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きみたちはセカイのかけら  作者: 美汐
第五章 静寂の金曜日
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静寂の金曜日12

 千絵は次第に西へと傾き始めた太陽を見ながら、不安を募らせていた。

 佐々嶋たちは、いまだに帰ってくる様子がなかった。溜まり場として使っているらしい化学室の様子も見に行ったりしたが、そこには誰もいなかった。やはり彼らはどこかに出かけたまま、学校へは戻ってきていないようである。

 本人たちがいないのであれば、こちらにはなにも対処することはできない。結局他にできることと言えば、自分たちの身の回りを警戒することくらいしかなかった。


 メンバーの中に犯人かその協力者がいるかもしれないという話は、みなの間に衝撃を与えたようだったが、それほど混乱を招くものではなかったようだった。心のうちはそうでもなかったのかもしれないが、傍目にはみな驚くほど落ち着いているように見えた。

 しかし、千絵はこうしてみなで教室にいることが、息苦しく感じられた。


 ――悪は葬られ、偽善者は罰を受ける。


 文書にあったその言葉がいじめへの復讐を意味していると知ったとき、千絵の中に戦慄が走った。

 悪、というのがなんのことを差しているのか。即座に頭をよぎったのは、佐々嶋たちのことだった。そして、彼らをもっとも憎んでいるであろう人物――水野正のことが浮かんできた。『葬られ』という言葉の意味は、まさに水野正が佐々嶋たちに復讐を遂げようとしている言葉のように思われ、千絵はそこに恐ろしい悪意を感じた。


 しかし疑問なのは、そのあとに続く『偽善者』という言葉だ。『偽善者』とはなにを意味しているのか。誰のことを言っているのか。

 水野正がこれを書いたのだとすれば、それはいじめを傍観していた傍観者のことを意味しているのではないだろうか。

 いじめに加担していない。いじめに自分は加わっていない。だから自分は間違っていない。そういう存在に対して、彼は『偽善者』という言葉を使っているのではないだろうか。

 もしそうなら、いじめの存在を知っていてなにもしなかった自分のような存在もまた、偽善者と言えるのかもしれない。


 やはり、犯人の復讐の対象は、ここにいるメンバーのほとんどと思っていたほうがいい。本当にいじめの存在を知らなかった亜美のような存在は例外としても、他のメンバーは多かれ少なかれ、二年前のことについてなにかしらを見聞きしていた可能性がある。どこまでの範囲でその対象だといえるのかは、犯人側の判断に委ねられるのだろうが、こんなふうに怪文書を用意してくるくらいだ。良い方向にとらえていいわけがない。


(わたしもきっと恨まれている……)


 そう考えると、とても悲しくなった。水野正は繊細だったが、優しい少年だった。花や生き物が好きで、よくそんな絵を描いていた。そんな彼が復讐などということを考えついたなんて、とても考えられなかった。そして、もしそれが真実だとするなら、彼の心がそこまで追いつめられていたということだ。苦しくてつらくてどうしようもなかったのだ。そんなふうにして、優しかった彼の心が黒く染められていってしまったのだと考えると、本当に悲しかった。


 夕飯の準備のために、メンバーは家庭科室に向かった。全員がそれには参加することになり、なかでも女子が中心となって夕食作りを始めた。ご飯とみそ汁、メインは魚の缶詰というメニューだったが、それでもここでは贅沢な食事には違いなかった。

 みなが夕飯を食べ終えたころには、辺りもだいぶ暗くなってきていた。もうすぐ夜だ。


「佐々嶋くんたち、なかなか帰ってこないわね」


 一年一組の教室に戻ると、窓際で外の様子をながめながら直が言った。太陽が沈んだばかりで、西の空にはまだ夕陽の明るさが残っていたが、東の空を見ると、藍色が深くなり、夜の闇が音も立てずに迫ってきているのが見て取れた。


「もしかしたら連中、今日は街のほうで一夜を過ごすつもりなのかもしれないな」


 自分の席に座っていた勇哉が、直の言葉を受けてそう言った。教室には電池式のランタンが教卓の上に置かれていたが、やはりそれだけでは満足な灯りとは言えなかった。暗闇に浮かぶその光はいかにも頼りなく、心許ない気持ちを現しているようにさえ思えた。


 そんな頼りない光の中に、残されたメンバーの顔がぼんやりと浮かんでいた。その表情のどれもに、疲労や不安の色が見えている。これからまた、あの長い夜がやってくるのだ。夜の闇は不安を増幅させる。それに加えて再び現れた怪文書の存在。平静ではいられないのは、きっとみな同じなのだろう。


「こうしてみんなで黙りこくって夜をやり過ごすのもなんだし、トランプでもやらないか?」


 そう明るく言い出したのは、透だった。さっそく自分のバッグをごそごそと探り出している。


「なんだお前。そんなの持ってきてたのかよ。他に持ってくるものあるだろ」


「こういうときだからこそ、こういうのが必要なんだろ。勇哉わかってねえなー」


「いいじゃないか。宮島の言い分にも一理あるよ。あの文書のせいで、みんな疑心暗鬼になってるけど、そんなふうにして不安ばかり募らせながら過ごすより、よっぽど有意義だと思うぜ」


 男子たちがそんな話をしだし、なんとなく暗く重たい雰囲気だった教室内が、ほのかに明るくなったような気がした。


 机を二つ繋げて、そこにみな、それぞれの椅子を持ってきて集まった。雄一が教卓に置いてあったランタンを持ってきてそこに置くと、そこに集まったメンバーたちの顔が光に照らされて不思議な円を描いているようだった。


「なんかこういうのって、修学旅行の夜って感じするよな」


 その透の言葉は、こんな状況だというのに、なぜか否定する気がおきなかった。それは他のメンバーも同様のようで、うなずいたり同意したりする声はあっても、否定するものはいなかった。こんな過酷な状況で、いや、こんな状況だからこそ、呑気にトランプをすることで心を和ませたいと、みなが思っていたのかもしれなかった。


 ババ抜きや大富豪などをやっていくうちに、それぞれがそれに興じるようになり、暗かったみなの表情に、少しずつ笑顔が戻っていった。そうしてひととおり遊び終えたころには、辺りはもうすっかり真っ暗になっていた。


「あー、くっそ。また負けたー。なんでだよー」


 透が悔しがって口を尖らせるのを、勇哉が笑ってからかった。


「運が悪いのは、日頃の行いが悪いせいじゃないのか?」


「そんなわけねえよ。それだったら、よっぽどお前らのが悪いはずだ」


「え? そこに僕も入ってくるの? こんなに善良なのに」


「自分で善良とかぬかす時点であくどいということに、そろそろ気がついてくれ。江藤」


 勇哉らサッカー部の三人は、そんなことを言い合いながら、楽しそうに笑っていた。千絵もそんな彼らの様子に、なんとなく気分が明るくなった。


「あの。千絵先輩」


 トランプを片付け終えたちょうどそのとき、横から亜美がそう声をかけてきた。


「なに? どうかした?」


 亜美はこの中ではたった一人の下級生だ。こうして上級生ばかりに囲まれて過ごさなければならない状況は、きっと心細いはずである。しかも、心を許していた同じ部活の先輩たちもいなくなってしまったのだ。なおさら心細い気持ちは強くなっているだろう。

 今日、彼女は学校へ帰ってくる途中、その場から逃げ出してしまうという騒動を起こしたばかりだった。彼女も精神的にかなりまいっているのだ。千絵はそんな彼女のことを不憫に思い、今はできるだけ彼女のことを気にかけるようにしていた。


「えっと、ついてきてもらってもいいですか?」


 申し訳なさそうに彼女は声をひそめた。千絵はなんのことか察し、快くそれにうなずいた。


「いいよ。ちょうどわたしも行きたかったところだから」


 真っ暗なうえに、今は厳戒態勢で、できるだけメンバーは一人にならないようにという話し合いがされているのだ。たかがトイレに行くのにも、一人では行かせられない。


「直ちゃん。ちょっとわたしたち行ってくるね」


 千絵がそう話しかけると、直もすぐに察したようでこくりとうなずいていた。

 懐中電灯を手に、千絵たちは廊下へと歩み出た。夜の学校は、なんともいえず不気味な雰囲気が漂う。しんと静まりかえった廊下に、自分たちの足音がやけに響いて聞こえた。


「なんか、怖いですね。ある意味肝試しって感じで……」


 亜美は、千絵にぴたりと寄り添って歩いていた。本人は気づいているのかいないのか、千絵の長袖のTシャツの袖口をぎゅっと握り締めている。


「うん。でも、わたしも一緒だから大丈夫だよ。早くトイレ済ませて教室に戻ろう?」


「そうですね。早く済ませちゃいましょう」


 一年一組の教室から一番近いところにある女子トイレにたどり着き、トイレを素早く済ませると、二人は再び廊下に出た。


 すると亜美が、こんな話をしだした。


「千絵先輩。……昼間はすみませんでした。わたし、取り乱してしまって、先輩たちみんなに迷惑かけちゃって……」


 暗闇の中で懐中電灯は足元を照らしている。そんななかで彼女の表情をうかがい知ることはできなかったが、その声はとても悲しげに千絵の耳に響いた。


「そんなこと気にすることないよ。こんな状況じゃ、誰だって泣きたいし、逃げたくもなるよ」


「でも、先輩たちはみんな気丈に頑張ってて、弱音だって吐いてない。それなのにわたしは……。自分でも本当になさけないです」


 千絵はそのとき、この後輩にとてつもなく好感を抱いた。この素直さがあったからこそ、さえたちにもあんなに可愛がられていたのだろう。


「そんなことない。五十嵐さんはメンバーの中で、たった一人の二年生だもの。そんななかでよく頑張ってると思うよ。それに、泣くことも大事だよ。感情を抑え込んで我慢してるほうが、よっぽど体にも悪い。あれは、五十嵐さんにとって、必要な出来事だったんだよ」


 千絵がそう言うと、亜美は顔を上げた。


「さあ、教室に戻ろうか」千絵がそう言ったときだった。


 きらり、と向かいの北校舎の方向でなにかが光ったように見えた。そしてその光は、すっと弧を描いたあと、姿を消した。


「え?」


「なにあれ……?」


 千絵はそれを見た瞬間、ぞくりと背筋が粟だった。


「先輩。今、見ましたよね? わたしの見間違いじゃない、ですよね?」


「うん。わたしも見たよ。確かに今、北校舎のほうに光が見えた」


「じゃ、じゃあ誰かがあそこにいるってことでしょうか……?」


「でも、みんな教室に残ってるはずだし、佐々嶋くんたちも戻ってきた様子はなかった」


「え? じゃあ、さっきの光は……」


「……わからない。でも、確かにあの光は間違いなくあそこにあった。一度、直ちゃんたちにも知らせてこよう!」


 千絵はそう言うと、急いで一年一組の教室に戻った。


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