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きみたちはセカイのかけら  作者: 美汐
第三章 懊悩の水曜日
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懊悩の水曜日4

 それぞれ朝食を終え、少しみな休憩を取っていた。しかしそこには、なんとも言えぬ重い空気が立ちこめていた。

 朝発見された、たった一枚の文書は、その物質的な軽さとは裏腹に、その存在感は圧倒的だった。なんといっても気味が悪い。誰がこれを貼ったのか。それがわかればまだしも、その正体がわからない今の状況においては、不安は増幅するばかりだった。


 直は朝食後、席から立ち上がると、教卓の上に置かれていたその文書を見つめていた。そしてなにを思ったのか、それを黒板の真ん中に磁石で貼り付けた。そんな直の行動が理解できず、勇哉は思わず彼女に声をかけた。


「清川さん。なんでそれ、そこに貼るの。気味が悪いからやめたほうがいいと思うけど」


「これを書いた人が誰なのかわからない今は、わたしたちにはなにもすることはできない。とりあえずできるのは、この文書について心構えをしておくくらいだわ。そのためにも目につく場所に貼っておいたほうがいいと思ったんだけど、駄目かしら」


 直の考えはいちいち正しい。そう言われればそうかもしれないなと、心のどこかで納得している自分がいる。けれど、その正しさは、時に他のものにとっては苦痛になるのだ。


「なるほどね。だけど、ただでさえ今はみなつらい感情を我慢しているんだ。清川さんは耐えられるのかもわからないけど、他のメンバーにとっては、そんなちょっとしたことが苦痛になるかもしれない。俺としては、これ以上の心理的負担を全員に強いるのはどうかと思うけど」


 勇哉は自分の言葉に、刺が混ざっていることを自覚していた。なぜそんなふうに彼女に言ってしまったのか、自分自身よくわからなかった。


「……そうね。確かにこんなふうに、目につく場所に貼ることもないかもしれないわね」


 直はそう言うと、一度貼ったその紙をはがしてその手に持った。少し俯いて、唇を小さく噛み締めている。勇哉はそんな姿を見て、すぐに先程の言葉を後悔した。彼女をリーダーと決めたのは、他でもない自分たちではないか。こんなふうに彼女を責めるのは間違っている。


「……清川さん。やっぱり……」勇哉が言いかけたときに、横から誰かの声が重なった。


「鷹野くんの言うとおり、そんなの貼らないほうがいいわよ。わたしも、そんな気味が悪いものを目につくところに貼ってほしくない」


 さえだった。もともと彼女ははっきりとした物言いをするほうだと思っていたけれど、この場においてもそうだった。そしてそんな彼女の意見は、その場を大きく左右する力を持っている。実際さえがそう発言したことによって、他のメンバーも彼女の考えのほうへと大きく傾いた様子だった。


「じゃあこうしましょうよ。多数決で決めるの。清川さんの意見とわたしの意見、どっちを採用するか。それをみんなで決めましょう」


 その提案に、誰も反対しなかった。勇哉は複雑な気分になりながらも、さえの指示に従って、一旦席に戻った。直とさえだけが前に出て、この場の多数決を採るらしい。


「じゃあみんな伏せて。こっちだというほうに手を挙げてください」


 さえは腰に手を当てて、そう指示を出す。そんな中、直は黙ったまま遠くに視線をやっていた。それを視界の端に捉えてから、勇哉は顔を机の上に伏せた。


「それじゃあ訊きます。清川さんの意見に賛成の人。挙手してください」


 それが耳に聞こえてきてから、しばらく沈黙があった。そして、もうしばらく経ってから「では水城さえの意見に賛成の人」という声が聞こえ、またしばらく時間を置いてから次の言葉が教室内に響いた。


「全員、顔を上げてください」さえの声が、心持ち静かになった。「結果を発表します」


 さえの隣にいる直は正面を向いたまま、じっとその場に佇んでいる。


「多数決の結果により、例の文書はここに貼らないということが決定しました」


 それは、さえの意見が多数派だったということだ。勇哉自身が最初に示した意見でもある。


「ごめんね。清川さん。あなたの意見は至極ごもっともだけど、誰もがそれを望んでいるわけではない。誰もこんな気味の悪い文書を、四六時中見せつけられたくなんかないのよ」


 さえは直に向かい合い、溜め込んだなにかを吐き出すようにしてそう言った。


「もうこの際だから言っちゃうけど、この場のリーダーとして、あなたはもうふさわしくないんじゃないかな。今まではあなたがリーダーってことで黙ってたけど、あなたのその正しいことをしてますみたいなところ、ちょっと押しつけがましく思ってたの」


 さえがなにを言い出したのかと、勇哉は唖然とその様子を見つめていた。


「あなたは確かに、強くて正しくて立派だわ。だけど、みんながみんなあなたみたいにはなれない。こんな世界に放り出されて、みんな泣きたいのを我慢してるの。不安で怖くて堪らない。そういう人の気持ちを、あなたは考えていない。この世界では、正しいってことが、苦しいことだってあるのよ!」


 さえの言葉は、怜悧な刃物のようだった。そして、そんなさえの言葉を援護するかのように、ぱちぱちと誰かが手を叩く音も聞こえてきた。

 勇哉は圧倒的に後悔した。これでは直が、まるで悪者のようではないか。彼女は間違ってはいない。彼女は彼女の思う、正しい行為をしようとしていただけだ。たとえそれが他のメンバーの反感を買うことだったとしても、こんなふうに彼女が責めを負うべきことではない。こんな状況を、勇哉は望んだわけではなかった。


 直は顔を伏せ、黙ったまま静かに教室を出て行った。千絵が慌ててそのあとを追っていく。勇哉はどうするべきか迷い、しかし結局、その場から一歩も動くことができずにいた。


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