静寂の金曜日10
学校へ戻ると、校舎内は静まりかえっていた。校舎前に置かれてあった原付バイクがなくなっていたので、佐々嶋たち三人はたぶんどこかに出かけてしまったのだろう。
勇哉が一年一組の教室に入ると、一瞬なにか違和感を感じた。しかしそれも、他のメンバーたちがあとから入ってきたことで薄れ、特になにも変わったことなどないように思えた。
きっと、疲れているのだろう。この世界ではなにもかもが狂ってきてしまっている。わけのわからないことだらけで、自分も先程の亜美のように、どうにかなってしまっているのかもしれない。
違和感の正体を突き止めることを放棄し、勇哉は早々に自分の席に腰をおろした。そして、顔を上げ、正面に視線の先を当てた。
勇哉はそれを見て、目を見開いた。
先程感じた違和感の正体が、そこにあった。出ていくときにはなかったはずのそれが、黒板の真ん中で不気味な存在感を放っていた。
あとから入ってきた他のメンバーたちも、次々とそれに注目した。そこに貼り付けられていた一枚の文書を前に、みな凍り付いたように動かなかった。
「……んだよこれ。ふざけやがって……っ」
勇哉の漏らしたひと言を契機に、みな一斉に騒ぎ立てた。
「やだ……っ。またなの?」
「またあの怪文書と同じやつかよ!」
亜美はそれを見て両手で口を押さえ、千絵はその後ろではっとした表情をしていた。透は憤りを押さえきれないという様子で、声を荒げていた。
そんななか、比較的落ち着いていたのは直と雄一の二人だった。直は黒板まで歩み寄り、その文書をじっと見つめた。
「これは、あの文書とは違う内容のようよ」
「そうみたいだね。いったい今度はなにが書かれているんだ?」
雄一も直と同様に黒板の前へと進み、それを食い入るように見つめていた。
勇哉も席を立ち、彼らの元へと近づいていった。
「なにが書いてある?」
勇哉が直の後ろからそれをのぞき込むと、直が席を譲るようにそこから一歩ずれた。勇哉はそこにある文書にじっと目を凝らし、文章を目で追った。
文書は前回の文書と同じように、破ったノートが使われており、あの角張った文字が並んでいた。そして、そこにはこう書かれてあった。
『準備は整った。
我の復讐は、もうすぐ宴のときを迎えようとしている。
我の受けた痛みを刃に変えて、復讐の華としよう。
刃は世界を破壊し、新たな世界を構築する。
恐怖と痛みと苦しみを、そうして思い知るだろう。
悪は葬られ、偽善者は罰を受ける。
そして世界は我の生きる場所となる。
さあ、宴の始まりだ。
X』
それを読んだ瞬間、ぞくりと背筋が粟だった。得体の知れない憎悪のような感情を、そこに感じた。
「…………っ!」
言葉にならないなにかが喉の奥にせりあがってきた。勇哉はこの文章に関して、どのような感情を持ったらいいのかよくわからなかった。これを読んで感じたことでひとつはっきりしていたのは、腹の底にずんとのしかかるような不快さだけだった。
「……危険な感じね」
直も低く重い口調になっていた。
「やばいよ。これは……」
雄一も眉間に皺を寄せて、うなるようにそう言った。他のメンバーも恐る恐るというようにその文書をのぞき込み、そこに書かれてある内容を読んでいった。
「宴の始まり? なにかがこれから始まるっていうのかよ」
「なにかを仕掛けてくるつもりね。Xは」
怒りを露わにする透とは対照的に、直はあくまでも冷静だった。
「先輩。わたし、怖いです……」
「直ちゃん……」
亜美と千絵が怯えた顔をして、直を見つめていた。
「大丈夫。わたしたちは一人じゃないんだもの。無闇に怯える必要はないわ。ただ、この文書の差出人がなにをたくらんでいるのかわからない今は、充分に警戒はしておいたほうがいい。そのためにも、これからは極力単独行動は控えたほうがいいわね」
直の頼もしい言葉は、その場の張りつめた空気を柔らかくほぐしていった。亜美と千絵も、その言葉に少し安心したようだった。
「そうだね。僕たちが戦々恐々としていたら、ますます相手の思うつぼだ。Xの思惑に乗ってやる必要なんかない。僕たちはこれまでどおり、堂々としていればいいんだ」
雄一もそう言った。しかし勇哉は、彼らのように前向きな気持ちにはまだなれなかった。先程感じた恐怖感は、勇哉の身のうちに粘り着くように張り付いて離れなかった。
「だけど、ここにきて新たな文書が現れたっていうのは、どういうことなのかしら?」
「どういうことって?」直が不思議そうに言ったのを、雄一が聞き返した。
「だって、復讐のことは、前回の文書でもすでに言っていることだし、わざわざもう一回こうして文書を出してくる必要性はないわけじゃない? こうして新たに文書を出すことによって、心の準備を与えているっていうふうに考えると、そういう意味ではこちらに対してなにか配慮をしてくれているような気さえするわ」
「そうかな? さすがにそんな親切心ではないと僕は思うよ。だから用はあれさ。こっちに恐怖心を植え付けておこうってことじゃないのか? きっと演出のつもりなんだよ。これからやろうとしてる宴ってやつを、盛り上げようとしているのさ」
雄一の言葉に、直は納得していないようだった。眉間に皺を寄せて考え込んでいる。
「確かにその効果はあると思うけど、なんとなくそれだけではないような気がするのよね。なんていうか、この文書にはある意志を感じるの」
「ある意志? それはどういう?」
「……気づいて欲しい」
「え?」
「自分という存在に気づいて、見つけて欲しい。そう、言っているような気がするの」
直のその言葉に、勇哉ははっとした。
気づいて欲しい。自分が誰か、早く見つけ出して欲しい。
なんのためにこんなことをしているのか。そのわけを早く言って聞かせたい――。
勇哉は自分の背後に顔の見えない誰かが立っているような気がして、ぞくりと身を震わせた。
(誰なんだ。お前はいったい誰なんだ。X。お前の正体はいったい――)
勇哉はゆっくりと背後を振り返ってみた。
しかしそこには当然のように誰の姿もなく、がらんとした教室内が見えているだけだった。
「勇哉? どうかしたのか? なんだか顔色が悪いぞ」
横にいた透が、心配そうにこちらの顔をのぞき込んできた。
「いや。なんでもない。ちょっと、疲れてるだけだ」
勇哉はそう答えると、力ない足取りで自分の席へと戻っていった。