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PLANT-プラント-  作者: 千羽稲穂
第一章『青春と葛藤と恋愛と…』
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第七話「雨が降って(少年と血を操る魔法使い)」

 短い髪の毛の先から雫が次々と滴っていく。

 もうこんなに前髪が伸びていたのか。知らなかった。


 目の近くにある前髪をそっといじくると、指先が冷たい液体に触れた。もうすっかり全身が冷えている。それなのに、この指先だけはいやに鮮明に冷たい痛みを訴えてくる。


 こんなに感覚が新鮮だと感じたのは久しぶりだった。ここ最近はあの老婆の姿を見るだけで、心はすっかり疲れ果て、自身の存在がないものだとして感じていた。

 今は違う。冷たく重い物が心に重く圧し掛かり、悲し気な瞳で俺を見上げるのだ。「翔」と俺の名前を呼んだあの記憶が、あの瞳が柔らかい眼差しでみて来る。


「おかえり」


 なんどとなくその名を呼んでくれたあの人はもういない。

 今はそんなことはどうでもいい……はずだったのに。


 ぐっと堪えて、目の前の風景を目に写す。辺りを見てみると、一面に雨模様。暗く沈んだ黒が陰り、森を沈ませていた。たった一人の老婆を弔うべくして静まっているとさえ思えた。


 あの老婆は、彼女は、それほどまでに植物達に愛されていたのかもしれない。この八年間、彼ら、植物が動かなかったのはきっと彼女の人柄もあったのだろう。俺はそれに少しだけ加担しただけだ。でも今日はそうはいかない。


 俺が立っている太い木の枝は軋む。重さに耐えられない枝だったのか、みしみしと下に下がっていっている。俺はそのまま下に下がる枝に乗っていた。このまま下に下がり、折れて、落っこちて、地面に叩きつけられて死ねるなら、それでもいいとさえ思えていた。

 体がだるく、何とも言えないしこりが喉につっかえる。


 八年だ。

 長くもない。むしろ短いぐらいの年月だけ一緒に居た人だ。


 乾いた笑いが俺の口から漏れた。


「たったそれだけ。それだけしか居なかったのに、いっつも情が移る」


 俺は自分を自分で皮肉ることでしか言葉を扱えないのか。結局この言葉は、俺の声は慰めるためにあるのか。俺は何のために、ここにいるんだ。


 まだ頼まれたことはたくさんある。思い残していることも。大抵それは他人が残していったものだ。俺のものじゃない。それは誰かに頼まれたことなのか。誰かに「よろしく」と言われたものなのか。


「あなたは優しすぎる」


 いつかシロが言った言葉が浮かぶ。

 多分、そうだろうなあって、自分で納得しているつもりだ。俺は頼ってしか生きてない。他人に優しくする生き方でしか生きていけない。それに何の意味があるのだろうか。どうせみなすぐ死ぬのに、意味なんかないのに。


 落下していく。


 何も考えずに生きていたころは、言葉も知らなかった。恐らくただ生きていて、ただそこに存在していただけだった。俺はそこにはいなかっただろう。俺は今「石田翔」として存在するが、八年以上前は名前もなかった。そう呼んでくれるものが居るうちは、俺は俺でいられるけれど、じゃあ数十年前は、八年前は、結局それは俺だったのだろうか。


 また一人亡くなった。最後に彼女にしてやれることはないだろうか。俺が彼女でなくても、彼女の約束を引き継げるのなら、そうしていたい。今はそうでしか生きていられないのだから。縋ってしか今の俺は生きていられないのだから。彼女の最後の思いだけは……


 態勢を整える。足を下に向けて、着地した。隣で大きな枝が地面に叩きつけられる。足に大きな負荷がかかりしびれる。その場に佇み、治るのを待った。このまま立っているのも暇なので、俺が居た上を見上げる。

 

 枝は大きくさかむくれしていた。幹の方を見ると、枝が折れた場所が、皮がめくれたようにむき出しになっていた。薄茶色の幹が顔を覗かせる。


 かさかさと草が靡き、歌っているようだった。風が音をのせて過行く。どんな歌でもそれは同じだ。しかし、それは雨の音でかき消されているようだった。今この場でしか聞こえない。特別なもの。


 雨が降り続く。雨粒が一層肩にかかる。

 傘は持ってきていない。飛び出してきてしまったから。


 これから、どうしようかと思っても考え着くのはあの殺人鬼の後を追うことしかなかった。あいつはまた人を殺すことになったらそれこそ老婆の苦労が報われない。だから、飛び出したはずだった。飛び出したのに、いざ上から探して見るとどうでもよくなってくる。


 いけない。


 その時一瞬にして雨の中の空気が変わるのを感じた。今まで平凡にして、通常通りに動いていた日常が、一瞬にして重さがなくなり、雨粒が色味を帯びていく。辺りの森がざわめき始めて、草が騒々しく動き始める。大きな風は吹き抜けて、その場でとぐろを巻き始める。


「俺は擁護しない」


 彼女がそうしたようにするのは、もう無理だ。

 近くの木がもぞもぞと動き始めた。これまで動くのをやめて、そこに隠れていた植物だろうか。それが何かをきっかけにして、体を左右に動かし始めた。その数は今までだと一本だったが、今回は数本と集団になって動き始めていた。ゆっさゆっさと左右に揺らめく。


 こんな時に外れくじを引いたらしい。


 天にまで伸びた細長い木。相手するのに何時間もかかりそうな相手だ。

 そもそも俺はこういった戦闘に向いていないのだ。アヤカや魔法使いの連中なら大きな相手に慣れていそうだが、あいにく俺は魔法使いでもなければ魔法も使えない。出来ることと言ったら、いつも体中に隠している拳銃やナイフでけん制するだけ。大きな技は無理だ。


 雨がうっとうしい。ぺたぺたと前髪が張り付く。顔に伝う雨粒一つの感覚がこそばゆい。


 目の前には数本の『敵』。


 相手はゆっくりと動いているので、今のうちにもっている拳銃をズボンのポケットから引き抜く。ロックを解除し、いつでも撃てるように左手で銃を肩まで持ち上げ、もう右手で引き金を持つ手首を支える。銃口を向け、指を引き金に添える。


 瞳を数回瞬きし、光の粒を瞳に浮かばせる。光の粒が入り乱れて、よく見えない。こいつらの核となる埋め込まれた魔法石さえ壊せば動かなくなる。やつらはそれを嫌がるから、必死に暴れるだろう。暴れられるとこの光の粒が群がり、核の光の粒の群れ位置が見えない。

 いつもならこの光の粒が群がっている箇所が核だと瞬時に分かるのに。


 一先ず、光が入り乱れて、動いている根に向け引き金を引いてみる。

 ぶわっと光の粒が銃声と共に広がる。俺の体を過ぎて、また漂った。より一層光の粒が増す。銃弾が撃ちこまれた箇所は抉れた木の根が出来ただけでそれほど大きな損傷は受けていない。


 いや、受けてなさすぎる。少しだけ木の皮が捲れただけ。これではほとんど、いや撃ち込んでいないのと同じだ。


 左手に銃を持ち、右手で周囲の雨粒と光粒とともに振り払った。


 と、その瞬間後ろから足に細い何かが巻き付き、体が宙に浮いた。根はそこで右に大きく動き、動いたとともに離される。俺の体は右へ大きく投げ出され、大木の一本に体を打ち付けられる。背後の木は小さく「く」の字に曲がった。


 めきめきと体が痛みを主張する。骨が折れたのか、それとも何か脱臼したのか、もうどれでもいい。ただ痛みに中途半端に慣れたせいで、痛みが鈍く続く。


 まだ腹を刃物で貫かれたところが治っていないのに、この仕打ちはあんまりだ。

 じわじわとまた腹の傷から、血が滲んでいくのが感じ取れる。


 この木のすぐ傍にはあの駄菓子屋があった。それに、この森はあの鳥羽やアヤカ、盾倉に唐崎、あいつがいつも集合場所にしているあの場所もある。俺は近くの街を壊されるのはどうだっていいはずだ。こんな街、俺の縁もゆかりもない。でも場所を壊して、俺の知っている人を傷つけるのだけは許せないのだ。


 この数本の木は、この後今いる森を壊した後、人を襲い、この街を占領するだろう。魔法使いがそうはさせないかもしれないが、あの数本の木の型だとありえるかもしれない。数が多すぎる上、大きい。


 雨の粒や光の粒が振り払われたとき見た、あの木の再生力と創造力。あの木達は自身の根の複製を作り出していた。だからこんなに目に写る光の粒が多かった。しかも創造していた、となればこの木達は自身の核となる魔法石を使って、魔法を編み出していたことになる。

 つまり、こいつらはーー



 ーー魔法型だ。



 俺では相手にならない魔法型。しかも大きい。分が悪すぎる。

 自身の根を引っこ抜いて、木達は地上に足をつかせる。どれも縦に長い。こないだアヤカが倒した梅の木とは大違いに光の粒が多い。


 まだこんな奴らがこの街に留まっていたとは思はなかった。

 俺には魔法が使えない。それに持っているのは、どれも小さい暗器ばかりだ。

 攻撃がやむまで体がもつ気がしない。だが逃げるわけにもいかない。

 木達がこちらに近づいて来る。獲物を殺すために。




「今井」




 低い男の声が聞こえた。

 背をつけていた木が小さ軋む音がする。俺はすぐにその場から数歩右に飛び移り、ちらりと声がした方を見る。

 先ほど俺が居た木が大きな平べったい刃物で横に切られ、俺の頬に刃物が擦れる。背をつけていた木はその刃物を持っている者に背後から蹴り倒されて、前方の木達の方へ落ちていく。木はその落ちていく倒木を躱し、倒木越しに右左へと別れ、勢力が分散する。


 平たい刃物はすぐに形を変形させ、斬った刃物まで戻っていった。

 その刃物を持つのは大柄な男。黒い艶のある髪をしていた。

 雨を物ともせず、その青とも黒とも言えない双眸を輝かせ、目の前の木達に対面する。


「今井」男は誰かを呼んだ。


 次には、男の持つ細く長い刃物、おそらく刀だ。これにまとっている血のように赤い物体が変形する。先ほどは大きな平たい形だった、しかし今は刀から離れて、俺の持っている拳銃と同じ型に赤は変態する。形状が決まると、男はぶんどるようにして宙に浮かぶ赤い拳銃をつかみ取った。

 赤く鈍色に輝くその拳銃は雨に濡れて、重苦しさを増す。


「そうこれだ」


 満足そうに、男は片手で木達に拳銃を向ける。


「もっと説明してほしいんだけど。田沼に合わせるこっちの身にもなってほしいなあ」


 今度は女の声が背後からする。

 後ろを振り返ると、大丈夫? と痩せた体躯の女がいた。俺に手を差し出してくる。


 田沼と呼ばれる血の色をした刀を振るう男はどしゃぶりの雨の中服が汚れるのも気にせず、単身そのまま動く木に向かって行っているのに、この女は透明な傘を差して、見ているだけだった。女の両手首には深い傷がついている。


 ぽとんぽとんと木の隙間から落ちる大きな雫が傘に当たっている。

 一粒一粒女の手首から赤黒い点が滲み出て浮かび上がる。


「あんたたちは?」


 あまりに奇怪な魔法に驚いて俺は差し出された手を無視して、喋ってしまっていた。

 彼女は少しだけ考えて、ポケットの中からある一粒の小さな石を見せた。


 大きな銃声が鳴る。


「魔法使い」


 笑顔で彼女は答えた。

 小さな石。青く輝く中に星のようなちかちかと光る粒が石の中に浮いている。しかも彼女の持っていたものは赤い紐でネックレスになるように通されていた。これが世間一般で言う魔法使いの持ち物であることは俺だって知っている。


 だが魔法使いにしては妙な点があった。

 目の前の女の手首から漏れ出ている血には確かに光の粒が見えるからこの血は女の魔法だとしっかりと分かる。しかし、あの男にはない。


 この視界に浮かぶ光の粒は魔法に群がるものだ。あの男は、魔法を使わずあの血のような物体を操っているのだろうか。そんなわけない。魔法使いに、魔法を使えないものがいるわけなんてない。


「私は君の方が何者か知りたいけどね」


 俺は無言を貫き通す。


「別にいいけど。たまにいるよね。自分にもできるだろうって立ち向かっていく人。それにしても君は拳銃とか、いろいろ隠し持ち過ぎだけど」


 女、確か田沼に今井と呼ばれていた方は俺に手を差し出すのを諦めて、ただ傍に居て傘を差しかける。雨粒に浸された全身が軽くなった。


「魔法、使ってない」


 俺の話題を逸らそうと、そっと俺は田沼の方を指さす。


「おっ、君、鋭いね」


 田沼は拳銃で連弾し、木達をけん制する。ガチンと引き金が止まり、もう片方の手に持つ、刀を構える。


「まあ、見てて」と今井は手に先ほど見せた石を力強く握って、小さく発光させた。「形は大きなひらっべったい感じに……」ぶつぶつと今井は口に言葉を含ませる。


 田沼の方をまた見返す。手に持っていた拳銃がまた動く。その拳銃が水のように破裂したかと思えば、赤い水は刀の赤い物体へと集まる。それを横目で見た田沼は態勢を低くする。刀を腰に据える。その目はギラギラと勇ましい。


 刹那、刀は振り払われ、田沼から大分距離がある分断された片方の木は横に真っ二つに切り裂かれた。あの刀の赤い水が切りつける一瞬、大きく平たく変わり、すぐに引っ込んだ。まるで刀の斬撃で切りつけられたようにみえるが、俺は見逃さなかった。

 これなら再生する隙を与えず何度でも切りつければ、いつかは核にあたる。魔法型の木達が創造した物も今の斬撃で振り払われた。


「ってな、感じで私の血であいつの武器をいじくってるのよ。

 あいつは武器だけ扱いが上手いからねぇ。しかも魔法使えないし。

 でもねさっき君が言ってたように確かにあいつは魔法が使えないけど、武器だけでも十分に他の魔法使いとわたりあえるから、魔法使いをしてい……る…わ…け?」


 今井はにっこりと再び俺の方を向いたが、俺はそこから離れていた。彼女は不思議そうな顔をして周囲を見渡すが、すぐに田沼の方に不機嫌そうに振り返った。


 近くの大木の陰から魔法使い二人を見る。こんな奴らがこの街の支部に居たんだな……なんて考えている暇はない。


 ここはあいつらに任せたら十分だ。相性も良い。

 それにしても魔法を使えない者もいるんだな。それが魔法使いをやっているのは、狂っているとしか言いようがない。狂った奴らの集団とは聞いたが、登用しようとするやつもやつだ。俺は上の奴らとは相変わらずに相いれない。

 これからどうなるのだろうか。あの婆さんが死んだあと、俺達の居場所はない。その上に俺らの存在がばれたのなら……


 頭をふり、今はバレないための最善策をとることにした。

 今はあいつを、殺人鬼を、類を見つけなければならない。

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