静寂の金曜日16
勇哉と直と千絵の三人は、それぞれ懐中電灯を手に北校舎の一階を捜索していた。雄一と透の二人は、上の階から見てまわるということになり、先程階段を上がっていった。
漆黒の闇に包まれた校舎内は、不気味に静まりかえっていた。そんななかで、各教室を懐中電灯で照らしていると、妙に背筋がざわついた。
そんな気味の悪さとともに、先程からある疑惑が勇哉の胸を満たしていた。
――再び怪文書が現れたこととさえの行動には、なにか関連があるのではないだろうか。
景子の話が本当だとしたら、さえの行動は異常だ。さえは他のメンバーに知られないように、隠れて学校にやってきていた。それだけをとってみても、なんらかのやましい行動をしているということは想像に難くない。さえがスタンガンを使ったのが本当だとしたら、それはもう決定的だ。そして、それがこのタイミングで行われたことを考えると、あの文書との関連性を疑わざるを得ない。
いじめの復讐を恐れていたはずの彼女が、どうしてそんな行動をしているのか。その理由についていろいろと考えていると、ふとある可能性が勇哉の中に浮かんできた。
さえはもしかすると、その復讐を企てている犯人に協力しているのではないだろうか。いじめのことに罪悪感を抱いていた彼女は、その悔悟から、今度はその被害者の協力者となったのではないだろうか。そこにはなにかしらの脅しがあったのかもしれないが、そう考えれば、彼女の不可解な行動の答えにならないだろうか。
だからこそ、誰にも見られないように姿を隠している。もしかすると、最初に学校から姿を消したこともそれが理由だったのかもしれない。犯人とどこかで接触したさえは、そこで協力者になるよう脅された。そこで、復讐の手伝いをさせられている。もしそうなら、第二の文書を貼った人物はさえだったということも考えられる。
水野正が本当にこの世界にいて、さえに指示を出しているのかどうかはわからないけれど、さえがあの文書を貼った犯人だという説は、あながち間違ってはいないように思われた。
最初の文書に関しては、メンバー内に犯人か協力者がいるのではないかということはすでに疑っていたことだ。それもさえが協力者だったとすれば、その答えになりはしないだろうか。
しかしそう思ったところで、なにか噛み合わないような感じがした。
それは最初の文書のときの彼女の反応だ。最初の文書に対しての彼女の反応や、そのあとの行動は、差出人の意図からは、はずれていはしないだろうか。あの文書を書いた本人は、それを隠滅されるようなことを普通望まないのではないだろうか。だとしたら、その時点ではさえは協力者ではなかったということになる。
それなら、やはりあの文書を貼ったのは、他の誰かだったということになる。やはりあれは外部からの侵入者がやったのだろうか。水野正が学校に潜んでいたということだろうか。
しかし、勇哉は釈然としなかった。その理由は、水野正のノートのことだった。
あの水野正の家で見た彼の勉強机は、地震のせいで散らかってはいたが、そこで開かれていた彼のノートにあった文字は、とても美しく整然としていた。角張った特徴のある文字はあの文書のものと同じではあったが、怪文書と勉強机で見たひたむきなノートのものとは、まるで印象が違って見えた。そして、そのノートの最後に書かれてあったもの。そこにあったのは、歪んだ線だった。それは予期せぬことによってそうなってしまった。そういうもののように思われた。
その予期せぬこととは、もしかすると地震だったのではないだろうか。勉強の途中で地震にあった。あれはその痕跡ではなかったのだろうか。彼は地震のとき、家で勉強をしていた。
もしそうだとすれば、学校に彼は来ていなかったことになる。それならば、自分たちが立てた仮説――あのとき校庭にいた人物だけがこの世界にいる――というものからははずれることになる。もしその仮説が正しければ、彼はこの世界にはいないということになる。
文書や写真から、なんとなく水野正の影をそこに見ていたが、自分自身、水野正という人物がどんな人物だったのかは知らない。けれど、あんなふうに丁寧にノートを作り、もう一度立ち直ろうと努力している人物が、こんなことを企てるだろうか。
胸の中に生まれたその小さな疑念は、勇哉の中で次第に大きくなっていった。
一階の工作室前までやってきたとき、直が言った。
「田坂さんが倒れていたのは、確かこの辺りだわ」
「田坂さんの証言が確かなら、水城さんがここを通っていったのは確かなはずなんだよね」
千絵が懐中電灯で辺りを照らし、誰もいないことを確かめていた。
「とりあえず今はここら辺には誰もいないようね。水城さんはいったいどこに行ってしまったのかしら」
直はふうと息をついていた。さすがの彼女も疲れの色を隠しきれない様子だった。
「一階はみんな見て回ったわけだから、次は上の階を捜すか」
勇哉がそう言うと、直は少しためらうような口調で言った。
「ねえ、鷹野くん。あの文書を書いたのは、本当に水野くんなんだと思う?」
「え?」
「ずっと思っていたんだけど、あの文書から感じる印象と、わたしの知っている彼の印象は、なんだかちょっと違うような気がするの」
直がそう言うと、千絵もまたそれに同意した。
「実はわたしもずっとそう思っていた。だけど、いじめがあったことは本当だし、そのことで恨みを抱いていたとしてもおかしくはない。だからみんなの言うように、あの文書を書いた犯人は彼かもしれないってそう思っていた。だけど、水野くんのことを思い出せば思い出すほど、文書から受ける印象とはなんとなく違うような気がしていたの」
「そうだったのか……」
勇哉は二人の言葉に驚き、そして納得した。二人は水野正と同じ美術部員だったのだ。彼の人となりは、他のメンバーよりもよくわかっている。その二人がこう言うのだ。勇哉の感じた疑問は、やはり思い違いというわけでもなさそうだった。
「鷹野くん?」
「ああ、いや。俺も今、そんなことをちょうど考えてたところだったからさ」
「意外ね。てっきり反論されるんだとばかり思ってた」
「そうだな。ちょっと前の俺だったら、そんなはずはないって言い返していたと思う」
「それが、どういう心境の変化で意見を翻したのかしら?」
直の質問に、勇哉は先程考えた推論を語って聞かせた。
「そう。ノートにそんな痕跡があったんだ……」
「地震以外の理由でできたものだとも、あの地震より以前からあったものだとも言えなくはないだろうけど、机にはちょうどそこのページが開かれて置いてあったんだ。偶然というには、なかなかありえないことのように思ってさ」
「そうね。きっと鷹野くんの言うとおりなんだと思う。水野くんはあの地震のとき、家で勉強をしていた。そう考えるのが自然だわ」
「そこで俺たちが立てた仮説だ。俺たちは調査の結果、あの地震の際、この学校の校庭にいた人物だけしか、この世界には存在していないという仮説を立てた。それに当てはめると、この世界には水野くんはいないってことになる。だとすると、文書の差出人は水野くんだという説は、違ってくるということになる。だったらそこに書かれていた復讐の意味も、まるで違うものになってくるんじゃないのか?」
千絵が直の横で、はっと息を呑んでいた。
「俺たちはあの文書の意味を、すべてはき違えて考えていたんじゃないのか……?」
勇哉がそう言ったそのときだった。
ジリリリリリーーーーーッッッ!
校舎全体を覆っていた静寂を切り裂くように、けたたましい非常ベルの音が辺りに響き渡った。




