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PLANT-プラント-  作者: 千羽稲穂
序章
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第一話「登下校(甲)」

 朝になると思うことがたくさんある。


 まず今日もたてくら()(つき)からさき(ゆう)と一緒に帰れるかな、とか。今日も昨日のように何事もなく終われるかな、とか。あの子と会えるかな、とか。大人ではない部分が自分には多くあって、毎日、一日一日を数えていくごとにそんな大事なことが頭の中から次から次へと抜け落ちてしまうからきちんと思い出せるように、思うんだ。


 そう言えば、母さんは数十年前のアーティストのCDを引っ張り出してきて「懐かしい」なんて、年齢的にはまだ若いのに年寄り臭いことを言ったことがあった。当時、有名なアーティストだったそうで、早くに亡くなってしまった人らしい。父さんが母さんのCDを見て「その当時は『絶対に忘れない』とかファンが騒いでいたけれど、未だに母さんのように聞いている人はいるんだろうか」とぼやいていたのを覚えている。


 俺が毎朝しているのは、母さんがCDを引っ張り出して昔を懐かしむ、こんな小さくて、しかし人によっては大きく見えることだろう。


 いつも傍にあった日常は今もこうして近くにある。このことを無意識にできるようになるまでに、毎日繰り返していた。


 しかし、思い続けたことがこんなにも脆く崩れていくなんて思わなかった。


 「絢ちゃんの名前、同じクラスにあるね」

 高校の始業式当日、クラス名簿が貼り出された前で矛月は嬉しそうに俺に笑顔を向けた。

こんな出会いは最悪だと、無意識の奥にある日常が悲鳴をあげていた。


 「偶然だな」

 こうなるのが分かっていたかのように祐は矛月にのっかる。

 「そう言えば、私と祐、それに誉も、クラス同じだね」

 『そう言えば』で括られるには偶然過ぎる。まるで第三者が介入されたクラス分けとしか思えない。


 矛月のお気楽な性格はいつも通りらしい。違うのは、同じクラスに藤村絢香がいる点だけだ。

 俺はこいつがどうにも苦手だ。日常に介入してくる非日常で、底なしの馬鹿かと思いきや、違った方面の才能は底なしにある。金輪際関わりたくないと思っていた矢先にクラスメイトなんて近くにいるのは不都合でしかない。不平不満の愚痴が口から漏れでそうになる。


 俺が嫌な顔をしているのを気づいたのか、矛月が次の話に慌てて入った。

 「いつ以来だっけ。一緒のクラスになるの」

 「そうだな」

 祐が考えている”フリ“をする。そして「いつだっけ」と続けた。矛月に関する事なら本当は何でも覚えているはずだ。答えないのは、矛月との会話を続けたいためだろう。だが、矛月は強情で無駄な目配せを俺に向けている。仕方ないので、俺は機嫌悪く答える。


 「小学校以来だ」小学何年かは忘れた。


 校舎には所々に草が寄り添っている。この草々はPLANTにならないのだろうか。安全なのだろうか。植物と触れ合うだけで失神する人もいると聞くのに、この学校は管理が杜撰なのではないだろうか。だから、このクラス分けも外部から何らかの圧があったのではないか。


 祐と矛月が無価値な会話をして時間を潰していると、続々と各学年の生徒が登校していて、人が多くなってきているのに気付いた。


 「誉」大丈夫?と矛月が俺の顔を覗き込む。

 こういう女の子の仕草は見知らぬ女の子なら胸が高鳴ったのかもしれないが、見慣れた幼なじみの女の子の顔だと近くに来ても、辟易とするだけだ。


 大丈夫と返し、

 「そろそろ中入んねぇ?」と提案した。


 矛月も俺も、人が多いのは苦手だ。それに、俺達三人がこの場に留まるのは人の邪魔になるに違いない。


 矛月はそんな俺の考えを汲み取り素直に頷いた。祐も矛月と同じ意見だったようで、目を細め矛月へ向け微笑んだ。それから、下駄箱へと向かう。俺が先へ進むと、二人も後ろからついて来た。


 下駄箱は青緑のアルミ製だ。ご丁寧に箱一つ一つに扉が取り付けられている。一人一箱に靴を入れるのは中学と変わらないが、アルミ製なのは新鮮だった。


 小学校も、中学校も木製の下駄箱で扉など当然なかった。手紙を下駄箱に入れるものなら一目で入っていることに気付いてしまう。だから、これまで告白は直接人に伝えるか、友達伝いに手紙を渡してもらうか、しかなかった。これで高校からは祐への告白を俺伝いにすることも減ることを思うと、この下駄箱は俺にとっての味方だ。小気味がいい。


 下駄箱の一つ一つに貼られた白い紙に書かれた番号を確認する。自分の番号を見つけると扉を開き、靴を置く。


 同じように番号を探す矛月にとっくに靴を置いた祐が尋ねる。

 「矛月は藤村さんに会いたい?」


 祐はいつも俺のことに無関心だ。祐の態度はいつもだと気にならないが、今は機嫌が悪く、どうしてもこの態度に苛立ちが募ってしまう。同年代の男で、しかも幼なじみ。俺より背が高く、勉強も出来て、魔法もそこそこ使えて、器用に何でもこなせる。そんな奴の幼なじみだと諦めがあり、嫉妬も消え失せている。だが、性格に関しては合わないらしく時折こうしてイラッと来ることがある。


 大人気ない感情は表に出さないように心の奥底に止め、力強く下駄箱を閉める。閉めた反動で荒い音がする。

 「うん」

 矛月が少しだけ笑みをにじませた。

 ようやく自分の靴箱を見つけたらしい。矛月の靴箱は下の方で、(かが)んだ。

 「じゃあ…」

 と、祐が答えようとしたが、


 「仕方ねぇな」と俺が遮り、二人の横を通り過ぎた。下駄箱を抜けると、身を翻し二人の方を向き変える。「矛月遅ぇよ」


 「誉も、祐も早いよ。待ってってば」


 矛月は慌てて靴箱に履いていた靴を置くと、ゆっくり歩く祐の後ろを小走りで寄る。祐が矛月の焦った表情を見て、小さく笑っている。


 この順も、この流れもいつも通りだった。これでいい。感情も、人間関係も、性格も、このためならいくらでも“フリ”ぐらいする。



 ♠♠♠



 教室に着くと、矛月は藤村を探した。しかし、期待通りのにわいかず藤村の姿はそこになかった。矛月はしょんぼりと目を伏せた。「犬みてぇ」とからかうと、祐が低い声で怒って来た。矛月が関わると祐は本当に怖い。それでも、いつもの流れからからかってしまう。

 変に時間を過ごしていると、生徒の姿が次々に教室に表れる。


 すると、矛月の顔は強張り始めた。


 矛月の(けもの)()じりはほんの小さなきっかけで表に現れる。例えば、今此処で俺が「矛月、魔法石をちゃんと持ってっか?」と冗談半分に言ったとする。矛月は緊張して「あれ?持ってたっけ」と慌てるだろう。教室で緊張している上、突然の問いかけに、既に頭には犬のような尖った耳が飛び出してきて、瞳は黒から黄金色の鋭い瞳へ変わっているだろう。


 俺はそんな性質なんだろうと思い、別に気にしないが、周囲が見逃すはずがない。いじめられたことだってある。矛月も、俺も、祐でさえ、嫌な思い出しかないだろう。


 教室で目立つ獣交じりが居るとクラスで孤立するのは当然の成り行きだ。矛月は昔から孤立し、暴力にさらされることに怯えていた。

だから獣交じり自体をからかうなんて出来るはずなかった。いくら矛月をからかいなれていても、流石に引ける。それに、祐に殺されかねない。本気で。


 「暫く声かけないで」

 矛月はそう厳しい口調で言い残し、自分の席に帰って行った。ひとまず藤村を自分の席で待つらしい。


 「藤村さん、来ないな」

 声をかけづらい矛月に代わって祐が話しかけてくる。その言葉を俺に話しかけてくるのは皮肉でしかない。

 「来ないんじゃね」てか、来んな。

 俺の適当な返事に、何を思ったのか祐は一間おいて、少しだけ口元に笑み含ませた。

 「誉と藤村さんって同じベクトルの人だよな」

 俺は自分の席の椅子に手をかけて、やめた。そして、傍らにいる祐を睨め付けた。

 祐は慣れたように、

 「同じレベルの言い争いしかしない似た者同士ってこと」分かる? と言いたげなその表情は喧嘩を売ってきているとしか思えなかった。


 その言葉の真意を俺が代弁してやる。


 「俺の精神年齢が低いってことだろ」


 「そこまで言ってない。でも…」訂正が入った。「藤村さんと誉が話しているときの誉は、誉らしいなって。昔のお前らしくてさ」

 「俺は、俺だろ」いつもの俺と何が違うんだ。

 「そうだろうけど」

 祐が分かりやすくあからさまに思ってなさそうにしていた。

 だから、鼻で笑って、

 「だろうって、だったらいつもの俺はどこにいんだよ」

 祐も冗談交じりに続けた。


 「空の果て」


 完全に馬鹿にしてんだろ。



 教室にある前戸が引かれる。入ってくるクラスメイトに自然と目が向かった。


 はずれだ。


 はずれと分かると、心が弾む。

 これなら祐の冗談も受け流せられる心の余裕があったので、隣の祐へと目を向ける。祐も俺と同じく視線を教室の前戸に向けていたらしいく、前戸に向かった目を下げていた。俺とは反対に暗い表情を灯していた。気になって矛月の方へと頭を向けると、矛月もちらちらと期待ありありに教室の前戸を確認している。


 なんだ。三人とも気になってんのかよ。


 何だかあいつが居ないのにあいつに振り回されている気分だ。

 再び前戸が引かれる。教室には生徒が多くなってきていて、空いている席も残り数席しかなかった。かなりの確率で来る。そして、ゆっくりと厳かに戸が引かれた。あいつがこんな戸の引き方しないだろう。と、なると、またまたはずれらしいと分かった。期待せずに、前戸を見つめ続けた。俺達三人の視線が一点で交わる。


 そこに、立っていたのは黒く柔らかな髪を伸ばした青い瞳のあの子だった。


 俺よりも小ぶりな体。白人であると確信させる陶器のような白い肌。何よりも目を引くのは黒い髪や白い肌が際立たせている海のような深い青色の瞳だ。凛とした顔つきで教室の中へと歩みを進めるも、俺には彼女だけこのクラスから浮いているように思えた。


 彼女を知っている。知らないはずがない。

 「翠」と小さく呟いてしまった。


 「スイ?」と隣で俺のつぶやきを祐は繰り返す。

 変わった名前だとでも思ったのか、意味ありげに顔を曇らせた。この態度を見るに、どうやらあの子のことを知るのは初めてらしい。てっきり知っていると思っていたのだが意外だ。


 それにしても、名簿に藤村の名前があった時点で名簿を見るのをやめたが、あの時の判断は誤っていたらしい。あらかじめ知っておけば心の準備ができていたのに、全くの不意打ちであの子に挨拶すらできずにいる。


 あの子が席に着こうとする。

 俺はそれを見て挨拶でもしようと、隣の誰かなんか気にせず、一歩踏み出そうとした。


 ガラッ


 瞬間、戸を大胆に引いた音が教室に響く。

 あの子は席に腰を下ろし、俺の一歩は遮られた。


 こういう起点を作る奴は一人しか居ない。



 嫌々、音のなった場所へ頭を向ける。途端に、火花のような鋭い視線が合わさった。


 大柄で、ほんのりと茶色い短髪に少々の寝癖。あの子が清純だとすれば、そいつはがさつで、品がない。教室の中へ大股で図々しく入っていく。その堂々とした態度は教室の中での存在感を際立たせていた。嫌いなものほど輪郭がはっきりと出てしまうようで、見えやすい奴を思わず見続けてしまっていた。

 奴は俺達に気付いたのか自分の席へ向けた歩みを一旦止め、向きをくるりとこちらへ向かってくる。

 まるで喧嘩の続きをしようぜと言わんばかりの気迫で睨みつけて来ていた。会うのはあの最悪な春祭り以来だったから妙に緊張をしてしまっている。あの時のことが思い出され嫌な汗がにじむ。

 俺達の前でぴたっと止まる。


 「ほ~ま~れ~?」


 地の底から唸るような声が湧き上がる。


 今日はまだ何もしていない。と、言うかいつも何もせずとも何かしら引きずって機嫌が悪い。今もまたそうだろう。機嫌が悪いのか、今にもこいつの感情が爆発して全ての火の粉がかかってきそうだった。そうはなりたくない。心の奥底から湧き上がる変わりたくないと言う望みを無視して、ふっかけられそうな喧嘩を見越し、意地悪く睨んだ。奴も奴で目を細めている。



 「あれ?」


 と身構えていた俺の考えとは打って変わって、拍子はずれの声が奴の口から零れ落ちる。「一緒のクラスじゃん。どうしたの?」

 さっきのは何だったのだろうか。殺伐とした空気が刹那の間に変わっていしまった。身構えていたのが恥ずかしい。力を込めた目はほどけていた。

 見れば、こいつの瞼はうつらうつらと細められている。


 「藤村さん、おはよう」

 祐が気軽に藤村に声をかける。

 「おはよう?」と返事をするも眠そうだ。

 祐が困ったように眉を寄せた。


 「眠そうだ」

 「牛」とぼそっとぼやいてみせる。

 しかし、鋭さがこもっていたあの反応の面影が無く、寝癖を気にして髪を手で撫でた。

 「矛月には犬で、藤村さんには牛って、人を動物で例えるの流行ってんのか」

 祐が苦笑する。

 「流行ってねぇし、たまたまだ」

 「藤村さんも何か言わないの?」祐が振らなくてもいいのに、最悪なタイミングで藤村へと会話を向ける。分かっていてやっている。

 しかし、肝心の藤村の返事がゆっくりとしている。



 「ん~?」


 これはただの鼻歌だな。


 藤村がこんなにも朝が弱いとは知らなかった。

 「でも、女子に悪口はいけないよ」祐が諭してくるが、こういう事を堂々と言ってくる奴に限って女子に冷たくあしらわれたことがない。

 流石、女子のヒーロー。

 一クラスぐらいの人数を落とした男。

 達観してんなぁ。


 「いいんだよ。」面倒臭くなって、ぶっきらぼうに言い放つ。

 そこまで言っても、藤村が突っかかってくる気配がなかった。

 そこで、祐が「藤村さん?」と絢香の肩を優しく叩くと、閉じていた瞼が勢いよく開いた。



 「寝てた!!」

 夢から覚めた一言目に選ぶ言葉がそれかよ。

 「立ったまま寝るなんて、器用だな」棒読み口調で言ってのけると、「うっさい」と反射的に返してきた。


 そして、目を大きく開き、何か気付いたかのように「あ」と口から音が漏れでた。

 「二人が居るってことは、もしかしてむぅちゃんも一緒のクラス?」さっきまでの眠そうな声色はない。

 「何でわかんだ」

 「本当!?」と幼い子供のように藤村は喜んだ。


 「そうだよ」祐が頷く。


 「奇跡だあ」

 途端に藤村は目を輝かせ、周囲を見渡した。


 矛月の方を少し見やると、藤村が自分を探しに来ているのを悟り、慌てていた。瞳が黄金色へと滲みかけている。


 しかし、藤村は矛月を見つける前に、ある一点を見つめ体が氷漬けにされたように動かなくなってしまった。

 鼻頭を人差し指で一擦りする。何かしら匂いでいるようにも見えた。一体何を見て、何を匂いでいるのか、気になった。もしかしたら、良くないものが教室内にいる可能性すらある。藤村の捉えたものを見ようと、視線の先を辿る。



 「藤村さん?」

 祐の声で、藤村が見つめるのを止め、祐へ振り返ったので辿り着けなかった。


 それから、チャイムが鳴る。


 藤村の瞳は動揺しているのか泳いでいる。

 「おい、藤村」

 俺も心配になり、呼びかける。すると、ようやく藤村は意識が戻って来たのか、しっかりと俺達二人を見据えた。


 「ゆ、ユウ?誉」

 それから苦し紛れの笑みを作る。

 「ごめん」一間空く。理由を探しているようにも思えた。「ぼうっとしてた」

 心が動揺していることに、動揺していたのかもしれない。思ったら即行動の藤村には、よくこういうところがあるのだろうか。何にしても、見て、嗅いだもの、恐ろしい何かだとすれば、と考えるだけで嫌な事を思い出しそうになる。


 「席、戻るね」

 藤村が寂しそうな顔をして小さく手を振り、足早に離れていった。顔をうつ向かせていた。


 全く藤村は嫌な種しかばら撒かない。今朝、思うだけにしたもの丸ごと頭に浮かび上がってきて、思い出させようと脳が働き始めていた。気をしっかり持ち、それ以上働かないようスイッチを電源の根元から切る。


 「俺も」祐は何も気にしてなさそうに、藤村に続いた。

 矛月を見ると、藤村の突然の訪問もなく、安心して溜息一つ宙へ投げていた。

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