第八話「光る世界(葬る式)」
駄菓子屋に参列する人。
黒いスーツに、黒いネクタイ。女性なら黒のスカートに、ワンポイントに黒のベールをかけている貴婦人。時折知らない少女がいたり、少女を連れているお母さんがいたり、あたしが知らないまっくろくろすけな人ばっかりで面くらった。
黒い行列は街中から駄菓子屋の森の中まで続き異様な雰囲気を纏っている。その黒の線を辿り、駄菓子屋に足を運ぶ。
普段はさびれた木のぼろっちぃ店だけれど今だけは活気づいている。こんな日なのに人が多くって、不謹慎だけど明るくって普段のお婆ちゃんの店は何だったんだ。
そんなにみんな普段は好きじゃなかったのだろうか、なんて妙な勘繰りを入れてしまちゃう。
でも、気にしちゃいけないんだろう。
私がおばあちゃんの知っていることなんて数えるほどだし。
駄菓子屋の品出しされていた店先は全て片付けられていた。駄菓子が置かれた両端にあった見上げるほど大きな棚も今は空っぽ。真ん中に備え付けられた四角い駄菓子のおもちゃ箱はきれいさっぱりその姿を消していて代わりに名簿と初めて見た知らない女性が座っていた。
お婆ちゃんは親族なんてみんな亡くなっていたし、女性が孫とかいう関係なはずはない。でもそこに悠々自適に座っている女性は黒い人々の間を縫いやってきた私を見るとまるでどこかであたしに会ったかのように笑いかけた。
薄茶色の軽くウェーブがかかった女性の髪。その髪を上にくくっている。
少しだけ濃い肌色。よくよく見れば瞳が赤黒い。でも遠目から見たら茶色で、あんまり気づかない。
こうしてみれば、どこか私たちの国ではない血が混じっていそうな女性だった。凛とした瞳に射すくめられ、私は立ちっぱなしになってしまう。
そういえば、今日の服は大丈夫だろうか。葬式なんだから、制服でいいよねなんて思ってきちゃったから、何も用意していない。
制服を確認して、あたしは再び女性を見る。
「いらっしゃい」
どこか親しみを持って、女性は手招きした。
あたしじゃない誰かに向けて手招きしてるんじゃないかって思って一瞬だけ周りを見たけど、周りは女性を見ずにただ名簿にサインして、中に入って出てを繰り返しているだけだった。誰も女性に目をやっていないし、女性も目を合わせていない。
「君だよ」
くすりと女性は笑う。
ウェーブのかかった髪がちらりと揺れて、光る。色気がふわりと香ってドキリと胸が跳ねる。
「えっと……」とどもりながもとりあえず近づき「あなたは?」
「そうだね。生前、彼女にお世話になった者というべきかな」
「彼女って」石田要、おばあちゃんのことだよねと内心納得した。
やっぱりお婆ちゃんにお世話になった人は多いんだろうか。さっきからギラギラと目を光らせてやってくる人ばっかりだったから、本当にお世話になった人なのか疑問に思っていたけど女性を見るとあまりに凛として涼し気な印象を受けたので、そんな人ばっかりではない気がしてきた。
「翠から事情は聞いてる。もう一人は来てるみたいだから、中に入って手伝ってあげて」
「早いなあ、誉」
あいつに負けないように急いできたんだけど、やはりこの街に住んでいるから、来るのは早い。用意してここまで来るのにそこまで時間をかけなかったらしい。
はい、と気を引き締める。
女性もその意気ね、と返してくれて再び黒服たちに目を光らせた。その瞳はどこか警戒しているように思えた。まるで此処に来る悪者を入れないように見張る門番のような、悪者を見たらすぐさま殺してしまうようなそんな殺気をはらんでいる。
駄菓子屋の奥間に入る時、駄菓子屋の中と外とを一緒くたに見上げたが、昼間の快晴はどこかへいっていてじめじめとした分厚い灰色の雲が空を占拠し始めていた。ここは雲様の領地だ、なんて今にも戦国時代に突入しそうだ。
「藤村絢香、か」
そう、ほんのりと女性が言葉を漏らしたのが耳の端で聞こえた。
「『僕』と直接会うのは、久しぶりだ」
先ほどとは全く違った低い声色で紡がれる言葉に私はくぎ付けになった。知らないはずなのに、どことなく聞いた声色だったから。
何にとは言わないが例えるなら女性の低い声色は誉が見つけたあの黒猫に似ていたのだ。ちろちろと小さな舌を出し、だらしなく腹を出したあの猫。類を見つけたのもあの猫だったはずだった。
いや、まさかね。
猫の声と似ているからといって、女性があの猫なはずはない。それは単純すぎるし、そもそも早々猫の獣交りなんているはずもない。それに女性には獣交りの匂いはしなかった。
つまり彼女は獣交りでもない。それなら魔法で姿を変える……とかもできるはずがない。魔法は自身に使うことはできないはずだ。あたしの強化魔法は除くとして。
とりあえず、気のせいだ。
ふんっと笑ってしまった。あるはずのないことなのに、何こんなに悩んでるんだろうと自分でもばかばかしくなった。考えすぎなんだろう。
最近はいろいろあったから、まだ悩みで山積みな自分に考えるなんて言う大きなことできているなんてその傾向だ。
奥間に入ると、そこには小さいながらも棺があった。棺の前にはいくつかの座布団が備え付けられている。その中には類の姿も発見できたけど、類もなんでか知らないが臨戦態勢に入っている。
知らず知らずに後に引いてしまった。
座っているだけなのに圧倒されるものがあって、訪れる人のピリピリした鋭い痛みも悲しみも飲み込まれる。ほんの少し前にある棺へ向けた憎しみ染みた目も気になってしまう。
そこにはすぅちゃんの姿はない。そこじゃなくってまた違うキッチンがある部屋を覗くと、すぅちゃんがドタドタとあれやこれやを用意していた。
用意している物は、食事が大半でおいしそうなものを次々と量産しては机に並べていた。こんなに用意してどうするんだって思うけど多分お通夜にいるんだろう。さっき見た通りお婆ちゃんのために来た人は何人もいるようだしその人に振舞うのかもしれない。
棺が送られたら、お通夜って聞いたことがある。
あたしがすぅちゃんの料理を作る姿を後ろから眺めていると、二階から降りてきただろう誰かが後ろからぶつかった。鼻先があたしの背中に当たり、後ろに後退する。
ちらりと後ろを見ると、こちらを睨みつける不愛想な誉がいた。鼻先を抑えていて、不格好だ。
「なにしてんだてめぇ」
「何って眺めてんの」
「邪魔だろ」
誉があたしをよけて、キッチンに入る。あたしも続けて、入るとすぅちゃんが笑顔で出迎えてくれた。
今作ったところのてんぷらがキッチンには並んでいる。
この金色の衣をまとったものは確かにおばあちゃんが大好きだったものだ。お寿司みたいな豪勢なものよりおばあちゃんは、家庭的なものが好きだ。ちょっとだけ、料理を分けてもらったことがあるから知ってる。
そういえば中学はおばあちゃんにかかりっきりだった。家出してお腹をすかして、誰にも見つからないように街を散策していると、この駄菓子屋を見つけた。そして行くところがないというと料理を振舞ってもらったことがあるっけ。
死が近くなったあたしの感覚はとち狂っていてまだぜんぜん実感がないけど、キッチンに立っているのがすぅちゃんだって理解すると自然と何かくるものがあった。
実感はない。でもくる。押し寄せる。波のような、さざめきのような、大きな津波が、襲い来る。
それが感情ではないことは知ってる。だって、感情ならとっくの昔に喜んで終わっちゃったから。類と再会できたのがおばあちゃんの死だなんて。
結局のところ死を祝っちゃってる。
そんなあたしに深く罪悪感を感じるわけで、類をさっき見てラッキーなんて思っちゃっているわけで、いけないことだ。
くるくる回る思考に、感情が追い付いていない。そのくせ違う方向に感情が捻じ曲がるからよくわからなくなる。
喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。
「これ、運ぶの手伝ってもらっていいですか」
すぅちゃんがきれいに並んだてんぷらを指さして、あたし達に微笑む。
金色にほんのり輝いて見えるほど衣は完璧に纏っている野菜たち。中央に立つのは、赤色のエビ。油の香ばしい香りがキッチンには漂い続け腹の中枢を刺激する。
ああ、食べたい。しかし、これはお通夜のためのてんぷらだ。我慢我慢。
「そういえばむぅちゃんは?」器を持ちつつ、誉に問いかけると「もう帰った」とそっけなく返された。
むぅちゃんがいないことも、何もかも悲しい。心の中にぽっかり何か空いてしまったみたいだ。何も埋められない。
誉はテンポよく器をもって、二階に上がるのに対してあたしは、ふらふらと方向が分からなくなりながらも慎重に運び出す。途中、棺の前の類をまた見て細くて急な階段を上がって。と、思ったらつまづきそうになって力強く手すりに掴まる。
そういえば翔がいない。
二階にいるかと思えばいなかった。そこは整然してなにもない空間だけ。真ん中に低い机と家庭的な料理が所狭しに並べられているだけだった。
何もない空間に、誰もいないのに料理が並べられているさまはどことなく寂しくって、賑わいが匂いとしてかげないことはずきんと心を痛ませた。
二階のベランダから見上げた空は夜になってきているのか一層どんよりと闇をはらませて何かを隠すように星を覆い隠している。次第に駄菓子屋の小さな灯りは強く輝き始めて森の中にポツンとたたずむ孤独な建物になってしまう。
ぞろぞろと訪れていた黒服たちは姿が少なくなってきている。
そんな中誉は上がったり下がったり。あたしはけだるげにキッチンに戻って、今度は汁物をお盆に乗せて運ぼうとする。
その時足を躓かせて、お盆をひっくり返してしまう。
宙を舞ったお盆は二階から戻ってきた誉にクリーンヒット。頭から汁をかぶせてしまった。
起こったのは数秒間の間。
気が付いたら、誉の濃い茶髪からぽたぽたと汁物を滴らせていた。誉の着ていた制服はじっとりと汁をにじませて色を変えてしまう。つーっと頬に汁か汗か分からない水が滴り、瞳を鋭く吊り上げる。
「鳥羽さ……」すぅちゃんが、止めに入ろうとするのも束の間、
「ふざけんな!」
意地悪い声色をあたしに向けてさしてきた。
「さっきからふらふらしやがって。邪魔ばっかしやがんなら、出てけよ」
むっとなるが、さすがにあたしもわかってる。
今なにしたって、何も入ってこない。何もやる気にならない。
類に話しかけようにもぴりぴりしてるし、翔もいない。どこにもいかない感情も思考もてんで別方向に進んで何も考えられない感じられない。鋭敏な鼻もねじ曲がっていてなにも匂わない。次第に足ももつれてけだるくって、それが行動に出てたって。
でもこいつに言われるのだけは、心底嫌だった。
「うるさいなあ」
低いあたしの声が腹の底からこだまする。
「藤村さんも……」
すぅちゃんが横入りしようとするも誉はすかさず、対向してくる。
「うるせぇのはてめぇだろ。出てけよ」
「あー、それなら出てってやる。どーせあたしなんか手伝うの向いてないしぃ」
すぅちゃんがあたし達のことを止めようと焦ってるけど、もうどうだっていい。こいつといると今はオーバーヒートして頭の中パンクしそうだ。何も考えられない。言い合いで解決できるんなら、あたしだってしてる。
でも理解されないことをわざわざ言うなんてできない。言っても、どうせ翔みたいに理解してくれない。あたしのことなんてどうだっていい。分かってくれないなら、出て行ってやる。
それから二三言罵倒しあいあたしは駄菓子屋を出ていった。誉も置き去りにして全部諦めて。
あたしは、最低だって深く理解して飛び出した。
理解されないから言わないとかあたしだって翔とおんなじだ。
落ち込んで、沈みがちに歩くと目の前にふと影が過った。その影は闇に紛れて見えずらかったけど、すんっと鼻をかぐとあいつの匂いだった。
いろいろと混じった饐えた匂い。すっぱくて甘くって、誰にもまねできない、特徴的なにおい。香りに全く意識してなくって気づかなかった。
あたしの周囲に付きまとったその濃い匂い。嗅ぐだけで分かる。
今日、一日ずっとあたしの周囲にいたんだ。彼はあたしが知らない間も傍にいたんだ。傍で見ていた。じっとそこに立って、あたしを見つめて、逆に心配していたんだ。あたしと同じように。彼も、心配が出来ている。
駄菓子屋の傍の大きな木に背中を凭れかからせた。足元には小さな根無し草。あたしに踏みつけられても元気よく伸びている。
その不屈の精神力、あたしも見習わなきゃならない。
ちくちくと背に木のささくれが刺さる。あたしはささくれに押されて、ぴんと背筋を絶たせて、足を立たせた。目の前に佇む翔に向き直る。
「居たんだ」
闇の中、うっすらと彼の影が揺れた。見えずらいが目を凝らして、必死に香りを追うと、彼がそこにいるのが分かる。
森の静かさと駄菓子屋の囁きが混じりあう。バサバサとカラスが頭上を横切り闇に闇を塗り重ねて藍色から黒に変化する環境で二つの丸い瞳が浮き出る。その淡い双眼は暗闇の中を照らし始めて、月のように柔らかく辺りに灯りを広げてゆく。
金色の瞳になった彼を見たのは、これが初めてじゃないが変化する瞳を見るだけで不思議と妙に温かい気持ちになる。
爛々と光るその瞳に手を伸ばすと、またあの時みたいに手を掴んでくれる気がした。
星は遠いけどこの近くの星は、掴める。
双眼が瞬きどこかへ行こうとする。
「だから、」
そこへあたしは強く掴む。
「待ってって」
掴んだ星は、浮き出始めて形を成す。闇が隠した影はその正体を現して、彼の姿をとらえさせてくれる。
あたしより少しだけ小さい背。それに細い体。薄い黒の髪の毛は細くって、彼の月の双眼で光っているように見える。
そこにいるのは、翔だ。
石田翔。
あたしの友達で、仲間で、大切な人。
頼りない背の彼は、手を掴まれいつもは眠そうにしている目を今は大きく見開いていた。手は小さい。腕は筋力がない。肩からは斜め掛けのショルダーバックを下ろしてる。全体的に柔くて細っこくて、でも彼は他の人よりも動けるし、そういうところが謎だった。
一言でいえば、ミステリアス。
今だって鬱陶しそうにあたしのことを見てる。踏み入ってほしくないから、避けようとしているんだ。
あたしだってそうだ。
でも、今手を掴んでるのはあの時掴まされたのはきっとお互い知りたいから。理解されないから言わないんじゃないよ。きっとお互い臆病なだけだ。理解されないと思うのが怖いんだ。
さっきのあたしと誉みたいに。怒りをぶつけて逃げ出してしまうのが怖いんだ。触れ合うのが怖いんだ。
「やっと、捕まえた」
翔の手が汗ばんでいる。細腕がなぜか震えて収まらない。向き合っているのに、お互い恐怖を覚えている。
知ることは怖い。理解されないことが怖い。だから言わない。怒って言わないこともあって、あたしはめっぽうそれで言わないことが多い。
誉なら理解されるかな、とか。理解してくれないなら怖いな、とか。理解されないだろう、とか。どれもあたし自身の問題で向き合ってこなかったつけなんだ。
それでも、あたしは翔を知りたいと思った。
友達だって思ってほしいって、感じた。あなたを心配している人が、あたしがいるって気づいてほしかった。
それは翔も同じで、翔もきっと自分に踏み入ってくる人が怖いけど、そうして欲しいって感じていたんだ。だから、あたしを助けたし、他の人も助けた。殺すことが出来ただろう状況でも、彼はそうしなかった。
彼の思う『良い人』って、きっとそうなんじゃないかな。
踏み入ってくれる人なんじゃないだろうかって。これは自分勝手な解釈だけど、翔はそれを友達だと思いたくないんだ。違う言葉で飾ったり、一緒にいる理由を違うもので例えるのは、思いたくないから。
あたしわかっちゃった。
友達って感覚が欲しいけど、知らなくって、怖くって、関わりたくなくって、だから影を薄めるんだ。自分のことを言わないのはそういうこと。
そして、自分を知って他人が傷つくのが翔は嫌なんだろう。それは辛いことだなんて濁してたけど、辛いのは結局どっちなんだろうか。
友達となって辛い本人か、それともあたし。
認めてしまったら、辛くならないのは明らかに翔の方だ。つまり辛いのは、あたしの方。あたしが、辛くならないように一定の距離を置こうとする。
でも、もう全て遅い気がする。
あたしは関わった今さら『友達』の意味を理解して距離をおいても、消えようとしてももう既に遅い。
「翔、あたし翔のこと知りたい」
理解したい、理解されたくない、理解されないじゃない。そんな最低なあたしで悩みたくない。あたしは理解されないから自分のことを言うんじゃない。
理解されるために、翔にあたしのことを言おう。
そう信じて、あたしは誉が倒れた時『友達』としてあたしは喋ったんだって。忘れてた。この感覚を思い出した。
みんな出会ってしまったからには、つながってしまうんだ。
「なんで翔は今日あたしの周りにいたの?」
間をおいて、彼はそっぽをむけつつ告げた。
「シロに、仲直りしろって言われたから」
「なにそれ」彼らしくって少しだけ笑ってしまった。
「本当、シロちゃんが好きだね」
翔は目を細めて、手を握り返してくる。あたしの手汗と彼の手汗が重なり、奇妙に一体感を感じる。細い指はあたしよりも力が入ってなくて、目いっぱいに力を込めたあたしの手で折れてしまいそうだ。
ふっと息が抜けて、翔も肩の荷が下りたように安心しきった顔をした。初めて彼の顔に笑みがこぼれた。
今まで雰囲気だけしか漂わない華やかな笑みが、表情を通して表される。それは無表情が恋しくなるほどの笑顔だった。
「場所を移そう」
翔の提案にあたしは喜んで受けた。




