懊悩の水曜日2
体が固まったように動かなかった。起きることがつらい。こういうことは以前にもあった。サッカーの負け試合で疲れ果てて、もう指一本動かすのも億劫だったときの翌朝もこんな感じだった。
昨夜はLEDランタンの乏しい光の中で、透が不安を紛らわすためか、かなり長時間しゃべり続けていた。雄一や勇哉もそれにつきあって遅くまで起きていた。けれど、勇哉も昼間のいろいろなことで疲れ切っていて、知らないうちに眠ってしまっていたらしい。透と雄一があれからどのくらいで寝たのかはわからないが、とりあえず、三人の中で勇哉が一番最初に寝たのは確かだった。それなのに、この体の重さはどうしたことだろう。またあのありえない現実を目の当たりにすることを、勇哉の全身が拒絶しているようだった。
それでも、いつまでも寝ているわけにはいかない。目を開けて、その目に映ったのが家の天井ではなく、学校の教室の天井であることを認識して、勇哉はゆっくりとその身を起こした。
「お、勇哉。おはよう」
「おっす」
「おはよう」
すでに透も雄一も起きていた。二人とも昨日の夜に着替えたジャージ姿だ。勇哉も同様に、今はジャージを着ている。つい習慣で、教室の時計に目をやった。四時二十九分。その時間が意味することを思い出すのと同時に、自分の現在置かれている状況も思い出した。
本当の時間が何時なのか知りようもなかったが、どうやら自分は随分深く眠りについていたらしい。勇哉は寝袋から体を出し、そろりと立ちあがった。
「雨、降ってるな」
窓の外では雨が降っていた。雨粒は、絶え間なく窓ガラスを濡らし続けている。そこから見えるはずの町の様子は、雨で煙っていて今は見えなかった。
「町の火がこのまま消えてくれるといいのにな」
「そうだな……」
雄一の言葉に、勇哉はうなずいた。雨がもっと降ればいい。もっと降り続けばいい。そう願いながら、勇哉はしばらくその場で立ち尽くしていた。
「それにしても腹減ったな。昨日、適当に家から持ってきたやつでも食べるか」
透がそう言いながら、自分のショルダーバッグの中をあさりだした。その中にはお菓子やジュースの他に、ゲーム機や漫画雑誌などもごちゃごちゃと入って見えた。
「透。お前の鞄の中、学校に遊びに来た感が半端ないけど、いったいなに持ってきてんだよ」
勇哉がその中をのぞこうとすると、透は慌ててバッグの蓋を閉めた。
「やめろ! 人の鞄勝手に見るんじゃねえよ!」
透がむきになったのを見て、勇哉はますます気になってそこに近づいていった。
「怪しいな。さてはなんか妙なもの持ってきてるんじゃないだろうな」
「んなわけないだろ。とにかく俺の持ち物に触るな。プライバシーの侵害だ!」
「ほほう。プライバシーってか。なんかそう聞くとますます怪しいな」
勇哉が近づくのに警戒心を持ったらしい透は、バッグを腕に抱えて、その場から逃げるように後じさった。そして、なにかをごまかすかのようにこう言った。
「それより早くメシだ! メシにしようぜ!」
「透。ちょっと待てよ。まだ女子たち来てないだろ。昨日清川さんも言ってたはずだ。食料となるものは、みなで正しく分配することにしようって。なのに勝手にそれを食べるのはまずいだろ」
「でももう腹減ってしょうがねえんだ。待ちきれないよ」
「そんなに言うんなら、女子たち呼びに行けばいいだろう」
言いながら、勇哉はじりじりと透に近づき、バッグを狙っていた。
「けど、もし着替え中とかだったりしたら悪いし、女ってなにかと準備に時間かかるだろ……」
透はそう言うと、急に黙り込み、それからなにやらもじもじしだした。
「……なんだよ。急に黙り込んで。って、あ! おい馬鹿。もしかして今お前、頭ん中でそのこと想像したんだろ。やっぱりその鞄の中に、いかがわしいもの隠し持ってるな!」
勇哉はそう言うと、透に一足飛びに近づいた。
「ちげーよ! んなもの持ってきてるわけないだろ! 変な言いがかりをつけるんじゃねえ!」
しかしそう言いながらも、透は頑なにバッグを腕から離そうとはしなかった。
「嘘つけ。ったくこの状況でなに考えてんだよ! やらしいなあ」
「こ、この状況だろうがなんだろうが、そういう想像をすることもあるだろう! つーか、そう言う勇哉こそ今考えただろう。このエッチ!」
「ばっ。んなの考えてなんかねーよ。なにがエッチだ。とにかく早く鞄の中を見せろ!」
勇哉は透の背中にのしかかって、鞄に手を伸ばした。
「わあ、やめろって。とにかくなんにもないって!」
「なんにもないならおとなしくしろ!」
透は悲鳴を上げてそれに抵抗する。雄一がそれを見て、堪らず吹き出していた。
「なに朝からじゃれあってんの?」
そんなタイミングで、さえが教室後方の戸を開けて入ってきたので、勇哉と透は驚き、最高に慌てた。他の女子たちも続々と姿を現したのを見て、勇哉は思わず視線を宙にさまよわせた。透はと言えば、不自然に口笛なんかを吹いている。雄一はその様子に、さらに声を上げて笑っていた。
変な汗をかきながらも、なんとか今日も生きられそうだと、勇哉はそんなことを思っていた。