表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
道参人夜話  作者: 曽我部浩人
第九章 ~ 守宮
59/62

第5話 水底の楽園は澱にまみれて




 日が陰ってきた夕暮れ時──幸典は開かずの蔵へ歩いて行く。


 幽谷響(やまびこ)と信一郎がそれに続き、少し遅れて氷室と鳴子がついてくる。


「一番奥にある蔵は開かずの蔵……そう言ったよな」


 全員ついてきているのを足音で確認したであろう幸典は、一度も振り返らずに蔵の前まで辿り着くと、扉に向かったまま言った。


 信一郎は「ああ……」と小さな声で返事をした。


「すまんな……あれは嘘だ」


 こちらを見ることなく謝罪を述べた幸典は、書類棚から取り出したものを肩越しに見せてきた。それは『く』の字に曲がった鉄製の棒だった。


「かなり年代物の土蔵の鍵──ってところでございやすかね」


 一目見た幽谷響が鉄棒の正体を看破した。


 幸典も否定しないところを見ると、開かずの蔵の鍵に違いない。


 彼は開かずの蔵の中に何があるのかを伝え聞いていたはずだ。しかし、そこには外聞(がいぶん)の悪い、一族の恥のようなものが収められていたのだろう。


 だから嘘をついた──そのことを信一郎は責めやしない。


 それでも幸典の背中は寂しく、罪悪感から両肩が重そうに沈んでいた。


 幸典は手にした鍵を蔵の鍵穴らしき隙間へ差し込んでいく。


 ガチャ、ガチャ……カチリ……と複雑な手順を踏むのか、何度も何度も押したり引いたり回したりしながら、幸典は誰に聞かせるでもなく語り出した。


「井戸家の先祖は隠れ里を夢見て、俗世間から離れたところで暮らそうとしていたそうだ……だが、今の世の中そんな都合のいい土地などありはしない」


 完全に世間と縁を絶つのは──難しい。


 他者の協力を一切求めずに自活するのは、人間にとって過酷なことだ。


「……だからせめて、死後だけでも人間社会の(くびき)から解放されようとした先祖たちは地の底に……いいや、水底(みなそこ)に楽園を夢見るようになったという」


 平家と共に入水した安徳天皇(あんとくてんのう)のように──。


 カチーン! と小気味いい金属音が鳴り響いた。


 開かずの蔵の鍵が解けたらしい。幸典は扉に手をかけると、観音開きの重そうな扉をゆっくり開いていく。ギシギシと重く軋む音が響いた。


 夕日が差し込む蔵の中──そこにもまた井戸があった。


 井戸家の敷地や親族の家々にある井戸とは比べ物にならない、自動車ぐらいなら楽々通れそうな直径のある大きな井戸だ。


 開かずの蔵は井戸家の蔵の中でも一番大きく広いのに、2階はなくて吹き抜けになっており、床も張られておらず土がむき出しになっている。


 そして、中央に巨大な井戸がぼっかり口を開くだけ。


 他には何もなかった。ただ、井戸がそこにあるだけなのだ。


「井戸家の人間は死期を悟ると、この井戸に飛び込むようになったらしい」


 この井戸こそが──井戸家にとっての墓地。


 幸典は蔵の中に入ると、井戸の石組みに近付いて手を置いた。


祖父(じい)さんの代になると、この風習に懐疑的になったそうだ……誰も寄りつかない山奥で暮らすのに飽き飽きしたんだろうな。それはオヤジの代になって顕著(けんちょ)となり、ついには都会へ出ることを決意したという」


 井戸家を捨てて都会に出る父親を、祖父が後押ししたそうだ。


「だが、オヤジは末期癌の告知を受けた後、フラリと姿を消してしまった……俺に土地の権利書やらを遺して……この鍵は遺品のひとつだったんだ」


 幽谷響が一礼してから蔵へ足を踏み入れる。


 それに信一郎たちも続いた。大きすぎる井戸の威容(いよう)にも目を奪われるが、静かに横へと並んで幸典の様子を伺ってみる。


 憔悴(しょうすい)している──そして、遠い目で井戸の底を覗き込んでいた。


 彼の視線を追うように井戸の底へ視線を走らせるが、夕日も差し込まない薄暗い蔵の中ではよくわからない。底なしの闇が(わだかま)っていた。


 その闇の奥から、得体の知れない重低音が聞こえてくる。


 この井戸の底に──何かがいる。


 多くの人を噛みつき食らったという、謎の生物が潜んでいるというのか? 水底から這い出ってきた者たちが人間を喰らっているというのか?


 では、この井戸を死に場所とする幸典の親族たちは──。


「死期を悟った井戸家の者は、その生き物に身を捧げてきたというのか?」

「いいや、そんな人身御供みたいなお話じゃございやせん」


 幽谷響は井戸の底に眠る真実を見透かしたように断言した。


「井戸一族は楽園を夢見ていたと聞いておりやす。その楽園とは、死なず、老いず、永久(とこしえ)に生きるための楽園……そのための研究に余念がなかったともね」


 幽谷響の口振りから、朋輩(ほうばい)を匂わせるものが感じ取れた。


 幸典の一族もそう(・・)だというのか!? 信一郎は戦慄した。


「おい、幽谷響。まさか…………?」


 信一郎の懸念(けねん)に幽谷響は最悪の答えを返す。


「井戸一族もまた、魔道に携わった一族でございやすよ」


 道から堕ちる果てには魔道──。

 道から外れる果てには外道──。


 望み求めて欲せども、いずれ道も尽き果てる……残るは虚しい足跡ばかり。


「魔道とは、人間としての生き方を捨てでも、身の内を焦がすような情熱の探求に全身全霊を費やす求道者(ぐどうしゃ)のことでございやす……井戸幸典さん、貴方様のご先祖様は拙僧らと同じ穴の(むじな)、その魔道師のはしくれだったんでございやすよ」


 わかったのかわからないのか、幸典は呆然としたまま繰り返す。


「魔道師……ウチの、先祖が……」


 ()なる世界への()を探す一族──ゆえに異戸(・・)一族。


 それが魔道に関わった一族の本当の名前であり、時代の変遷(へんせん)とともに当たり障りのない井戸という姓名に変わったらしい。


「ま、この井戸だらけの屋敷を見るに、井戸に(あやか)ったのかも知れやせんな」


 井戸一族は不老不死の探求に端を発し、人の世から解き放たれ、永遠の安寧(あんねい)を得られる楽園を求めた一族だが、やがて行方知れずになったという。


 井戸幸典さん、と幽谷響はその末裔(まつえい)を呼ばわった。


 幸典は感情の抜けきった顔で振り返る。


「貴方様のご先祖方は、この井戸の底に楽園を見出したのでございやしょう。人界(じんかい)のしがらみを捨てて、楽園へ辿り着く術を見出してしまった」


 だがそれは──人倫(じんりん)から外れた道だった。


「魔道の生き方は人間としての生き方を諦めることでございやすが、とかく俗世と縁を切るのは難しい。人の世の業を背負い、その業を極限まで突き詰めていこうとする方が魔道師には多いですからねぇ……」


 だから──井戸一族は魔道は諦めた。


 言い換えれば、魔道という道を往くことを捨てたのだ。


「彼らが求めたのはあくまで楽園でございやす。永遠に老いず、病まず、死なず、苦しまない……ただただ、まったり幸せに暮らせる桃源郷」


 こいつ(・・・)は──そこへの入り口でございやしょう。


 幽谷響は錫杖で大きすぎる井戸をコツン、と叩いた。

 いつの間にか網代笠(あじろがさ)まで被り直している。


 笠を摘まんで目深にすると、ヒラリと身軽に井戸の(へり)へ乗った。


「どれ、ちょいと覗いてきやすか」


「覗きにって……おい待て、幽谷響ッ!?」


 信一郎が制止するのもお構いなしで、幽谷響は井戸の中へ飛び降りていった。

 ただし、真っ逆さまに垂直落下するのではない。


 井戸の内壁を蹴る、これを繰り返して落ちる速度を調整していた。


 錫杖、数珠、お鈴、幽谷響が壁を蹴る度にそうした音が井戸の底から鳴り響いてくるが、それが次第に遠ざかっていく。


 信一郎もそうだが、さすがの幸典も井戸の縁にしがみついて、落ちていく幽谷響を唖然としたまま見送るしかなかった。


 すると、横でガサゴソと何か作業する音が聞こえてくる。


「さて、私も真相究明のために向かうとするか……鳴子君、例のものを」

「はいはい、縄ばしごっすね。準備万端っす」


 幽谷響の真似はしたくない氷室は、鳴子に手配させたであろう縄ばしごを井戸にかけていた。底に当たる音が聞こえたので、この縄ばしごは届いている。


 氷室は苦もなく降りていき、鳴子も臆することなく同行する。


 ここまで来ておいて後を追わないのは、いくら信一郎でも気が引ける。幽谷響も「手を貸してくだせぇ」と幸典のいないところで耳打ちしてきた。


 それに──幸典も引き下がれないはずだ。


 感情を忘れたな表情のままだが、幸典は動き出すと氷室や鳴子の降りていった縄ばしごに手をかけ、自ら井戸の底へと降りていく。


「おい、井戸……いいのか、その……」


 おまえが隠そうとしていた一族の過去を暴きに行くんだぞ? という言葉が脳内に紡がれたが、信一郎の口から出ることはなかった。


「いいんだ、源……俺も知りたいんだよ……」


 オヤジが、祖父さんが、ご先祖たちが──何処(どこ)へ行ったのか。


「知りたいんだよ……そこが何処(どこ)であれ、彼らがどうなったかを……」


 もう──(ふた)をしておくことはできない。


 幸典は諦念(ていねん)を決めた顔付きとなり、寂しげな微笑みで返してきた。


 そして、信一郎は覚悟を決めた学友に付き合うことにした。


 何があろうと──最後まで──。


   ~~~~~~~~~~~~


 井戸の底に水は溜まっていなかった。


 固い岩盤の層をくり抜いた作りになっており、傾斜(けいしゃ)のついたスロープ状になっている。それが更に地下深い場所へと降りるように続いていた。


 地の底は真っ暗闇かと思えば、不思議と薄暗い程度だった。


 スロープを降りていくごとに周囲がほの明るく照らされていき、洞窟のような広さになってくると青白い明かりが洞内を照らしていた。


 どうやら特殊な光苔(ひかりごえ)繁茂(はんも)しているようだ。


 トンネルのような洞窟を抜けると──そこは鍾乳洞だった。


「実家の地下が……こんな風になっていたなんて……」


 これほど見事な絶景を有する鍾乳洞。その上で暮らしていた幸典は呆気に取られるばかりだ。驚きの感情を抑えられていない。


 床から突き上げるもの、天井から降り下るもの。


 大小無数の鍾乳石も光苔によって青白く輝いており、洞内(どうない)を真っ青に照らし出す様はまさに圧巻の一言だった。


 洞内の中央には、大きな地底湖が広がっていた。


 そこには透明度の高い真っ青な水を蓄えており、洞内のあちこちから流れ込んでくる水によって莫大な水量を蓄えているようだった。


 地底湖は大きすぎる上、向こう側には渡れない。


 どうやら井戸家のある御山より深い山奥へと続いているようだが、そちらはほぼ水没しており、どのようになっているか定かではない。


 あの井戸から通じるこの地点だけ、わずかな足場が広がるのみだ。


「いやー……こいつはインスタ映えしそうっすね」


 鳴子は若い女性らしい意見を述べる。額に手を当てて物珍しそうに見回しつつ、すかさずスマホを取り出すと撮影していた。


「鍾乳洞としては見て回れる場所が少ないが、1枚絵としては映えるな」


 氷室も同意見らしい。彼女も見た目通り若いのだろうか?


 落ち着き払っているので、随分と年上に見えるが……。


「あれ……なんすか、この小山は……って骨!?」


 鍾乳洞を撮影していた鳴子が、さして広くない足場のあちこちに積み上げられた白い山に気付いた。その正体を知った途端、小さな悲鳴を上げている。


 それは骨──山と積まれた動物の骨だった。


 よくよく辺りを見渡せば、骨の山はいくつもある。


 この骨山を積んだのは何者か知らないが、几帳面な正確らしい。

 すべて種別ごとに分類されているのだ。


 信一郎は『木魂』(こだま)という生命にまつわる魔道師の能力を持つ。


 その能力のおかげで、骨に触れるだけで生前の姿を知ることができた。


「これは狐の骨、これは狸の骨、これは犬の骨、これは牛の骨、これは……豚の骨と猪の骨までより分けているのか、似ているのに……」


 野生動物ばかりかと思えば、家畜の骨もかなり積まれていた。


「そして、こっちが猿の骨、これが…………ッ!?」


 その骨の正体を知った瞬間、信一郎は言葉に詰まった。


 この反応だけで十分だったのだろう。幽谷響はその骨山に近付くと、食えないので放り捨てられた残り物をひとつひとつ確認している。


「硬貨、煙管(キセル)、時計、ネックレス、カフスボタン……様々な衣類」


 古いものから比較的最近のものまで、実に様々だった。


 最後に、足下に転がる大振りの頭蓋骨を手に取る。


「こいつあぁ……人間の骨でございやすね」


「なんだと……この一山が全部、人間のものだというのか?」


 人間の死体と聞けば、警察官である氷室は顔色を変えざる得まい。


 その山は見上げるほど高く積み上げられている。一体全体、何人分の骨があればこうなるのか見当もつかないが、もはや大量殺人事件レベルだ。


「まさか……その、人間の骨は……」


 幸典は青ざめた顔で、震える手を骨の山へ伸ばそうとする。


 実家の井戸の底にあった骨の山。


 これらの骨は──親族の成れ果てか?


 そう想像するのは難くない。信一郎だってすぐに結びついた。


 だが、幽谷響はムスッとした表情で何も言わない。骨の山となった被害者には哀れむ眼差しを向けるが、それを幸典と結びつけてはいなかった。


 この骨の山は──井戸一族ではないのか?


 信一郎が疑念を抱いた瞬間、激しい水音が鳴り響いた。


 突然、地底湖の水面が波打ったかと思えば、洞窟の天井に届くほどの水柱が立ち上がり、その中からワラワラと何かが飛び出してきた。


 奇声を上げて襲いかかってくる──得体の知れない異形。


「お出でなすったか──人食いども!」


 咄嗟(とっさ)に幽谷響が錫杖を振るうと、鼓膜を破裂させるような爆音が鳴り響き、質量を持った音波が襲ってくる異形どもを弾き飛ばした。


 ボタボタと地底湖へ落ちていく者たち。


 そいつらはすぐに体勢を立て直すと、こちらへ這い上がってきた。


 手足の長いオオサンショウウオ──第一印象はこれだった。


 この鍾乳洞に染まったのか、青白い体色をしている。


 明らかに両生類の仲間だと思われる生命体なのだが、手足が長くて身体の構造が霊長類に近い。妖怪にたとえるなら河童が近いかも知れない。


 全長も人間の子供くらいあり、二足歩行も可能らしい。


 長い尻尾に水かきのある手などは両生類。それもイモリなどに近いように思われるのだが、彼らは耳元まで割けた口を開くと牙を剥いた。


 あれほど立派な歯牙(しが)を持つ両生類はいない。


 青白い両生類たちは群れをなして信一郎たちを取り囲み、隙あらば牙を剥いて噛みつこうとしてくるが、幽谷響の音波攻撃によって阻まれていた。


 しかし、数が多いので幽谷響だけでは(さば)ききれない。


「出番でやすよ氷室女史、アンタぁ荒事専門といいやしたよね?」


 幽谷響が援護を求めるまでもなく、氷室は自ら前線へと踏み出していく。


「ああ、言ったよ──こういう鉄火場こそ私の独壇場だ」


 氷室は細い煙草を口にしたまま「フゥゥ……」と長く息を吐いた。


 その唇から煙が吐き出されるのだが、彼女がくわえている煙草に火は点けられていない。なのに、濛々(もうもう)と煙が立ち込めていく。


 その煙に触れた青白い両生類は動きが鈍くなる。


 やがて完全に動かなくなり、ただでさえ青白い身体を真っ白に染めていく。いや、全身が(しも)に覆われて凍りついたのだ。


 凍りついた仲間を乗り越えて、青白い両生類は群がってくる。


 自分に飛びついてくる両生類たちに、氷室は素早く手を振り払った。

 白銀の煌めきが宙を舞い、両生類たちを串刺しにする。


 それは──銀色に輝く無数のナイフだった。


 頭や胴体を串刺しにされて、地底湖へと落ちていく青白い両生類たち。脳や心臓を貫かれれば、いくらなんでも動けなくなるらしい。


 ただし、それ以外の場所にナイフを受けたものは平然と立ち直る。


 ここまですれば獣と言えど怯みそうなものだが、凍りついた仲間を乗り越えて、串刺しにされた死骸を踏み越えて、氷室に噛みつくのを諦めない。


「しつこいね。見せしめ程度じゃダメか」


 氷室は振り払った腕を引き戻すと、左右の手を浅く握った。


完膚(かんぷ)なきまでに仕留めないと──ね」


 その手から白い煙が噴き出す。口から出たものも煙草の煙と見間違えたが、あれは冷気だ。ドライアイスから漏れ出るものと同じもの。


 氷室の手から噴き出す冷気は、硬いものが割れるような音を響かせる。


 一直線に(ほとばし)る冷気は──大太刀となった。


 両手に一振りずつ、同じ長さの氷でできた大太刀を構えた氷室は、迫り来る巨大な両生類を斬り捨てていく。中途半端なダメージでは効かないとわかっているので、再起不能にするべく身体を断ち切っていた。


 白山ほどではないが、敵を斬ることに熟達した剣技だ。


「悪いね、カエル人間諸君」


 私は命を奪うのが大好きなんだ──銀子は凄絶な笑みを浮かべる。


「言い訳させてもらうが、私は歴代の中でも温和な方なのだよ? しかし、私の求める魔道がね……命を奪い取ることに長けるのだよ」


 こんな風に──銀子は巨大両生類たちを血祭りに上げていく。


 返り血を一切浴びることない殺陣(たて)


 血飛沫(ちしぶき)をかいくぐる氷室の横顔は、血に酔い痴れた剣鬼のようだった。


 素早い切り返しで絶え間なく大太刀を振るい、小柄とはいえ子供ほどの背丈がある巨大両生類たちをバッタバッタと斬り殺す大立ち回り。


 美しい女性というのも相俟(あいま)って、まるで優美な舞のようにも思えた。


 氷室が巨大両生類を群れごと相手してくれるようになったので、幽谷響は最前線から退くと信一郎たちがいるところまで戻ってきた。


 かといって、戦線離脱したわけではない。


 氷室が放出する冷気で凍りつき、彫像のように固まった青白い両生類。

 彼らに音波を飛ばすと、粉々に打ち砕いているのだ。


「氷の女王と聞いておりやしたが……本当、おっかない女でございやすね」


 幽谷響も氷室の戦い振りを目にするのは初めてらしい。


「氷室さんも当然のように魔道師……だとして、彼女の号名はなんだ?」

「先生なら一目見りゃわかるでしょう?」


 彼女は見たまんまでさぁ、と幽谷響は皮肉たっぷりに返してきた。


 極寒の冷気をまとい──無慈悲に命を凍りつかせる女。


「まさか…………『雪女』か!?」


「御名答──名前も氷室銀子とネタバレみたいでやすしね」


 雪山に現れて絶世の美女。目についた人間を凍らせては精気を奪う。


 冬に出没する妖怪として雪女は有名な部類に入るが、まさか魔道師にもその号を関する者がいるとは思わなかった。しかも、やたら攻撃的である。


 極寒の吐息で熱量を奪い、鋭利な氷柱で血肉を断ち、命を凍てつかせる。


 まさしく──氷室銀子は『雪女』だった。


 思わぬ反撃にあった青白い巨大両生類たちは、斬り裂かれた箇所から赤い血を流して泣き叫ぶが、恐ろしいことに身体が半分に裂かれても死ぬことはない。


 上半身だけになっても、這って地底湖へ逃げていった。


 そして、地底湖の奥底からは随時新戦力が束になって押し寄せてくる。


「ふむ、()りまくりなのは構わないのだが、キリがないというのは飽きが来るし、本音を言わせてもらえば面倒臭いな……おい幽谷響」


 そうは言いながらも氷室は殺戮の手を止めない。


 氷の大太刀を振るいながら、振り向かずに幽谷響へ尋ねてきた。


「結局、連続殺人事件の犯人はこいつらでいいのか?」


 幽谷響も後方支援を続けながら、慌てない口調で返した。


「まず間違いありやせん。この食欲旺盛な暴れっぷりを御覧なせえ……人間なんざ肉の塊としか思っちゃいない。正真正銘のケダモノでさぁ」


 氷室が最前線に立ち、幽谷響はそのバックアップ。


 信一郎、鳴子、幸典の3人は大きな井戸へと通じる洞窟の入り口付近に固まっていた。3人の前に幽谷響が立ちはだかる形で戦っているのだ。


 誰も逃げようという考えはないらしい。


 信一郎は(慣れたくないが)こういう場面に幾度も出会して耐性がついていた。鳴子は多少驚いているが、魔道師のはしくれだから面食らうほどでもない。


 幸典は──眼を見開いて愕然としていた。


 目の前で繰り広げられる非現実的な光景に、常識が追いつかないのだ。


 自分の暮らす御山の下に眠る地底湖。


 そこに人食いの怪物が巣食っていたなど──想像を絶する。


 青白い巨大な両生類の群れは、いつから此処(ここ)を根城としていたのだろうか?


 それはまだ定かではないが、積み上げられた骨の山を見るに、元々はここより奥の山々で野生動物を獲物として暮らしていたらしい。


 人間を襲うこともあったようだが、それは(まれ)だったはずだ。


 もし頻繁に人間の犠牲者が出ていれば、幽谷響たちが捜査に乗り出した連続殺人事件が起きる前より、この地方で騒ぎになっていたに違いない。


 転機はあった──先日の豪雨である。


 鳴子が調べたところでは、この御山から更に深山幽谷へと続いていた水脈は先日の大雨で起きたが土砂崩れで塞がっているという。


 その地下水脈は、この両生類たちにとって水路だったのだろう。


 水路を辿って山奥へ出向き、そこで野生動物を狩って餌としていたが、土砂崩れで塞がれたため狩り場へ辿り着く手段がなくなったしまった。


 だから、麓に降りて人間を狩り始めたのだ。


 幽谷響からの情報を信一郎なりにまとめてみたが、これで間違ってはいないはずだ。謎の両生類たちの行動が変化した理由はこの通りだろう。


「謎は解けたが……じゃあ、こいつらは何だ?」


 二足歩行する青白い肌を持った、オオサンショウウオのような両生類。


 銀子はカエル人間と揶揄(やゆ)したが、そういった怪物にしか見えない。妖怪にたとえるなら河童が一番近いが、頭に皿も背中に甲羅もない。


 ただ、その骨格は霊長類──類人猿にとても近しかった。


 未知の生物か? 新種発見か? それとも──。


「──先生、お願いしやす!」


 突然、切羽(せっぱ)詰まった幽谷響の声で呼ばれた。

 思索(しさく)(ふけ)りすぎていた信一郎は我に返る。


 見れば幽谷響の脇を通り抜け、何匹もの巨大両生類がこちらに向かっていた。


 これの対処をしてくれ、という呼び掛けだろう。


 鳴子も魔道師だが戦闘向きではないし、一般人の幸典は言わずもがな。


「……ああもう!」


 かつての学友に知られたくなかったが仕方ない。


 信一郎が長い髪を振り乱すと、それはエメラルド色に輝いた。


 その場にしゃがみ込んで岩の足場に手をつくと、信一郎の指の隙間からメキメキと音を立てて野太い(いばら)が生えてくる。その成長速度は時間を無視しており、瞬く間に信一郎たちを守るように生え広がった。


 両生類たちは硬い茨に絡め取られ、鋭い棘で串刺しにされる。


 戦いながらも氷室はこちらの状況を見届けていた。


「へえ、それが『木魂』か──やるものだね、美女男子の先生」

「その呼び方、やめてくれませんかね!?」


 美女で男子って矛盾してるよね? おかしいよね?


 しかし信一郎の場合、生命を自在に操る『木魂』(こだま)という魔道師の能力を受け継いだため、本当に美女にも男子になれるのだ。


 生命を操る能力こそ使ったが、学友の前での女性化はさすがに(はばか)られた。


 それでも──幸典の目には信一郎の能力は異質に映ったはずだ。


「源……おまえ、その力は…………?」

「あとで説明する! 今は……何も聞かないでくれ!」


 信一郎の異能に目を見張る幸典に、強い口調で言い聞かせるしかなかった。


 幽谷響が取り逃したのは、信一郎が仕留めたこの数体だけらしい。


 チビの癖して達人顔負けの武道家なアイツにしては珍しい……と思ったが、網代笠の向こうから力強い眼力が飛んできたので、その意図を察する。


 先生──そいつらを調べてくれやせんか?


 信一郎は生命を操る『木魂』の魔道師。


 どんな生き物であろうとそれが生命体である限り、DNAや遺伝子構造まで手に取るように解析できる。幽谷響はそこに期待しているらしい。


 この謎の巨大両生類の正体を暴くために──。


 正直、信一郎としては気が引けた。


 この両生類の正体を探るのは、おぞましい秘密を暴き立てるかも知れないという恐れがあった。その秘密に触れたくないというのが本音だった。


 しかし、眼前に突きつけられては目を背けられない。


 禍々しい真実であろうと探求する、民俗学者としての血も騒ぐのだ。


 致し方ない、と信一郎は恐る恐る手を伸ばすと、茨に刺し貫かれて息絶えた両生類の1匹に手を伸ばすと、そのヌメヌメする肌に手を添えた。


 遺伝子を読み取り、どういった生物に近いか調べると──。


「こ、こいつら…………人間だ!?」


 ここまで変化してしまうと、元人間と言うべきかも知れない。


 外見こそオオサンショウウオのバケモノだが、その遺伝子は紛れもなく人間由来のものだった。変質こそしているが、本質的にはほぼ同じである。


 両生類なのに牙が生えそろっていたり、霊長類めいた手足をしていて直立歩行もできるのは、人間としての名残が形を変えて残っているからだ。


 もしも人間がこの地底湖で長く生活したら──。

 この環境に適応するように進化をしたら──。

 素早い世代交代を経て肉体機能を変えていったら──。


 このような生物に変わるかも知れない……そんな進化の可能性を目の前に提示された気分だった。しかし、この変化には生理的嫌悪を覚えてしまう。


「人間って……じゃ、じゃあ……彼らがッッッ!?」


 幸典の声に振り向けば、彼もまた信一郎のように生理的嫌悪を表情に露わにしていた。だが、それ以外にも異なる感情が垣間見える。


 近親憎悪にも似た──最悪の連想が閃いた顔だ。


 この地底湖に巣食う青白い両生類の正体が人間だと知った瞬間、真っ先に思い浮かんだのは、吐き気を催す連想ゲームだった。


 信一郎も思い付きはしたが、決して言葉にすることはない。


 それは──学友の尊厳(そんげん)を汚すからだ。


   ~~~~~~~~~~~~


 銀子と幽谷響の応戦は続いている。むしろ終わる気配がない。


 多勢に無勢という話ではない。


 銀子も幽谷響も一騎当千。100匹の巨大両生類が襲いかかっても広範囲に攻撃することで一掃しているのだが、あちらの戦力は尽きることがなかった。


 斬っても殺しても吹き飛ばしても──後から後から沸いてくる。


「やれやれ……(らち)が明かないな」


 幽谷響、と氷室はすぐ後ろに控えてる小坊主に伝えた。


「隙を見計らって戦略的撤退をするぞ。その際、カエル人間どもを殲滅する勢いで置き土産(・・・・)を放っていくから、先生や鳴子君に井戸さんを……」


「承知いたしやした。機を見て変に応じやしょう」


 ほぼ一方的な殺戮を繰り広げながら、2人は逃げるチャンスを窺う。


 その時──巨大両生類の群れに異変が起きた。


 子供の背丈くらいしかない両生類の群れをかき分けて、一際体格のいい両生類が飛び出してきたのだ。その全長は背の高い大人ぐらいあるだろう。


 また、他の両生類のように尻尾が長くない。


 このため他の両生類たちがサンショウウオに似ているとすれば、この体格のいい両生類はカエルのような雰囲気だった。


 しかし、その大きなカエル人間は襲ってこない。


 それどころか──仲間である青白い両生類の邪魔をしていた。


 千切っては投げ、噛みついては投げ、蹴り飛ばして放り投げて……銀子たちに襲いかかる仲間を制するが如く、地底湖に戻しているのだ。


 顔を俯かせたままだが、八面六臂(はちめんろっぴ)の大活躍だった。


 まさかの事態に幽谷響も氷室もすぐには動かず、様子を見ている


 様子を見る魔導師2人を差し置いて、体格のいいカエル人間は青白い両生類たちを地底湖へ追い払うと、こちらに振り向いて顎をしゃくった。


 来た道を戻れ──洞窟を通って井戸を登れ。


 そんな意志が伝わってくる。だが、それだけではない。


 カエル人間は俯いていた顔を持ち上げると、幽谷響や銀子を通り越して、信一郎の後ろにいる幸典をジッと見据えた。


 彼と目が合った瞬間、幸典は信じられない者を目にした面持ちになった。


「地上へ戻れ──そして、此処(ここ)への道を塞げ」


 カエル人間は幸典の目を見つめたまま、人語でそう告げた。


 その瞳はまるで人間のようで──金色に輝いていた。


「祖父さん──ッ!!」


 カエル人間の真意がわかり、幸典が叫んだ瞬間だった。


 これを“機”と見定めた幽谷響と氷室は一気呵成(いっきかせい)に動き出す。


 氷室はありったけの冷気を吹き散らし、幽谷響も威嚇と威力を兼ね備えた爆音を鳴り響かせ、井戸に続く洞窟へ飛び込むように走り出した。


 2人の動きを察知して、信一郎と鳴子も洞窟の中へ走り出す。


 唯一、金色の眼をしたカエル人間に気を取られた幸典は、手を伸ばして彼に駆け寄ろうとしたが、信一郎と幽谷響が手を引いて無理やり連れ戻した。


 殿(しんがり)を務める氷室は信一郎たちの後を追いながら、地底湖の湖面に向かって両手に握っていた氷の大太刀を投げる。


「魂をも凍る白銀の世界よ──この地を支配しろ」


 2振りの大太刀が湖面に突き立つと、そこから絶対零度が吹き荒れた。


 コマ送りの画像みたいに地底湖を凍らせていくと、そこから這い出ようとした青白い両生類たちを骨の髄まで氷漬けにしていく。


 足場に這い上がろうとする奴も、地底湖の底に潜る者もお構いなし。


 鍾乳洞内を一分の隙もなく極寒で閉ざした。


 信一郎たちは脇目も振らずに洞窟を駆け戻り、不安定な縄ばしごを急いで登ると開かずの蔵にある大きな井戸まで這い上がってきた。


「鳴子の嬢ちゃんがいてくれて助かった。後始末、お願いできやすか?」


 殿の銀子が上がってくると、幽谷響は鳴子にそう頼んだ。


 後始末と聞いた鳴子は、自身が建築関係に秀でた魔道師『家鳴』であることを鑑みて、何をするべきかを即座に判断したらしい。


 いつ青白い両生類が這い上がってくるかも知れない。


 銀子の能力によって完全に凍てついているはずだが、あの不屈の生命力を目の当たりにすると油断はできない。鳴子は大慌てで地面に両手を押し当てると、幽谷響に自分がするべき仕事の最終確認をした。


「了解です、完全に塞いじゃっていいですよね!?」


 魔道師『家鳴』の能力を用いて──井戸を埋め立てる。


 家を建てる前に土地を造成する能力の応用で、鍾乳洞へと続く洞窟を埋めるつもりなのだ。恐らく、鍾乳洞も潰す勢いでやるだろう。


「頼みや…………」

「お願いします! 井戸も洞窟も鍾乳洞も……すべて埋めてください!」


 幽谷響の返事を(さえぎ)って、幸典が宣言した。


 わかりました! と鳴子は答えると魔道師としての力を発揮する。


 開かずの蔵は──激しい鳴動に襲われた。


   ~~~~~~~~~~~~


「すいません……ちょっとやり過ぎたっす」


 倒壊してしまった開かずの蔵を前にして、鳴子は土下座で謝った。

 謝罪の相手は他でもない、家主の幸典である。


「いえ、いいんです……これぐらい埋めてもらった方が……」

 いっそ清々する、と幸典はかすれた声で言った。


 鳴子は許してもらっても何回も土下座で詫びて、自分なりに気持ちの整理が落ち着いた頃に立ち上がった。しかし、まだ申し訳なさそうだ。


 崩れ落ちた開かずの蔵を見下ろしながら解説する。


「井戸とそこに続いていた洞窟、更にその奥へ広がっていた地底湖……ここら辺は埋められたと思うんですけど、多分きっと完全ではないっす」


 あの地底湖は、より深い山奥の底へ続いているという。


「ただ、ここより山奥の水源に続く地下水脈は、この御山の下にあった鍾乳洞だけにしか通じてないみたいなので、あそこを塞げばそれまでのはずっす」


 鳴子の説明を聞いていた氷室は煙草をくゆらす。

 その細い煙草には火が灯り、薄い紫煙が立ち上っていた。


 彼女なりに「この事件は一段落した」と考えたらしい。


「1匹残らず冷凍処理した……と言い張りたいところだが、絶滅させた確証はないからね。もしかすると生き残りがいるかも知れない」


 万が一に備えた対処をしておきたいらしい。


 氷室は生き残りの用心のために、ある手段を鳴子に願い出る。


「できれば、あの鍾乳洞から麓の町へ通じる地下水脈は全部塞いでほしいんだけどね。そうすれば連中も山奥へ引っ込まざるを得ないだろうし……」


「──それなら簡単っすよ。調べておきましたから」


 鳴子はあっさり事もなげに言った。


「このお屋敷にある井戸を埋める都合と、幽谷響のオジサンに頼まれたので、地下水脈はパーフェクトに調べておきました」


 それによると──井戸家のあるこの御山が元栓になっているそうだ。


「この御山の……より正確にいえば、あの鍾乳洞にあった地底湖が貯水タンクだったみたいっすね。このお屋敷回りにある井戸を埋めるだけでOKっす」


 それらの井戸が、麓の地下水脈へ通じる門の役目を果たしているらしい。


「そう、わかったわ。井戸さん、お願いしても──」

「埋めてください、全部」


 氷室が「──よろしいかしら?」と言葉を続けるより早く、幸典がすべての井戸を埋めてほしいと申し出てきた。切り捨てるように吐き捨てたのだ。


 いくら学友と言えど、いいや、親友だからこそ声が掛けづらい。


 幸典は潰れて瓦礫となった開かずの蔵を見つめたままだ。


 その隣に並んだ信一郎は、どのような言葉を投げ掛けようかと頭を悩ませながら、幸典の顔を気遣うように覗き込む。


 そして、言葉を失った。


 夕暮れを通り過ぎて、夕闇が差し迫る頃合いとなった。


 逢魔が時とも言われる薄暗い闇の中。


 幸典の双眸は独特の輝きを発しており、日本人らしからぬ虹彩(こうさい)が際立った。その眼を覗き込んだ信一郎は絶句する。


 彼の眼もまた──金眼と呼ばれるに相応しい輝きを放っていた。


「祖父さんは……俺に言ったんだ……あの眼は、そう言ってたんだ……」


 目は口ほどに物を言う。


 幸典は変わり果てた祖父からメッセージを受け取ったらしい。




「おまえは人間として生きろ……自分たちには関わるな……って」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ