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沈黙が場を支配していく。つい数分前まで抱いていた希望など、既にどこかへ吹き飛んでしまっていた。周りを見渡しても全員、青白い顔をしている。
「ぉ、おい。嘘だよな。冗談だよな? 助けにきてくれたんだよな!?」
誰かが壊れたように叫ぶ。
それに対する少女の声は至って飄々としたものだ。いやむしろ、拍子抜けした、というべきか。
〈ほんとだってばぁ~ ボクは嘘はつかないからね。まぁ、信じるかは君たち次第だけどね♪〉
「うああああ!」
その人は耐えきれなくなったかのように走り出す。周りの人に躓きながら、人混みを必死にかき分け、巨大な生物とは反対側に進む。輸送機の包囲網を抜けようとしたその時、乾いた音が響き渡る。
だだだだ、どさっ。と。
今やその人は頭部を失って地面に倒れ伏す。胴体に空いた穴から赤い液体を垂れ流し、グラウンドの色と相まって赤黒い水溜まりを作ってゆく。そしてその近くには、見慣れぬ機械を構えた隊員。
「ひぃっ!?」
それを目にした一部の人々―無論、全員立ち上がっているので、生物とは反対側にいた人々だけだが―が悲鳴をあげる。彼らは人間が死ぬところなど見たことが無い。
というのも、先の大戦の教訓から、評議会がメディアに対し、人の殺傷シーンを厳しく規制したからだ。それに、マキナスにおいて、80歳を超えると人は永久に眠るとされ、施設に送られる。実際そこで行われているのは、体内のナノマシンの回収と、人口調整のための殺処分なのだが。そうしたことは民衆に知らされず、人々はただ安らかに眠れると考えている。
なので、彼らにとって人の死とはまさに未知であり、未知に触れた人間の反応など2つしかない。興味を抱いて研究するか、ただただ戦慄するかだ。しかし、生き物としての本能が、彼らに戦慄することのみ可能とする。
恐怖だけがさざ波のように広がってゆく。この状況で騒げる人物などいない。どうせまた彼のようにろくでもない目に遭うだけだ。誰も立ち尽くし、黙って状況を見守る中、再び少女の声が響く。
〈あぁ~死んじゃった? そういや言い忘れたかもしんないね。逃げようとしたらすぐに殺すからね♪ そのつもりでよろしくね♪〉
返事はない。当然だ。誰もが目を付けられぬよう息を潜めているのだから。
〈そんじゃ、オモチャになりたい人からおいでよ! 殺しはしないからさ!〉
「お前を信用していいんだな?」
巨大生物のすぐ近くにいた男が一人、遠慮がちに尋ねる。当然信用できるとは思っていないだろうが、少しでも安全な方向へ進みたいのだろう。
〈まあね。気に入った子は安全を保証するよ。で、おじさんは…うん、いい目をしているね。生きたい、何かを守りたいって意志が見えるね。家族がいるなら連れておいで。〉
男の顔に光が灯る。
「本当か! おーい! カエデ、マサル! 助かるぞ!」
男の妻と息子が、人混みをかき分け、男の横に並ぶ。巨大な生物は観察するように3人を眺めまわすと小さく声を漏らす。
〈くふふっ〉
「さあ、早く何処へ行けばいいか教えてくれ。」
〈まあまあ落ち着いてさ、ね?〉
ひゅんっ、どぐしゃっ。
突然、男の横の2人が消える。いや、消えたのではない。2人の立っていた辺りには、大量の肉片や、骨の欠片が飛び散っており、周囲には赤い液体が飛び散っていた。というより、周囲が赤く染まっていた。そして、その1M程上では、長い動物の尾のような物が赤い液体を滴らせながら、ぶら下がっていた。
〈おっと尻尾が滑っちゃったみたい。ごめんね?〉
男は状況が掴めず、放心してそこに立っていた。30秒か、1分か、それかもっと長い間か。やがて男の思考が状況に追い付いて来ると、男の顔が驚愕、憤怒、悲嘆、絶望の順に歪んでいく。
「ぅあああああぁぁぁぁぁ!! お゛う゛ええええぇぇぇ!」
男はその場に崩れ落ち、意味のない叫び声をあげたのち、家族の残骸にに吐瀉物をこぼす。液体は混ざり合ってうっすらピンク色になる。巨大な生物は男をひょいとつまみ上げ、顔を見る。それは、形容のしようがない歪み方をしており、口の淵には胃液が筋を作っていた。
〈うんうん! いいカオしてるね! これだよこれこれ! 誰にせよ人間の心を折るのはたのしいねぇ!〉
「…………もう………ころして…くれ…」
男が何とか絞り出した言葉はそれだけだった。
〈そんなに死にたいなら止めはしないけど… 後悔しても知らないよ? ああ、でも死んじゃえば後悔もできないか。〉
そう言うなり、巨大な生物は男を地面に叩きつける。それはまるで我々人間が虫を潰すような、何気ない動き。男は車に轢かれた蛙のように、口から内臓を吐き出し、動かなくなった。
その後、その光景を見た者で、少女に逆らったり、騒いだりする者はいなかった。輸送機の隊員の指示に従い、訓練されたかのように整列し、輸送機に詰められてゆく。その中で希望を抱いている人間など、一握りの愚か者だけであり、大半はどうにでもなれという諦めの感情に支配されていた。途中、少女の操る巨大な生物が、事故と称して、何人か叩き潰していたが、5回やったあたりで隊員に注意され、それ以降"事故"は起きなかった。見せしめとしては十分だ、と判断したのだろう。
ルリたちはその5回の後に誘導されたので、散らばった肉片を見せぬよう、スミレの目をふさいで輸送機まで歩く。到着すると隊員にぐいっと腕を引っ張られ、他の人々とは違う機体に案内される。中に入るなり、壁に押し付けられる。すると、壁から固いゴムひものようなものが何重にも飛び出し、ルリの体を固定する。見渡せば、輸送機の中は窓も灯りも無いため暗く、全員、機内に立てられた複数の壁に括り付けられ、固定される形で硬い椅子(というより段差)に座っている。徐に腰を下ろすと、尻に固いものがぶつかったので、それに体重を預ける。周りには女性しかいない気がしたが、気のせいだろう。ふと妹の方を見やると、不安そうな顔がぼんやり見えた。しばらく座っていると、ゴウンと音がし、ハッチが閉ざされ、機内は完全に暗闇に支配される。その後、斜め下方向に加速度を感じ、2人は輸送機が離陸したことを知る。
「お姉ちゃん、私たち、どうなっちゃうの?」
「さあ、わからない。でもきっと大丈夫よ、きっと…」
「うん…」
妹だってそれが嘘だとわかっているだろうが、それを否定はしない。姉の気持ちを察してくれたのだと思い、ルリは少し悔しくなる。姉として、誕生日くらい楽しい思いをさせてやりたかった、と。
はじめはため息や、不安からのざわめきが聞こえたが、加速度を感じなくなる頃には、誰しも考えることを止め、眠りに落ちていた。ルリもまた、意識が暗闇に溶け出すのに任せ、眠りの世界に深く、深く沈み込んでいった。