第一話「登下校(乙)」
始業式も終わり、人の善さそうな担任が自己紹介をしようと提案し、五十音順に紹介することになった。自分の好きなことを言っていいと言われているが、やはり定番は出身の中学と名を言って、「よろしく」と無責任に言い放って終わりだろう。
実際、一番目の“藍染”もやはりありきたりな定番で自己を紹介して、終わったため彼女の中身など印象に残らなかった。記憶力は良い方だから名前は覚えられる。しかし、中身までは友達として付き合ってないと分からないものだ。
次に来た“石田”が立ち上がる。
その瞬間、藤村の反応が明らかに変わった。俺が「鳥羽」なため「藤村」との名簿が近く藤村の反応が見ようとせずとも、見えるのだ。藤村は石田を一瞬見たかと思えば、目を逸らし、しかし恐る恐るといった感じで再び石田の方に向き直った。
細々とした弱い声で名を述べる。
「石田翔」
声も弱ければ、体もひ弱そうだった。背は藤村と並ぶくらいの高さがあるのに、少し押せばすぐに倒れそうな細い体で、肌も死人のように青白い。目つきだけは普通の人のそれと変わらない鋭さがあった。体格と目つきが相まって目つきが悪く見える。だが、藤村が動揺するほどの何かがあるようには見えなかった。
時折魔法使いが持つと言われる珍しいセンサーが藤村には鼻にあったが、そのセンサーも当てが外れることもあるのだろう。
様々な考えを巡らせていると、次々に自己紹介が終わっていた。名前すら聞いてなかったため、覚えていない。知らぬ間に祐の番になっていた。
「唐崎祐」の後は、人気者になりそうな自己紹介の例を挙げたと言わんばかりの完璧な自己紹介をし、席に座った。終わった後、俺の傍らの女子が小さく騒ぐ。確かに祐は女子が好きそうなファッション雑誌に載ってそうな顔ではあるが、当の本人はその気はないので、ざまあみろと心の中だけで呟く。
「黒木」と次の自己紹介に移った時、思わずあの子の方へ目を向けた。
「黒木翠」
この子も春祭り以来会っていなかったので、妙な具合で緊張した。翠が不意にこちらを向き、目が合うが、申し訳なさそうに逸らされる。何かあったのだろうかと心配になるが、一瞬のことで今は毅然としていた。
「盾倉矛月」それ以上の心配がこの一言で頭の上から降って来た。
声は震え、下を俯いている。人に怯えている。
いつもの柔らかな明るさはそこにはない。
この何年間か一緒のクラスではない時矛月がこんな感じだったのかと思うと申し訳なくなる。道理で始業式の日の登下校でひどく落ち込んでいたわけだ。そう思うと、今年は同じクラスになって良かったのかもしれない。
藤村の自己紹介や俺の自己紹介はさておき、自己紹介自体は“渡岸”で終わった。
藤村が矛月の自己紹介でにやにやと笑っているのが目についた。
***
自己紹介後、人の輪の中心にいる祐を尻目に翠の席へと向かおうとした。
しかし、行こうとした矢先、藤村が行く手を遮った。悪魔のような笑みを見せている。
「どこ行くの?」
幼い声が弾んでいる。
「トイレだ」
知られたくなくて嘘をついたが、教室からそそくさと出ていく矛月が目の端についた。ゼンソクや獣交じりの治療魔法を人に見られたくない人も多い。祐だって、未だに最低限の他人にしかゼンソクの治療をしているところを見せたことがない。
さっきの矛月を思うと、トイレの方に行きたくはない。藤村をトイレで巻くのは出来なくなってしまった。
「どうしたの?行くんじゃないの??」
俺の嘘を見抜いているみたいに言ってくるのは、心に来る。
「別に」答える言葉が、棘を帯びていた。
明らかに動揺している。こんなところ藤村には見られたくはなかった。俺よりも、子供であろうとしているこいつだけには、知られたくない。
「そっか」藤村が何か理解したかのように、翠の方を振り向く。「あの子ね」
ばれた。俺が意識しすぎて、見ないようにしていたから逆に怪しまれたようだ。得意げな顔がちらつく。分かると、すぐに藤村は席に座る翠の元へ寄る。
「ねぇ。名前、教えて」
先を越されてしまい、藤村が翠に話しかけるのを遠目で見ているしかなかった。
あの子が薄く笑みを浮かべた。それが作り笑いでも、翠が誰かに笑顔を向けるのを見るのは久しぶりだった。靄がかかったように気持ちが沈む。
「すい?」あの子の名乗った名前を藤村が祐のように、口ずさむ。「かわいい名前。何て呼んだらいい?」
「何とでも」
「じゃあ」藤村が元気よく弾けるように述べる。
「すぅちゃん、で」
あだ名で呼ばれた翠は照れくさそうにそっと口元を手で覆った。頬を緩ませて、目を細めている。
翠と藤村が楽しそうにしているのが周りに伝わったのか、会話に一人、二人と、会話に加わり始めた。次第に増える女子の囲いが作られていく。俺が入る隙はなさそうだ。
仕方なく、祐が話す元へ行くも、俺は祐よりも喋りが達者と言うわけでも、父さんのように注目を集める突拍子もないことを思いつくことも、やることもできないので、ただただ苛立ちが募っていった。
どうして、俺は、俺なんだろうか。違うやつが俺だったとしたら、もっと、上手く生きられたのかもしれないのに。今の俺にあるのはどうでもいい自我と、悲しくて、憎らしいもどかしさだけだ。
***
人が少なくなった教室はやけに静まり返っていた。
俺は生徒達が校門から次々帰っていくのを教室の隅の窓から覗いていた。
始業式の日は、午前中にしか授業がないのでまだまだ日も上っている。さんさんと照っている眩しい太陽の光が教室の端を照らす。左端の机一列は斜めに差し込む光で教室にある他のどの机よりも輝いて見えた。電気もついていない教室内は、心なしかいつもより空気がどんよりと陰っていた。
俺は光ある窓際へ向かう態勢を、身を翻し陰った教室内へ向けた。
話す機を逃してしまった翠は左の列から二番目の自分の席に座っている。意外にも、石田翔がまだ教室に残っていて、ぼんやりと黒板の文字を仰ぎ見ている。翠はそれが気になっているらしく、石田翔を見たり、窓を見たりを繰り返していた。
幼なじみの祐と矛月は右列の後ろに隣同士で座っている。矛月なんかは何か話さないかと、俺に目で訴えてくる。この空気に耐えられないらしい。祐は気にならないらしい。平然としている。
仕方ねぇな。
「帰らねぇの」
俺は切り出す。
誰とも無しに問いかけたようになってしまった。
「もうちょっと待てよ」
祐の鋭い言葉が返ってくる。
「違う」誤解だと言わんばかりに、頭を振った。「俺は藤村に言ってんだ」
突然名を呼ばれた藤村がばつが悪い顔をした。しかし、さっきから藤村の行動は目を見張るものがあった。
一緒に帰ろうと誘われていた奴を断ったと思えば、落ち着き無く教室の前戸周辺でうろうろと彷徨っている。帰ろうか、帰るまいか悩んでいるようにも思えてならなかった。
「か、帰るよ」藤村は機嫌悪く答えた。「帰るけど…」と何か言い含めたように言い放ち、疑いの眼差しで俺を突き刺した「てか、そんなことどうでもいいじゃん。何?クラス一緒になったからって、邪魔者扱い?」
何だかこう言うわがままな言い分な方が安心するが、すぐにそれに対して強烈な嫌悪を感じてしまった。藤村も機嫌が悪いが、俺も大概だ。
「そうじゃねぇよ」
仕方なく話しかけたのだから、そうでもあった気がする。
「そうでしょ」
「そんなこと言ってねぇって」
このまま喧嘩腰の応酬が始まるのかと思いきや、傍観者に徹していた翠が音を立て、立ち上がり遮った。
「すぅちゃん?」藤村が反応する。
「翠?」俺も同時に名を呼んだ。
翠は何かを言いにくそうに唇をかんでいた。
喧嘩を見ていられず割って入ったのか、しかし翠の性格はどちらかと言えば穏便に事を済ませるタイプで前に出てきて何か物申すなんてことは苦手だ。
申し訳なそうな翠の瞳が俺を見つめている。いつもの済ました無表情に、瞳が揺れていたので、何からしくないことをしようとしているのは何となく分かった。
桃色の可愛らしい結ばれた翠の口がゆっくりと開かれた。
「一緒に帰りませんか」
一本取られた。
「あたしも一緒に帰る」
藤村が翠の言葉を俺に向けられたものだと思ったのか、勢いよく答えた。鞄を肩にかける。
「絢ちゃん、帰るの?」
矛月が嬉しそうにしている。
それを見て、祐が安心して顔を綻ばせた。
「そうっぽいね」
「じゃあ、私も帰る」
そして、教室に掛けられている時計を伺った。
「俺も別にいいよ」この祐の一言は俺に向かっていた。
翠の言葉に驚いていた俺は祐の一言で、翠にようやく話しかけられることに気が付き、心を落ち着かせようと小さく息を吐いた。
「翠、一緒に帰ろう」
今のありのままの気持ちで言えた。成り行きで翠が出した提案だとしても、また一緒に帰れることに少なからず俺は喜んでいた。
翠が小さく頷いた。
「喧嘩、止めてくれてありがとうな」
翠と同じように俺は小さく続けた。照れくさくて、目を逸らしてしまったが、翠の困ったような返事は聞こえた。
「さあ、何のことでしょうか」
***
矛月が帰る準備をしている間に、翠が何かを探すように教室を見回していた。何故かしつこく黒板を何度も見るから、それが石田翔のことだとすぐに分かってしまった。
確かにさっきまで居た場所にその姿はない。俺も気になって、翠と同じように奴を探し始めた。
「野球部見に行かなくて大丈夫?」矛月が心配そうにしていた。
気になるのは藤村が汚いものでも見るように俺の様子を探し始めた時からずっと見ていることだ。俺の様子が気に入らないらしく、睨め付け方が鋭くなっている。いくら藤村が俺を苦手としてるからって、睨みすぎだろ。
「今日はいい。どうせ明日もあるんだ」
祐の声は濁り気が全くない。
と、そこで奴を見つけた。捉えにくい後姿が教室の後戸から帰っていくところだった。
見つけたところで、どうするも何もない。ただ、見つけた達成感らしきものしか残らない。ここで声をかけるのは気が引けた。
しかしだ。翠も、絢香も奴のことが気になっているようだし、特に藤村は気になっているものの関わりたくないと来た。
この状況、さっきもあったな。
翠に話しかけようとして、遮られた。あの時の藤村の顔を思い出しても、ふつふつと怒りが湧いてくる。
思い出した勢いで、俺は奴の後を追った。廊下に飛び出し、奴の後ろ姿に名前を呼び止める。
飛び出す瞬間、矛月が「誉!?」と拍子はずれの声を出していた。
奴は歩みを止め、ゆっくりと振り返った。やつは面倒くさそうに顔を歪めていた。
こうして見ると、不思議な雰囲気を持つ奴だった。
何かは分からないが気味悪くもあったし、どこか寂し気でもあった。矛月のように群れの中では浮いてしまうか、弾かれてしまって、生きられない、受け入れられなさそうでもあった。案外そんな雰囲気に押されて気になっていたのかもしれないと考えるとどこか理解できる気がした。
「一緒に帰らねぇ?」
感情で動いてしまったこともあって、ここにきて矛月のこと忘れていたことを思い出した。こいつが誘いを受けたら、謝らないと。人見知りのあいつが聞いたら嫌がるだろうか。それとも、藤村や翠みたく笑って受け入れてくれかもしれない。
矛月が嫌がることなんて翠との久しぶりの帰りや、絢香の上に立てた喜びでそんなことどうでも良くなっていた。
石田翔は渋るように口を開けた。
「いいよ」
文字を一つ一つ確かめるようだった。
***
学校が終わったのは午後で一日の大半の時間は残っていた。まだまだ時間は有り余っていて、大抵の生徒は今日初めて出会い仲良くなった奴と遊びに行くのかもしれない。頭の中はこれからの学生生活のことでいっぱいいっぱいの可能性もある。
だが、俺は今日の夕飯のことばかりに気が散っていた。普通は、学生生活のことで頭いっぱいだよなと頭の中の夕飯に出すおかずをかき消した。
六人が同じ帰路につく。
隣には残念ながら矛月が並んで歩いていた。初めは意気込んで翠の隣に並ぼうとしたのだが他の奴らが居る中並ぶのは流石に気恥ずかしいものがあり、一番前は俺と矛月、後ろに翠と翔、そのまた後ろには祐と絢香と自然と並ぶようになった。
気が合うのか藤村と祐が楽しそうに喋っているのが聞こえてくる。
学校出て暫くは閑静な住宅街が広がっている。大きな建物はなく所々に剪定されていない草木が生えている。蔦が絡む建物も目につく。この街はどうにもPLANTに対する危機感がない。街の端にある支部が影響しているのだと思うが、PLANTを処理する魔法のプロ達も万能ではないので時々不安になる。数少ないプロだって毎年全国で何千人と亡くなっているのだから、もう少し安全を考えてもいいのではないか。
「えっと、名前なんだっけ」
唐突に矛月が尋ねてくる。
「誰んだ」
「後ろの…」矛月の瞳が右へと動く。
俺が誘った石田翔だと分かっていた。
「さあ」と知らないふりをする。
名前など意味はないものだと言ったのは矛月の方だ。
「そうだよね」
何で矛月まで気になってんだ。
住宅街を抜けると、駅前の寂れた市街地に出た。ここには都市と比べると遥かにこぢんまりとしている商店街のアーケードとそれを囲むように木造建築の店が住宅の間々に挟まれていた。小さい町は歩いてみると思いのほか大きく感じられる。それは人が住んでいない住宅や土地があるからかもしれない。実際駅周辺にしか店らしきものは開かれていない。
「あたし、駅の方面だけど、みんなは?」
藤村が一番後ろから矛月の前へ躍り出た。
「どこで降りんだ?」と俺が尋ねると、藤村が「隣町」と元気よく返す。
「都会だぁ」矛月が羨ましくもなさそうにしていた。
「俺はここの近く」と俺。
続けて祐も「矛月も、俺も誉と同じだ。」
えっと絢香が顔を顰める。
他の二人にも目配せするも、同じ返事だったらしい。
藤村はふくれっ面をする。
「あたしだけ!?」
「一人で帰れ」
俺は冷たく言い放つ。
「せっかく出会って、一緒に帰れたのに、これじゃあ寂しくない?」
「俺は寂しくない」
「私は、ちょっとだけ寂しい」と要らないところで矛月が入ってくる。
「ちょっとなんだね」
矛月が投げてくれた球をフルスイングで藤村は打ち返した。
「あ、あの」遮ったのは翠だった。何か言いたそうに周辺をキョロキョロと見渡す。
「何か言いたいことがあるとか?」祐が翠に尋ねる。
「そ、それは…」いつもよりも翠の歯切れが悪い。
「教室の時も、何か言いたそうにしてたから、言いたいことがあるなら、場所を移そうか?」
翠が助かったように顔をほぐれさせた。
「そうして下さい。私、鳥羽さんや藤村さんに謝らなければならないことがあるんです」
「俺」不自然にもこの場で一番の場違いだとされた石田翔が割って入って来た。
「いい場所知ってる」すでに、俺の中で奴はすっかりメンバーの一員になっていた。