと決めていたのに。
なぜ、こうなってしまったのだろう?
アカリの亡骸を抱きしめ、慟哭する俺の血が熱く滾る。
額にある龍の鱗が、顔を上半身を覆っていく。
「っ!ノール!」
アラタの声が、ひどく遠くで聞こえた。
——そうか、耳ももう鱗で覆われてしまったか。
陛下に連れていかれそうになったアカリは、俺達の目の前で陛下の剣を抜き放ち、自らの胸に突きたてた。
「アカ…リ」
近衛騎士達を押しのけ駆けつけた俺の腕の中で、アカリは微笑み血まみれの手を伸ばした。
「ノー…ル」
その手を握りしめた俺を映すアカリの瞳が、急激に光を失っていく。
「アカリーッ!」
全身、龍の鱗で覆われた俺は、もはや人でも竜騎士でもないのだろう。
アカリの死によって憎しみに囚われた俺は、一匹の獣となった。
そして、目の前には全ての元凶となった男…憎い仇が。
焼けつくような怒りと殺意にも似た憎しみ。
そして愛する番を永遠に失った悲哀と…深い絶望。
渦巻く感情の全てを、目の前にいる男にぶつけた瞬間……俺は妖魔に堕ちた。