花言葉
この世にはたくさんの花言葉が存在している。
例えば、赤いバラには「愛情」や「情熱的な恋」、それが白色に変われば「純潔」、はたまた桃色になったら「上品」になったりと、一つの花だけで色々な花言葉があるのです。
これから幕を開ける物語は、一輪の花による不思議な出会いを描いた物語。
---
ギラギラと照りつける太陽。大粒の汗をぬぐい、熱せられたアスファルトの上をゆっくりと歩く。ぬぐっても、ぬぐっても、汗は止まることを知らない。僕はバックからぬるくなってしまった水を取り出し、浴びるように飲み干す。一滴でもこぼすと、鉄板と化したアスファルトの上で蒸発してしまいそうだ。
冷房が効いている涼しい部屋でゆっくり寝ていたい。
なぜこんな暑い中外にいるのかって?
僕だって家から出たくなかったさ。原因はあの出来事だよ。思い出したくもない、あの出来事。
---
「はー。涼しい……」
エアコン。なんて快適な機械だろうか。エアコンを開発した人に会って、これ以上ないほど感謝したい。
ソファーに横たわりテレビを見つめる。
「今日の気温は38度。照りつける日差しも強く、熱中症にご注意ください」
む? 35度だと? こんな日に外へは出たくないものだな。しかも日差しが強いのか。 買い物は明日、いや明後日にでも行くしかないか。
そんなことを考えていたら、だんだんと眠くなってきた……。
「ちょっと寝るかー……」
一度背伸びをし、もう一度横たわる。大きなあくび。意識がふわふわとしてきて、目を閉じる。そこから眠りにつくまで、どのくらいかかったかは分からない。
---
「……うん?」
寝苦しさを覚え、目を覚ます。部屋の中は暑くなっていた。
エアコンが切れたのか。
リモコンへ手を伸ばし、ボタンを押す。
ピッ。
そしてまた夢に中へ……。
行くことはできなかった。
「む?」
ピッ。
つかない。つかないんだ、冷房が。
これはマズイ。緊急事態だ。激しい焦燥感に駆られる。
焦りと暑さから、どんどん汗が流れ出てくる。
エアコンを修理する? いいや、一日じゃ無理だろう。どこか涼しい店へ行く? それは夜、寝るときに僕が生き絶えてしまう。
思考を巡らせ、行き着いた答え。
扇風機を買うしかない……。
---
そして今に至る。
扇風機を買うために、この38度という絶望的な暑さの中、外を歩いていたのである。家電量販店までは家から少し歩かなければならない。暑さのせいで家電量販店までの道のりが、まるで万里の長城の端から端まで歩かされているように感じる。
しっかりと意識を保つのも難しいほど衰弱していた。スポットライトで照らされ、激しい熱気に包まれている。僕はスターにでもなったのだろうか。
バシャ。
足にひんやりとした水がかかる。
朦朧としていた意識を覚醒させるには十分すぎる出来事だった。
「す、すみません!」
そんな声が聞こえた。
「はは、大丈夫です……」
視界と体がグラグラと揺れ、力が入らなくなってきた。視界はだんだんと白くなっていき、耳鳴りのような音が遠く、いや近く、やはり遠くから聴こえてくるような感覚に襲われた。
---
目を開けると、畳の上で寝ていた。風鈴の音が聞こえる。
ふむ? 夢を見ていた、わけでもない。
体を起こし、辺りを見回す。見慣れない景色だ。
その時、襖が開き、花柄のエプロンを着た若い女性が部屋へ入ってきた。
「気がつかれたんですね、よかったです」
この女の人は……。うん、知り合いじゃない。
「あのどうして僕はここで寝ていたんですか?」
「えっと……。今日はものすごく暑いので、軒先で打ち水をしていたところ、あなたが倒れてしまったもので……」
そうか。僕は家電量販店へと向かっていたんだった。
「それはご迷惑をおかけしました……」
「いえいえ、困った時はお互い様ですよ。どうぞ、お水です」
お盆に乗せられている水滴のついた透明なコップ。そしてプカプカと浮いている氷。それが白く綺麗な手によって差し出される。
「あ、ありがとうございます」
つ、冷たい。手を介して伝わってくるひんやりとした感覚。恐る恐る口へ近づけ、喉へ流し込む。
美味しい。これほどまでに冷えた水が美味しいことがあっただろうか? まるで北極の流氷の上にいる気分になった。
そして数秒後、突然、頭痛に襲われる。
そう、あれだ。かき氷を食べると襲ってくる、あの頭痛。
「ごちそうさまでした」
カランカランと音を立てるコップをお盆の上へ乗せる。
意識がはっきりしてきて気づいた。
「ものすごくいい匂いがしますね」
そう、花の匂いだ。あの鼻をくすぐる、独特な花の匂い。僕はあれが好きなのだ。
「ええ、私は花屋を営んでいまして。いろんな花がありますので、ぜひ見ていってください」
女性はゆっくりと立ち上がり、お盆を運んでいく。
「私はお店の方にいるので、体調が良くなったらお越しください」
僕は軽く頷く。もう少しだけ風鈴と一緒に庭を眺めていよう、そう思った。
---
カラフルな空間。色とりどりの花。ふんわりとした匂い。
僕は多種にわたる花をひとつひとつ見つめている。
この店の素晴らしい点は、ひとつの花ごとに花言葉が書かれていることだ。
「アガパンサス」
聞いたことのない花だ。
花言葉は「恋の訪れ」
なるほど、僕にはまったく関係のない花だな。
「アスチルベ」
これはどんな花言葉だろうか。
花言葉は……。
「恋の訪れ」
ほう、なんだ。この店は僕に嫌がらせをしているのだろうか。そんな出会いはないのだと、僕には関係のない話だと。思った矢先にこれか。
待て。みじめになるだけだ。
首を振って考えるのをやめた。
気を取り直して、別の花を見る。
「アンスリウム」
花言葉は……。
「恋にもだえる心」
そうか、もう動じないからな。そんな低レベルな煽り方では僕は怒らないぞ。詰めが甘いな。
さて次だ、次。
「オシロイバナ」
花言葉は……。
「恋を疑う」
「……。なんなんだよ、ちくしょう!」
おっと、ついつい声を出してしまった。
「どうかしましたか……?」
先ほどの女性が心配そうに声をかけてくる。
「なんでもないです。申し訳ない」
なんなんだ、全く。ろくな花言葉がないじゃないか。
そう思っていた僕の目の前に、黄色い綺麗な花があった。
「ゼラニウム」
花言葉は……。
「予期せぬ出会い」
なんていい言葉の響きだろうか。これが一目惚れというやつだろう。これしかない、そう思った。
---
「ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ。助かりました」
深くお辞儀し、店を後にする。
結局、黄色いゼラニウムの花を買ってしまった。
いい花に出会えたことでウキウキ気分になっていた。
そうか、これも「予期せぬ出会い」なのか。そんなことを思いつつ、本来の目的である家電量販店へと向かう。
今度は無事に着けそうだ。
---
家電量販店の前まで来た。どっしりとしていて大きく、もの凄い存在感だ。
早速、入店して思ったこと。
涼しい。涼しいんだ。もう涙が溢れ出てくるほど涼しい。
しっかりとした足取りで扇風機を販売している場所へ向かう。
いろんな扇風機が販売されているんだな。扇風機の種類をまじまじと見たことはなかった。
感心しながら、色々な扇風機へ目を向ける。安いものにしようか、ここはひとつ高めの扇風機を買ってみてもいいんじゃないか。
そんなことを思いながら見ていくと、そこにあった扇風機に目が留まった。
そして時も止まった。
そこにあったのは。
「羽のない扇風機」
羽のない扇風機だと……。そんなものは扇風機だというのか。認めない、認めないぞ。どうせ風が弱かったりするんだろう。
ゆっくりとゆっくりと手を近づける。
「!?」
涼しい、だと。
僕は驚いた。羽のない扇風機がこんなにも画期的なものだったなんて。知らなかった。
そして僕はハッとした。そして見つめる。
僕の手元にある、黄色いゼラニウム。
その花言葉はなんだったか。
そう、「予期せぬ出会い」
そうか、これが……。




