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PLANT-プラント-  作者: 千羽稲穂
第一章『青春と葛藤と恋愛と…』
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第八話「光る世界(終幕)」

 その男の異質さは際立っていた。

 五月の蒸し暑い雨が降る天気だというのに、その男はジャンパーを羽織っている。ジャンパーの下には白いTシャツ。ズボンはジーパン、と今どき若い人でもこんな古い恰好はしないし、厚着はしない。まさに季節感度外視の奇妙な格好をしていた。

 男にしては長い黒髪、瞳は緑がかってはいるけど遠くから見れば黒に見える。それに香り。一番奇妙なのは香りだ。おかしい。すんっと香っても……


「香りがない」

 私が呟くと、翔が首を傾げた。肩にかかるショルダーバックが傾いたと同時に揺れる。重いものが入っているのかバックの重心は動かないままだ。


 当たりを照らすのは街灯のみで、この街頭は支部まで続いている。支部の周辺は迷惑なほどに街灯があるから、男の人の顔はよく見えた。

 青年ぐらいの年だ。多分そう。そこまで年はいってない。


 それなのに、雰囲気は不気味だった。あたしが感じているのは老兵のような熟練した落ち着き。魔法使いの中でもここまで雰囲気をもっている人を見たことがない。

 だけど、見た目が若い。これはどういったことなんだろう。


 ふんわり、息を吐いて周囲を見渡す。

 やっぱり誰もいない。支部も今日はおばあちゃんの葬式に総出しているから支部の一階エントランスも消灯している。廃屋が軒並み並んでいる横で警察だけが異彩を放ち、支部に隣接して活動している。だけどこっちも誰も出てきていないし、出てくる気配や人がいる気配はしない。


 翔と見合う。どうみてもあたしも翔もお互い戸惑っていた。支部にささっている木から降りてみたはいいものの見知らぬ男性、しかも奇妙な雰囲気を醸し出してる。

 翔とあたしの間には微妙な空気が漂っている。空気を持て余して逡巡している。



「やあ」



 その時、男の人が先に声をかけた。あたし達の心臓が思いっきり飛び跳ねる。


 男の人の顔にかかるほどの長い前髪が揺れる。空気が重い。ひしひしと肩に重いものを感じる。この人の存在感が大き過ぎて前に立っていいのだろうかという疑問が浮かび上がってくる。


 あたしが一発、殴れば男は倒れそうなほどひ弱そうなのに、今はこの男の人の前に膝をつかされる想像しかできない。


 あたしの茶色い髪が視界に入って、ようやくあたしが一歩後ろに下がってるのが分かった。


 感じたことない、この感情。ぶるぶる、と心が震えていた。底知れない暗闇を想ったことないのに、この男を見るたびに痛いほど感じる。


「どーも」


 男の人の言葉が怖い。

 心が締め付けられるほどに、体がこわばる。


 長い前髪から覗く深緑色の瞳が鋭くあたしを射る。今にもあたしを殺すように、じっと射てくる。心苦しい。


「君達は? ここの支部の人?」


 汗が噴き出す。服がべっちゃりと肌にはりつく。気持ち悪い。声がでない。匂いがしない。

 どうして、この人からは匂わないのだろうか。あたしの鼻が壊れてしまったのだろうか。でも隣の翔はいつもの通り鼻がもげるほどのごちゃごちゃした匂いがする。それにあたし、こんな力の強い人初めてみた。どうすればいいか、分からない。


 一瞬にして、感じ取れる力量差。魔法の圧力。

 愛おしそうに、しかも親切そうにあたしを見てるのに、どうしても脱ぐいきれない強さと残酷さが逆に怖い。何か言わないと、きっと殺される。そんな迫力がある。でも何か言おうとしても空振りして口から息しか零れない。


「俺達は、魔法使いだ」


 そんな中、翔は怖いもの知らずにあたしの前を出た。あたしに向け小さな手を差し出してる。異質な化け物に立ち向かう小さな人間な姿は変わらない。それにしても、どうして嘘を言ったんだろ。あたしは魔法使いじゃない。


「マホウツカイ?」

「プラントを倒す認定を受けた、魔法のプロだ」

「そう」


 軽く吐き捨て、つまらなさそうに男の人は思案する。男の長い前髪が男自身の目を隠す。表情が伝わらない。でも、口元がちょっとだけさっきよりも下がったように見える。


 この人からは何も感じない。喜怒哀楽全て感じない。匂いもしない。巧妙なほどに隠されてる。どこをつまんでも化け物染みている。


 本当に人間なんだろうか。


「失敬な。僕は人間さ」


 男の言葉は私の首を斬り落とすみたいに感じた。

 なんで聞こえてるんだろう。


「暫く閉じていたから使い物にならなかったけど、ようやく聞こえるようになったんだ。僕の耳。ほら、君たち聞いたことない? 『魔法の副作用』ってんだけど、これで聞こえるんだ。さっきの嘘も、君たちが上で何を話していたのかも、凄く、ね」


 あたしの鼻と同じだ。おそらくこの人は、耳がいい。そして聞いてたんだ。知ってたのに、声をかけてきた。知らないふりをしていた。

 私達をおちょくるための会話を楽しんでいるんだ。


「ここには何をしに?」あたしは恐る恐る尋ねた。

「別に」

「あたし達は、この支部についてはあんまり知らないんですけど」

「そっか」

「さ、さっきから、なんなんですか」


 興味のない返答に、あたしは少しだけ男の人に苛立つ。まるであたし達の返答なんかどうでもいいみたいにそっけない。じゃあ、なんであたし達に話しかけたんだろう。


 魔法使い……にしては、どこか空々しい。こんな強い人も見たことがない。警察の人ならこれほどの魔法の力なんてないはずだ。

 じゃあ、この人はなんなんだ。あたしは知らない。この世界にあたしよりもこんなに魔法の強い人、匂いも感情も全て操作できる人見たことがない。


 ははは、と地鳴りが聞こえた気がした。遠くから次第に大きくなって、目の前の男の人にかぶさっていく。でも、男の人の表情は何とも言えない表情からぴくりとも動いていない。感情だけが笑いを上げている。そういう雰囲気を醸し出してる。


「ああ、笑ってるだけだよ。ふられたから。そっか、君達はそっち側なんだなあって」


 男の人の雰囲気が笑いから一気に悲しみに萎んでいく。


 ま、気にしないでと軽くけなした後、男の人は伸びをしてあたし達に向き直った。身軽だけど、でもどこかまだ全力でなさそうな身の振り方。その場で足踏みしたけど音もしない。どれも無機質だ。


「そうだ。名前! 言わないとな」ぽん、と男の人は手のひらの上で小槌みたいに手をついた。「言わないで損しちゃったから、今度からは名乗ることにしたんだ」


 なんだかあたし達はこの男の人の手のひらの上で転がっているみたいだ。今まではいつだってあたしのペースに持ち込めたのに、男の人の前になると全く何をしていいか分からなくなる。


 男の人は長くなった前髪をさらりと流した。深緑色の瞳がキラリと光る。線の細そうな顔立ちは印象に残らない。ただそのまつげだけは長い。


「僕の名前は『みつ』だ」


 どこかで会ったような顔立ちだった。そういう印象を受けるほど平凡な顔だったのかもしれないけど。


「今日は、ちょっと遊びに来ただけなんだ。香奈にも会いたかったし、何より故人を悼みたかった」


「石田要、か」翔が訝しむ。


「そうだね、要だ。空っぽの死体には興味はないけれど、彼女のいない空っぽの周辺はとっても興味があった」


 気づいた。この人のどこか平凡そうで狂人染みた特性に。

 どこかしらあたしに似ているんだ。匂いがない。音がしない。感情が見えない。全部あたしが他人にしてることだ。もっと言えば、あたしみたいな力がある人に向けてやることだ。

 似てるんだ。強い人がいる、戦う。そこに喜びを感じる。だから、隠す。


 強い人を見つけたら、まずやることは一つ。自分の特性や魔法を隠すこと。この人はあたしより強いからあたしの隠し方よりもうまい。そこが怖い。底知れない闇だ。力が計り知れない。


「でも、いいや。会場に行ったらつまらないことになりそうだし、今日は君たちに出会えたしね。とっても良い日だ。こういう日は、何かを起こす前日にした方がいい。だから、さ」


 絢香、と遠くで誰かが叫んでる。

 あたしの耳にはもう目の前のこの人の声しか聞こえない。この人の姿しか見えない。強い人だ。そんな人だ。


「魔法石をしまってくれる? 藤村絢香」


 はあ、はあ、とあたしの口から息が漏れる。手には紅色に輝く魔法石が握られていた。ずっとずっと握っていたのか、手のひらから熱い何かが伝う。その何かはヘドロのような赤色だとあたしは確信している。

 手に爪が食い込んで痛い。体が熱い。目の前の男、みつを相手取ることに恐怖しているのに、勝ちたい気持ちが止まらない。この人だからだろう。あたしの狂気を加速する何かがこの人にはこもっている。似ているから何かを引き出してくる。

 やらなければ。でもやれば、あたしはこの狂気に一生身を浸すかもしれない。やっても、やらなくてもあたしの狂気があたしを殺す気もした。


「絢香!」と翔があたしの魔法石を握ってる手を押さえつける。下にさげる。強い力が込められていてあたしは動けない。「ひけ、こいつには敵わない」


 翔の制する意味が分からなかった。


「僕はだいたい知ってる。君達の魔法、経歴、素性。かの有名な藤村絢香にあうのは初めてだけど、君に会うのは、久しぶりだ。今はなんて名乗ってるんだい?」


 じじじ……と近くの電灯が揺らめく。こんなに重苦しい空気なのに、汗はでない。重いのに熱いのに感情は冷えきっている。

 暗闇の闇が空から降り注いで、支部の灯りを侵食しそうなほど視界が狭まった。足元の白いタイルはどこまでも白く、終わりがないように私たちの周りを取り囲む。


 たんっ、と翔が次の瞬間、足踏みした。唯一彼の足音だけは澄み切った音を発している。ここに存在しているのを示している。


「翔」呟いた後、翔の歯ぎしりの音が聞こえる。


「いい名前だ。安直だけど」


 すると密はあたし達に背を向けた。背中のふさふさのフードが顔をのぞかせる。そのせいで密の純粋な黒色の髪が見えなくなる。長い前髪も、ちょっと伸び切った毛先もそこにはない。やせっぽっちの男の背中はひどく小さい。


「それじゃあ、絢ちゃんに翔。また会おう」


 支部から遠ざかる男の背中を追おうとするけど、翔の手が強くって動けなかった。どんどん密が遠ざかっていく。支部から続く街灯を渡っていく。夜の星を辿って暗い世界へと。あたしじゃ手が届かない場所へ。

 もう見えない。


 あたしは手の魔法石を落とした。カランッとガラスのような音がした。見れば、魔法石は石が欠け、白いタイルに色を付けていた。大小さまざまな粒に規則的に割れた魔法石。小さな物からその姿を薄めていく。白い色の背景を際立たせる。

 頭がそれにつれ空っぽになっていく。白い色を生地にさせ、頭の中の世界に広げる。広げてなびかせると青空が垣間見える。雲が流れてくる。大きな白い色の生地がなびく。


 澄み切った青にあたしはほっと息をついた。


「ごめん」翔の一言であたしは、元の世界に戻ってくる。


 熱せられた脳内は既に冷たい。冷静に目の前の翔を見つめる。手元は翔の手のひらが抑えていた。翔の熱や汗がじんわろと伝わってくる。


「なにが?」あたしはおどけたように聞き返した。

「とめたこと」

「別にいいよ。翔があたしじゃかなわないって知ってたからそうしたんでしょ? あたしも、敵わないこと知ってた」

「そうじゃない」


 そうじゃない、と翔が無表情に怒っていることを感じた。正直翔の表情は見えない。翔は怒る時は無表情だ。だから今も怒りながら無表情なんだ。そうだ。今だってなんだか怒りつつ悲しんでいる。


 翔はあたしを抑えていた手を離し、くるっとこちらを振り向いた。


 ドキッとした。


 その表情はあんまりにもあたしの知っている翔の人間らしくない無表情じゃなかったから。瞳が涙をこぼしそうなほどに潤い、金色に輝いている。苦虫を噛みつぶしたよう。痛みを知らない人がようやく痛みを感じて表情をゆがめたような表情だった。


 そうじゃないんだ、とあたしの気なんか知らず翔は一度呟いた。


「俺とお前の『繫がり』を知られた」


『繫がり』と言葉を聞き心が弾んだ。その言葉にこれまでの全てが込められているみたいだった。


 あたしはさっきの人のことを知らない。どれだけ危ない人か、どれぐらいあたし達のことを傷つけるのかも知らない。

 翔が怖がっているのを見るに、魔法使いじゃなくって、あたし達を敵視していることは分かってる。あたしが相手にならないことも理解していた。


 あの時飛びかかっていたら、死んだんだろうなあ。

 でも、私にとっては……



「それだけじゃん」



 繋がりを知れたのが一番嬉しい。

 あたし達は友達だ。どれだけ大きな敵が来ようと、変わらない。あたし達は、あたし達だ。


「なあんだ」


 あたしは深刻そうな顔をした翔に手を差し出した。その手を迷わず、翔は握る。この手の繫がりはとっても強くってもう切っても切れそうにない。


「別に気にしてないよ」

「お前は、そうだが」

「そう、あたしはいいの。だから、これで終わり。あたしはさっきの人を忘れる。それでいいでしょ」


 翔は黙ったままだった。俯きぎみに、何か考えている。その物憂げな表情にあたしはまだまだ見たことない翔が詰まっているのが見えた。あたしが引き出したい翔がいた。


「いいの。だから、帰ろう?」


 あたしは最大限に微笑んだ。手を強くひいて、こっちだよと指し示す。翔の体は簡単に動いて、やわらかい雰囲気を次第に滲み出す。


「帰ったら怒られるんだろう」

「あったりまえじゃん。翔は、『友達』だから」


 ああ、と観念したのか翔はしぶしぶうなづいた。


 駄菓子屋に帰ったら、きっと誉が渋い顔であたし達を見るんだろう。あたしを追い出したのは、翔が近くにいるって知ってたからだろうし、もう誉は彼の見方を分かってる。

 テラス粒子の見方さえ分かってしまえば、確かに彼の居場所なんて簡単にわかってしまうんだから。もう、逃がさないし、もうあの数週間を繰り返すことはしない。


 すぅちゃんは、びっくりするかもしれない。二人で帰ってきて、そういう関係なの? と尋ねるかもしれない。もしくは昔の記憶も思い出してるからあたしと翔とで昔の募る話をするかも。

 でも案外触れられず、そのまま過ごすかもしれない。知らないことは知らないままにしていつも通り接してくれる。うん、多分後者の方があってる。そういう子なんだ。


 きっと明日からまたあの集合場所で、全員と対面して、いつものくだらないおしゃべりして、時々部室に行って、翔と何気ないことを話して、プリントから逃げてく翔を見たり、翔を誉と追って、また翔にしてやられたり。


 今度は逃がさないけど。


 そして次の朝が来て、教室の中にあたしは駆け込む。遅刻ギリギリに来たことを誉が笑って、ユウがやれやれ、と腕をふって、すぅちゃんはタイムをとって、むぅちゃんが驚いてしっぽをだす。授業はつまらなくって、放課後は集まって。翔に類のことを聞いたりして、あたしは照れちゃうんだ。


 今度何かプレゼントとか映画とか一緒に遊びに行こう。みんなで行くのもいいし、類だけ誘ってデートをするのもいいかもしれない。


 それがあたしの日常。あたしの思っている高校生活。

 違わない、異ならない、輝きの中にいる。


 それでも、まあ、またあたしは悩むんだろうけどね。

 悩みは若者の特権だから。




 あたしは普通の女の子だ。

 誰にもできて誰にでもできないことをする。この世に平等なんてなくって、きっと誰かに頼って生きていくしかない。

 誰かのことになると、みんな一生懸命で誰かを支えたくなる。みんなおせっかいで、やきもちやきで、人のことを気にしちゃう。その一つ一つの感情が傲慢だとしても、この世を形作るものならばあたしはいいかなって思っちゃう。


 あたしは人よりも少しだけ頼られて、悩んで、優柔不断で、不自由ばかりだけれど、あたしには魔法があって、それを頼られる。期待される。

 でもあたしの感情はどうすることもできない。逆にあたしにはないことを支えてもらっている。


 魔法と呼ばれる力がテラス粒子によって頼られるのと同じだ。テラス粒子がなければこの力は使えない。

 あたしはみんながいないとこの場所にいられない。みんなはあたしがいないとその場所は作られない。


 だから、あたしはこの力が変わらず大好きだ。

 あたしの鼻も、あたしの感覚も。匂いを嗅いだ時、刺激は忘れない。一人ひとりの個性があって、嗅いだだけでその人がどういう人なのかってわかる。それが個性だ。あたしが魔法を使えるように、その人もできる何かがある。その一つ一つの輝きにあたしは惚れたんだ。


 あたしは、まっすぐに背筋を伸ばして、前を向く。


 悩みなんて当たり前だ。

 あとはあたしが誰かを支えて、支えられるか。

 気づいてあげられるか。

 言葉をかけてあげられるか。


 重要なのは、あたしがどうあるか。あたし自身が前を向いて、まっすぐ見据えることだ。これさえあれば、怖くなんてない。どんなことが起きようと、あたしは蹴散らす。できなければ、逃げるなんて手もある。時折自分が感情的になるけど、それはそれ。きっと誰かが止めてくれる。


 それで、あたしは充分だ。

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