静寂の金曜日1
昨日、夜になってもさえ先輩が姿を現すことはなかった。みなで辺りを捜索したり、自宅に戻っていないか見に行ったりもしたが、どこにも彼女はいなかった。辺りも暗くなり、一旦学校で休もうと言ったが、景子先輩はそれを頑として受け入れず、一人でも捜索を続けると言って、彼女までいなくなってしまった。
亜美にはそれをどうすることもできず、他の先輩たちの指示に従って、おとなしく学校に戻ることしかできなかった。
保健室に行くと、さえ先輩のいた名残で、ベッドのシーツに皺が寄っているのが懐中電灯の明かりからもわかり、亜美は思わず目頭が熱くなった。不安で堪らないときに一緒にいてくれたさえ先輩と景子先輩がいなくなってしまったことで、亜美は心の支えをいっぺんに失ってしまったように感じていた。
それから直先輩や千絵先輩の介抱で、亜美はいつの間にか眠りについたらしい。
翌朝を迎え、目覚めてすぐにその場を見渡したが、そこにさえ先輩と景子先輩の姿はなかった。結局、景子先輩もさえ先輩を捜索に行ったまま、帰ってはこなかったのである。
(どうして……?)
亜美は自問し、その答えが想像もつかない自分をふがいなく思った。再びこみあげてきた涙を袖口でぬぐったが、いくら拭いてもそれは止まることはなかった。
「五十嵐さん。起きたのね」
隣のベッドにいた千絵先輩が心配そうに声をかけてきた。そして亜美にタオルを差し出してきた。
「不安でいっぱいだよね。気持ちわかるよ……」
そんな千絵先輩の言葉が、亜美の心に温かく染み渡った。励ますわけでもない。叱咤するわけでもない。ただ寄り添うようなそんな彼女の優しさが、今の亜美には心地よく感じられた。
「ありがと……ごさいます」
亜美はそのタオルを受け取り、ぐっと目頭に押し当てた。
そのとき、保健室の戸を開けて誰かが入ってくる音が聞こえた。亜美は、はっとしてそちらに目をやった。しかしそこに立っていたのは直先輩で、亜美の希望に添うものではなかった。
「おはよう。朝食の準備ができたから、また家庭科室に集まって。食事が済んだら、また水城さんたちの捜索を始めることにするから」
そう話す直先輩の表情にも、疲れの色が見えていた。さえ先輩が行方不明になったことでつらい思いを抱えているのは、亜美ばかりではないのだ。そう考えたら、すっと涙がひっこんでいった。
(そうだ。泣いてたってなにも始まらない。直先輩を見習わなくちゃ)
亜美たちは朝食を済ますと、早々に捜索へと動いていった。男子の先輩たちが、町のほうでさえ先輩の行きそうな場所を捜すことになり、女子たちは学校内やその周辺を中心に見ていくことになった。
亜美が残った女子の先輩たちとともに各教室を見て回っていると、廊下で佐々嶋たち不良グループと鉢合わせた。
「おお。清川さんたち。なんか昨日からわいわい騒いでるみたいだけど、なにかあったの?」
佐々嶋はそう言いながら、彼特有の人を見下したような視線をこちらに向けてきた。そんな視線をはねつけるように、直先輩は毅然と彼に向き合った。
「そうだ。ちょうどよかった。佐々嶋くんたちには話してなかったけど、昨日から水城さんが行方不明になっているの。彼女のこと、どこかで見なかった?」
「水城? さあ、見てないけど」
「そう。じゃあもしもどこかで見かけたときは教えてくれる? みんな心配して、ずっと捜してるから」
「ふうん。まあ、もし見たときはそうするさ」
「お願いするわ」
直先輩がそう言って、佐々嶋たちの横を通り抜けようとしたときだった。
「でもさ。水城が自分でここから逃げ出したんなら、捜す必要はないんじゃねえか? ここの生活が嫌で出ていったんなら、連れ戻さないほうがいいんじゃねえの?」
亜美はどきりとした。さえ先輩は自分でここから逃げたと、彼はそう言っているのだ。
「それは、彼女に直接会って訊いてみないとわからないことよ。とにかく、一人でいるのはいろいろと心配だわ。まずは所在を確かめておかなくちゃ」
「まあ、そりゃそうだ。どこでのたれ死んでるかわからないんじゃ、どうしようもないもんな」
その台詞には、からかうような響きが含まれていて、亜美の勘に障った。冗談でも言っていい言葉と悪い言葉がある。これは完全に後者のほうだ。亜美の中で、ふつふつと怒りの感情が沸き起こってきた。
「佐々嶋くん。そんな言い方……」
「死んでなんかない……!」
みなが驚いたように、亜美に注目した。
「さえ先輩が、死ぬわけないっ!」
思わず発してしまった言葉に、亜美は震えた。昂ぶった感情が、亜美の体の隅々まで満ちていく。怒りは震えとなって全身を支配し、その震えは自分では止めることができなかった。
「五十嵐さんっ!」
千絵先輩がぎゅっと、亜美の肩を抱き寄せた。その感触で、ふっと亜美は自身を取り戻した。がたがたと全身を襲っていた震えが、少しずつおさまっていく。千絵先輩の手の温かさが、それを静めていっているのがわかった。
「はっはっは! そうだな。さすがに昨日の今日で死んではないか。まあ、そう怒んなよ。下級生」
佐々嶋はそう言うと、お供の二人を引き連れて、そこから去っていった。
亜美は千絵先輩の腕の中で、しばらく立ち尽くしていた。浅い呼吸を繰り返し、だんだんそれが深くゆっくりとなるまでそうしていた。千絵先輩はそれをじっと黙って待ってくれていた。
「……すみませんでした」
ようやく落ち着きを取り戻した亜美は、千絵先輩の腕の中からそっと出て、二人の先輩たちにぺこりと頭をさげた。
「五十嵐さんがあやまることじゃないでしょう。佐々嶋くんの言い方にはわたしも腹が立ったもの。あなたが言わなかったら、わたしが代わりにああ言っていたと思うわ」
直先輩はそう言ってにこりと微笑んだ。その横で千絵先輩も軽くうなずいている。
「それよりも、水城さんの捜索を続けなくちゃ。学校の外に出た可能性のが高いんだろうけど、この近くにいる可能性もあるんだから」
「でもこの近くにいるんだとしたら、わざとわたしたちの目から隠れてるってことだよね。そんなことする必要性なんてあるのかな?」
千絵先輩の疑問に、直先輩は少しの間考えた。そして、こう言った。
「なにか、姿を隠さなきゃならない事情ができたのかもしれない」
「事情?」
「考えてみたら、水城さんの態度に違和感を感じるようになったのは、佐々嶋くんたちが現れるよりも前からだったように思うの」
直先輩のその言葉に、亜美はぴんときた。
「それはもしかして、あの怪文書を見つけたときの……?」
「そう。あのときから彼女の言動に、わたしはなんとなく違和感を感じていた。そしてそれは、佐々嶋くんたちが現れたことで決定的となった」
亜美は、さえ先輩が土居と話していたことを思い出していた。あのとき二人は、二年前の一年三組のことについて話していたはずだ。
「江藤くんが拾った集合写真のこともあるし、二年前の一年三組のことと、彼女がいなくなったこととはなにか関係があるかもしれない。それに……」
直先輩は一度深呼吸をしてから言葉を繋いだ。
「怪文書のこともきっとなにか関係している」
怪文書。二年前の一年三組のこと。さえ先輩の失踪。
それらのことがすべて繋がっているのだとしたら。もしそうだとするならば。
「一度、そのときのことについて、くわしく調べておく必要があるわね」
直先輩は言いながら廊下の先を見つめた。それは、先程佐々嶋たちが去っていった方角だった。
「またかなり気の重い作業になりそうね……」
彼女は綺麗な顔を思い切りしかめ、ため息をついていた。