第六話「悲しんで(老婆の思い出)」
死体がぽっかりと空いた穴の下に幾重にも重なっていた。死臭が鼻をさし、思わず顔を顰めてしまう。死体はどれも私より年齢が上で、女性や男性などの性別もまばらだった。共通しているのはどれも魂がない青少年だってことだ。
その穴の淵に私は佇んでいた。
今日からこの穴の淵に立つことになる。そんな生死を分けた戦いに赴くのだ。そう考えると、心がざわめき、不安で押し潰されそうになった。怖い、どうしてこんなところに来てしまったのだろうか。何故私がこんな目に合わなければならないのだろうか。
まだ私は死体の年齢よりも、幾分か下だった。まだ十五歳かそこらで青年になった彼らと戦場に立つことになってしまっていた。
周囲には忙しなく動く人々。看護師が、左足を負傷した男を看病していた。しかしその男は既に動かなくなっていた。それなのに、看護師はじっと彼の手を握って離さなかった。じっとその光景を見つめている。目には涙も浮かべずにじっと……
そういうけが人が何人も運ばれてきては、すぐに物言わぬ死体となっていった。草むらに布を広げられた簡易な病院の中で私だけが異質で、孤独で、そんな世界から隔てられているようだった。
怪我人がずらりと並べられていく。その奥には司令部のキャンプがある。そこは布で仕切られていて、中で何をしているか分からない。
これが第一次PLANT殲滅戦に私が参戦した初めて目の当たりにした光景だった。
血と汗と、死臭が蔓延っている。
しかし、それもこの戦争の一部に過ぎない。私が見たこの光景は、あくまで戦争の外面的なもので、相手もはっきりしてものだった。
私がこの戦争に参加するにあたって、二つ聞いていたことがある。
一つ相手は植物であること。動く植物を殲滅することが最優先されるとのことだった。
もう一つは、魔法石を実践に使うものだということ。今まで魔法なんてものもないと思っていたのに、いきなり小さな石ッころで戦えと言われたのだ。
不安で堪らなかった。
支給された魔法石はいびつな形をしていた。手で転がそうにも、上手く転がらない。そのへんに捨ててある石みたいだった。しかし、意識を石に集中してみると、確かに大きな力が宿っている感覚が体から湧き上がった。しっかりと魔法石を握る。
私は待っていた。
初日のこの穴の前で私の相方と落ち合う手はずになっていた。
第一次殲滅戦と言ったって、徴兵された戦いということはなく、そのほとんどが魔法を使いたいばかりに自ら手を上げた者が参戦していた。私はその中の例外だ。当然手を上げた者達は人格がある程度破たんしている者が多いと覚悟していた。
その日会う相方も、もう片方がいなくなったから、私に乗り換えたのと同じなのだ。だから、死体を葬った後すぐに落ち合えるようにここを集合場所としたのだ、そう思い込んで私は待っていた。
どれだけ気持ちが落ち込んでいたのか、今でも手に取るように分かる。全身から脱力感が抑えきれず肩が落ちて、ショルダーバックが何度も落ちそうになったのを、掛けなおした。
鼻が死臭にようやく慣れた頃、その人は私に話しかけてきた。
「お疲れ様」
あまりにも緩い出会いにしまらない。
「お疲れ様です」
反射的に言葉を返してしまった。そして、彼の姿をまじまじと見つめた。
彼は目を真っ赤にはらしていた。髪は少しだけ灰がかっている。肌はほんのりと黄色い。体はしまり、どっしりと構えられていた。その瞳の色が珍しい水色をしていた。吸い込まれそうなその水色に、言葉を無くし、彼を見つめてしまった。すると彼は、恥ずかし気に目の下を擦った。
「相方を葬って来たんだ。恥ずかしながら、泣いてしまってね。そんなにおかしいかい?」
「いえ」
葬るも何も、この穴に一緒くたになって積み上げるだけの死体に、彼は感情を揺るがせていた。この戦場で、その感情は余りにも稀有に見えた。そしておかしな人だった。おかしな青年だった。おかしな年上の、相方だった。
「不思議な人やなあって」はっとなって、私は口を抑えた。「いえ、何でもありません」
方言が出てしまった。しかも初対面に対して「不思議」なんてとても失礼にあたる言葉を、言ってしまった。恥ずかしいのは私の方だ。もっと、毅然としならねばならないのに。私は戦場に立つと決めたのだから、せめて人前だけは私の選択を正しく見せたかった。私はただでさえこの戦場で年齢が下で、ぺーぺーにもほどがあるのだから。
怒られると思っていた。挙句嘲笑われて下に見られると。しかし、彼は小首を傾げた後、肩をすくめて、噴き出しただけだった。彼の笑い声は戦場のキャンプに響いた。彼は驚いて魔法の発光反応を示した。
傍には忙しなく動く人々。物言わぬ病人。足を無くした兵士。何の戦場も、戦いも知らぬ青少年達。その中で彼は一番年を食っているように見えた。一番疲れてやつれていたように見えた。それなのにも関わらず、皺をよせ、からっからに乾いた笑顔を見せた。その笑顔の周りが晴れていた。いままでの重い雰囲気を吹き飛ばした。
「方言かい? なかなか可愛いじゃないか」
くくくと冗談交じりに彼はまだ笑っている。私は、その表情を茫然と眺めて、言葉を頭に伝わせた。言葉が脳に浸透していくと、顔が一瞬にして熱くなった。
「可愛くなんかないわ」
「いやあ、若い若い」
「若くなんかないわ」
むきになって、言い返すも、その言葉でさえ彼はさらりとかわして軽口を返してきた。彼の口調はどこか明るく、この戦場であるにも関わらず、安心させてしまう。自分をだしてしまう。
「いやはや、こんな若い子が今度の相方だとは思わなかった。僕は石田だ。これからよろしく小人さん」
差し出された手を握らなかった。代わりに私は腕を組んで仁王立ちをする。相方とは対等でありたかった。これから危険を共にする相手となれば、守られても、下に見られても、いけない気がした。
「下の名前でいい。今日から命預けあう仲やろ。私は要。よろしく」
「じゃあ、要、で。これからよろしくお願いします」
「名前は?」唇をつきだした。
「ああ、そうだった。僕の下の名はアキラだ。アッキーって呼ぶ?」
「あほか!!!」
これが彼との出会い。今の今まで私が独り身なのは、この出会いがあったからだ。そう思うと、シロは申し訳なく感じるだろうか。もしかしたら私がこの戦場に行き着いた先で出会ってしまった彼と言う存在が今の私と、私の枷を作っているのなら、それはそれでいいと思って、申し訳感じるより、優しく「良かったじゃない」と言うのかもしれない。
もっと違う場所で違う相手と出会っていれば……それは考えてはいけないことだ。それでも、違う選択肢を夢見てしまう。もしかしたら、もしかしたら、と。
知りたくなかったし、見たくも行きたくもなかった戦場だ。しかし、唯一あの戦場で嬉しいことがあったとすれば、やはり私は彼と出会ったことを上げるだろう。運命と言ってしまえばそれまで。後悔はそう言ったもの。運命を変えられたのではと言うたった一つの希望なのだから、こうして悔恨するのもあながち間違ってはいないのだろう。
□■□
植物の姿をこの目で捉える。敵は森林に紛れて素早く移動している一粒の綿毛だ。木を盾にして、次から次へと姿をくらませる。そのままこの戦場から姿を消す気だろう。
ふざけるな。
この第一次世界大戦は、お前らが一斉に動いたから、しかたなく私達が魔法と言う手段をもって、動かなければならなくなったのに、逃げるなんて。
持っている魔法石に意識を集中させる。
「やっぱ、おかしいな」
アキラが呟く声が聞こえた。それは気のせいだったかもしれない。彼はその時、遠くの木の上からプラントを狙っていた。でも今にして思えば、それすらも嫌な虫の音の一つだったのかもしれない。遠くの声なんて私には聞こえない。それこそ、魔法の副作用のような特殊な目や耳、それに鼻がなければ。私はそういったものに恵まれてこなかったから聞こえるはずない。
だから、この声はおかしかったのだ。私の胸のどこかからきたつっかえかもしれない。
アキラが上からプラントを狙っている。その間に私が魔法で周囲を囲う。行き場を失ったプラントを狙い、アキラがプラントを狙い撃ちをする。それがいつものやり方だった。
第一次の戦争においては二人組で移動し、刈る。それがこの戦争のやり方だった。
綿毛が飛ぶ範囲は限られてくる。森の中の大木の二つ分。これぐらいなら私が囲いを作ることが出来る。
魔法石を光らせて、私は大木二つ分の周囲に透明な幕を張った。それはぬめぬめしているが、触ると炎症を起こす類の水だ。一瞬にして貼られた膜は、鮮やかに森を覆った。きらきらした輝きを放ちながら、空中を漂う。そこを一筋の光の線が引かれた。
残って後に続いたのは、光の線と撃ち抜ぬいた銃声。
私の持っていた魔法石は塵となり手元から零れ落ちた。この魔法石は塵となるタイプだったらしい。つまりは安物だ。硬く、魔法の回数が多い物は塵にならず、そのままの石となって形をとどめる。
「終わったよ」
背後からそう言ってアキラが下りて来る。腰には魔法で作った縄が括りつけられている。上の大きな木の枝と縄は括りつけられていて、命綱として使われているのが伺えた。その縄でさえ、端からぽろぽろと金属が錆びて朽ち落ちるように崩壊していた。
アキラは少しだけ笑みを含ませて私をみやる。口の端に笑い皺を刻み、縄を崩壊を促せるために手で軽く腰を払った。大柄な彼の肩は筋骨たくましく、歴戦の重みが感じられた。そんな彼の笑みに私は安心してしまう。
良かった。今日も彼の足を引っ張らずにいられた。
と、思った瞬間頭上から大量の水が降り注いだ。空中で水はお役御免となるとお湯に変わり、雨のように降り下りて来たのだ。ざーっと疑似的な雨が私達を濡らし、私の長くなった髪が垂れた。アキラの服がぺっとりと体に張り付き、二人でわーわー喚き散らした。
そんな戦いのさなか、私は感じていた。
彼は、どう感じていたのだろうか。今となってはどこからどこまで本当でどこからが嘘か分からない。でも、この記憶だけはぼけた今でも覚えていた。全てを失っても覚えていようと何度も思い返した。そういう訓練を毎日行っていた。
記憶の扉を開けては閉めて。開けては閉めて。覚えてる、この記憶だけは私だけの宝物。アキラと二人だけしか居なかったの空間での、私だけが知っている景色。鮮やかに。
雨が降り終わった時、彼が私に向けて頭を撫でてくれた。
よくやった、とかそんな言葉があったのかわからない。もうそんなことは忘れてしまった。ただこの行為一つで、アキラのことを特別に感じたことは忘れていない。
彼は満面の笑みで、とても嬉しそうに歯を見せて笑っていた。雨に垂れた彼の髪の毛が茜色に照りかえっていて輝いていた。美しい赤と藍色が混じる境界線を一緒に見上げた。
手が届きそうな空に二人抗った。
食べてしまいたいぐらい美しい光景だった。
そんな彼がどうしようもなく愛おしく、どうしようもなく……




