第4話 常世の神々がもたらすもの
一方その頃──信一郎は青ざめていた。
場所は池袋某所の回転寿司屋。
そのボックス席に親子連れとしてアリスと一緒に入ったまでは良かったのだが、信一郎はアリスについて肝心なことを忘れていたのだ。
「すいませーん、マグロ五十皿とイカ三十皿、それとエンガワ十皿、タマゴ二十皿とカリフォルニアロール5本、全部サビ抜きでお願いしまーす」
アリスの無法な注文に、寿司職人たちも眼を丸くするばかりだ。
既にアリスの前には何百枚もの皿が積み重なっている。
さながら摩天楼のようだ。
それでもまだ足りないと見えて、アリスは追加注文に余念がない。その間にもテーブルに所狭しと並べられた寿司を、パクパクと無邪気に頬張っている。
うっかりしていた──アリスは並外れた大食いなのだ。
鬼の号を持つ魔道師たちは身体の構造が一般人と異なり、大酒飲みで大食らいな者が多いらしいのだが、アリスはその最たる例であろう。
これは7歳の幼女が食べる量ではない。
それよりも心配すべきは信一郎の財布の中身である。
アリスに東京を案内するつもりでいたから、余分に諭吉を仕込んできたつもりだが、これでは昼食代で使い切ってしまう。
それどころか破産してしまう公算さえあった。
箸が進まない信一郎に、アリスは何かを差し出してきた。
「はい母様、これどうぞ」
「……なにこれ?」
「お屋敷を出る時に兄様が『先生……いや、母様が青ざめた顔をしたら渡してあげなさい。きっとその大きなお胸を撫で下ろしてくださるから』って渡してくれたんです。だから差し上げます、はい」
それは洋風の封筒。ご丁寧に封蝋が押されている。
開けてみると、中には一枚のカードと一通の手紙が入っていた。
「これってもしかして……ブラックカード!?」
数あるクレジットカードの中でも選ばれた人間しか持てないという都市伝説みたいなカードだ。信一郎は初めて見た。
しかも名義は信一郎の偽名である『源田信乃』になっている。
手紙はハットからのものであり、一筆こう記してあった。
『アリスの面倒を見てもらうための世話代です。どうぞ好きに使って下さい』
「……魔道師ってお金持ってるんだね」
マイルの父親である白山からも養育費として多額の謝礼を貰っているし、茜の父親である煉次郎からも迷惑料として相当な金額が振り込まれている。
そういう意味では信一郎の懐は潤っていた。
そのうえブラックカード……小市民な信一郎の手に余りそうだ。
「ど、どうしたんですか母様!? なんでそんなに震えてるんですか!?」
「いやぁ……お金は魔物って本当なんだなぁて痛感してるだけだから……気にしないで……大丈夫、うん、母様は平気だから……」
寿司屋の会計をカードで済ますまで、震えが止まることはなかった。
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「かつて人間は常世のものを神として崇めていたそうだ」
助手席であぐらをかく幽谷響は、先代『木魂』から聞いたことを語った。
「常世のもの=神様だとして……その常世のものってなんですか?」
周介は運転しながらも訊いてくる。
「詳しくは俺も知らねぇよ。ただ、常世にいる人知を越えた存在ってことだ。それを神と崇め奉っていた時代があったらしい……三大宗教が台頭する頃には駆逐されちまったそうだがな」
太古の土地神信仰や精霊信仰に、その残滓が窺えるという。
「そんでだな、昔はあちこちに常世へと繋がる門があったらしい。そうしたところでは常世から神を喚び出す儀式を執り行い、こっちの世界に来てもらってたんだそうだ。それがこの世で言うところの祭ってことになる。祭ってのは盆踊りを踊って縁日で焼きそばを食うだけじゃねぇんだよ」
祭とは神を招いて奉り、幸を賜るための儀式なのだ。
「常世のものを神として招いて……それからどうするんですか?」
「お客様は神様ですっていうだろ? 逆だよ、神様がお客様だったんだ。お客様を招いたら持て成すのが筋ってもんだ。そうやってお客様を喜ばすんだよ」
神を招いて供物を捧げて歓迎する。
そうして神を喜ばすのが本来の祭りだったのだ。
「喜ばせて……良いことでもあるですか?」
「あるんだよ──そうすりゃ神様は恵みを与えてくださるのさ」
神は常世で暮らしているから、その身に莫大な常世の力を蓄えている。彼等をこちらの世界に喚んで歓待することで喜ばせられれば、嬉しさのあまり常世の力を振りまいてくれるのだ。
「その結果がさっきの現象ってことですね」
緑色の怪物が吠えた瞬間、荒れ狂った草木を周介は思い出したようだ。
「田畑は実って大豊作、家畜は肥えて多生多産、村人たちは無病息災で毎日元気……科学や文明の恩恵に預かれなかった昔の人々が頼ったのは想像に難くねぇよな」
時には人身御供という生け贄を差し出してまで──。
人々は神を招き、歓迎したのだ。
「でも、あの怪物は植物を生長させるだけじゃなく、枯らしたり腐らせたりもしてましたよね? あれは何ですか?」
「そこが神様の恐いところよ──神様にだってモチベーションがあらぁな」
望まないのに招かれたこともあるだろう。
歓待が不満だったこともあるだろう。
「そうやって神様を怒らせたらお終ぇなのさ。豊穣の力が破滅の力へと逆転しちまうのよ。そうなったら振りまかれるのは災厄のみさ」
あの緑色の怪物は常世の力を暴走させたのだろう。
だから周囲の植物がその影響を受け、繁殖、枯死、腐敗とメチャクチャな反応をしたのだ。繁栄と災厄の区別がついてないかのように──。
「こいつぁ当て水量だが……今回の事件をまとめればこんなところだろうぜ」
永世英行は常世の力を欲したため、常世のものを召還しようと試みた。
それは成功したものの、現れたのはあの緑色の怪物だった。
呼び出された怪物は混乱して英行を襲い、その下半身を食い千切って床下へと逃げ込んだ。そして、今日まであそこで眠り込んでいたのだ。
「つまり、本当に『魔法陣から出てきた怪物に喰われた』ってことだな」
「そのまんま過ぎて報告書に書くことがなさすぎますよ……にしても、あの巨体でよく床下に潜り込めましたよね。完全に消えたり、透明になったり、実体化したり、やたら変幻自在ですね」
神様だからな、と幽谷響は鼻で笑った。
「相手は常世の神様だ。こっちの常識は通用しねぇんだろ。こりゃ先生からの受け売りだが、神様ってのは目には見えないもんらしいぞ。そうやって見えない神様を相手に歓迎の真似事をする神事が日本各地に残ってるそうだ。見えねぇし形も決まってねぇなら何だってアリじゃねぇか」
「床下に逃げ込み、僕たちが来るまでジッとしてたのも……ですか?」
どうにも周介はその点が腑に落ちないようだ。
しかし、幽谷響にはなんとなくだが思い当たる節があった。
「いや、そのことなんだけどよ。あの緑色の怪物なんだがもしかすると……」
確証のない仮説だ──まだ黙っていることにした。
「……まあ、その話はいいや。それより怪物の進路がやや北東にズレたぞ」
「はいはい、了解です」
現在、周介と幽谷響は車で怪物を追跡していた。
怪物の発する音を幽谷響が探知して、その方角を周介に指示し、周介はその誘導に従って怪物を追跡するという形を取っている。
その道中、あちこちに破壊された公共物が転がっていた。
「どうやら時折だけど実体化してるみたいですね」
「ああ、追いかけっこにゃもってこいだな」
このままだと神田方面──どちらかと言えば秋葉原に向かうことになる。
「萌えと電機の街が阿鼻叫喚の坩堝に……それはそれで見物だな」
「馬鹿言わないでください! そんなことになったら始末書何百枚書かされることか! ああ、課長の怒った笑顔が脳裏に浮かんでくるぅ……」
それなんだがよ、と幽谷響は別の疑問を口にした。
「あの怪物、当てずっぽうで逃げてるようじゃねぇんだよな。ちゃんと目的地らしきもんに向かって全速力で走ってるって感じなんだが……常世のもんが目指す場所ってどこだと思う?」
「どこって言われても……常世のものなら、常世に帰りたがるのが普通じゃないんですかね? 秋葉原に出入り口でもあるんでしょうか?」
しかし、常世への出入り口なんてそうそう開いているものではない。
「帰巣本能でも働かせてるのか、常世の臭いでも嗅ぎ当てたか、とにかく常世に向かっている可能性はあるってことだよな。そうなると……」
──東京でもっとも常世の力を帯びた存在。
更なる可能性を導き出した幽谷響は、とてつもなく嫌な予感に取り憑かれた。
「まさか……ひょっとして…………先生、か?」




