第六話「悲しんで(老婆の追想)」
忘れてはならないのは、この第一次PLANT殲滅戦がその後二年続いたと言うこと。
私は二年間、彼と一緒に戦場でなんとか生き延びた。私には魔法の素養が少なからずあり、他の者よりも扱いにたけていたのだ。
二年後退役する時、その時になると魔法にも種類があると発見された。それは元ヨーロッパらへんだか西の方の国で。
そんなことは私にとってはどうでも良かった。
それよりもアキラには居場所がなく一緒にそれから住むことになったほうが重要だった。戦後は私の故郷に帰り、一緒に暮らすことになった。
私は十八歳。アキラは二十五歳のことだ。
そこにあったのは、狂おしくも、悲しい現実。
弟と白が待っていると思っていた。
しかし、帰って見ると叔母だけが家に居た。
「あの子は死んだよ」
戦場に行っていないはずの弟は執拗に来る役人の目をくらますために私と同じように戦地に赴いていた。そこで、弟は知らぬ間に亡くなり、知らぬ間に、遺体は処理され、知らぬ間に、消えていた。
肝心の白はどこへ探しに行っても見つからず、その姿を消していた。散々探して見つかったのは、私達が隠れ家にしていた空き家の横には見慣れない大きな木が生えていることだけだった。
白も、弟も私を残していってしまった。
「私も一人になってしまったんや」
ぽつりと告げた言葉が宙に彷徨い、私は立ち尽くした。すると隣に居たアキラがそっと抱きしめてくれた。
アキラと同じように一人になってしまった。孤独に打ちひしがれた私を優しく抱きしめてくれた。
彼は「僕が居るよ」と何度も言ってくれた。
「どこにも行かないで」
何度も何度も繰り返したはずなのに。
私は一人だ。
どうしようもなく一人だった。
一人になってしまった。
□■□
戦地に赴いたのは二回。
最初の戦場でアキラと出会った約十年後。
私は再び戦地に赴いた。
今度もPLANT殲滅戦だった。『第二次PLANT殲滅戦』。一回目の戦争は『世界大戦』、この二回目は『魔法戦争』なんて呼ばれている。
と、言うのもこの二回目、確実に魔法が確立された中での戦争だったから、魔法に手慣れたものが配置されていた。私もその一人で、アキラと共に参戦したのだ。
しかし、PLANT殲滅戦なんて名ばかりのものだ。殲滅するにも、私達の火力があまりにも強くやることといったら専ら身内同士の手柄争いだった。
戦争が始まった当初アキラと私は「今度も必ず生きて帰ろう」と誓ったものだ。しかし、戦争が苛烈していくにつれてその誓いも、必ずというものにならなくなっていった。手柄を横取りする他の人に巻き込まれ、亡くなるものもでてきていた。
その陰惨な出来事が続く中で、いつしか私とアキラは誓いを忘れていった。
人間と言うのは恐ろしいもので手柄などのような、その人を認められるものがあるならば人をも殺せるほど残虐になれる。この戦争もそう言った現象はよく見られた。
アキラと私はそんな手柄争いを巻き込まれないようにし、なんとか生き伸びていた。
彼はもうすでにこの頃にはなんとなく気づいていたのだろうか。
私も彼もほんの少しこの戦争に疑問を持っていた。どんな疑問かと言えば、それは後から気づいた疑問だったから、『疑問』と確実にその表現をするのはおかしな話だろう。その時はほんの少しだけ陰りがあるその現象に対しての不安、それがその時の疑問だった。
この現象を、上はただ見ているだけだった。第一次も第二次も、世界戦争も魔法戦争も、確かにその現象はあった。それなのに上は何も言ってこなかった。
彼はそのことに対して何も言わなかった。私を気遣っていたのかもしれない。
そう言えば、第一次PLANT殲滅戦でアキラと倒したあのPLANTは最後の最後、動かなくなったところまで見なかったなあ、なんてどうでもいいことを、不安を見ないように思い出していた。
□■□
ある日の戦地の森の中は静まり返っていた。
目の前にいる兵士たる若い者たちは、血気盛んでプラントを見つけられるよう目を凝らしていた。
暇だったのだろう。
私とアキラは
「動く植物のこと『PLANT』って言うらしい」
「何で?そんなのどこで命名されたん?」
「上の奴らがそう呼んでるって聞いたやつがいたんだ。それで『PLANT』」
そんな会話をしていた。
戦場でアキラ以外と一緒になったのは初めてだった。
それは手柄争いに巻き込まれたくなかったのもその理由の一つだったのだけれど。この時は魔法を教育するのに、上から命令が下ってしかたなく同行していた。任されていたのは、数人の魔法教育と、動く植物の対処。
数人は魔法を実践しようしたくってたまらないといったようで、ずっとぴりぴりしていた。しかし、動く植物がくる気配は全くなかった。
私と彼は経験があるからよく感じ取れた。今日は動く植物は来ない。襲ってこない、そんな経験で動いていた。私と彼お互いが感じていたら、それはより強固なものだった。確信を得て、歩いていたはずだった。
大きな木。大きな葉っぱ。空は青空で雲が流れていた。空色はまるで水彩の青絵具で塗られたように広がり、美しい滲みを演出していた。木々から見えるその空に伸びをした。
その時、かさっと音がした。
私はその方向へ顔を向けた。
大きな木々が立ち並ぶ先の先に小さな影を見た。人の形をした影が動いていた。凝視すると、その影は白い肌をしていた人だった。違う班だろうと、決めつけた。
その一人でいる人は手を振っていた。私の方へか、私の班の子にか、手を振っていた。その手がちらちらと振られているので、まるで白い旗を振っているようだった。
白い旗が忙しなく振られる。
ふるふると、何度も何度も振られる。
「あの人の知り合いって誰やろうな?」
隣にいるアキラをちらりと目を向ける。
――気づけば、誰も居なくなっていた。
「あんた?」
慌てて周りを見渡す。それなのに、誰もいなかった。
うっそうと茂る草。足元を動かすと、ねちゃっとした感触があった。見ると、何かが靴に付着していた。その一瞬でその感触がなんなのか思い出した。これはこの戦場でよく見るあの赤色だった。
しかし、どうしてだろうか。さっきまで、彼と私と他の子を引き連れて、魔法も出来て、それなのに、一瞬でその場が血の海に染まっている。
落ち着いて、目を閉じて心を沈ませる。鼓動が速くなっている気がした。知らず知らずのうちに、記憶が飛んでいるような気がした。
幻想的な少女の手が見えたところまでは覚えている。
……あら?
いつからか『少女』とそこで認めている?
そこからだんだん記憶が戻ってゆく。
ずぶずぶと足が泥沼に沈んでいるような感覚があった。それは私がたった一人、どこかの異邦の土地にいる感覚と似ていた。ここは安心できない場所となった、そんな焦った感覚が心を支配していっていた。
最初に思い出されたのは恐怖。
とてつもない真実をこの目で見た。
『俺が引き付ける』
彼がそう言って、私を後ろに回した。私はそれがどんな現状か判断できなかった。彼の前方を確認しようとすると彼は、その大きな体躯で前方を隠した。私に見られたくないようなものがあったのだろう。そうしていると彼は前方に魔法で土壁を作った。
思い出される。
あの時の壁は轟音と共に作られたが、一瞬のうちに崩れ去っていったのだ。
そして、目の前には小さな女が立っていたのだ。
その子は小柄な女性で、赤い髪を靡かせていた。瞳は金色に輝いている。ビーズのように美しく透き通った瞳を持った子だった。さっき手を振っていた子だった。
彼が何か話していた。その子と何か話していた。
「そうか、これが政府のやりたかった戦争か」
その時会話していた彼の一言。
あの会話の中身は、これだけしか思い出せない。
「ごめん」
ごめん?
「結局俺は約束も守れない」
――ダメな男だ。
そう言えばアキラの笑った顔を、本当に笑った顔を最近見たっけ?
いつだったか、彼は私のことを見て笑った。最初の頃はよくそうしてくれた。その笑顔がとっても恥ずかしかったけれど、私は彼の笑顔がとても好きだった。一緒に居てくれる、と言ってくれたことより何より、それで私は彼を好きなったのだ。彼が彼らしくいつも笑っているから、私は安心できた。
いつだったか、故郷に帰ってから……いや、もっと前だった気がする。もっともっと前に彼は、本当の笑顔を忘れて、私に違う笑顔を見せ始めていた。彼は何かやっぱり知っていた。
いつだって、知っていて、隠していた。
だから、先にいってしまう。私達は二人でちゃんと成り立っていたはずだった。
「結婚しない?」
彼の声がまだ耳に張り付いている。そこ言葉は脳髄の奥の奥の奥まで染みわたるまで行ってくれた誓いだった。
そんな誓いを破るの? こんな簡単に?
目をそっと開ける。
目の前には血の吹き溜まり。血だまりに沈んだ幼い子どもが所在なさげな目を向けている。誰も彼もそこに体をうずめ、血を体に染みわたらせている。土に生えていた緑色の草の姿はなく、どれも血で染まり、体を擡げていた。そのため、草は血の中に沈み、見えない。
ちらっと見ただけで、さっき一緒に歩いていた子供らだと分かる。こんな経験何度もしていたから、さすがに吐きはしないが、気分は悪くなる。その時点でもけだるげな体をなんとか言うことをきかせて、血の吹き溜まりに足を踏み出す。
肝心のアキラを探さなければならない。
私は彼とは一体どうしたのだろうか。あの後一体何が起き、一体なんでこんなところでひとりでいるのだろうか。
思い出す。そっと蓋をしていたものの続きを開け放ち、私は面と向かいその現実を受け入れた。そうでなければ今の現状を納得がいかなかった。彼は一体どこに居るのか、これを分かるためには、急ぐしかなかった。
「さよならだ」
彼が私を突き放した。もうその時には私と彼しか生き残っていなかった。足元には誰とも知らないただの遺体。もうそこに彼らを知るものはない。
目の前の少女はそれでも妖艶に私達に笑っていた。まるでアキラを手招きしているように感じられた。
「俺が要を逃がす。何としてでも」
そんなことしなくてもいい。私は生きなくていい。何もかも失った今なら、もうあなたと一緒に死ぬ方がいい。
この戦争だって、彼が行くと決めたから、私は彼と死ぬつもりで来たのに、これでは意味がない。一緒に居て、一緒に死のう。だから、食い下がらない。
「そんなの許さない」
私は頭を振り、彼の後ろの服の裾を離さなかった。しっかりと握ったその手は汗と血でまみれて、力を入れなければすぐにでもするっと抜けそうだった。
「もういいよ」彼はそんな私に震える声でいなす。
「ダメだよ。これでは決心が鈍ってしまう」
「いいんやで。私も戦うんやから」
「はは。僕は嫌な奴さ」
だって……
「そんな要が嫌いだったから」
そういってアキラは、後ろ手に私を力強く押し出した。
私は、何もできなかった。後ろによろけてその場に座り込んだ。
足元には溢れんばかりの肢体の数々。その死体を尻目にして、彼の後姿をずっと見ていた。ひんやりとした物体の感触も、水辺のような卑しい色の湖も、そこに留まらせられる、孤独さを一層感じさせた。
どうして私を置いていくのか、彼を理解できず、彼の嫌いの一言に傷つき、そこで躊躇った。
これは全て嘘だ。この事実は全てないものだ。
さっき手を振った少女はきっと私達に近づき笑顔で『こちらは大丈夫ですか』と敬礼してくる伝達部隊の一員だったのだ。そうすれば、私はこんなひとりぼっちにも、ここで蹲っているなんてこともなかった。彼と共に死のうと参加したはずが、置いて行かれるなんてことなかったんだ。
切り替えられる脳の記憶と、行動は私の思考を停止させた。さっきあった出来事を塗りつぶして全て一から再生される。
まだ薄ぼんやりとした記憶は全てではないが、それが本当に起こった出来事だった。私は訓練を受けている。どんなことがあろうと再び記憶を呼び起こすために、何度も過去を振り返ることを強いられていた。だから、こうして早くに記憶は戻って来た。穴の開いたものだかったけれど、それは完全なる私の記憶だった。
だから、これから見るものも、その続きに他ならない。あってはならないけど、それを視なければこの記憶の証明にはならない。
足元には肉片。どうしてこうなってしまったのか、少しだけ懸念する。でも、それを考えてもしょうがない。人はこうして簡単にいなくなる。忘れられる。
忘れたくない。
だから、私は回顧する訓練はきつかったけれど一番好きだった。亡くなった弟や、これまで戦場で失くしてしまった感情を容易に思い出せるようになるから。家族との幸せな記憶も、鮮明に思い出せるようになるから。それが魔法の創造につながっていった。
そうしていつしか、私は戦場でまみれになりながら一人立っていた。
足元は黒ずんでいた。衣服は汗臭く、赤の染みができている。手や腕は返り血かそれとも私の傷か、仲間を殺した時の勲章か分からないものがへばりついている。
目の前には点々と続く血の印があった。その周辺には木々が並んでいる。どれも身を隠せるほどの大きな木だ。この木が何本も過ぎていく。歩いていると、木は後ろに後ろに過ぎていく。もう昔に殺したPLANTに寄生された仲間も思い出せない。記憶がこの戦場の記憶で塗りつぶされていく。
訓練していたはずだったのに、愛おしいアキラを思い出そうと私の大切な過去を塗りつぶしていく。
私は汚れている。これからもずっと。汚していく。
生きてていいんか? そんな訳ないやろ。
汚れたままで、生きていていいわけがない。愛する仲間も全て手に賭けた私がそれをするにはあまりにも罪が重すぎる。枷がなさすぎる。罪はあるのに罰がない。
ほら、ごらん。
木々の隙間からカレノスがタが見えㇽでしょ?
足は宙に浮き、木に寄り添いながら右に左に揺らぐ。足から土に伝いぽとぽとと滴るのは赤い雫だった。それは調理の過程で絞られたチキンが血を噴出させ血を滴らせているのと変わらなかった。どこもかしこも血の泉ができているのに、彼の袂だけは血の水たまりだ。
力なく首から上は下を向き垂れている。首には蔦のようなものが絡まり、その蔦は木の上から垂れていた。太くそれでいて根のような蔦だった。ほんとに木の根なのかもしれない。
その顔を見ることが出来ず私はやっと口を覆った。
彼が死んでいるのを直視できず木の陰で腰を抜かした。肩で息をして、目を大きく開ける。
周囲の死体は全て刃物のようなもので切り裂かれているにも関わらず、彼だけ絞殺されていた。恐らくは、私の見落としもあるだろう。刺殺された中にも彼のように蔦で絞殺されたものもあったかもしれない。
しかし、それにしても彼だけはその状態が違った。誰かの手で、丁寧に殺されているかのよう。そこにきちんとした意志があるよう。
あの少女がやったにしては彼を持ち上げる力はない。考えられるのは、あの少女がどこかの誰かと共謀しやったのかもしれない。でもそれでは、第三勢力があることになる。
そんなことはない。この戦争は確かにPLANTを相手にしているはずだ。どうして人間がそんなことを。どうして、あの少女の瞳はあんなに金色に。
いや、そんなことはない。
もしかしたら、PLANTを使って?
そんなこともない。
全部違う。嘘だ。分からない。私はどうすれば。
分からないものだらけでもう収拾がつかない。
どうしてこんなことに。
思い起こしてもこの出来事は一瞬過ぎて、分からない。
忘れてはいないのに、感情がせめぎあって、どうしたらいいのか、分からない。
……りん
鈴の音がした気がした。
……ちりん。
鈴の音がした。
その方向に見上げると赤い毛並みに金色の瞳の少女が立っている。これは幻なのだろうか。そこに彼女は立っていた。先ほどと変わらない姿で。
「あの人が言っていたわ。あなただけはって」
金色の瞳の少女が私の頬をなでる。頬に飛び散った血は乾いていて彼女の手にはつかない。彼女の手は美しい白のまま。彼女の手は、彼女の見ている世界は純粋でまっしろのまま。
「慈悲をあげましょう」




