衝撃の火曜日7
「すみませーん。誰かいませんかー?」
十軒目の家の前で、さえ先輩がそう声を張り上げた。しかし、家の中からは誰も出てくることはなかった。
「ここもいなさそうだね」
景子先輩が腕組みをしたままそう言った。亜美たちバレー部員の三人は、自然な流れで同じ調査班になり、自分たちの通学路近辺にある家々を訪ねて歩いていた。
「ホントにいないんですかね? ひょっとして家の中に隠れてるとか……」
「それでも多少の気配くらいは感じるだろ。こんだけ静か過ぎるのは、やっぱり動いてる人間はいないってことだ」
悲しいかな、景子先輩の言葉は正しかった。この家には誰もいない。この家だけじゃない。先程訪ねていった他のどの民家にも、人は存在しなかった。
「でも、一応あともう少し訪ねてみることにしようか」
さえ先輩はそう言ったが、その言葉にあきらめのようなものが混じっているのを、亜美は敏感に感じ取っていた。
次の家の前を通ったとき、なにやら人の話し声のようなものがかすかに聞こえてきた。
「え? これって……この家からだよね」
「……なんかしゃべってるな」
さえ先輩と景子先輩が口々にそう言って立ち止まった。
「もしかして中に誰かいるんじゃないんですか?」
亜美がそう言うと、さえ先輩が首を傾げた。
「それにしては、なんかおかしいんじゃないかな。人がいるならもう少し違った気配がするような気がするんだけど」
「で、でももし本当に家の中に誰かいたら? 誰かが助けを求めてるってことも考えられるわけじゃないですか。もしかしてこの家の人が、家具の下敷きになって動けなくなっているかもしれないですし」
もしそうだとしたら、見過ごすわけにはいかない。
「まあ、そうかもしれないけどさ。一応慎重に行動しないと、こっちにも危険が及ぶ可能性もあるわけだから」
「でも、早くしないとその人大変ですよね。死んじゃうかもしれないですよね?」
亜美はなおもそう言い募った。もし人がいたらと思うと、居ても立ってもいられない気持ちだったのだ。
「落ち着いて。亜美。この声の調子からいって、助けを呼んでいるようには思えない。へたに行って、変なことにならないとも限らない」
さえ先輩がそう言ったときだった。
「あーもー。わかった! あたしがさっさと行って中を確かめてくるよ。それでいいだろ」
景子先輩が、言い争う亜美たちを見かねたのかそう叫ぶように言った。そして、その家に向かって早足で歩いていった。
「景子先輩!」
亜美は慌ててそのあとを追った。これを見過ごしたせいで誰かに被害が及ぶのは嫌だったが、そんな自分のわがままで先輩が危険な目に遭うのはもっと嫌だった。それならば、自分が行ったほうが遙かにましだ。
その家の敷地内に入ると、景子先輩はすでに玄関から庭のほうへと回っていた。玄関の鍵は閉まっていたらしい。そして亜美たちも庭のほうへと回ると、景子先輩は庭のほうの掃き出し窓に手をかけていた。
「開いてる」景子先輩はそう言うと、するするとその窓を開けた。
「は、入っていくんですか?」
「いいよ。ここはあたし一人で行ってくるから、さえと亜美はそこで待ってて」
「で、でも……」
「いいから。すぐ戻ってくるし」
景子先輩はそう言って、そこから家の中へと入っていった。靴は履いたままだ。亜美はついて行こうとしたが、それはさえ先輩によって止められた。
亜美はその数秒だか数十秒だかが、とてつもなく不安だった。景子先輩の目の前で、なにか予想もしない恐ろしいことが起きてはいないだろうか。亜美のせいで景子先輩の身に危険が及んでいないだろうか。そんなことばかりが頭を駆けめぐり、亜美の胸は張り裂けそうだった。亜美は目を閉じて、祈るように両手を組んで待っていた。
「誰もいなかったよ」
そんな声が頭の上から降ってきたのに気づき、亜美はぱっと顔を上げた。そこに景子先輩の笑顔を認めた亜美は、ようやくほっと息をついた。
「それで、さっき聞こえてた人の声みたいなのの正体は?」
「うん。それの正体はこれだった」
さえ先輩の問いに、景子先輩は手に持っていたCDラジカセを上に持ち上げてみせた。
「電池で動いてたみたいで、エンドレスで落語がかかってたよ。さっき止めちゃったけど」
亜美はそれを聞き、がっくりと肩を落とした。
「な、なんだぁ。そうだったんですかー」
「まあ、そんなところじゃないかと思ってたけど。で、誰もいなかったってことだけど、他にはなにかなかった? 気になったこととか」
さえ先輩がそう訊ねると、景子先輩は鼻で息をついてからもう一度家の中に目をやった。
「うーん。それなんだけどさ。なんか、ついさっきまで誰かがそこにいたって感じがするんだよね。ラジカセのこともそうだけど、ちゃぶ台にもお茶とか茶菓子が用意されてたところをみると、たぶん好きな落語でも聞きながら、これからひと息つこうかみたいな状況だったんじゃないかと思うんだよね。まあ、お茶はこぼれて散々にはなってたけど」
景子先輩の表情は、亜美からは後ろ姿になっていて見えなかったが、その口ぶりからは深刻さがうかがえた。
「なんか、突然人だけがそこからいなくなったみたいだった……」
亜美はなんだか薄ら寒い気持ちになっていた。先程は、もちろん大きな不安もあったが、もしかしたらそこに誰かがいるのではないかと、ある種の期待も抱いていた。自分たち以外にも、まだ誰かがここに存在しているのではないかと。
しかし、そんな期待はあっさりと裏切られた。やはりここにも誰もいなかった。
「本当に、どうして誰もいないんでしょう。こんなふうに休憩の途中に、突然どこかに行ってしまうなんてことがあるんでしょうか」
そんなことはありえない。人が突然消えたようにいなくなるなんて、あるはずがない。
けれど、それならばいったい今のこの状況はなんなのだろう。どう説明をつければいいのだろう。しばらく沈黙が続いたあとで、景子先輩が口を開いた。
「とりあえず、だいたいこの辺の様子もわかったことだし、一旦学校に戻ることにしようか」
「そうだね。他のメンバーがなにか新しい情報を掴んでるかもしれないし」
景子先輩もさえ先輩も、わざと明るい声を出しているようだった。しかし、それがわざとだったとしても、その声のおかげで亜美は少し元気を取り戻すことができた。
「ああ。それにしてもお腹減ってきたな。時間わかんないけど、そろそろ昼時なのかもしんないね。ひょっとして学校戻ったら給食があったりして?」
そんな景子先輩の言葉に、亜美たちはぷっと吹き出した。
「無人なのに給食だけはあるなんてありえる?」
「いやいや。ありえないんだったら、今のこの状況こそありえないっしょ。なにが起きてももうおかしくない。それなら給食が今日も来てることだってありえない話じゃない」
「……景子って超ポジティブ思考」
「ある意味で尊敬をさらに深めましたよ。景子先輩……」
亜美は先輩たちと一緒だということで、また救われた気持ちになった。