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道参人夜話  作者: 曽我部浩人
第四章 ~ びしゃがつく
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第3話 水の音が恐ろしい




後塚(うしろづか)恭子(きょうこ)、十九歳。大学に通う傍ら花屋のバイト勤務」


 写真にはショートボブの生真面目そうな女性が写っていた。

 顔立ちは可愛らしいが、性根が真面目そうでやや融通の利かなそうな性格を連想させる。オマケに眼鏡なので、委員長なんてアダ名が似合いそうだ。


「この娘が何をしたっていうんだい?」


 信一郎は手にした写真を眺めたまま幽谷響(やまびこ)に尋ねた。


「……まあ、拙僧の手を煩わせるような真似はしておりやすな」


 信一郎の家──見栄えの良い庭に面した縁側。

 晩秋の昼下がり、暇を持て余した2人はボンヤリとしていた。


「君は最初、この恭子ちゃんが何らかの被害者だと言った」

 信一郎は恭子の写真から目を離さずに訊いた。


「だが、彼女に被害者らしき点は見当たらない。君の頼みで彼女と接触して一ヶ月、それとなく悩みを打ち明けられる仲にもなったが、そんな話はしてこない」


「さすがは女の子同士(・・・・・)、打ち解けるのが早うございやすな」

 女性と強調された信一郎は骨に機嫌を悪くした。


「……君がそうしろと言ったんだろう。男だと警戒されるからって」


 ──幽谷響が信一郎に頼んだ長期の仕事。


 それは後塚恭子に自然な友達付き合いで接近することだった。

 えらく遠回しな上、妙に念の入った仕事である。


 まず幽谷響が恭子を脅かして前後不覚に追い込む。

 そこに信一郎が颯爽(さっそう)と助けに入る。


 こんな安易なシナリオで彼女の信用を得て、信一郎は後塚恭子と接触した。


 ただし──某大学の女史、源田(げんだ)信乃(しの)としてだ。


「こう何度も女体化してると、いずれ身体が完全に女になってしまいそうで怖いよ……ああ、本当に女のままになっちゃったらどうなるんだろう。いくら便利だからって多用するべきじゃないのかなぁ……」


 苦悩する信一郎は今も女性の身体だった。


 女性用のジーンズを履き、白いワイシャツを着ているが第二ボタンまではだけている。我ながら胸の谷間が見えそうな絶妙なラインだ。


 女性化して生理が来ると戻れないのだが、今がその状態だった。

 能力のおかげで重くない(・・・・)のが唯一の幸いだ。


 源信一郎は『木魂(こだま)』の名を冠する魔道師──その能力の生命を自由に操る。


 自らの性別を自在に変えるだけに留まらず、人間を別の生物へと変化させ、異種の生物を融合させたり……極めれば色んなことができるらしい。


 信一郎にそんなつもりはさらさらないが──。


 それに信一郎は──『木魂』の能力をまだ把握できていないのだ。


「先生に女になってもらったのは仕方ありやせん。夜道で甘い声を掛けてくる野郎なんざ、どんな御時世だって送り狼の魂胆が見え隠れしやすからね。当人にその気がなくとも、婦女子の方はそんな眼で見ておりやしょう。それならばいっそ、先生なら女性として接触した方が……」


「ああ、もういいよ。わかったわかった」

 どうせ煙に巻かれる、信一郎は幽谷響の話を打ち切った。


「だから、私が訊きたいのは“恭子ちゃんが何をしたか”ってことだよ」


 約一ヶ月、信一郎は恭子の友人としてその身辺に張り付いた。

 幽谷響の計略に嵌り、恭子は信一郎を恩人扱いした。


 その後、幽谷響に彼女の帰宅時間が遅い日取りを調べさせ、信一郎はその日を見計らって帰り道で偶然を装って声をかける。


 帰り道が一緒だ、と嘘をついて家まで送るようにしたのだ。


 その内、恭子は駅前で信一郎を待つようになっていた。


「何度か部屋に上げてもらった、夕飯まで御相伴に預かった。色々と相談事も持ち掛けられた……だから言える。彼女になんら不審な点はない」


 魔道に関与した形跡はない。勿論、外道になった様子もしない。

 あれば(よど)んだ妖気のような独特の感触があるはずなのだ。


「彼女にはそれがない。ただの普通の女の子だよ」

「まあ、それに関しちゃそうでございましょう。ですが先生、拙僧は何も魔道や外道だけでは動きやせんぜ」


 ──本当に不審な点はございやせんでしたか?


 問い質された信一郎は記憶をなぞる。

「ああ、そういえば……ひとつだけ奇妙なことがあったな」


 ある日、恭子が手料理を御馳走してくれるというので、帰る途中にスーパーに立ち寄り食材を買って帰ることになった。


 その帰り道──彼女はわざわざ遠回りをしたのだ。


「あそこのスーパーから彼女の住むマンションに帰るなら、ほら、あの川の大きな鉄橋を渡った方が早いんだよ。彼女はそこを迂回するように帰ったんだ」


「川を避けた、ってことでございやすか?」


「ああ、理由を聞いてみたら、『私、水が怖いんです。川の流れる音なんて聞くのも嫌で』とか言ってたが……そう言えば、やたら水を気にしてたな」


 締めた蛇口から落ちる一滴の水にすら敏感に反応した。


「ほお、それはまるで水と言うより水音を嫌っているようでございやすね」

 その指摘により、信一郎は更に記憶を掘り起こされた。


 食事の後片付けを終えた彼女は酷く疲れていた。

 それは食器を洗う際に跳ね散る水音に精神的に疲れていたのかも知れない。そうやって思い返すと水に関する奇癖が目に付いたことが多い。


 一番奇妙だったのは──雨の日の夜。


 信一郎は五度目の偶然を装い、恭子の帰り道に付き添おうとした。

 だが、その日はバイト先の都合により、恭子はいつもよりも早かったのだ。


 なのに──恭子は信一郎が現れるのを待っていた。


 約束したわけではない。過去の四回も偶然を装ったはずだ。


 それでも彼女は信一郎が来ると期待して待っていた。

 恋人でも待つかのように──。


「よもや女色(じょしょく)()があったとは……」

 幽谷響は茶化したつもりだろうが、信一郎は真面目に答えた。


「彼女にそんな性癖はないよ。ちゃんと好みの男性のタイプも教えてくれたし……それで事情を聞いてみたら『雨の夜道は怖い』って言うんだ」


 雨音が嫌い、水に濡れた路面が嫌い──そこを歩く足音が嫌い。


 相合い傘で帰ったのだが、恭子は信一郎の腕にしがみついて離れない。

 部屋に帰り着くまで、彼女はずっと背後を気にしていた。


 自分の足音、すれ違う誰かの足音、路面の水をはね飛ばす様々な足音。


 ピチャ、ビチャ、バシャ──ビシャ。


 そうした足音に反応して、彼女は異様なくらい脅えていた。


「……まるで『びしゃがつく』を恐がるようにね」


「『びしゃがつく』? 何ですやすかそれは?」


「歩く者の後ろに着いてくる妖怪だよ、有名なのだと『べとべとさん』だね。これもその仲間みたいなものさ。福井の方でいう音の怪異現象だよ」


 みぞれが降る寒い夜──。

 夜道を歩いていると、後ろからビシャビシャと足音が聞こえてくる。


 振り返っても誰もいない。だからまた歩く。

 すると足音もまた着いてくる。どこまでも延々と着いてくる。


 びしゃ、びしゃ、びしゃ、びしゃ、びしゃ……。


「それが『びしゃがつく』さ。びしゃが憑く、なんて意味なのかもね。足音と気配だけの妖怪だよ。まあ大抵の妖怪はそういうもんだけどね」


「なるほど、それは……妙に符合するものがございやすな」

 幽谷響は眼を眇めて虚空を見つめていた。


 幽谷響は今──この事件の全貌を眺めているのだろう。


 彼はいつでも解決するべき事件の全景を見据ている。

 いや、把握しようとしていると言うべきか。


 渡された事件の情報、それに関する全項目を徹底的に調べ上げるのだ。

 だが、それがつまびらかにされるのは事件が片付いた後である。


 どんなに緻密で正確な情報から汲み上げた推理であっても、それは仮説の域を出ない。その仮説を幽谷響は決して語ろうとはしない。


 減らず口は雄弁に語る癖に、曖昧なことはあまり口にしないのだ。


「仕方ありやせん……彼女にも少々痛い目を見ていただきやしょうか」

 その言葉は冷徹な決定事項。信一郎は慌てて制止した。


「痛い目って……彼女に何をする気だ?」

 恭子の身を案じる信一郎に、幽谷響は味気なく告げた。


「恭子嬢も単なる被害者と言うわけではございやせん。被害者転じて加害者ともなりやしょう。例えそれが正当防衛だとしても、人を殺した罪は……やはり罪ではございやせんか?」


 ならば、相応の報復を受けるのもやむを得ない。


「彼女も本来ならば純然たる被害者なんでやすが、ちと厄介な巻き込まれ方をしておりやしてね。彼女を揺さぶらないと事が進展しそうにありやせん。穏便に済ませたかったんでやすが……仕方ありやせんね」


 幽谷響の話に信一郎は愕然とした。


「人を、殺した? あの恭子ちゃんが? そ、そんな……馬鹿な……」


「……まあ、未遂ってとこでございやすがね」

 幽谷響は取り繕うように注釈を加えた。


 物言いたげな信一郎に先んじて、幽谷響は口早に喋り出す。


「当初は先生が友人になれば、その心境の変化に揺さぶられてボロを出すかと思いやしたが、気の許せる女友達ぐらいじゃ刺激が弱すぎたようでやすね。ここはひとつ、もっと強めの動揺を誘ってみやしょうか」


「動揺って……また恐い目に遭わせる気か?」


「あれは先生が近付きやすいように細工しただけでございやすよ。拙僧が言う動揺とは、例えば……“乙女のときめき”でございやすかね」


「お、乙女のときめきって……」

 この男が使うキーワードではない、信一郎は寒気を感じた。


「女心でも乙女心でもいいですから、そのときめきが揺れ動いてくれりゃいいんでございやすよ。手っ取り早いのは彼女好みの男を宛がうことなんでやすがね」


 色恋沙汰で下品に笑うオヤジ──今の幽谷響はそんな風に見えた。


「ちょっと待て……恭子ちゃんの気持ちを弄ぶつもりか?」


 万が一、こちらが用意した男性に恭子が本気になった場合。

 それは彼女の恋心を裏切ることになる。


 聞いてる限り男性は囮役、この仕事が終わったら用済みだ。

 恭子が恋に本気になったら、その失恋は彼女を苦しめるだろう。


「だから、それが痛い目でございやすよ」

 幽谷響はにべもなく言った。


「申し上げた通り、彼女もある意味では加害者。この度の事件の発端を一因しておりやす。これぐらいの痛みは甘んじてもらうべきでございやしょう」

 哀れんではおりやすがね、と幽谷響は付け加えた。


「そんなわけで先生、彼女の男性の好みを聞き出したと仰いましたよね?」

「…………教えたくないな」


 だが、教えなければ現状が進展しないのも事実。

 信一郎は渋々ながらも話した。


「恭子ちゃんの男性の好みは男らしい男前だ。見た目がいいだけの色男や優男なんかじゃない。身も心も一本筋が通っているような逞しい男性が好きらしい。こう、硬派で“兄貴!”なんて言葉が似合いそうな……」


 その時、玄関の方から庭に向かって歩いてくる人の声がした。


「お、やっぱりこっちだったか。久しいな先生」

 白山(しろやま)(とおる)は片手を上げて挨拶をし、信一郎に向けて快活な笑みを贈った。


 どう見てもカタギの人間ではない──その筋の強者である。


 洗練された黒いスーツを着込み、意匠を凝らした鎧のようなデザインの黒いロングコートを羽織っている。ざっくばらんな髪型は荒々しさを強調しているのだが、その下にある笑顔は人懐っこかった。


 彼の名は白山通──魔道師の一人である。

 それも魔道四十八祖の一人、『白山(はくさん)神通坊(じんつうぼう)』を冠する大魔道師だ。


「おや、白山の旦那じゃありやせんか。こっちで一仕事あると聞いておりやしたが……どうなさいました?」

 意外そうな幽谷響に、白山は照れ臭そうに事情を説明した。


「いや、仕事はあったんだが、別の奴等が片付けてくれたって寸法だ。しばらく暇になったんだが地元に帰るのも面倒でな。それでここに来た」


「ってえことは、もしや……先生ん家のご厄介に?」


 白山も何度か信一郎の家に居候をしていた。


 白山だけではない。幽谷響の知人で宿無しの魔道師は、みんな信一郎の家を定宿にしているのだ。だいたい、この小っさいオッサンのせいである。


 信一郎の家は居心地がいい──と吹聴しているらしいのだ。


 しかし、連中は宿代と称して大金を置いていくので無下にも追い返せない。

 非常勤講師の給料など高が知れているのだ。


「ああ、ここは足場にするには丁度いい位置にあるからよ。先生、うざいかもしれんがまた頼むぜ。ほら、京極屋の銘菓『幽玄餡(ゆうげんあん)』だぜ。甘いもん好きだろ?」

「あ……どうも」


 白山は刀傷のある頬を微笑ませ、信一郎に菓子詰めを手渡した。

 大雑把な印象があるが、白山は気配りのできる男なのだ。


「……相変わらず、女性にはお優しいことで」

 でも、あくまで女性限定だった。


「まあな。俺は女には優しくするぜ。野郎は死のうが殺そうが知ったこっちゃねえがな。先生は……まあ、特別だな。俺としては優しくするべき対象に入るぜ」


 白山は姫に礼を尽くす騎士の如く庭先に(ひざまづ)いた。

 ふざけてやっているのだ。


 信一郎は渋い顔をする。

 だが、今の信一郎は見掛けこそ女性なのは間違いない。


「戸籍上ちゃんとした男性である私としては複雑な……って、そうか!」

 信一郎は手を叩いて白山を指差した。


「幽谷響、これ(・・)だ! こんな感じだよ、恭子ちゃんのタイプ」


 いきなり話を振られた白山は、跪いたまま困惑していた。




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