静寂の金曜日6
佐々嶋たちは、化学室にいた。ビーカーを灰皿代わりにして、煙草を吸いながら笑っていた。黒板の前の教卓の上には、どこかから持ってきたらしいお菓子やジュース、お茶のペットボトルなんかが置かれていた。そのなかにはウイスキーのボトルや缶ビールまであり、それを見た千絵は思わず眉をひそめた。
直を先頭に、メンバー全員が化学室内に入っていくと、じろりと佐々嶋たちがこちらに視線を向けてきた。
「清川さん。俺らのところに出向いてくれたのは嬉しいけど、いらないお供がいっぱいだなぁ。そいつらに今のところ用はないんだけど」
佐々嶋がそう言うと、土居と山本は大げさに爆笑した。
「あなたのほうに用はなくても、みんなには用があるの。真面目な話をしにきたから、そちらも真面目に聞いてくれるかしら?」
すっ、と佐々嶋の表情が真顔になった。そして座っていた椅子から立ちあがり、こちらのほうへと近づいてきた。
「真面目な話? おもしろそうだな。聞こうじゃないか」
佐々嶋は直の目の前まで来ると、じっとその顔を見据えた。
「なんだよ。清川さん、カズくんに告白でもする気かぁ?」
土居がふざけてそんなことを言った。すると、佐々嶋がすぐにそちらを睨みつけた。
「おい。お前らもいつまでもふざけてないで真面目に聞け。そこで静かに座ってろ!」
佐々嶋が言うと、土居と山本は少し戸惑った様子だったが、おとなしくその指示に従った。
「ありがとう。わたしたちも椅子に座ってもいいかしら?」
「どうぞ。ご自由に」
直が近くの椅子を引いて座ったのを見て、他のメンバーもそれぞれ適当な椅子を見つけて座った。千絵も直の横に椅子を持ってきて、そこに腰を据えた。佐々嶋も直の正面に椅子を持ってきて座ったので、すぐ目の前に彼を見ることになり、少々緊張した。
「まず、見て欲しいものがあるの」
直は後方を振り返り、そこにいた雄一に視線の先をあてた。彼は軽くそれに頷き、手に持っていた紙切れを彼女に手渡した。
「なんだ? それは。ずいぶんぼろぼろだな」
佐々嶋はそのつぎはぎのようになった紙切れを見て、訝しげに眉をひそめた。
「とりあえず、一度目を通してもらえるかしら」
直はそう言って、それを佐々嶋に手渡した。
彼はそれを受け取り、文字に目を落とした。始めは真剣なまなざしでそれを読んでいたようだったが、次第にその表情は冷め、読み終えたときにはまったく興味をなくしてしまったように見えた。彼は、無造作に直にそれを返すとこう言った。
「くだらない。ふざけた文章だ。なにが復讐だ。それを書いたやつはいかれてるよ」
「土居くんと山本くんも読んでみてくれる?」
直は、少し離れたところに座っていた彼らにも文書を持っていって、それぞれに読ませた。彼らは彼らで、その文書に複雑な印象を受けたようで、首を傾げたり表情を歪めたりしていた。
「どうかしら? この文書に見覚えはない?」
直は椅子に戻り、三人に向けてそう質問した。彼らはそれに、首を横に振って答えた。
「今初めて見た。気色悪いな」
「そこに書かれてある内容に、なにか思うところはある?」
「別にない。いかれてる、とは思うけどな」
佐々嶋のその答えに、直は一瞬表情を曇らせた。
「……そう。じゃあ、質問の仕方を変えてみるわ。……水野正くんのこと、覚えてる?」
直のその言葉に、佐々嶋は一瞬目を大きく見開いた。土居と山本の二人もなにかに気づいたように顔をあげた。
「あいつがこれを書いたっていうのか……?」
「わからないけど、そうなのかもしれない」
佐々嶋はそれを聞くと、横を向いてちっ、と舌打ちをした。
「あのやろう! ふざけたもの書きやがって……っ」
「あいつ、とっちめてやる!」
土居と山本が口々にそう言って、立ちあがった。
「待って! まだ話を聞いて!」
「お前ら! 静かに聞いてろって言っただろう!」
直と佐々嶋にそう言われ、土居と山本の二人は不承不承ながらも椅子に座り直した。
「……それで、そいつは本当なのか? そうだとしたら、あいつもこの世界にいるっていうことか?」
「実際に彼の姿を見たわけじゃないから、そうだとは言い切れないけれど、その可能性はあるわ」
「じゃあ、証拠はないんだな。あいつがこれを書いたという」
「ええ。だけど、この文書以外にも写真が残されていたの」
直はそう言うと、再び後ろを振り向き、雄一からそれを受け取った。そしてそれを佐々嶋に向けて見せた。
「写真? なんだこれ。一年のころのクラス写真かよ」
「この文書と写真、まるで無関係とは考えられない。当時なにかがあって、そのことを文書の内容が示しているのだとしたら、佐々嶋くんたちにもなにか心当たりとかあるんじゃない?」
直の言葉に、佐々嶋は少し考えるようにしていたが、やがてゆっくりと不敵な笑みを浮かべた。
「ふうん。なるほどね。それで、あんたたちは俺たちに身の危険を知らせにきたってわけか。いじめの主犯格だった俺たちが狙われているって」
「……いじめをしてたこと、認めるのね」
「ああ。……それは事実だ」
佐々嶋はそう言うと、笑みを引っ込めてなにかを考えるように腕組みをした。
「……あいつは気味の悪いやつだった。弱いくせに、どこか超然と世界を見ているような目をしていて、俺は気にくわなかった」
突然彼の口から水野正のことが語られ始め、千絵は、はっとしてそれに聞き入った。
「あれは、俺があいつの読んでた本を取りあげたのが始まりだった。そのときは特にあいつをいじめようと思っていたわけではなかった。ただ、からかってやろうというくらいのつもりだった。けど、それがきっかけになって、クラスの他の連中も次々にやつに嫌がらせをするようになっていった。あとは俺がなにもしなくても、それは勝手にエスカレートしていった」
いじめのことを、そんなふうに淡々と語る彼のことが、千絵には信じられなかった。そのことがどれだけ水野正を苦しめていったのか。この少年はそれについて、なにも感じてはいないのだろうか。
「それは、クラスの全員が関わっていたの? それとも一部の生徒だけ?」
「見ているだけでなにもしないのも、それはいじめになるんだろ? だったら全員が加害者だ」
「……嘘」
そんなつぶやきを漏らしたのは、亜美だった。
「……さえ先輩は正義感の強い人です。そんなこと、黙って見ていたなんて信じられない」
「信じようが信じまいがそれは勝手だが、水城は当時、それを黙って見ていた。そのことはまぎれもない事実だ」
佐々嶋の言葉に、亜美は顔面を蒼白にした。そして、頭を下に俯けた。
「まあ、当時俺たちは大きな目的に向かっていたからな。水野のことも、その目的を達成するための、一種のパフォーマンスのようなものでもあったんだ」
「パフォーマンス?」
「そう。俺があのクラスでやっていたことは、すべてひとつの目的を果たすための、パフォーマンスだったんだ」
その佐々嶋の告白は、今まで信じてきた事柄を根底から覆す、驚くべきものだった。