第七話「雨が降って(少女と見えない街)」
「その子どうしたの?」
口うるさい黒木香奈さんがあたしと皐月ちゃんを見て顔を顰めた。
今からパトロールに向かうんですぅと幼いあたしはきゃっきゃっと喜んで答えた。いけー皐月号、目の前のうるさいお姉さんを殺せーとか言ってみたり。
幼いあたしはしたい放題。やりたい放題。
付き添う皐月ちゃんはあたしを担いで、肩に乗せた。肩車して、その後支部長になる黒木さんと相手する。一緒ににらめっこした。
「何か文句あるかー」とあたしは腕組する。
「陰田くん」
黒木香奈さんはそれでも引かなかった。数分にらめっこして、はあと黒木さんは息を吐いた。
「しかたないわね」
ぱぁっとあたしは笑顔を輝かせた。
「でも」
人差し指をあたし達二人に翳して、
「私も同行するからね」
八年前。まだ香奈さんはただの魔法使いだった。支部長でなくただの魔法使い。この出来事の一年後香奈さんは夫のハチさんに代わって支部長になる。
資質は十分だった。その上、当時香奈さんは素質以上にある噂でもちきりだった。世界最高魔法耐久時間が彼女によって更新されたってこと。だから、彼女自身にも魔法の自信があったと思う。だれもハチさんに代わっても不平も不満もなかったんだ。本人以外は。
あたし達は支部を出て、三人一緒にパトロールに出かけた。あたしは肩車されながら、皐月ちゃんの頭の上で、あっちと指示する。皐月ちゃんはやれやれと言ったようにあたしが指示した場所へと足を進めた。
その時ニヤニヤさせながら、香奈さんが「その子とは何歳差?」と聞いて来た。
「今年でアヤカが小学校三年だから、俺と八歳差っすね」
「年の差ねぇ」微笑ましく香奈さんは見つめて来る。
「そういや、香奈さんはハチさんと九歳差でしたっけ」
「ええ、彼はとっても年上だったわ。でもね今はもう立派な夫婦だからね。年の差なんて関係ないから。頑張って、アヤカちゃん」
そう言った香奈さんの目の下には隈が色濃く刻まれていた。彼女の悲しい気持ちが染み出していた気がする。そんなことよりもあたしは違うことに気が向いてて、香奈さんの言葉や顔から悲しんでいるのは知っていたけど気にしていなかったかもしれない。
かごめかごめ
かごのなかのとりが
いついつ
皐月ちゃんと支部へ来るときも、来た後もずっとずっとかごめの歌が聞こえていた。
さっきまで降っていた雨はもう止んでいて、でも分厚い雲はまだあって、自然とその分厚くて灰色の雲を見上げてしまっていた。でも、不思議と嫌な雰囲気はしなかった。
プラントが現れるような不穏な匂いもしなければ、あたしの心が黒くなるどす黒さも陰っていない。
傍に皐月ちゃんが居て、魔法がとってもできる香奈さんが居る。これだけでも安心だし、何よりあたしには自分の力の底を知らないっていう自負があったから、何が来てもへっちゃらだった。
「と、言うか陰田くん。その子、プラント来た時危なくない? 私も居るし、あなたもいるから別に大丈夫だと思うけど、少し不安だわ」
香奈さんがあたしを伏目がちに見て来る。
「大丈夫っすよ。アヤカは香奈さんが思っているほどやわじゃない。きっとこいつの力、香奈さんが見たらき驚くから」
皐月ちゃんはあたしのことをよく知っているからか、気味悪げににやついた。こういうところちょっとだけ、性格悪い。
そのあと、なあアヤカ、と振られてあたしは「うん。そうだよ」とまた無邪気に大きな口を開けて笑った。多くの魔法が出来ないものを嘲笑って、あたしは幼くも見下した。
うん。今もそう。魔法が出来ない奴のことが本当の所分からない。あたしはこんなに出来るのに、感覚的に力を込めたらできるのに、それなのにみんなしないのが分からない。あたしって本当は悪いやつだよね。翔が良いやつって言ったって、本質的にはあたしは悪いやつなんだって知ってるつもり。
この時だって、あたしはみんなを巻き込むことなんて何も考えてなかったのかもしれない。
するすると記憶が紐解かれていく。現実はあの殺人鬼を探しているのに、頭の中はあの日のままだ。あたしは巻き込む。多分この時に起こったんだ。この時、あたしはあの人に会ったんだ。まだ思い出せないけど、あたしには分かる。
皐月ちゃんはなんでか憔悴しきっていて、悲しい目をしていた。何かこの時あった後だったんだ。香奈さんも隈が色濃いし、もしかしたらみんな何かあった後であたしに逃げ込んできたのかもしれない。
でもね、あたしの記憶は告げているんだ。
「皐月ちゃん、こっち」
あたしが指さした先に先にと皐月ちゃんと香奈さんを連れていった。その先で、あたしは巻き込む。運命の紐は絡んでいき、もう引き返せないところまであたしは二人を連れていく。
街の森林の中にある駄菓子屋の近くまで来た時だった。あたしは皐月ちゃんの肩車から飛び降りて、くるりと一回転した。感覚的に方角を決めて、二人をこっちこっちと誘い出した。
そっちからあの歌が聞こえていたのだ。あたしの鼻は、甘い香りと鉄錆びた匂いを感じていた。あの饐えた匂いはまだまだしない。あるのはあの血の匂いだけだった。
さくさくとテンポよく草を踏み分けて、ぴょんぴょんとカエルのように土を踏みしめてそこへと向かう。ポケットの中の魔法石はころころと転がり、クッキーのように二つに分かれそうな勢いだった。
大きな木は増えていき、県境の山に近づく。そこは道もなければ、人の気配もない。おまけにプラントの匂いもしない。生臭い雨粒にさらされた植物が生えているだけの森林だ。道はない獣道で、足まで伸びた草に着いた泥水があたし達の服を汚す。
そこまで来たらパトロールの範囲外だ。
「引き返しましょう」
香奈さんは不安になり、眉を顰めた。
「いや、このままにしましょう。アヤは鼻がある」皐月ちゃんが鼻を指さした。「香奈さんの目みたいなものが、ね」
香奈さんはそれを察すると、こくんと頷いた。
あたしはそんな二人を見て不思議だった。なんでここまで来てこの周囲の風景の変化に気付かないのだろうかって。
あたしは二人の二三歩先を歩いているだけ。それだけでもあたしには違う風景が見えた。おおよそそれは森の中にあるには異質な風景だった。知らないうちにあたしは何か踏み越えていたのかもしれない。
二人はあたしが動くのを待っていて、こっちに来てくれない。むすっとして、あたしは皐月ちゃんの元へ行き、手を引いた。
瞬間皐月ちゃんから小さな悲鳴が聞こえた気がした。多分びっくりしたんだろうね。あたしはその境目のものと相性が良くて、ばちっと雷が落ちたみたいな痛みを頭に感じなかった。普通にすり抜けた。
皐月ちゃんが頭を抑えながら「どうしたんだ」とあたしを見上げた。
途端彼の目が大きく開かれた。口が小さく開く。小さな穴から白い歯が覗かせた。
「ねぇ、此処凄いね」
皐月ちゃんとみている風景が一緒になって、ドキドキした。
周囲を見渡すと、それは小さな村があった。時代外れの小さなかやぶき屋根の家や、コンクリートむき出しになった四角い家など建っている場所が全く違う家が建っていた。下は大きな砂の道が敷かれている。それが大きな木を門にして真っ直ぐに奥へとつながっている。
まだ目が慣れていなくて、先が曖昧に見えるけど、そこは明らかに誰かが住んでいたように見えた。しかも大勢。古ぼけた村。誰か住んでいた気配がある。一方で誰の生気も感じられない。
「ここは……」
皐月ちゃんが小さく呟いた。
「まるで秘密基地だよね」
子どもながら、これから此処を秘密基地にできる、と嬉しがっていた。




