静寂の金曜日7
「すべての元凶は、あの遠藤という担任教師だった。あいつは、外面は愛想もよくて受けがいいようだったが、中身はとんでもなく腐ったゴミ野郎だった。クラスの中で自分の好きな生徒から順にランキングしていき、その上位の生徒だけを特別にひいきする、そういうことを恥ずかしげもなくするようなやつだった。気に入らない生徒を無視し、自分の理想に添うものだけに声をかける。そんな遠藤のやり方に、クラスには不満が充満していった」
千絵はとても驚き、戸惑った。あの写真に写っていた人のよさげな担任教師の姿に、今の佐々嶋の話はなかなか重なっていかなかった。
「最初のころこそ俺はやつに気に入られていたらしかったが、やつの方針に意見をしたら、すぐにやつのお気に入りからはずされた。まあ、気色悪かったし、そのことについては別にたいしてなんとも思わなかった。ただ、俺はとにかく気にくわなかった。たまたまそいつの担当するクラスに配属されたというだけで、そいつのいいなりになっていくことには我慢がならなかった」
佐々嶋はかすかに眉間に皺を寄せた。当時のことを思い出しているのだろうか。
「そこで、俺はその担任教師に真っ向から逆らうことにした。あいつの授業を妨害したりボイコットしたり。幸い俺の親はそれなりに学校に対して権威ある立場だったから、あいつもへたに俺に注意できないようだった。そして、そんな俺のやり方に共感するものはすぐに現れ、どんどん数を増やしていった。やつにひいきされる側だった連中も、その波に飲み込まれるような形となり、遠藤はクラスの統制をまったくとれなくなっていった。見ていていい気味だった。あいつがあたふたと焦っている姿を見て、ざまあみろと思った。だから俺は、クラスをさらに扇動して荒れさせていったんだ」
「もしかして、いじめもそのための演出だったっていうの? クラスを荒廃させて見せるための」
「まあ、そういう部分もあったかもしれないが、それよりはどちらかというと見せしめのようなものだった。俺がしようとしていることに、あいつは賛同しなかったんだ。自分には関係ないと、そうぬかしやがった。クラスのほぼ全員が担任を辞めさせようという流れを作っているなかで、一人だけそんなことを言うやつがいたら、いじめられる側になるのは当然だ。あれはあいつの自業自得でもあるんだ」
「いじめが自業自得? いじめられる人間が悪いっていうの? そんなのいじめた側の傲慢よ。どんな理由があったとしても、いじめに正当性なんかない! 絶対に!」
直は拳をぎゅっと握り締めながらそう叫んだ。怒りに声が震えていた。
「ふん。まあ、なんとでも言うがいいさ。とにかく、俺にとっては水野がいじめられてようがいじめられていなかろうが、そんなことは割とどうでもいいことだった。結果的に演出としてはいい具合になってたようだが、俺にとってはそれよりも、遠藤のやつを辞めさせることのが重要な事柄だった。学級崩壊であいつも結構まいってきている様子だったが、それでもやつは学校側に護られていて、なかなかしぶとかった。はたからは、全面的に俺たちが悪者だというふうに見られていたのも、やつの口先のうまさが原因だった。そういうやつの小賢しさに、俺は一層頭にきていた。学校側はいろいろと手段を講じてきたよ。成績のこととか内申がどうとか言って脅してきたり、強面の体育教師が監視に来たりとな。だけど、しょせん学校も外側からの圧力には弱いもんでさ。保護者からの苦情にPTA会長である俺の母親まで出てくると、さすがに学校も遠藤を護りきれなくなったようで、日に日に遠藤はやつれていったよ。ようやくあいつを辞職させるまでに追いつめることができたときは、俺たちが勝利したとクラスのみなで喜んだもんさ」
彼は口元を歪めて、皮肉めいた笑みを浮かべた。千絵には理解ができなかった。いくら教師が気にくわなかったといっても、そこまでする必要はあったのだろうか。担任教師が辞めたことを勝利だという、彼の気持ちがわからなかった。
他のみなも、彼の話に戸惑いの表情を浮かべていた。今まで考えていたものとは少々違う事情を聞いて、複雑な心境なのだろう。
「……でも、それを喜んだのはクラスの全員ではないでしょう? 少なくとも、水野くんは違っていたと思うわ。彼はあなたと遠藤先生との勝手な争いに巻き込まれた被害者よ。水野くんは、あなたが勝利と呼んだつまらないことのために犠牲にされた。あなたの自己満足のために犠牲になった。そんなふうに考えたことはないの?」
直は、佐々嶋を正面から睨みつけていた。佐々嶋もまた、それを正面から見据えていた。
「あいつが俺のせいでいじめられ、学校に来られなくなった。それは認めてもいい。だけど、俺はそのことを悪いとは思っていない。結局それは、あいつの弱さが原因だ。あいつに、いじめに対抗するだけの力がなかったというだけの話だ」
佐々嶋に、いじめに対する反省の色はまったくなかった。彼には彼の中の正義が一番なのだ。そのために誰かが犠牲になろうが、そんなことは構わない。彼にとってはどうでもいい些事なのだ。
直と佐々嶋は、水と油のようだった。どこまでいっても混じり合わない。お互いがお互いを理解することはできない。直の言葉は佐々嶋の心に響くことはない。
二人の間には、目に見える距離からは考えられないほどの心の隔たりがあった。
「けどまあ、その文書を書いたのが本当に水野だったとしたら、俺は逆にあいつを見直したよ。そんな勇気があるやつだったとは、意外だったね」
佐々嶋はそう言って笑った。それを見て、直はばっと立ちあがった。
「なにを馬鹿なことを言っているの? 彼が本気でこれを書いたんだとしたら、彼はなにをしでかすかわからない。あなたたちの身に危険が迫ってるかもしれないのよ! わたしたちは、それを伝えにきたの!」
「へえ。清川さん。そんなに俺らのことを心配してくれてたんだ。そいつは光栄だなぁ」
佐々嶋はからかうような口調でそう言った。それを聞いた直は耐えきれなくなったのか、憤然とした様子でくるりと踵を返した。そして出入り口のほうへと歩き出した。
「直ちゃん……っ」
千絵は慌ててそのあとに続いた。他のメンバーも、戸惑いながら椅子から立ちあがっていた。
「まあ、せいぜい気をつけておくよ」
後ろからそんなとってつけたような台詞が聞こえてきたが、直が振り向くことはなかった。