第八話「光る世界(『友達』)」
「もう教室に戻ろう。次の授業の予鈴鳴ったしそろそろ始まるだろうから」
と、ユウが提案してからは早かった。他の女子三人組は「あ」とビックリマークを浮かばせてすぐに準備する真面目っ子ばっかり。
ユウがあたしに気を利かせ、誉を引きずるように連れていくと、舞台は完成した。
残すはあたしだけ。
「絢ちゃん、どうしたの?早くしないと」
むぅちゃんは翔の存在に気づいていない。ううん。気づく方が凄いのかもしれない。
どういったわけか、翔は『魔法の副作用』みたいな奇妙な力を持っているから、むぅちゃんは知らない。その副作用も本当なのかさっきのすぅちゃんの一言で疑問に思うけど。
なら、誉とユウが気づいたのはどういったわけだろうか。もしかしたらこの副作用、人によって見える見えないがあるのかもしれない。
「ごめん。ちょっと忘れ物したから先行っといて」
こんなことで騙されるほどむぅちゃんはバカじゃないのは知ってる。案の定忘れ物?ってところで踏みとどまる。
そこで現れた誉は「馬鹿は置いといていこうぜぇ」と苛立つことを言いつつ、ユウが「遅れるよ。それに、目が黄金色になってる」とすかさず言ってきたところでむぅちゃんはあたしのことなんかどうでもよくなって、屋上からの階段を駆け下りた。多分行き先はトイレ。
そうして誰もいなくなった屋上で、あたしは翔に近づく。翔は相変わらずあたしには背中しか見せていない。鉄柵の向こう側で足を投げ出している。
照りつける太陽に雲が重なりだす。雲一つない空に大きな雲が侵入してきた。もこもこっとした綿上の雲がまばらに散り始め、屋上に影を作り出す。
あたしのところはまだまだ快晴なのに、翔の場所は暗く閉ざされた影が遮った。
「何の用だ」
翔の不愛想な声。どんな気持ちか、その一瞬で悟ってしまう。居心地の悪さを感じているんだ。あたしといることで。
「用ってほどじゃないけど」
でも、言いたいことはたくさんあった。
ここ数週間どこに行っていたのか。何をしていたのか。
そしたらまた類のことについてつながってしまう。殺人鬼と会ってしまったら、その後消えてしまったら、気になるに決まってる。
それに魔法のこと。結局副作用ってどういうことなのか分からないままだ。魔法が使えないのに、今のように消えては現れて、としている現象はなんなんだろうか。
未だに分からないことばっかりで、どうにかしようにもどこからつけばいいのか分からない。こんがらがっちゃう。
けど、あの時手を握れと言ってくれたのは本当だ。あれはきっと翔があたしのことを翔の領域に入ることを許してくれたんだ。
そう信じていいよね。
「用がないならほっといてくれよ」
その翔の声はぶっきらぼうで不愛想なのに、どこか近づきたくなる悲痛な悲鳴に思えた。
本当は何か隠しているけど近づいてほしい、そう思ってるんだろう。
だからあたしは近づいた。あたしと翔の間にある雲の切れ間。明暗の境界に乗り込んだ。どっぷんと闇に沈み、鉄の柵に手をかけて乗り越えた。あたしは身軽にひとっ飛び。すると驚いた翔は立ち上がった。
彼の表情は曇っていた。戸惑っているという方が確かかもしれない。
「放っとかない。だってあたしと翔は一緒の部活仲間だし」
ほんのりと香る饐えた匂い。もう慣れてしまった彼の香り。
「あたしの友達だもん」
類を抜きにしても、翔を心配していたのは確かだって思いたい。あたしが雨の日に泣いたのは、類のことだけじゃない。
絶対そうだ。きっと、そうなんだ。
だからあたしは宣言しなければならない。翔はあたしの友達だ。仲間だ。隣にいてほしい人だ。
キーンコーンカーンコーンと、すっとぼけたようなチャイムが鳴り響く。今度は本鈴の方。
これで、あたしと翔の関係は授業のさぼり仲間が追加された。
「分からない」
翔の呆れ果てた呟き。
あたしの行動も全ては翔にとって理解の範疇外。だから翔は戸惑っている。
翔は自身の感情に戸惑っている。それがどんなものか翔自身が自覚しているかは分からないけど、あたしは少なくとも感じてしまう。翔の戸惑いも、気まずさも、居心地の悪さも、あたしに告白してしまったことで変わってしまったことも、理解はしているんだ。
翔は白い靄を散らしたような少し伸びた髪を流す。相も変わらず落ち込んだようにうつむいてしまっている。そうして諦めたようにぽつりぽつりと、言葉を選びゆっくりと紡ぐ。
「俺が此処にいるの、唐崎が知って根回ししたんだろ」
待っていれば、翔はきちんと答えてくれる。そういう人だ。
「ユウが?」あたしはそっと返した。
「誉……鳥羽や唐崎は、俺に気づきやすい体質なんだろうな。俺がもともと此処にいるのを、見越して、此処に来たんだ。面倒くさいやつらだ」
「そう……なんだ」
でも、二人がそれをした理由が分からないみたいだ。
あたしは知っている。それだって、さっきと同じ理由だってことも。あたしは気づいているのに、さっきの言葉じゃ、翔は難しいみたいだ。
『友達』みたいな関係を作るのが、自覚するのがあんまりに翔は難しくって困難で。それってあんまりにも不器用だからってことに繋がってしまうんだろうけどね。
「そう、なんだよ」
あたしは呟いていた。
翔はその呟きに一層戸惑いを見せる。鉄の柵をぎゅっと掴み体がくらりとするのを止めた。唇から色を失う。
やっぱり翔は分かんないんだよね。
「そう、なんだよ。翔。二人はね、翔とあたしを『友達』だと思ってるから、こうしたんだよ」
翔は『友達』の二単語を頭の中で繰り替えしているみたいだった。
「『友達』だから、心配したんだ」
雲の切れ間が、影が動いていく。青い空があたし達の真上にやってくる。
さらりとしたあたしの茶色の髪が揺れて、きらりと輝く。いつもの赤いマフラーを今は巻いていないけど、思い起こさせた。あたしの首元にはヒーローの赤いマフラー。
たなびかせて参上する、かっこいいやつ。
「友達だから、今あたしは翔の目の前にいるんだよ」
翔は見開かれた目に、憂いを帯びさせていた。そこから潤ませる。虚無感も、悲しみも、愛も、哀も何もかもひっくるめた感情があふれ出している。
明るい雲の切れ間がやってくる。
あたしと翔はすっきりした青空の下に立っている。ほんの一歩踏み出せば死んでしまう場所に立っていた。
でも、不思議と怖くはなかった。
魔法でも、なんでもなくってここに翔がいるってことで安心していた。だからあたしは柔らかく笑っていられる。翔に向き合って、叱れる。
気づいてほしかった。翔が「分からない」と言っている全てを。
きっと綺麗なものだから。
「翔はいつもすぐにいなくなるし、消えるし、と思えばどういうわけか知らないうちに現れてるし、何を思っているのか分からないし、窓から飛び降りたと思えば、部室に帰ってきたり。だから誉とこいつ何者なんだろうって追いかけた時もあったりして。でもさ、結局分からなかったり」
あたしだって知りたい。でも知ってしまえば傷つけてしまうなら知らなくてもいいかなって、今は思える。思ってしまってる。翔だから、そう思えるのかもしれない。
そう思えることに甘えて留まっていいのかな。
「でもね、そこにいれば安心するんだよ。いつもの集合場所で傍にいて寝ている。いつもの不愛想な、それでいてゆっくりな言葉で答えてくれる。部室に逃げ込んでいる。そういういつもいて、いつも話しかけてくれて、答えてくれて、気にかけてくれる、いなくなれば心配もする、これが『友達』」
震える指先をぎゅっと握りしめる。温もりをかみしめた。此処に翔がいる奇跡を胸に大切にしまい込む。
「だから、もう勝手にいなくならないで」
『友達』だから心配してしまうのだ。不安にさせるのだ。明日、死ぬかもしれないと考えるとこれでもかっていうぐらい落ち込んでしまう。翔がたとえ傷が勝手に治る体だとしても、それでもあんな形でいなくなられたら怖いのだ。
確かにエゴだ。エゴでどうだっていうのだ。
押し付けるぐらいいいでしょ。
翔の柵を握る手が強くなる。
明らかに何か感じているのに、まだまだ分かってない。
「理解できない」
翔が頭をふる。
「正直、俺が此処にいるのはひどく勝手な個人的理由だ。それなのに、そうして構ってくるのが分からない。俺個人なんてどうなったっていいだろう。それなのになんで放っておかない。あの教室で俺の居場所なんて些細だろう」
「些細じゃない」
「俺なんていらないだろう」
「いらなくない」
「いらないはずだ」
「あたしが思っている限りいらなくない」
魔法が使えないことを隠された。きっと魔法が使えないんだから副作用なんてのも考え付いた末の出まかせだ。きっと嘘をついたんだ。
あたしの記憶のことも、隠していた。殺人鬼に合った時の衝撃も全てないものにしようとした。
その後いなくなった。
あの時、再会した時、それが白い街の中で類と出会った時。
正直、あの時どう接したらいいか分からなかった。
分からないことだらけで教えてほしいこともある。今すぐにでも胸倉をつかんで、吐かせたいのも事実もある。でも全て翔があたしを思ってやったことなんだってこともまた事実なんだ。
「ねぇ、もう今まで通りできないのかな?」
避けないでほしい。勝手にいなくならないでほしい。それって友達として言ってはいけないことなんだろうか。
「翔があたしにしたひどいこと全部ひっくるめて許す。類のことだって、教室で目を合わしてくれないことだって、話しかける前にどっか行ったことだって別にいい。怒んないよ。だってまたこうして会えたし、今話せてるから」
いつも通りって言ったって翔は分かんないかもしれない。なんだか理論も分からないけど、中途半端で仕方ないけど、でもこれがあたしの意思。
もう迷わないし、不安をにじませない。
「これがシロの言っていた『友達』か」
翔の濁った言葉を受け止める。
でも、やっぱり心がどこにいるか分からない。
「これが? 勝手にいなくなって不安を感じさせてしまうことが? 約束を勝手に取りつけて、俺を縛る、ひどく面倒で、俺の今の居づらい気持ちよりも居場所を定めることが?」
はっと無表情のまま声だけで一笑すると翔はなんだか分からないぐらい混沌としている瞳のまま、あたしを睨みつけた。その表情にはあたしに対して少しばかりの不満を感じ取った。
その感情が類と出会ったとき感じたものとまるっきり同じで、彼の感情を見つけ、はっきりした傍ら嬉しいけど、悲しくなった。
どうするこもできないつっかえみたいなものが翔にあると分かっちゃった。
「そんなもの時が経てば辛くなるだけだ。面倒でまとわりついて離れない、そんなどこにもやれない、どうしようもないもの俺にとっての呪いだ。いらないものだった」
切れた雲間がまた戻ってくる。どんどん沈む闇にあたしたち二人は身を浸した。
どこまで行っても平行線で、何か一つ気づいても翔には重すぎたのかもしれない。彼にとってのこの関係やそんな感情は鎖だ。重しだ。生きるのに必要のないものだ。あたしには分からないものがそこには積もっているんだろう。
「『いつも通り』ドライでいよう。俺が死んだって、お前が死んだってお互い知らないそんな関係でいいだろ。何も聞きださないことには感謝するよ、でも…そんな関係俺は求めていない」
投げやりな言葉に、気持ちが荒立つ。ふつふつと沸き立って闇を吹き飛ばしたくなる。
「じゃあ、なんであの時あたしに手を差し出したの」
でも、きっとこの怒りは翔は分かんない。無理だ。
一歩踏み出す。翔はそのまま。瞳に宿るのはどこまでも深い何か。重いもの。諦めているのに、それでもあたしに助けを差し出したし、あたしに助けを請うた。
命が大事だって、あたしが傷つくのが嫌だからって、秘密の先っぽを触らせてもらった。
あの感情が嘘だなんて思えない。思いたくないんだよ。
「あの時あたしに翔が言ったことは嘘っぱちだ。本心では、こうして向き合うことに怯えているだけ。向き合って深く関わることが怖いんだ。だから、あの時手を差し出したし、此処でもそんな態度も取る。嘘をつくし、深くかかわるんじゃないかって記憶も隠した」
迷っているのなら、迷ったままでいい。あたしらしくっていい。翔は臆病なままの自分をどこまでも律している。関わらないように歯止めをかけている。
でも、もうしょうがないよ。
「なら、残念だったね。もう関わっちゃったよ。友達になっちゃったよ。誉も、ユウもむぅちゃんも、すぅちゃんも、真夜も、あたしだって、もう関わってる。もう仲間で友達。それに言ったじゃん」
思い起こすと、翔の矛盾は避けては通れない。
翔は自身でその言葉も壁も知っていて、それでも遠ざけている。受け取るなんてできないでいる。『友達』でいる辛さを知っているから。でもそれもひっくるめてあたしとの関係だ。もう後悔なんてしない。
「『良いやつだって思ってる』って。助けてくれた時言ってたじゃん。あたしあの時恋よりも、なにより翔の傷が心配だった。『握れ』と言ったあの言葉が、あなたの傷が、なによりもあたしの中で重かった。あの時、そんな理由で助けるなんて。もうこれ以上にないほど、翔は思ってたはずだよ。大切だって。みんなそうだった。あの時のあたしみたいに翔がいない期間ずっとみんな翔のこと大切に思ってたんだ。だからさ……」
翔の歯ぎしりする音が聞こえる。簡単には受け取れない意思とこれまでの経験があるんだろう。あたしが捻じ曲げるなんて、しちゃいけないのかもしれないけどね、でも知っていてほしい。
「そんな綺麗で大切な感情を、今の虚勢で塗り固めないで気づいてあげてよ。少なくとも翔は、翔自身は……」
心の奥底で分かっているはずだ。あたしが言わなくたって。
あたしたちはもうとっくに『友達』なんだって。
「自分に嘘つかないでよ」
見ているこっちが息苦しいぐらい、あたしたちは似ているし、辛い。真っ向から向き合って決めていれば簡単なこと一つもできない。
翔は、簡単だ。簡単に表面を見せるのに後から泥を塗りこんで自分の感情に封をしてしまう。
あたしの言葉になんか答えず、いつもの無表情に戻り鉄の柵から手を離した。屋上端から落ちていく体を、あたしは反射的につかもうとする。でも、すり抜けていって、翔の体が校舎から地面へと投げ出された。
瞬き一つ。
刹那、彼の姿が消える。落ちていった彼の体。突如消える存在。いつもの彼だけど、逃げたのは見て分かる。
「待っ……て」かすれた声に、それでもあたしは諦めきれなくって。
「あたし、行くから。駄菓子屋に、手伝いに行くから。その時また話そう」
そよそよとあたしの茶色の髪が見えた。足は踏みとどまっていて、落ちないように体重を鉄の柵へと預ける。黒いがんじがらめの境界にあたしは戻ってきた。そうすることが良いと、悟ったから。
あたしは葛藤している。他の人だってそうだ。変わらずあり続けるには、難しいんだってあたしはずっと知っているから。ほんの少しのきっかけで関係が壊れることだって、あるんだ。
それでも諦めずに、あたしは決め続けている。
けれど、そこにいるであろう翔に伝えるしぐさするがそれはやはり空中に言葉を投げているようで空しくなるだけだった。




