衝撃の火曜日10
純粋な悪意というものがこの世に存在するとしたら、それは彼のような姿をしているのかもしれない。そんなことを思うほど、目の前の人物は、自分たちとは異質の存在に見えた。
自分たちの他には誰もいなくなってしまったこの町で、なぜよりによってこの男と出会ってしまったのだろう。そんなことを思い、勇哉は思わず顔をしかめた。
「さすが、サッカー部のエースってところかな。俺の蹴りをあのタイミングでかわせたのは、賞賛に値するぜ」
佐々嶋和輝は、棚にぶつかった自分の足を軽く振りながらそんなことを言った。
店内は薄暗かったが、佐々嶋が薄笑いを浮かべていることはわかった。笑いながらこういうことをする。その神経が、勇哉には理解できなかった。
「……いきなり、なにするんだよ」
「野良犬でもやってきて、ここの食べ物を荒らしにきたのかと思ってな」
野良犬呼ばわりされたことよりも、佐々嶋がここの商品を自分の食料だという言い方をしたことが、勇哉には気になった。
「もしかして、ここの商品を勝手に食べてるのか……?」
勇哉のその台詞に、佐々嶋は驚愕したように目を見開いた。そして、堰を切ったように笑い始めた。勇哉は佐々嶋のそんな態度を見ながら、ふつふつと怒りの感情が胸に沸いてくるのを感じていた。
「勝手に食べてるかだって? そりゃそうだろう。だって、誰も咎めるやつはいないんだぜ。食べ放題だろうが」佐々嶋は、さもそれが当然であるかのように言った。
「なあ、お前らだってそう思うだろ?」
佐々嶋は、今度は勇哉の後方に向かってそう声をかけた。雄一と透に向けた言葉だったのだろうが、勇哉の背中からはなにも返事は帰ってこなかった。佐々嶋はそれを見て、笑いながらふんと鼻を鳴らした。それから手近にあった陳列棚から菓子の袋をひとつ掴むと、それをこちらに投げつけてきた。菓子の袋は勇哉の胸に当たって、そのまま足元へと落ちていった。
「食えよ。お前らだって腹減ってんだろ」
佐々嶋はそう言ってきたが、勇哉はそれを拾う気にはなれなかった。代わりに唇を噛み締めて、佐々嶋の顔を見つめた。
「こんなことして、もし店の人に見つかったらどうする気なんだよ」
勇哉の言葉に、佐々嶋は一層笑みを深くした。
「こんな状況になって、まだそんなこと言ってんのかよ。つくづく甘ちゃんなんだな」
佐々嶋の言いたいことは、勇哉自身わかっていた。今は非常時だ。それに町には誰もいなくなってしまった。このままの状況がもし続くと仮定したら、いずれ家の備蓄も底をつくことになる。そうなれば、スーパーやコンビニの商品や他の食料を頼る必要に迫られる。店に他に誰もいない今、商品に対してお金を払うかどうかは各個人の判断に委ねられることになる。そして、佐々嶋は商品に対価を払う必要性を感じなかったというわけだ。
今のこのわけのわからない状況において、その判断が間違っていると勇哉も言い切れなかった。けれど、今はそれを認めたくはなかった。
「この町には今のところ、俺たち以外の人間は存在していない。信じられないことに、そうなっちまってるんだ。なにが原因でそうなったのかは知らねえけど、それが運命だってんなら、この状況を受け入れるしかない。だったら俺は好き勝手にやらせてもらう。幸い文句を言ってくる大人はいないんだ。お前にとやかく言われる筋合いはない」
そう話す佐々嶋は、どこか清々しているようにも見えた。普段から素行の悪い彼は、なにかと大人から厳しい目で見られ続けてきたのだろう。こんな状況に陥って、自由を手に入れたとでも考えているのかもしれない。
けれど、と思う。非常時だからこそ、こんな真似はしてはいけないのではないか。これでは暴徒と同じではないのか。そんなことまでしなければならない状況だというのだろうか。
そのとき、店の外からバイクのエンジン音らしき音が聞こえてきた。
「おい。勇哉! あれ!」驚いた様子の雄一の声に、店の外を振り返ると、こちらに近づいてくる黒い原付バイクが見えた。
「土居に山本……?」
原付バイクに乗っていたのはその二人に間違いなかった。ヘルメットを被っていなかったので、すぐに顔はわかった。
「あいつらもいたのか……」
雄一のつぶやきには、落胆の色が滲んでいた。土居と山本は、佐々嶋の取り巻き連中だ。つまりは素行の悪い不良グループであり、話のわかる連中とは言い難い存在だった。勇哉も新たな人物と出会えたという喜びは、彼らに対してはまったく抱くことができなかった。
「さあ。お前らもいつまでもここにいたって仕方がないだろう。それとも、俺たちともう少し仲良くしていくか?」
佐々嶋が意地悪げにそう言った。無論、言われるまでもなくすぐにでも勇哉はそこから立ち去るつもりだった。
「勇哉。行こうぜ」雄一がそう促し、勇哉と透も出入り口の扉のほうへと向かっていった。雄一と透が扉を出ていったあと、勇哉は外に出る手前で立ち止まり、後ろを振り返った。
「……こんな世界でも、お前はそういうふうにしかいられないのか……?」
その言葉に対し、佐々嶋は怒りを表すでもなく、不敵な笑みを浮かべているだけだった。
それを見届けたあと、勇哉も扉の外に出た。外には土居と山本の姿があったが、店内の息苦しさとは比べようもなかった。もう、勇哉には後ろを振り返る気力は残っていなかった。横から土居と山本がなにか声を発していたが、それすらも耳に入ってこなかった。
勇哉たちは、無言のままそこをあとにした。