第八.五話「交渉」
僕は耳を澄ませる。
この世界の混沌からある一粒の真実をすくいあげるために、僕は耳を澄ませて、ノイズを取り除く。人の鼓動で嘘を見破れた。ぴくっと動く肌の音で心が読めた。
それは植物達だとより顕著に表れた。空間にあるテラス粒子の音が僕にはつぶさに聞き取れたから、彼らのいる位置や考え、どういう生き物なのかも最初から知っていた。
彼らは意志ある生き物だ。
上に公認されていないだけの、命ある生き物だ。僕は確信していた。だが、上は認めないだろう。彼らは命ない生き物だと、きっとステレオタイプの定義をだしてきて、こいつらを殲滅するのは我々の使命だとけったいな大義名分を振りかざし彼らの心を聞かない。
僕もその一人だった。
正直どうでもよかったのだ。植物と上との抗争が激しかろうと、その火の粉が僕に降りかかろうと、火の粉の中に入れと命令されたとしても、僕には他人事としてしか感じない。
僕は、どうでもいいと考える傍観者の一人だった。ただちょっとだけ真実を齧っただけの存在だった。たくさん代えのきく魔法使いの一人だった。
さて、では僕がこちらに立ったのはなぜだろうか。いつからこうなったのだろうか。上に隔離されて監視され、隣人とおしゃべりするお茶仲間になり、抵抗せず、ただその場にいるだけの腑抜けが、いつからこちらに立とうと思ったのか。上は知らないだろう。ただただ安寧に身を置き知らずにいるだろう。
僕が何者なのかも、どれくらいの魔法が使えるのかも、この耳のことも知らない。
僕は、知っていた。石田要が手記を持っていることを。その前任者のことも。中身も少しは暗記している。
ただ、上も植物もどうでもいいからそこにいただけだ。
そこに破壊があったからこそいただけだ。
隣人がいたからこそそこにいただけだ。
『PLANT』の意味だって、僕は知っている。
今、森の静まりの中隠れているやつも知っている。
ジャンパーのポケットに手をつっこむ。体温が戻らない。魔法に温度を吸い取られているのか、それともポケットに入ってる血濡れの瞳に僕の温度を吸い取られているのか、どちらかだろう。
足元の草を踏みしめる。長い髪が視界を遮り、態勢を崩す。徐々に視界に写されるのは、どこまでも広がる森林だった。
緑と黒と星の光と月の輝きが妙に目にくっきりと映る。近くにある幹はうねり、天に向けて手を伸ばし、葉はひらりと風が吹いた時に何かに避けるがごとく右に左に体をくねらせて地面に手をつく。
僕の傍にある草花や葉は諦めているのか萎れていた。めそめそと泣いているみたいだ。この暗闇でどうすることもできずにうずくまり、天に向けて手を伸ばすも、届くこと敵わず、道半ばで地面に手をつく。
哀れだった。
そして、腑抜けだった。
痴れ者、馬鹿者、阿呆者ってね。
ここの草花や木々はさわさわと風にゆすられているだけだ。
本当は動けるにも関わらず、この先の気を感じて竦んでいる。たった一度動いただけで諦めてしまいそのまま死んだ彼らの魂を揺り動かすのは難しそうだ。
諦めたやつらの中で寝転ぶのはなんとも寝心地が良かった。このまま一生こうしていたいほどだ。
だが、そうもいかない。ポケットの中の赤く光る彼女の瞳が告げている。早く私に最高のショーを見せてくれ、と。僕が殺した彼女が天を通して見ている気がした。じっと覗き込み、大きな瞳を細めて、僕を見つめている。
なら、僕は動かなければならない。
「そこにいるのは誰だ?」
先ほどからテラス粒子がさざめきあっている。粒子の音から近くで隠れていた植物の体や、その枝葉を想定する。それらの情報でどんな植物かが割り出される。
細長い体だ。本体は常に細い体の中を行き来し、居場所を割り出されないように必死だった。細長い体に取り付けられる数々の茎に似た蔓は大きさを規定できない。
僕は寝ころんだまま、出てくるのを待った。夜空がちょうど見えるこの絶好のポイントから動くことはしたくなかった。
絶景だった。
黄色く丸い月が目の前にあるぐらい大きかった。
ほうっと口から冷たい息を吐くと、今が五月であると忘れてしまいそうになる。
「僕が絢ちゃんや翔と会った時からつけてきたよね。何の用?」
これでも出てこない。
蔓はの心臓がはちきれんばかりに動いているのにも関わらず、動かない。恐怖で動けないのかもしれない。小さい本体から分裂させて僕の前に出てくるか、否か迷っている。
僕にとってはどちらでも構わないが、隠れている蔦か、蔓……どちらか分からないが、そいつはしどろもどろと何やら準備をしている。
怒らせてはいけない。
接触するのは義務だ。
だが怖い。
どう切り出せばいいか分からない。
テラス粒子の揺らぎで簡単にこういった心情はわかってしまう。閉じなければ容易に伝わるなんて、面白くない。一旦耳のスイッチを切る方が良いかもしれない。
「えっ……と、あのぉ」
蔓が天に向かって枝葉を伸ばす気から僕の目の前に落りてきた。その先にあるのは、人の口を象った固形だ。蔓を巻き付かせてなんとか形を作っている。だから人間の口をして動いているのに、色は薄緑や黄緑等の緑が主体で気色が悪い。もぞもぞと人間よろしく歯を見せて喋りだす。
「おやっさん、何者ですか?」
「僕は密だ」
ぶるりと蔓が身を縮こませる。僕の言葉一つでひるんでしまうぐらい気の小さなやつだったらしい。
僕に何かを頼むにしても、もっと大物をよこしてほしかった。植物の中でも上とか下あればの話だけど。
「えっ……と……」と蔓はまだ迷っていた。
僕はため息をついた。そうして蔓の口と思しき固形を掴む。魔法を使えばひとひねりできるぐらの柔らかさで撫でてやる。
「本体を出せ。お前達は力量の差も見れないのか。こっちが手を抜いてやってるんだ。強い奴に従え」
すぐに蔓は全ての枝葉を僕の袂に落としてくる。僕の真上にあるのはいくつかの細い蔓だ。上の枝に巻き付き先を下ろす。その中の本体を僕は選び取り、握る。こいつの命を僕が今、手に取り殺さずにいる。
「それでいい。僕は少なくともお前を殺さない。ちなみに名前は?」
言った瞬間、名前なんて無粋な物こいつらになかったな、と思い出した。思った通り蔓は考え込んだ。自身の名前を考えているのかもしれない。
僕にはどうだっていいが、呼びづらいのは変わりなかったから、とりあえず考えさせた。
「……ミナヅキ」
絞り出した名前に、笑ってしまった。
こいつは死んだ名前を使ったのだ。文字通り死んだやつの名前を使った。なんと悪趣味なことか。
「水無月。いい名前だ」
思い出すのは、ある少女だった。僕が脅威を感じた一人だ。少女の弟はあの陰田皐月だった。僕に歯向かってきた、怖いもの知らずの少女だ。魔法もそこそこ。藤村絢香よりも優秀な使い手だった。
その少女も数年前に。
懐かしいことだ。
幼いせいか顔が似ている陰田姉弟。いや、双子の姉弟だったのかもしれない。
僕が少女に対面したのは、白い施設の中だった。魔法使いとして僕と会っている。上のお気に入りにしようと双子をためしに僕の近くに護衛として置いたことがある。その時の生意気な目つきには覚えがある。
結局、僕に歯向かい傷つけられた双子は、施設についての記憶を消し去り、隅に追いやられたはずだった。
その後、片割れはいなくなった。
こいつそうか、あの時の……
「お前、あいつか」
「へっ!?」と水無月が体をぶるりと縮こまった。「密のおやっさん、あんたなんでおいらのことを知っているんです?」
「それよりも」僕は言葉に重みをもたせて無理やり話題を返させた。
「僕に何の用?」
おそるおそると言った心音で水無月は僕の出方を窺っている。僕の言葉一つで自身の命を奪われる危険性を感じている。その高揚感に、僕はやっと骨があるやつだと悟った。
こいつは、恐怖している。諦めてはいない。僕に付き従うことで自身の命を守っている。
「おやっさんに頼みたいことがあるんです」強さが感じられた。「おいら達、植物のために戦ってほしいんです」
「君に頼まれなくってもそっちに立つ準備はできてるよ」
「それなのにさっき魔法使いをやらなかったのは何でですか。あの二人の子供は危険ですぜ」
「弱いものいじめは嫌いなんだ」
圧倒的に弱かった。藤村絢香も、翔も。思ったより成長していなかった。支部ももぬけの殻だ。僕が入り放題で、いつでも占拠できる体制にあった。
残りは駄菓子屋。あそこは僕には少し骨が折れる連中が固められていたし、骨が折れたところで、二三手で仕留められる。
これでは意味がない。
僕の求める破壊も、僕を倒す敵もいない。
僕を強くさせるやつがほしいのに。
「おやっさん、それならこれからどうなされるつもりで?」
「まず、水無月。君が念頭に置いてほしいのは、僕は弱い者いじめは嫌だし、噛み応えがほしい。僕が出てきたのは、君たちを救うためでも、奮い立たせるためでも、味方になるつもりでもない」
こくこくと水無月がない頭を蔓を折り曲げてうなづく。滴る水無月の蔓がそろそろと風でなびいていく。緑色のまっすぐ伸びた蔓。僕が動けば動きを封じそうだ。
はは、と笑ってしまう。
この僕がこの蔓に巻き付かれて動きを封じられ、操り人形になるなんて滑稽な想像だった。なってやってもいいが、僕の掌の上でなければならない。強いやつが弱いやつの下に仕えるだなんて、馬鹿らしいにもほどがある。
強いやつなら、僕が倒す。
弱いやつなら従えさせる。
僕の信条だ。
僕は起き上がり、蔓を本体以外全て切り裂いた。周囲のテラス粒子を刃にし、容赦なく粉々に砕く。粉砕された蔓は空気の波に乗りどこか遠くへ吹き飛んだ。緑色の奇怪な蔓はこれで見えない。あるのは僕の手に収まりよく落ちた水無月の本体だけだ。
一瞬にして丸い緑の塊になった水無月は再生するのもままならないまま、僕の手のひらの上でころころと体を動かす。顔も、目も、口もない。ただの丸いマリモのような蔓をまるめた塊。人差し指でつつくと声だか分からないが「きゅっ」と小さな呻きをあげる。
「これは水無月にだけいうが、僕がほしいのは混沌だ。破壊と絶望だけが蠢く戦争。それは人間側では手に入らない。この世の中は僕にはひどくつまらないんだよ」
立ち上がり、服についた草花を片手で払った。すっきりした視界。僕の道は決まっていた。木々が避けている道を僕は再び歩いた。
僕の耳が正しければ、この先にあるはずだった。僕が見定める、あの植物を僕は会わなければならない。
「で、植物達の陣営に立ち、そういった混沌を起こそうとしてもさ、僕はこの通り人間だから君達は僕のことを信じない。じゃあ、どうするか……」
月明かりが、僕の道を照らしている。知らず知らずのうちに木々がよけているようだった。そこへとそこへと続く道を彼らは頭上の月明かりを落とすことで示している。両端にある細い幹たちは遠目から見ているというわけだ。
「僕は君達の仲介者という者に目をつけた。どういったわけか内部で円滑に交流を図るために仲介する者が、君たちの中にはいたそうじゃないか」
ようやく口を作り出した丸い塊が「あっ」と言葉を発する。
「仲介者……前はどういったわけか人間、石田要だった。あの駄菓子屋の小娘だった。彼女が持つ数冊の手記にはその仲介者の役割を担うほどのものがある。それを持って、君たちの前に現れ、力のある僕が君たちを焚きつけたらどうなる」
木々の間を抜け、広場のような場所にでる。そこはある大きな木を中心に月明かりが燦燦と降り注がれていた。大きな木目がはっきりと目に映しだされる。
「だから、僕はどこにあるか分からないその手記をまず手に入れるため人のいる支部を襲おうと思う」
大きな木の袂に行く着く。
大きな木の幹にはいくつもの木目が伺えた。うねりをあげる木目の模様を凝視していると、ぱっくりとその木目の目が開く。文字通り目が開いたのだ。木目には人間の目が埋め込まれており、その目がこちらをぎょろりと睨みつける。一つ一つの木目から人間の目が覗く。様々な色の瞳が僕へと視線を注ぐ。
「やあ、見ないうちに目が増えたんじゃないか?」
ぎょろぎょろと、目が動く。相変わらず、口はなく、目だけに特化した植物だ。いや、こういった方がいいのかもしれない。『プラント』だ。魔法が使えて意思がある、喋れる。こいつは癖がありすぎて、多くの植物は遠巻きにしていた。そして多くの植物はこいつの力に畏怖して傘下に入った。
僕は耳がいいから、こいつの言葉も行動も理解していた。
目がぬめり、言葉を紡ぐ。木目が次々に開く。そのたびに目が主張する。一個の規則正しいリズムをつかみ取り、自身の言語に置き換える。すると不思議とこの目玉プラントの言っていることがわかる。
『久しぶりだな』大木の音波の波をとらえられた。
「そうだね。今日は君に、協力してほしい事柄があってきたんだ」
『お前の言うことは聞かない。これまでひどい目にあってきたからな。わしは静かにここで子どもらと過ごしたいんだ。出て行ってくれ』
「それじゃあ、つまらない。ここらの木々、お前の子供はみんな僕を通してくれたよ? みんな暇してるのさ。ここらでいっちょまた一緒にやらないか。ほら、昔はブイブイ言わせてたじゃないか」
『もう、わしも年だ。大きくは動きたくはない』
「ああ、そう」
萎れている老木に、僕は心底見損なった。面白がって一緒に殺していたのに、今になって保身に走る。そういうやつらが苦手だ。此処まで来た時も、僕に攻撃はせず、その上親切にもここまで通すこいつの傘下どもにもイラついていた。戦わないやつにある牙は錆びついていくだけだ。もったいなくて仕方ない。
「もちろん、ただでとは言わない」
僕はポケットから一つの目玉を取り出す。血の色を点した美しい瞳の眼球を取り出す。この目は未だ魔法を帯びている。どうやら相当強い魔法の副作用だったらしい。むしろ、これのせいで彼女は魔法に特化していたのだろう。
ほほう、と老木は全ての木目を開き、僕の持つ眼球を注視した。この手に持つ眼球の価値を見定め、驚いている。
このために彼女は僕に眼球を託した。僕に未来を見てほしいわけではない。この眼球を対価にすれば、だいたいの植物は寄ってくる。信頼は寄せないが、僕が知っていプラントは交渉に応じるだろう。そしてこの眼球があれば、交渉以上にできることがある。
彼女が望んでいたのは、この国の壊滅か、はたまた人間への復讐か。僕に彼女の意思が引き継がれた。
だけど、僕は僕のしたいようにするだけ。彼女の意思を引き継いだんじゃない。彼女は未来の道の一つ、僕を選んだだけだ。なら僕は僕の望むに『混沌』と『破壊』を求めて動くだけだ。
「お前の眼球よりも良い未来が見える眼球だ。僕の言うとおりに動いてくれたらやるよ」
周囲の森がさざめく。風もないのに、踊り狂ったように木々が動いている。その反応を見て、僕の手の上にいる水無月が「なんだなんだ」ところころ動く。
目の前の老木は先ほどよりもいっそう体を大きくさせて、根を出すほどに乗り上げる。じーっとまじかで眼球を見て、僕を見て、ぶるりと体を震えさせた。まだ青い葉が舞う。
その様子を見て、僕はうなづいた。
交渉成立だ。
周囲の木々が歓喜している。
身を寄せ、家族ごっこしている老木にはどれくらい待たされていたのだろうか。きっと身を寄せた老木にあきれ果てるほどの月日だっただろう。それでは飢えてしまう。破壊衝動に身を委ねて、戦うことこそがこいつらの本文なのだから。
そうして、僕の駒として死ねばいい。
再び天を見ると雲が月を覆っていた。だが次の瞬間雲が流れて、すぐに月は姿を現す。夜の闇を照らす月が落ちてきそうなほど大きい。
今すぐ食ってやろうか、と口を開ける。だが届くはずはない。天は天だ。僕は僕だ。
ぺろりと舌で唇を濡らし、大きな瞳のような月に向かいほほ笑んだ。
彼女が見ていたらいいな、と内心思いながら。




