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PLANT-プラント-  作者: 千羽稲穂
第一章『青春と葛藤と恋愛と…』
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第七話「雨が降って(傘を差しかける。)」

 施設の入り口を抜け、あたしはあの日の白い村に立つ。


 白い砂と黄色い砂。八年前に汚れた血はそのままになっていて、赤黒い砂が混じっていた。だけど、あの時転がっていた死体の姿はどこにもなくって、あの時と違う異世界染みた感覚を覚えた。


 さらさらと吹きすさぶ白と黄色と白い砂を横目に、見上げる。


 曇天色の分厚い雲。大きな雨粒が降りそそいでいる。あたしの傘にあたり、跳ねて、音を立てて、白い世界の音を彩っていた。


 この施設は植物の生臭い香りはしない。どこまでも果てしなく人口の物でできていて、街と同じように建物が建っているのにまるで別世界をみているようだった。例えるならガラス越しに見る世界。傍にあるのに、偽りの世界。


 白い建物一つ一つはあの頃とどこも変わらない。錆もしなければ、木のように腐りもしない。そこにあり続けている。あたしにはあの頃の記憶と重なって、タイムスリップしているようだった。時間を操る魔法があって使えば、きっとこんな奇妙な感覚をいつも味わうことになるんだろうね。


 正面を向く。


 白い壁には薄い赤の影が。

 地面には血塗れの赤い砂が。

 傍にはあなたとあたしが。




「やっと……見つけた」




 小さい頃の記憶が重なる。

 あたしの視界は今よりも断然低くて、周りは死体が浮かぶ血の海だった。ゆらゆら揺らめいて、これは夢なのだろうって、勝手に決めつけていた。目の前には、死の海を彷徨う一人の男の人がいて、あたしはその人を助けようとゆっくりと対面した。


 ぎゅっと赤い傘を握る。あたしの名前が書かれた部分を握る潰すように、ぎゅっとぎゅっと力強く。そうして、一歩前に進む。


 彼が茫然と立ち尽くし、雨に濡れている。

 あたしは彼の元へと歩み寄った。


 すると彼は、近くにあらゆる種類の刃物を浮かばせる。なかでも一番精巧に作られていたのは、手に持っていた包丁だった。お母さんがよく使う包丁に似ている。そんな一般的な包丁だった。


 刃物は切っ先をあたしに向けゆっくり動き出す。

 と、すぐさまスピードを上げてあたしに向かい飛んできた。


 刃物。ぎらぎらと脂ののった刃物。

 ガラスの破片だったり、包丁だったり、日本風の剣だったり、西洋の刀だったり。

 あたしを殺すために、一直線に向かってくる。


 彼にはそうするしか選択肢がないんだ。


 あたしには分かる。


 ペンダントの魔法石で魔法を使って、迫りくる刃物を手を使わず破壊で薙ぎ払う。

 いくつものガラスの破片はあたしが見たら、そのガラスの切っ先から光の粒と化していく。光の塵となり消失する。日本風の剣は、その切っ先をあたしの頬を掠めるが掠めた瞬間には塵と化し霧散する。西洋の刀は放たれる瞬間に反応し、光の粒を纏いながら消えていった。


 ペンダントから漏れ出る赤い光が周囲を彩る。

 正面の彼からは何の発光も見られない。魔法石を使っていないのだろう。あの頃と同じだ。


 あたしは気にせず前に進んだ。






 八年前の時もそうだった。

 小さな足を踏みしめ、死体の上を歩き一歩一歩確実に歩みを進めた。

 彼の魔法で作られた刃物を全て破壊で壊していった。光の粒とあたしの赤い光が周囲を満たし、冷たい血の海を温かい光で輝かせた。

 そうして海の上で一人孤独でいる彼の元へと手を伸ばした。






 感じることは一緒だ。あの頃と彼への気持ちは何ら変わりはない。彼が滲ませる雰囲気から彼の気持ちがあたしはなんとなく察せる。無表情で、無言に攻撃を繰り出す彼の裏が見える。


 殺人鬼だから感じているんじゃない。彼と言う等身大の人だから分かる。


 あたしはもっともっと手を伸ばす。雨粒はあたしの手を濡らす。

 彼の体にも無常に打ち付ける。体にあたる大粒の雨はそれだけでも痛そうに思えた。


 もう少しだ。もう少しで手が届く。


 ずっと猛攻撃が続いている。刃物が近くに辿り着き、あたしは破壊で壊す。彼は刃物の創造を続け、あたしが認識と同時に光の塵へと切っ先から変化させる。


 飛んでくる。赤い光を小さく灯し、壊す。

 飛ぶ。壊す。飛ぶ。壊す。ずっと続ける。


 歩みは止まらない。


 彼は近づかれたくなくってしているのかもしれない。でもね、そんな障害全て壊してあげる。

 飛んできたもの全て破壊しきった。しかしまだ彼は、空中に刃物を作り続ける。懲りないほど大量に。

 あたしは、それに答えようとじっと魔法石と彼の魔法に対して意識し続けた。


 あなたの攻撃であたしが壊れることなんて絶対ない。

 絶対にあたしは、壊れない。刺されない。傷つけられない。

 それは彼のためでもある。






 あの頃のあたしの小さな足が歩み寄る。

 近くで「アヤ……」と皐月ちゃんがうめいた。

 あたしが傷つけた皐月ちゃん。それは彼のためでもあった。でなければ、きっと皐月ちゃんは彼を傷つけてしまうから。彼が皐月ちゃんを傷つけてしまうから。

 あたしは無視して、魔法を使い続ける。魔法の底はつかせない。

 小さな心ながらも、あたしは決心していた。絶対にあの人の元へ行くんだって。

 彼は寂しそうだった。手にある血が恨めしそうだった。表情には出さないけど分かった。どんなことを思っているのか滲み出ていた。

 彼は止めてほしかったんだ。手に血がかかることを。


 本当は翔とあたしで彼を見た時、彼の猫を掴む手は震えていたんだ。本当は自分が殺した猫の死体なんて持っていたくなかったんだ。八年前のあの時も死体の上に立ちたくなかったんだ。


 本当は誰も殺したくなかったんだ。


 彼は籠の中で一人、震えていた。救われるのを待っていた。誰も知らないところで、悲しんでいた。死体の上で怯え、また死体を増やすことに恐怖していた。






 当時のあたしとは似ても似つかないけど、今のあたしとなら似てる。

 壊すことが怖いんだ。自身が化け物となり果てる姿に怯えているんだ。でもそれをどう表せばいいか分からないんだ。あたし達は壊すしか脳がないから。


 雨粒と光の粒が交差する中、傘の下であたしは過ごしている。


 今は大丈夫。もう大丈夫なんだ。あたしは。雨宿りの仕方をみんなに教えてもらった。

 嫌だけど、誉に救われた。翔に優しくされた。だからあたしは血の雨が降る中、傘を差せた。


 白い村の中、彼はあの日からずっと待っていたのかもしれない。あたしだけ時間は進んでこんなに成長したけど、あの日から数十センチも身長が伸びたけど、すこしだけ彼に近づけた。


 ガラスの破片が腕を掠めた。服に赤色が染みわたる。

 すぐにガラスの破片を光の粒に変化させる。

「だから……」






 血の雨が降っていた。

 肉と化した死体は真っ赤なお花を咲かせ、ごろりと転がる。誰が誰かも知らないのに、目の前の彼はそれを見て泣いているような気がした。

 幼いあたしの目にはずっとそう映っていた。他の誰かが『違うよ、あいつは笑っているんだ』と言ったって聞かない。あたしが一番彼の感情を分かっているんだから。

 彼は何も感じていないはずがないと思った。何も痛くないはずがないと思った。当時のあたしと似ているのに、どことなく違ったその感性に惹かれた。あたしもそうありたいと思った。あたしも悲しみたいと思った。赤で笑っていたあたしを殴りたくなった。もやもやした感情を吹き飛ばしたいと思った。

 だから彼にはそのままでいてほしかった。

 あたしもそうありたいと思ったから、傍に行きたかった。

 そして、告げたかった。






 傘だけは刃物を向けさせなかった。傷一つつけさせない。

 あたしは彼の傍までたどり着いた。


 あの頃のあたしと今のあたしが重なった。

 大きな彼は、今と何にも変わらなかった。






「もう大丈夫だよ」

 彼の周囲に投げられた刃物が萎れて、力なく地面に落ちていった。

 目先には彼の姿がある。記憶が重なり、血まみれのあの日の彼の姿に見えた。






 そうだ、あの日の彼は血まみれだった。体も、心も。悲鳴を上げていた。それにみんな気づかなかった。


 あたしは分かったよ。理解してたよ。だって、彼、感情が隠せてなかったもん。






「あなたはずっと悲しいだけだったんだよね」


 あたしは赤い傘を彼にさしかけた。


「ずっとずっとあなたは悲しくてどうするべきか分からなかったんだ。だから、壊すしかなかった。あなたの感情はずっと刃として表されていたのにね」






 記憶の破片がぱらぱらと降り注ぎ、繋ぎ合わされる。

 血の海の死体があった。ぷかぷかと浮遊する赤まみれのおぞましい光景。これが感情だった。彼の、殺人鬼の感情だった。

「でもね、大丈夫だよ」

 血でしか感情を彩れなかったんだろう。そうとしか表せない人生を歩んで来たんだろう。

 あたしとは違って、あまりに純粋で美しかった。感情の一つ一つが、繊細だった。手に取るほどに漏れ出て壊れた。






「もう、泣いていいんだよ」


 今度は傘を差しかけて、雨をしのぐんだ。







 遠い日の記憶で小さなあたしが血まみれの男に抱きしめられた。

 そして、二人してその場に崩れた。血の海に沈む中、男の頬に一筋の涙が見えた。

 ああ、あたしってこんなに幸せでいいのかな?

 なんて思ってあたしは暗い血の海に身を任せた。






 ぽとり。

 小さな感情の一粒が彼の頬に線を引いた。

 あたしは片方の手で彼の頬をなでる。

 ぐっしょりと濡れた頬にほんのり温かい感情の粒が流れ出してきた。


 ぽとりぽとり。

 ぽとりぽとり。


 あたしの手を温かくしてくれる。


「要さん。お婆ちゃん、亡くなって悲しかったね」


 雨粒で晒された冷たい体に暖をとっていく。彼の無表情に、涙だけ流れている。


 これから少しずつ感情の表し方をこうして覚えればいいんだ。これから、彼になくなった表情を見ていくんだ。


 ううん。あたしはずっと見てみたかった。彼のことを。彼の感情を。殺人という方法以外で。


「ねぇ。良かったら名前教えて」


 彼の口は小さく動く。声は出ない。口が動くだけ。

 ずっとずっと前に、その声は枯らしてしまったのかもしれない。でも、声がなくても分かる。



『るい』



 るい(たぐ)いと書いて類。


 そっか。やっぱり、噂してた人だ。あたしの当たりだ。


「類、覚えた」


 雨音はあたしの声をかき消さない。彼の感情を隠さない。傘の中であたし達は出会う。あの時は血の雨の中だったけど、今はそんな雨は降ってない。


 傍にいるよ。あんな雨は降らせないよ。あたしは雨の中に君を一人にしないよ。


「あたしは藤村ふじむら絢香あやか。藤の花の村に絢爛な香りって書いて藤村絢香」


 あたしは類の頬の涙を拭った。


「辛かったね。悲しかったね。あたしも……ずっとずっと辛かったよ」


 あたしの感情もあふれ出しそうになる。


 あたしはずっと思い出したかった。彼を恋焦がれた時の八年前出会った記憶を。やっと思い出せた。やっと出会えた。やっと、目の前に立てた。


 あたしの感情と折り合いがついた。


「初めまして。これからよろしくね類」

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