表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
道参人夜話  作者: 曽我部浩人
第十章 ~ 刑天
62/62

第1話 殺人犯との面会




「──息子を殺してください」


 初対面の男は潰れた声でそう言った。


 幽谷響(やまびこ)は何も言わず、依頼主をじっくり観察する。

 彼は石のように微動だにせず、岩の如き身体を横たえていた。


 警察病院──入院患者用の個室。


 ベッドに横たわる男は殺人事件の容疑者の1人と目されており、個室の出入り口には見張りの制服警官も配備されていた。


 警察病院といえば物々しい感じがするかも知れないが、本来は警察関係者とその家族のために用意された病院であり、一般にも解放されている。重病に(かか)ったり、重傷を負った犯罪者が治療のため入院させられることもなくはない。


 だからと言って、檻で囲まれた病室なんてない。

 犯罪者が入院する場合、個室に通されるくらいのものだ。


 ()してや、この男には逃走の恐れがない。


 両手両脚が複雑骨折し、輪郭がわからないほどギプスで固められている。四肢で無事なのは右手くらいだった。


「息子殺しとは……また剣呑(けんのん)でございやすね」


 幽谷響は相手の出方を(うかが)う。


 横たわる男は即答せず、他にどのような言葉で伝えるかを思案しているのか、(まぶた)を閉じると呼吸を繰り返した。(つら)そうな息遣いが聞こえてくる。


 息をすることさえ苦痛のはずだ。


 本来ならば潰された喉は呻くことさえままならず、筆記による意思疎通も混濁しがちな意識のため(はかど)らなかっただろう。信一郎のある特殊な能力によって、喋れるまでに回復させている。


 全身に及ぶ複雑骨折──重要な神経や(けん)の断裂は数知れず。


 回復力を促すために筋肉や脂肪を栄養素に強制変換させたいのだが、引き千切られひしゃげられ押し潰され……おまけに血液も足りなかった。


 無理に回復するよう働きかけようものなら、たたでさえボロボロの五臓六腑まで衰弱させる悪影響を及ぼしかねない。


 信一郎の能力でも容態を安定させるのが精一杯だ。


 しばらく幽谷響は待ったが、男から返答らしき言葉はない。


「空手──でございやすか?」


 幽谷響は会話の糸口を探ってみた。

 息子殺しの依頼には、彼の素性が絡んでいると読んだらしい。


 ベッドに横たわる男は、この2文字に反応した。


 ギプスからはみ出た右手の拳は、ゴツゴツと節くれ立っていた。それは拳骨(げんこつ)と呼ぶに相応しく、岩から削り出した芸術品としか思えない。


 加えて、病院着から覗ける鍛えられた大胸筋。


「人間の手ってのはあらゆる生物の中で一等器用に仕上がっておりやす。拙僧(せっそう)も手慰みで武術を(たしな)みやすが、その器用さを頼みとしやす」


 使い込んで柔軟にした指を幽谷響はしなやかに動かした。


「その手を一撃必殺の鈍器になるまで固く、分厚く、頑丈に仕上げるなぁ拳を頼みとする武術……愚直(ぐちょく)に鍛練を積み重ねる空手ぐらいのもんでやしょう」


 道は違えど武道を歩む者同士。


 それが功を奏したのか、男は軋むような声を発した。


「父も……祖父も……空手家でした」


 そして私も……男は潰れた喉で言った。


 首に巻かれた包帯も痛々しく、うっすら赤みを帯びてきている。喋るのが辛いのは一目瞭然だが、この対面は彼が願い出たものなので中断させられない。


 途切れがちな告白に、幽谷響は辛抱強く耳を傾ける。


「子供たちも、親族の皆も……空手に限らず、武道を学んできました……だから、私は……息子にも期待して……家を継いでもらおうと…………」


 あいつは長男でしたから……男は悔しそうに言った。


「その息子さんを──殺せと仰いやすか」


 男が声を嗄らしたのを見計らい、幽谷響が本題を振り戻した。


「他人に頼むのは筋違い……わかっています」


 男はブルリと身震いした。武者震いのようだが違う。これは心胆から冷える恐怖に直面するも生き延びた者がする震えだ。


 生き残った幸運を噛み締めるも、絶望的な恐怖に取り憑かれている。


「自らの手で……決着をつけようとしました……あの、家どころか部屋からも出ようとしない引き籠もりを……この手で……ッ!」


 適いませんでしたが……男は無念そうに右手の指を握った。


「いいえ、敵わなかった(・・・・・・)のです……引き籠もっていたはずの息子は、いつの間にか筋肉も隆々とした体躯に鍛え上げ……部屋でずっと鍛えていたのか……ただ、それだけとは思えぬ変貌を遂げており……」


 男は震えの止まらぬ舌で、自分の体験を語り出した。


 男の息子──長男は引き籠もりだった。


不出来(ふでき)な息子……と我ながら落胆したものです……」


 幼い頃から図体こそ人一倍だったが、兄妹や従兄弟(いとこ)からは「グズでのろまなウドの大木」と罵倒されるほど鈍かったそうだ。


 家庭でも学校でもイジメられ、引き籠もってしまったらしい。


「何度も部屋から引きずり出して、甘えた根性を叩き直そうと……厳しく躾けもしました……跡継ぎとして、一端(いっぱし)の武道家になるようにと……」


 しかし、その度に長男は自室へと逃げ込んだ。


「それでも……いくらかは私の想いで伝わるものがあったのか……部屋で筋トレを始めたり……そのための器具を通販で取り寄せたりと……少しずつではありますが、努力の影は見られるようになったのですが……」


 中学の頃から引き籠もり、気付けば十年余り。


「これ以上はいけないと……誰もがそう思いました……」


 親族が集まる度、長男を「一族の恥さらしだ」と言い立てたという。


「ついに……その日がやってきました……」


 引き籠もりの長男に引導を渡そうとする家族。


 この場合の引導とは、社会に復帰させるという意味だ。引き籠もり生活へ終止符を打つための引導である。


 父親である男を筆頭に母親と兄弟姉妹、親族まで駆り出した。


 長男は空手はおろか武道家としてもまったく芽が出ず、引き籠もるばかりのダメ人間だったが、体格は一族で最も恵まれていた。身の丈は2mを超えるも、不摂生な生活を送っていたから極度の肥満体になっていると思っていた。


「確かめた者がいなかったのは……失敗でした……」


 いくらダメ人間でも、そんな体格で暴れられたら脅威である。


 男は親族にも応援を請うた。格闘家の多い武闘派な親族たちは、常日頃から目に余っていた長男を制裁しようと乗り気だったらしい。


「部屋の扉を開けた途端……5人、やられました」


 親族の若者、長男の従兄弟たちがからかうように扉を蹴って「出てこい」と囃し立てれば、間を置かずに扉は開かれたという。


 そこから──破城槌(はじょうつい)のような鉄拳が飛び出してきた。


 正面からまともに食らった2人は、肋骨をすべて折られて内臓損傷。鉄拳がかすった者でさえ、口から血の泡を吹いて吹き飛ばされた。


「息子は……見違えておりました……」


 恐怖に浸るものの、男の表情はどこか誇らしげだった。


 部屋からのそりと現れた長男。もっさりした百貫デブだったはずなのに、見る影もないほどビルドアップされた筋肉マンとなっていた。


 従兄弟たちを一撃で叩きのめした長男。


 男は息子の成長っぷりに目を奪われるも、子供や兄弟を傷物にされた親族は腹の虫が治まらない。長男が部屋から出るや一斉に躍りかかった。


「そこからは乱戦……いいえ、一方的な虐殺でした……」


 襲いかかった親族は誰もが一撃で床に沈み、その拍子で家の壁といい床といい柱といい、あらゆるものが巻き添えを食って壊された。頭に血が上った親族は長男にやり返すが、誰1人として敵うことはなかった。


 これはまずい──男は直感したという。


 このままでは家が傾くどころではない。遠からず死人が出る。


 男は長男を止め、親族を落ち着かせようとした。


 だが長男は止まらない。何人(なんぴと)も彼を止めることができなかった。


 一族の誰もが何かしらの武道経験者だが、そんな彼らを虫けらを叩くかのようにプチプチと潰していく長男に戦慄を覚えたという。


 やがて──親族の誰かが凶器を使った。


 隠し持っていたナイフを長男の胸に突き立てたのだ。


 しかし、長男はまったく意に介さず、自分を刺した親族を壁が突き抜ける勢いで張り倒した。刺されたナイフは独りでに抜け、傷跡は筋肉が盛り上がって塞がっていく……それを見た誰かが悲鳴じみた声で言った。


 バケモノだ──と。


 その一言が皮切りだった。長男を取り押さえようとしていた家族や親族は一転、各々が凶器を手にバケモノを殺すつもりで襲いかかった。


 だが──誰も敵わない。


 刃物を突き立てても通じず、鈍器で殴っても効かない。火器でもあれば違ったかも知れないが、さすがにそこまで違法性の強い武器はない。武道家の家系のため、猟銃なども縁がない。


 バケモノと化した長男の独壇場(どくだんじょう)だった。


 散々バカにされてきた鬱憤(うっぷん)が溜まっていたのか、長男は怒りのままに親族や従兄弟を叩きのめした。兄妹姉妹も母親も、そして父親である男も。


 立つこともできない重傷者であろうともお構いなし。殴って蹴って潰して、それこそ息の根を止めるつもりで責め立ててきたという。


 もはや──地獄の責めだ。


 喜々として責めを行う長男に「鬼を見た」と男はいう。


「息子は……怪物になってしまった……」


 親族が一方的にやられている時、わずかながら隙ができた。


 異形の筋肉が盛り上がる背中を見つめていた男は、視界の端にキラリと輝くものを見つけた。誰かが道場から持ってきた日本刀だ。


 模造刀ではない──真剣である。


「私は、無我夢中で刀を手に取り……息子を…………ッッッ!」


 嗚咽(おえつ)を交えたその告白は懺悔に等しい。


「確かに、殺したのです……息子の……斬り落としたのですッ!」


 男は確かに長男をこの手で斬り殺したと主張する。懺悔にも似た告白は、確実に長男を殺したという父親の自供とも受け取れた。


 だからこそ──彼は警察病院(ここ)にいる。


 容疑は殺人。息子殺しの罪で警察に出頭したのだ。


「それでも……息子は死にませんでした……殺せなかったのです……」


 長男を殺したと主張する父親が、殺せなかったと証言する。


 警察も困惑しているらしい。あくまでも彼は容疑者の1人として拘留されているだけで、その重傷っぷりから警察病院へ連れてこられたのだ。


 彼の家族や親族も、八割方はここへ入院している。


 男は血で粘る咳をして、ギプスで固定された首を振り向かせた。


取調(とりしらべ)をしてくださった……刑事さんたちは……何やら、特別な方々だそうで……常軌(じょうき)に逸したわたしの……現実離れした証言を……妄言として扱わず、真剣に聞いてくださいました……」


 引き籠もりの長男が大暴れして、家族や親族を皆殺しにしようとした。

 それを止めようとした父親が日本刀で斬りかかり、殺すことで止めようとした。

 父親は確かに長男を殺害した。しかし、殺せなかったとも言い張る。


 殺されたはずの長男は──意気揚々と現場から立ち去った。


 その刑事から聞いた、事件のあらましである。


 お願いします……! 男は幽谷響に縋りついてきた。


 ギプスに固められてろくに動かせない、動かそうとすれば激痛に見舞われるのは必至だというのに、右腕を伸ばして僧衣に取り縋ってくる。


「あの刑事さんたちから、あなたのことをお聞きして……こうやって紹介もされました……あなたは、こういった事件の後始末をする……プロだと……」


 お願いします……ッ! 顔に刻まれた皺をより深くして繰り返す。


「あいつを……息子を、止めてください……ッ!」


 強さに酔い痴れ、力に取り憑かれ、本性を見失い、死ぬことすら忘れた怪物となってしまった息子を、何としてでも止めてほしいと訴えてくる。


「息子が……あの子が、他人様に迷惑を掛ける前に……誰かを傷つけ……死に至らしめる前に……どんな手を使ってでも、あの子を……ッッッ!」


 壊れた腕では、ろくに力などはいるまい。

 しかし僧衣を掴んでいる五指は、袖を引き千切らんばかりだった。


 ゴボゴボと大粒の涙を湧かせる双眸(そうぼう)は後悔に溺れていた。


「わたしは、あの子を……人間として育てるべきだった……ッッッ! 武道家とか、格闘家とかの前に……一人の人間として接するべきだったんです……」


 父親として息子を想うからこその後悔。


 幽谷響は無表情で通そうとしたが、どうしても憐憫(れんびん)の情を隠せない。


 あるいは──同情なのかも知れないが。


「後悔先に立たず、どんな言葉で取り繕おうと今あるのは結果ですぜ?」

「わかっています……だからこそ……ッッッ!」


 息子が更なる罪を犯す前に──殺してでも止めてほしい。


 それがせめてもの、何もできなかった父親の願いなのだろう。


 幽谷響は多くを語らず、袖を掴んでいる男の指をゆっくり解きほぐすと、その手を両手でしっかり掴んでからベッドの上に戻してやった。


「……身内殺しは高くつきますぜ」


 男の返事を聞く前に、幽谷響は席を立った。

 網代笠(あじろがさ)錫杖(しゃくじょう)を手に取ると、振り向かず病室を後にする。


 回復力を引き出すために男の胸に手を添えていた信一郎も、せめて安静に眠れるようにホルモンバランスを調整してから手を離した。


 一礼した後、幽谷響の後について部屋を出る。


 閉じた扉の向こうから、悲痛な男の号泣が聞こえてきた。


   ~~~~~~~~~~~~


 天上、修羅、人間、畜生、餓鬼、地獄──これを六道(ろくどう)という。


 人間は輪廻転生を繰り返してこの六道を(めぐ)り、最終的には悟りを開くことで六道から解脱し、極楽浄土へと至る……仏教思想のひとつだ。


 しかし、この六道に背く者たちがいる。


 自らが信じるもの、自らが望むもの、自らが欲するもの──。


 己の本心が求めるもののみを追及し、その探求のためだけに求道する。時に天魔と誹られようとも、怯むことなく我が道を邁進する者たち。


 彼らは──魔道師(まどうし)と称した。


 魔道師は妖怪変化や魑魅魍魎の名前を号名とするものだが、幽谷響は自らの号名を通称として名乗っていた。本名を明かしたことはない。


 音界を支配する魔道師──【幽谷響(やまびこ)】。


 汚れこそ目立たないが長旅によってほつれた僧衣をまとい、破れ穴が目立ってきた網代笠を被り……たいところだろうが、病院内なので背負っている。


 みすぼらしい風体だが、携えた錫杖の輝きだけは衰えていない。


 小学生と間違われかねない小柄な体躯(たいく)


 そんな小さい身体を覆う僧衣はダボダボで、その上からアクセサリーの如く大小の数珠をジャラジャラとまとわせていた。


 病室から出た幽谷響は軽く会釈する。


 扉の前には男の警護と見張りを兼ねた制服警官が2人いた。彼らは幽谷響を怪訝(けげん)な目で見つめながらも敬礼する。なにせ上役が招いた客人、どんなに胡散臭い風体をしていようとも(おろそ)かに応対できまい。


 幽谷響は外面(そとづら)のいい愛想を振りまきながら歩き出す。


 気の弱い信一郎は慣れてきたものの、おっかなびっくりに警官たちへ会釈すると幽谷響の後に続く。正直、どう思われていたのか気になる。


 黒髪ロングヘアをなびかせた、男物のスーツを着込む風変わりな美女。


 きっと──そんな風に見られているだろう。


 本来の信一郎は男性なのだが、魔道師として仕事を引き受ける時は正体を隠すために自身の能力で性別を変え、『源田(げんだ)信乃(しの)』という女性で通していた。


 生命を司る魔道師――【木魂(こだま)


 野寺坊(のでらぼう)みたいな小汚い坊主と、女らしくない風体の美女。


 あまりにもアンバランスな二人組だ。


 男性の見張りに付いていた警官たちの視線が、信一郎たちの背中に突き刺さっているのがわかる。幽谷響はまったく意に介していないが、気の弱い信一郎は圧迫感を覚えてしまい、脂汗が滲んできそうで困る。


 短足なくせして足の速い幽谷響を早歩きで追った。


 病院の廊下だからか、錫杖も響かせないように気遣っている。


 幽谷響に釣られたわけではないが、信一郎もリノリウムの床を鳴らさないように歩いてしまう。それでもペソペソと頼りない足音がした。




「──首を切られて生きておりやすかね?」




 おもむろに幽谷響が尋ねてきた。


 先ほどの男の告白を再確認したいようだ。


 信一郎も彼の慟哭(どうこく)が記憶に新しい。


『私は、無我夢中で刀を手に取り……息子を……“首を”……ッッッ!』

『確かに、殺したのです……息子の……首を! 斬り落としたのですッ!』


 彼の体調を維持する信一郎も聞いていたが、信じがたい話だった。彼は手にした真剣で、暴れる息子の首を()ねたというのだ。


 信一郎は一般的な常識から入らせてもらう。


「……人間どころか生物学的な見地に照らし合わせても無理だね」

「まあ、脊椎動物なら死んで当然でございやしょう」


 あるいは外道なら──幽谷響は言葉尻を切った。


 言わずもがな、思い当たる節はそれしかない。


 道から墜ちる果てには魔道──道から外れる果てには外道。


 幽谷響が口癖のように唱える文言にも現れ、その噂を聞けば目の仇のように始末へと馳せ参じる、人間を辞めた者たちの総称だ。


 たったひとつの妄念(もうねん)を拠り所として、その妄執に縋りつくためだけに人間としての在り方を捨てて、執念の怪物と成り果てた元人間。


「以前、びしゃがつくと名付けた粘液人間の例もあるしね」


 彼はとある女性へのストーキング行為に固執するあまり、液体のような身体になって彼女の体内に潜んでいた。叩いても潰しても爆発させても、それこそ首を斬り飛ばしたところでケロリとしていた。


 水さえ斬り殺す剣の達人がいなければ危ういところだった。


「実のところ、首を刎ねられても平気な生き物っておりやすかね?」

「首となると断言できないが、死なない、あるいは死ににくい生物はいるね」


 ──代表的なものはプラナリアだ。


 扁形(へんけい)動物の一種で全長は20mm前後。ラテン語で「平たい面」を意味するプラナリウスを名前の由来としており、平べったいナメクジみたいな生物である。逆三角形の頭に点みたいな目が付いているのが、ちょっと可愛い。


 プラナリア最大の特徴は、その不死身っぷりだ。


「身体をぶつ切りにされても、その断片から再生するくらいだからね」


 栄養環境さえ整っていれば100の肉片に細断されても再生し、100匹のプラナリアになったという研究にまつわる逸話があるくらいだ。


「ま、身体の仕組みが単純な生き物だからできる芸当でやしょうな」

「そりゃね。人間が100分割されれば即死だよ」


 高等生物になればなるほど、首を切断されるのは致命傷となる。


「プラナリアより高等生物で不死身に近いというと……サンショウウオかな」


 民俗学者らしく民間伝承に材を取るなら“ハンザキ"という例がある。


 こう見えて信一郎の本業は民俗学者だ。

 まだまだ駆け出し、非常勤講師がやっとの新米だが……。


 それでも蘊蓄(うんちく)を語ることくらいはできた。


「日本固有種にして世界最大のサンショウウオであるオオサンショウウオは、半分に裂かれても死なないから一部地域で“ハンザキ”と呼ばれて妖怪視されたんだ。岡山県真庭市にはハンザキ大明神なんてものもあるしね」


 実際、オオサンショウウオだって身体を両断されれば死ぬ。


 ただ、そうしても死ににくいくらいの生命力があるのも確かなのだ。


「ああ、ハンザキってのは旅先で聞いたことがありやすね」


 死なないものは怖いもの――(おそ)るべきもの。


 そのため時として妖怪視されながらも、どうか祟りませんようにと恐れ敬うことで神聖視され、妖怪神ともいうべき土着信仰となっていくのだ。


「妖怪といやぁ……首と胴が生き別れるのは当たり前のがおりやしたね」

「ああ、妖怪としてはメジャー級だね」


 ろくろ首――あるいは飛頭蛮(ひとうばん)とも記す。


 民俗学者というより妖怪博士というべき教授と准教授に師事する信一郎にしてみれば、「門前の小僧習わぬ経を読む」みたいな初歩だ。


「日本の妖怪は大陸から渡来したものが多いけど、言い伝えられる過程で日本独自の解釈、変更、大胆なアレンジを加えられているものも少なくない」


 飛頭蛮は――かなりアレンジされている。


「本来は中国や東南アジアに伝わる妖怪だったらしい」


 夜な夜な胴体から首が分離して、夜空を自由自在に飛び回り、虫やカニやミミズなどを食べ、満足すると日が昇る前に胴体へ帰ってくる。


 この時、胴体の位置を動かしておいたり、胴体の接着面に遮るものを置いておくと、首がくっつくことができずに死んでしまうという。


「小泉八雲の怪談にもろくろ首という話があるけど、これはほとんど飛頭蛮のお話だからね。いわゆる“首が伸びる”ろくろ首とはかなり別物だ」


 こちらは妖怪病ともいうべき症例の一種だ。


「女性に多かったらしいが、夜な夜な首が伸びて頭が飛ぶんだよ……行灯(あんどん)の油を舐めたり、隣の部屋を覗いたり、夜をさまよったりと怪事をなすが、どこまで頭が飛んでいっても細く長く首は繋がったままだという」


「どっかのゴムゴムの海賊王みたいでございやすな」

「あれはどれくらい伸びるのかな……それはさておき」


 この頭に見える部分は、幽体離脱した魂だという説がある。


離魂病(りこんびょう)といってね。寝ている間に魂が体から抜け出て、フラフラとさまようんだ。その時、抜け出た魂はその人の顔を形作り、まだ死んでもいないので本人の体といわゆる“魂の尾”が繋がっているのが見えるから……」


「魂がその人の顔に、“魂の尾”が長く伸びた首に見えるってわけでやすね」


 なるほど、と幽谷響は感心する。

 飛頭蛮の解説が一区切りついたところで、信一郎は話を戻した。


「……とまあ、首と身体が生き別れても平然としていられるのは飛頭蛮くらいなものさ。そりゃあ首を切られた後に怪しい出来事を起こした例は枚挙に暇がないけれども、実際にどうだったかは眉唾物だろう」


 たとえば、ギロチンで処刑された後に首に話しかけたら数度の瞬きをしたり、何かを言い残そうとしたという伝説が真しやかに囁かれている。


 日本で有名なのは――あの(たいら)将門(まさかど)公の伝説だ。


 自らを新皇(しんのう)と称して時の朝廷に反旗を翻した将門公は、京から派遣された俵藤太(たわらとうた)こと藤原(ふじわら)秀郷(ひでさと)率いる大軍に敗れ、その首を斬り落とされてしまった。


 討ち取られた将門公の首は京へと運ばれ、見せしめのためにさらされたのだが、憤怒の形相の首は口を利き、「再び兵を起こして戦うぞ!」と叫びながら空へと舞い上がり、関東を目指して飛んでいったという。


「しかし途中で力尽きて、東京のどっかに落ちたんでやしたかね」


 うろ覚えだが幽谷響もそれくらいは知っているらしい。


「大手町の辺りだね。動かしたり粗末にすると祟りがあると今でも噂されている、立派な心霊スポットのひとつさ」


 将門公に限らず、斬られた首が怪現象を起こす例は多い。


「あの酒呑童子も首を切られた後、源頼光に噛みついたんでやしたかね」

「兜に噛みついたはずだよ。念のため、重ねて被っていたので難を逃れたが」


 そういえば──信一郎はふと気になった。


「あの男性、息子さんの首を斬ったけど胴体はどこかへ逃げていった証言したみたいだけど、胴体はともかく首はどうなったんだろうね? 西洋の幽霊じゃないけどデュラハンみたいに、自分の首も持ち去ったのだろうか?」


「さて、聞きそびれやしたし、官憲(かんけん)からはまだ聞いておりやせんね」


 いずれわかるでしょう、と幽谷響は慌てない。


 病院を出た足で事件現場を見に行く運びになっていた。刑事の現場百遍ではないが、幽谷響は事件を徹底的に調べてから解決のために動くのだ。


 今回の依頼は警察を介している。


 警視庁特別事例対応課──警察に属する魔道師の集まりだ。


 魔道師は基本的に一匹狼の独善主義者だが、一般人に迷惑をかけるのは御法度であり、魔道を歩む者には暗黙の了解として浸透している。


 しかし、そもそもが人道に背いた逸脱者(いつだつしゃ)ばかり。


 俗世間のルールなど知ったことかと倫理(りんり)を犯す者も多いため、正義感の強い魔道師が集まり、犯罪を犯した魔道師を取り締まるようになった。人知を越えた能力を持つ魔道師に対抗できるのは、魔道師しかいなからだ。


 また、外道が起こした事件の処理も請け負うようになる。


 こうした正義の魔道師たちが警察機構と協力するようになり、いつしか警察内にひとつの機関として組み込まれていった。


 それが警視庁特別事例対応課──通称『特対課』である。


「君が駆り出されるということは、まだ人手不足が解消されてないんだね?」

 信一郎の質問を、幽谷響はつまらなそうに鼻で笑った。


「へっ、おかげさんで都合よく引っ張り出されておりやすよ」

「引っ張り出される君に連れ回される私の気持ちも汲んでほしいね……」


 正義を標榜(ひょうぼう)する魔道師など奇特な部類だ。


 おかげで特対課は一桁を超える人数が集まることがなく、慢性的な人手不足に悩まされている。どうしてもという時は、幽谷響のような魔道師が助っ人として駆り出されていた(※無論、報酬はそれなりの額を要求する)。


 その幽谷響の助っ人に駆り出されるのが、他ならぬ信一郎だった。


「これから現場を見に行くんだよね、足はあるのかい?」

周介(しゅうすけ)の阿呆が迎えの車を寄越す手筈(てはず)でさ」


 礼堂(れいどう)周介(しゅうすけ)──特対課所属の刑事で、幽谷響の後輩に当たる魔道師だ。


 魔道師としての号名は――【方相氏(ほうそうし)】。


 節分などの季節の節目に行われる邪を払う儀式、すなわち追儺(ついな)の式に現れる鬼神のことだ。もしくはその神様を演じる役目を持った人のことを指す。


 その方相氏を号名に持つ周介の魔道は、「降魔(ごうま)折伏(しゃくぶく)」と「悪鬼滅殺」。


 能力を使う際には鬼神の如き武装を一瞬で身につけるため、幽谷響からは「特撮ヒーローもどき」とか言われている。だが、(まと)を射た表現だ。


「周介くんが……あれ、本人が来るんじゃないの?」


 こう言ってはなんだが――周介は下っ端キャラだ。


 幽谷響と同じ流派の武術を学んだそうだが、その中でも最弱だったためにパシリ扱いされ、今でもその被虐体質が抜けきってないらしい。おかげで特対課でもカースト的には最下層にいるそうだ。


 だから幽谷響は事あるごとに「阿呆(アホ)」呼ばわりする。


 こういうお手伝いの時は彼が車で迎えに来てくれることが多いのだが、「周介が迎えの車を寄越す」というニュアンスから、彼が警察の人間に頼んで迎車を用意したと聞こえたのだ。


 ああ、と幽谷響は素っ気ない声で言った。




「今度の事件は周介が主導なんでさ。雑用で動かせやせん」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ