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きみたちはセカイのかけら  作者: 美汐
第三章 懊悩の水曜日
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懊悩の水曜日9

 鷹野勇哉が美術室に現れたのは、それからしばらく経ったころのことだった。千絵はその姿を見て、思わず眉をひそめた。今朝の直とさえの対立のきっかけを作った張本人である。その件があったために、千絵は彼に対して少しだけ不信感を抱いていた。


「清川さん。作業中にごめん。ちょっと……いいかな?」


 勇哉は遠慮がちに美術室に入ってきた。直に近づく足取りも、どこかぎくしゃくとしている。


「鷹野くん……。どうしたの?」


「ああ。えっと……そうだ。まずはごめん!」勇哉は、いきなり直に向かって頭を下げた。


「え?」


「今朝のこと。まさかあんなふうになるとは思わなくてさ。きっかけを作るようなことを言ったのは俺だから……」


 勇哉は気まずそうに視線を泳がせていた。千絵はその様子を見て、眉間に寄せた皺をひらいた。彼も、あんなふうにメンバー内の雰囲気を悪化させたことに、責任を感じていたのだ。


「ああ。なんだ。そんなこと。いいわよ。あれは鷹野くんが悪いわけじゃないんだから」


「いやでも、やっぱりあの場でああなることを避けられたかもしれないと思うと、俺の配慮が足りなかったんだと思う」


 勇哉の言葉に、直はくすりと笑いを漏らした。


「なんだか鷹野くんて、思ってたより気苦労を抱え込む人だったのね」


 直の台詞に、今度は勇哉が目を瞬かせた。


「な。どういう意味だよ。サッカーのことしか考えてないやつとか思ってたのか?」


「違うわよ。誤解しないで。さっきのは褒め言葉。優しい人だってこと」


「へ?」


「鷹野くん。わたし、今朝からずっと考えてたの。あのとき、どうして鷹野くんが手を挙げなかったのか」


 千絵は直の言葉に驚いた。手を挙げなかった? 鷹野勇哉が?


「鷹野くんは最初、わたしの意見には反対してた。だから当然水城さんのほうに手を挙げるんだと思ってた。だけど、あなたは結局どちらにも手を挙げることはなかった」


 勇哉はその言葉に黙り込み、視線を横にやった。千絵はそんな勇哉の行動に、混乱した。千絵は当然、勇哉はさえの意見に同意して手を挙げたのだと思っていた。それなのに、そうではなかったのだ。彼はなにを考えてそうした行動を取ったのだろうか。


「あのときのあなたのその行動に、わたしは驚いたわ。そして、すぐに理解することはできなかった。だけど、今はっきりとわかった。あれは、あなたの優しさからくるものだったのね」


 直はそう言ったが、勇哉はなかなか口を開かなかった。千絵が待ちきれずそちらから視線をそらし、自分の絵に目をやったときに、ようやく彼の声が聞こえてきた。


「優しさなんかじゃない。俺はそんないい人間なんかじゃない」


 勇哉は苦しげにそう言葉を吐き出していた。


「俺は結局、なにも考えていなかった。ああなることをあらかじめ想像することもできたはずなのに、考えなしに言いたいことを言ってしまった。そんな俺が優しいわけがない。清川さんに、そんなふうに言ってもらえるようなやつじゃないんだ。手を挙げなかったのは、そんな罪悪感を感じてのことにすぎない。……俺は結局、優柔不断のずるいやつなだけなんだ」


「鷹野くん……」


 しばらくしんとした時間が過ぎた。それから勇哉がそのとき初めて気がついたように、直の目の前にあるキャンバスを見た。


「絵……描いてるんだ」


「うん。こんなときになにしてるんだって思うでしょ」


「いや。いいんじゃないか。こんなときだからこそ、こういう時間は必要なんだと思う」


 勇哉の言葉は奇しくも、千絵の考えと同じだった。

 こんなときだからこそ、自分たちは絵を描いている。


「まだ、真っ白だな」


「うん。まだ、描きたいものが定まらなくて。とりあえずキャンバスを前にしてれば、なにかアイデアが浮かんでくるかなと思ってるんだけど」


 そうだった。直はずっと考えていた。白い画布を前に、筆を手に取っては置いてを繰り返していた。


「ふうん。絵ってそういうもんなの?」


「ううん。いつもじゃないけど、描きたいものがどうしても浮かんでこないこともあるの。今回は特にそう。描きたい気持ちはあるのに、なにを描けばいいのかわからないの」


「そうなんだ。絵って結構難しいんだな」勇哉は不思議そうにそう言った。


「……そういえば、鷹野くん。なにか用事があってきたんじゃないの? 本当はこんな話をするために来たんじゃないんじゃない?」


 直がそう言うと、勇哉は少しだけためらいながら口を開いた。


「うん。実はそうなんだ。ちょっとみんなのいるところでは話しにくいことで、でも清川さんだけには話しておこうと思ってここに来たんだ」


 それを聞き、千絵ははっとしてその場から立ちあがった。


「あの、それじゃ、わたしは席をはずしたほうがいいよね……?」


 千絵はそう言ったが、直はすぐに千絵を制止するように言った。


「待って。千絵ちゃんは大丈夫。千絵ちゃんはそういうことを他の場所で口外したりしないから。いいわよね。鷹野くん」


「あ。ああ、うん。清川さんがそう言うなら、俺としては構わないけど……」


 千絵はそんな二人の言葉に戸惑ったが、再び椅子に座り直した。


「それで、なに? 話って」


「うん。実は例の怪文書のことで、ちょっと気になることがあって」


「気になること?」


「そう。扉の施錠だよ。さっき少し外に出ようかと思って西昇降口の扉を開こうとしたら、鍵が閉まってた。それで、あの怪文書のことを思い出してさ」


 勇哉がそこまで言ったところで、直はなにかに気づいたように軽くうなずいていた。千絵はまだ今の話からはなにも読み取れていない。鍵がかかっていることと、怪文書となにが関係しているというのだろう。


「透に確認したら、やっぱり怪文書を見つけた時点でも、鍵は閉まっていたらしい。そして、怪文書は扉の外側ではなく、内側に貼られていた」


「つまり、あの怪文書は、校舎の中から貼られたってことになる。これって結構重要な事実なんじゃないかって思ってさ」


「なにが言いたいの……?」


「だからさ。あの文書を貼ったのは、やっぱり俺たちのうちの誰かなんじゃないかって」


 一瞬、しんと美術室内が静まりかえった。急に、外の雨の音が大きくなったような気がする。千絵はごくりと喉を鳴らした。


「そ、そんなこと……」千絵は思わずそうつぶやいた。


「そうとは言い切れないが、その可能性が高いと俺は思うんだ」


 それを聞いて、千絵は血の気が引く思いがした。外部の誰かであるというのも恐ろしいのには違いないが、仲間だと思っている人物がそれをしたというのはもっと恐ろしい。


「昨日の夜、校舎の施錠をしたのは清川さんらしいな。確認だけど、西昇降口の扉は、そのときちゃんと閉まってた?」


「ええ。ちゃんと閉めたわ。西昇降口の他にも、東昇降口や渡り廊下へと続く通用口も閉めておいたわ。さすがに各教室の窓や上の階までは見なかったけど」


「そうか。ありがとう。そこまで聞ければもういいよ」


 勇哉の意図が掴めず、千絵は不安になった。彼は直になにを言おうとしているのだろう。


「ねえ。鷹野くん。昨日の夜、南校舎の一階にある扉を戸締まりはしたけれど、だからといって、完全に外部からの侵入が不可能だったわけじゃない。あの怪文書を貼ったのが、仲間のうちの誰かだと断言するのは、時期尚早じゃないかしら」


「でも、結局どこから侵入してきたとしても、文書を貼って外に出るなら、そのまま西昇降口の扉を開けて出るのが普通なんじゃないかと思うんだよね」


「外から入ってきた犯人が鍵を開けて出ていったあとで、誰かが西昇降口の扉の鍵を再び閉めたって可能性もあるわ」


「そうかもしれない。だけど、もしそうだとするならば、その誰かは怪文書を貼った犯人の協力者だってことにならないか? 昇降口の鍵を閉めるときに、怪文書の存在に気づかなかったわけがない。その人物はそれを知っていて黙っていたことになる」


「その犯人が鍵を持っていたとしたら? それならその犯人が一人ですべて行うことはできたはずよ」


「それは俺も考えた。だけどもしそうだとしたら、初めから外側に文書を貼れば済むことだ。わざわざ扉の内側に文書を貼って、ご丁寧に鍵を閉めていくなんて、なんだか不自然だ」


 勇哉の反論に、今度ばかりは直もなにも言い返せないようだった。それを見て、勇哉はさらにこう続けた。


「とにかく、そういうことから考えてみても、メンバーの中に怪文書を貼った犯人、または協力者がいる可能性が高い。これは、そういうことを意味しているんじゃないのか?」


 直はしばらく沈黙したままだった。千絵は勇哉の推理を聞いて、そこになにか間違いがないかと考えてみたが、そんなものはなにも浮かんでこなかった。けれど、直はさらに反論した。


「校舎内に犯人が潜んでいたんだとしたら? それなら扉の内側に文書があってもおかしくない。鍵を開けて外に出ていく必要もないわ」


 千絵はそれを聞いて、ぞわりとした恐怖に身を震わせた。そんなことがあるだろうか。

 ――この校舎の中に、ずっと正体不明の犯人が潜んでいたなんて。


 勇哉もさすがに、この直の推理には目を丸くしていた。きっと彼も、ここまでのことは想像していなかったのだろう。彼はふっとひとつ息をついてから言った。


「さすが清川さんだな。そこまでのことは俺も想像していなかった。そうか。そういう可能性もあるのか」


「でも、鷹野くんの言うとおり、わたしたちの中に犯人がいる可能性もあるのは確かだわ。けれど、だからといって、それをみなに問いただすようなことは避けなければいけないと思う」


「うん。俺もそれは思ってる。だからこうして清川さんに相談に来たんだ」


 それは、勇哉が直のことを信頼しているということだ。今朝のことも、彼としては意図していないハプニングだったのだろう。


「……ありがとう。わたしのこと、信用してくれてるのね」


「今朝のことは本当にごめん。でもあれは感情論だ。冷静に考えてみれば、清川さんの言い分も間違っちゃいない。あんなことで仲間が喧嘩するのは馬鹿げてるよ」


 千絵は、勇哉への印象をあらためざるをえなかった。彼はサッカー部に所属していて割と目立つタイプの男子だったが、飛び抜けて頭がいいとかリーダー的存在だという印象は今までなかった。

 しかし、先程の話を聞いていて、彼は直とはまた違った意味でのリーダー的存在になりうる人物だと思った。少々感情的に動く部分もあるようだが、どちらかといえば客観的に物事をとらえ、冷静に判断をくだすことのできるタイプだ。迷いながらも、それぞれの意見をよく吟味して判断している。そういう意味で、リーダー的資格を持っている。


 そんな彼が、直にこんなふうに相談に来て、そして謝罪している。そういう意味でもまた、直はやはりメンバー内で大きな位置を占める存在なのだ。


「けど、もし清川さんのさっきの説が本当だとしたら、謎の人物が校内に潜んでいるかもしれないってことだよな」


 勇哉がそう言うと、直は首を横に振った。


「捜すのはやめておいたほうがいいと思う」


「どうして? まだいるかもしれないとしたら、早く見つけないと逃げられちまうだろ?」


「駄目よ。もしもその人物がいたとして、鷹野くんがそれを見つけたとしたら、あなたの身が危険よ。だって、あの怪文書の内容を思い出してみて。復讐なんて、恐ろしいことが書いてあったのよ。なにをしでかすかわからないじゃない。それに、もし本当にその犯人がいるのだとしたら、いずれは自ら姿を現すと思うわ。あんなふうに怪文書なんて寄こしてきた人物だもの。表に出てくる隙をうかがってるはずだわ。それに、メンバーへの詮索も、もうしないほうがいい。犯人捜しはメンバー内の疑心暗鬼を誘うだけよ」


 直の言葉に、勇哉も冷静さを取り戻したようだった。


「……わかったよ。とりあえず今は様子を見ることにする」


 勇哉のその言葉に、直はほっと息をついた。千絵も同様に安堵した。犯人なんて言い方のせいもあるだろうが、その人物を捜すのは危険な香りがしたのだ。


「それじゃあ、とりあえず俺行くわ。またなにかわかったら教えるよ」


 勇哉はそう言って立ちあがった。


「うん。わたしもなにか気がついたことがあったら話すわ。それと、くどいようだけど、メンバーの前では普通にしてね。水城さんのこともわたしは別に気にしていないから、鷹野くんもいろいろ気を遣わなくていいからね」


 美術室の出口の方向へと向かいかけていた勇哉は、直の言葉に立ち止まり、驚いた顔をして振り返った。そして笑顔でうなずいた。


「ああ。わかった。そうするよ」そしてなにかを思い出したような顔をした。


「あー。その、それ。いいのが描けるといいな」


「え?」


 直はそう問い返したが、勇哉はそれに返事をすることなく、今度こそ美術室をあとにした。再び千絵と直の二人きりになった美術室内は、すっかり静かになっていた。

 その沈黙を破ったのは、くすりという直の笑い声だった。


「この絵が描けたら、鷹野くんにも見せてあげないといけないわね」


 そう話す直の横顔は、心なしか先程よりも幾分明るくなったように見えた。


「そうだね」


 勇哉も、直が絵を描けないと言っていたことを気にしていたのだ。あのひと言は、彼なりの優しさだったのだろう。そんな彼のおかげで、少しでも直が元気になってくれたのならよかった。しかし、次に聞こえてきた直のつぶやきに、千絵は再び困惑した。


「鷹野くんは、わたしが犯人だという可能性は考えなかったのかしらね……?」


 それは千絵に対する問いかけのようにも、ただの独り言のようにも聞こえた。


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