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咄嗟にルリは顔を覆う。ガラスは割れただけで大した勢いもなかったので、幸い怪我をせずに済んだ。ルリは、両親の方がより都心部に近いことを思い出し、慌てて通信を飛ばす。しかし30秒程しても応答はない。普段はすぐさま繋がるのだが。更に1分程待っていると、機械音声で告げられる。
〈只今、受信者は電波の届かないところにいるため、通信出来ません。再度時間を置いてから試行してください。〉
恐らく両親は事故に巻き込まれ、無事ではないのだろう。神とて万能ではなかった。有事の時に、最も守るべき市民すら守れないのだから。その事実がルリを落胆させる。
「チッ」
思わずいら立ちを漏らす。すぐに妹のことに思い当たる。妹は都心から7KM離れた学校におり、ガラスにさえ気を付ければ、無事なはずだが、一応通信を飛ばす。今度は程なくして繋がる。
〈お姉ちゃん?〉
「スミレ? 大丈夫? 怪我してない?」
〈うん。いきなりガラスが割れて凄い音がしたけど、怪我はしてないよ。でも窓際の子は腕とか切っちゃったみたい。〉
「貴方は無事なのね? 良かった。」
〈そういえばお父さんとお母さんは?〉
ルリの表情が曇り、声が低くなる。
「通信をかけたけど、繋がらないの。無事を確認できればいいのだけれど。」
〈私からもかけてみるね。〉
「頼むわ。学校で合流しましょう。」
〈うん、わかった。〉
ルリは通信を切ると、家のガレージに向かう。ガレージには車の他にバイクや自転車が止めてあった。科学技術の発達した時代に、自転車があるのは、彼女の家族が骨董品マニアだからというわけではない。進行する環境問題対策かつ、エネルギー節約手段として、評議会が普及を推進したからだ。勿論事故防止用の電子制御はついているが、基本的に旧世代のそれと同じものが家庭ごとに配布されている。ルリは車やバイクをマニュアル運転することができないが、機械仕掛けの神が異常をきたしている今、オート運転に任せるのは危険と判断する。学校まではおよそ2.5KMであることも考慮し、自転車に素早くまたがり、自動で開閉したガレージの扉を尻目に駆け出す。
10分弱でルリは学校に着く。既に生徒の他にも、大勢の人々がグラウンドに避難していた。ルリは妹に通信を飛ばしつつ、姿を探す。
「スミレ~ッ? 聞こえたら返事をして、手を振って。」
〈あっ、お姉ちゃん? こっちだよ〉
スミレが手を振り、ルリは素早くそれを見つけ、人をかき分けて妹のところまで進む。
「お父さんとお母さんに通信できた?」
スミレの声が震えた、弱々しいものになる。
〈いや、何回掛け直してもつながらない…〉
「……きっと無事なはずよ。」
ルリは何とか言葉を紡ぎつつ、スミレの下にたどり着く。妹の泣きそうな顔を見て、無言で抱きしめる。すると、スミレの堤防が壊れ、抑えていた感情があふれ出す。
「ふぐぇ? お姉ぢゃぁん! 怖かったよう…」
「もう大丈夫よ、スミレ。お姉ちゃんがついてるわ、安心なさい。」
「う゛えええぇぇん」
ルリは妹の背中をさすりながら、この子だけは何があっても守り抜くと誓う。そうこう数分すると、スミレが泣き止んだ。二人は改めてセントラルタワーを眺める。かつてのシンボルとしての面影はなく、400M地点を大きなスプーンで抉られたかような、無残な姿で黒煙を吐いていた。誰もが固唾を飲んで様子を見ていた。その時、誰かが小さく悲鳴を漏らす。
「ひぃっ! なんだあれは!?」
その人の指さす先―セントラルタワーを12時とすれば5時の方向―には、大きな翼のついた黒い生物と、数機の輸送機の影が見えた。
「助けに違いない!」
「おおっ! 救助隊が来てくれたのか!」
「おーい! ここだ!」
別の男が立ち上がって手を振り始める。すると周りの人間も同じように立ち上がってアピールを始める。
「俺はここだー! 助けてくれ!」
「私も助けて! 子供がいるの!」
やがて、ほぼ全員が立ち上がってアピールするという状況が出来る。機械仕掛けの神によって完璧に管理された生活を送る人間達にとって、日常の些細なハプニングすら事件となる。ましてやこのように多くの被害を出す事件が発生した場合、冷静に対処できる人間など、いないに等しい。
彼らの声が届いたのか、空中の一団は高度を下げ、近づいてくる。それに伴い、人々の間には安堵の雰囲気が漂い始める。しかし、先頭の生物がよく見えるようになるにつれ、安堵に怪訝さが混じり始める。
「なんだあれは?」
「とても狂暴そうだが本当に大丈夫か?」
「輸送隊と一緒に来ているんだし、新しい救助用のロボットじゃないのか?」
「救助用の乗り物だけで十分だろ? しかもなんであんな見た目にする?」
議論は紛糾する。無理はない。というのも、都市内の大体の機械は流線型を基調とした、丸みを帯びたデザインが基本である。決して今飛んできているような、とげとげしく、ごつごつしたものではない。
5分ほどすると、巨大な生物と、輸送機群はグラウンドを取り囲むように着陸する。先ほど議論を繰り広げていた人々は、再び救援を求めてアピールしていた。
「早く助けてくれ!」
「安全な所に連れて行ってくれ!」
人々は口々に騒ぎ立てる。すると、それに耐えかねたように生物が"少女の声"で言葉を発する。
〈五月蝿いなぁ! もう! ボクはね、見苦しいのは大嫌いなの!〉
そこで急に声色が変わる。もし声の主の顔を見られたとすれば、彼女は間違いなくニタニタと嗤っている、誰もがそう確信できる声だった。
〈でもね、いい声で哭いてくれるならね、ボクのオモチャとしてたっぷり可愛がってあげるよ♪〉