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きみたちはセカイのかけら  作者: 美汐
第三章 懊悩の水曜日
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懊悩の水曜日10

 亜美は、さえ先輩と景子先輩とともに一年三組の教室にいた。各教室の片付けを少しずつでもしていこうというさえ先輩の提案に、亜美と景子先輩も賛成した。そして先程一年二組の片付けを終え、今は一年三組の片付けに入っていた。

 亜美は今朝のさえ先輩と直先輩の対立について、思い悩んでいた。あのときはさえ先輩の意見に全面的に賛成していたが、時間が経ってみると、あんなふうに直先輩を糾弾するようなことはなかったように思う。けれど、そんなことはさえ先輩にじかに言えるはずもなく、亜美はそんな思いを自身の胸にしまっておくことにした。


「とりあえずこんなところかな」


 景子先輩は地震によって各机から飛び出していた教科書やノートなどを拾い集め、後ろのロッカーの上に束ねて置いていた。机の並びも互いに協力してなおしたおかげで、すっかり綺麗になっていた。


「こうして見ると、全然何事もなかったみたいだよね」


 さえ先輩がそんなことを言い、景子先輩は笑顔でうなずいている。普段と変わらない二人の先輩を前に、しかし亜美はなんだかこれまでに感じたことのない違和感を覚えていた。


「それにしても、今日はよく降るよな。本気で火事鎮火するんじゃないか?」


「そうだといいけどね」


 いつもだったらこんな会話に遠慮なく割って入る亜美だったが、今はそういう気になれなかった。そんな亜美の様子に気づいたさえ先輩が、心配そうに声をかけてきた。


「亜美。どうした? なんか元気ないみたいだけど」


「あ。いえ、なんでもないんです。大丈夫ですから……」


「そう? なら、いいけど。なんか困ったこととかあったら言いなよ。いつでも相談に乗るからさ」


 明るくそう言うさえ先輩は、やはり亜美にとっては優しい先輩だ。だからこそ、今朝のことが余計に気がかりだった。なぜさえ先輩は、あんなふうに直先輩を糾弾したのだろう。さえ先輩と直先輩との間には、以前からなにか確執があったのだろうか。


 それに、もうひとつ気がかりなのは、景子先輩の態度だった。

 景子先輩は基本、女子同士の面倒ごとを嫌うタイプで、どちらかというとそういうことには首を突っ込まない人のはずだった。しかし、今回の件に関してはそうではなかった。

 あの多数決で、さえ先輩の意見が多数派に決まったあと、さえ先輩の言葉を後押しするかのように拍手が起きた。その拍手には一応亜美もその意見に同意だったこともあって参加はしたが、その先陣を切ったのは景子先輩だった。亜美はそれにならったにすぎない。


 しかしよく考えてみると、あの拍手はやりすぎのような気がしていた。あんなふうにさえ先輩が直先輩を糾弾したあとに周囲に拍手が起こったら、直先輩はまるきり悪者のようになってしまう。彼女は果たしてそれをわかったうえで、あんなふうにしたのだろうか。

 亜美は、急に二人の先輩が遠くに行ってしまったような気がしていた。


「さて、どうする? まだ次の教室もやっとく?」


「その前にとりあえず休憩しない? ちょっと喉乾いちゃったし」


「それじゃ、わたしが水持ってきます。コップは一組のところに全員分置いてありましたよね」


「そう? じゃあ頼もうかな。でも、わたしたちのコップどんなのかわかる?」


「大丈夫です。記憶してます。さえ先輩のは花柄で、景子先輩のは無地の青でしたよね」


「さっすが亜美。それで合ってるよ」


「じゃあ行ってきます」


 亜美はそう言うと、駆け足で一年三組の教室を飛び出した。そして廊下を走り、すぐに一年一組の教室へと入っていった。そのとき教室には、一人だけ他の人物が残っていた。


 それは江藤先輩だった。彼はそのとき、教室の一番前にある教師用の机のところで椅子に座っていた。そして、その机の下でなにかを眺めていた。しかし亜美が教室に入ってきたことに気づいた彼は、ぱっと顔を上げると、慌ててそのなにかを自分のポケットにしまっていた。


「あ、すみません。ちょっと飲み水をもらいにきたんです。すぐに出ていきますから」


 亜美はそそくさと教室内に入っていくと、水をもらいにいった。それは教室後方に下げられている机の上にあった。みなのコップがまとめてひとつのお盆の上に載せられ、その隣の机にはメンバーが持ち寄ってきたペットボトルの水やお茶などがまとめて置いてある。喉が渇いたときは、誰でもそこから自由に持っていって飲んでもいいことになっていた。


「別に慌てることはないよ。ここは僕専用の教室ってわけじゃないんだから」


「ああ。それもそうですよね。でも先輩たちも待ってますから、ゆっくりはしていられませんけど」亜美がそう言うと、江藤先輩はくすりと笑った。


「随分あの二人と仲がいいみたいだけど、なんとなくきみが可愛がられてるのわかる気がするよ」


「え? そうですか?」


「うん。なんか、ちょこまか動いてるところが小動物みたいで可愛いっていうか」


「可愛いって……」


 亜美は男の先輩にそんなことを言われ、顔を赤くした。そして、そんな亜美の横に、江藤先輩は移動してきた。一緒に並ぶと、その身長の高さにあらためて驚いた。景子先輩よりも身長がある。そんな姿を見上げていると、ふと彼と目が合い、亜美は慌てて顔を俯けた。そんな亜美の動揺を知ってか知らずか、江藤先輩はこんなことを話し始めた。


「部活の仲間って、ある意味クラスの仲間同士より深いつきあいになるんだよね。僕たち男子三人もサッカー部の仲間なんだけど、実は僕は、あいつらと同じクラスになったことって一度もないんだ。だけど、いつも一緒につるんでる。そういうの、他の部活でもそうなのかな?」


「そ、そうですね。みんなそうなんじゃないでしょうか。やっぱり部活って、勉強と違って仲間意識とか強いですから」


「水城さんと田坂さんも本当に仲良いよね。今朝の多数決のときも、ある意味、田坂さんの拍手があの場の方向性を決定づけた感があるわけだし」


 亜美はそれを聞いて、なぜ彼が亜美に話しかけてきたかを理解した。やはり彼も、今朝の一件が気にかかっているのだろう。


「さえ先輩たちはいつでも一緒で、本当に仲が良いですよ。見ていて羨ましくなるくらい。さえ先輩は可愛いし、景子先輩はかっこいいから、ある意味恋人同士に思えちゃいます」


「へえ? 女同士の禁断の恋? なかなかきみもすごいこと考えるんだね」


「えっ。あの。誤解しないでください! そういう意味で言ったんじゃ……」


「あはは。わかってるよ。五十嵐さん、だっけ。なんかきみってちょっとからかいたくなる要素持ってるよね」


 すっかり江藤先輩のペースになってしまっていることに困惑しながらも、亜美は笑顔を返していた。こんなふうに言われることにはある意味慣れっこなのだ。どうやら自分はからかいがいのある人材らしい。


「でもさ。きみは知らないかもしれないけど、田坂さんは昔からああだったわけじゃないんだ。昔、僕らが一年生だったとき、僕と田坂さんは同じクラスでさ。お互いそんなによく話す間柄でもなかったんだけど、彼女って、一学期のころは割と普通に女の子してたんだ。髪の毛も肩より長くてさ。今みたいなボーイッシュな髪型じゃなかったんだ」


「え! そうだったんですか?」


 あまりに意外な景子先輩の過去に、亜美は思わず素っ頓狂な声を出してしまった。景子先輩が髪の毛を伸ばして女の子っぽく振る舞っていたなんて、今の姿からは想像もつかなかった。


「今みたいな感じにイメチェンしたのは、一年生の二学期に入ってからなんだ。夏休み明けに学校来て、あんまりばっさり切っちゃってたから、ちょっと僕も驚いてたんだ。見た目に伴うように態度も男らしくなっていって、冬には女子からバレンタインのチョコも貰うようになってたな。男を差し置いて周りの女子からかなりもててたよ」


「へー。なんかすごいことを聞いてしまいました。今の景子先輩しか知らないから、不思議な感じがします」


「けど、そんなことも含めてあの二人はずっと仲が良いみたいだよね」


 江藤先輩はそう言うと、なにかを考えるように口に手を当てた。そんな姿を見て、亜美はこの機会に質問してみようかと考えた。少しだけ躊躇したが、思い切って亜美はこう訊ねた。


「あの、江藤先輩。ちょっと質問してもいいですか?」


 亜美の言葉に、窓の外を見ていた江藤先輩がこちらを振り向いた。


「ん? ああ、僕にわかることだったら構わないけど」


「今朝のことなんですけど、江藤先輩はどっちに手を挙げましたか?」


「おっと。これまた直球な質問だね」


 江藤先輩は亜美の質問の内容に目を丸くした。しかし、特にしぶるようなそぶりは見せずにこう言った。「僕は清川さんのほうに手を挙げたよ」

 江藤先輩の答えは、ある意味亜美の予想した通りだった。


「なんでそんなこと訊くの? なにか気になることでも?」


「あ、いえ。少し気になってたので。先輩たちの意見は、結局どっちが正しかったのかなって」


「そういうきみはたぶん水城さんのほうに手を挙げたんだろうね」


「あ、はい。そうです」


 江藤先輩はそれに、柔和な笑顔でうなずいた。


「どちらが正しいか正しくないかっていうのは、あの場合あまり関係ないんだと思うよ。どちらも正しいと言えば正しいし、間違っていると言えば間違っている。結局は個人個人の判断で、好きなほうに手を挙げるしかない。だからこその多数決だ」


「はい」


「たぶんきみが憂慮していることは、あの二人の仲はどうなのかってことになるんだろうね。水城さんがあんなふうに清川さんに対して言ったことが、ちょっと信じられないような気持ちなんじゃないかな?」


「そうです。いつも優しいはずのさえ先輩が、あんなふうに人に敵意をむき出しにしていたことが、なんだかとても意外で……正直戸惑っています。さえ先輩と直先輩は、もしかしたら以前からなにか確執みたいなものがあったんじゃないかって思って……」


 亜美の言葉に、江藤先輩は真面目な顔になった。目が合い、やはり緊張したが、今度は亜美もその視線を逸らすことはしなかった。


「確執とか呼べるようなものは、僕個人の見地からすると、特に今までは感じたことはなかったよ。お互いクラスも違ってたし、お互いに不干渉だったはずだ。こんな状況が起きなければ、あの二人の間にそれほど接点はなかったと思うけど」


「そうですか……。じゃあ、今朝はたまたま虫の居所が悪かっただけなんですかね。ただでさえ、こんな状況ですもんね。気が立つのも当たり前ですよね」


「結局、結果的に水城さんの意見が通って、怪文書はみなの目の届かないところにやられることになった。清川さんには気の毒だったけど、結果としてはこれでよかったんじゃないかな。僕としては、もう少しあの文書の解析をしておきたいところだったんだけど」


「そうですね。見えないほうが、やっぱり気持ち的には楽です。そういえば、あの文書って今どこにあるんですか? 捨ててしまったわけではないんですよね」


 亜美がそう言うと、なぜか江藤先輩は一瞬押し黙った。そして、それからこう話した。


「……ああ、確か田坂さんがどこかに持っていくと言っていたかな。確か視聴覚室に行くって言ってた気がしたけど」


 先程の沈黙が気になったが、それを追求するのもためらわれて、亜美はそれにはなにも言わなかった。それに、彼は亜美の質問の問いにきちんと答えていた。その答えに特におかしなところはないように思った。


「まあ、あの二人のことはあの二人が解決するはずだ。きみがどうこう悩むことじゃない。五十嵐さんはいつも通り過ごしていればいいと思うよ」


「そうですね。ありがとうございます」


 亜美はそう言いながらも、さえ先輩と直先輩のことはやはり気がかりだった。しかし、亜美にはどうすることもできない。それが悲しかった。

 亜美はお盆のほうに目を戻した。そして三人ぶんのコップをそこから見つけだすと、それを取り出し、そこにペットボトルの水を注ぎ込んでいった。


「あの。それじゃ、わたしもう行きますね」


 亜美は三つのコップを手に持つと、江藤先輩に一礼してその場から離れた。彼はそれに、軽く手を振っていた。

 江藤先輩の話を消化しきれないままに、亜美は一年三組のほうへと向かった。

 先程聞いた先輩たちの意外な素顔。なにかを掴めそうな気がするのに、掴もうとするとそれは掴み所のない得体の知れないものに変わってしまう。


 さえ先輩と景子先輩。二人ともとても素敵で、優しい先輩たちだ。

 けれど、と思う。亜美はコップに入った水の揺らぎを見つめた。今朝から感じていた違和感。友情というだけでは説明できない二人の絆。

 コップの水はゆらゆらと揺れて、止まることはなかった。それはまるで、定まらない亜美の心を表しているようだった。そのとき亜美は、間違った方向へ二人の先輩たちが進んでいっているような気がしてならなかった。


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