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PLANT-プラント-  作者: 千羽稲穂
第一章『青春と葛藤と恋愛と…』
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第六話「悲しんで(少年が居ない日)」

 ぽたりと垂らした一滴が楕円形になって道路に染みこんでいく。その楕円はすぐに数を増やし、アスファルトの道路を濡らした。


 まるで世界が泣いているみたいだ。そんな感傷も、あたしのもやもやも全て洗い流してくれそうだった。


 久々に早起きして行く登校風景はどこか違う世界に見えた。隣には携帯の画面を見ながら歩く男子高校生がいるし、違う歩道では魔法を使って、何かを作りながら楽しそうに歩いている女子高生がいる。そのどれもあたしとは違う表情をしていて、雨なんて気にもしていない。


 この雨が永遠に降れば、それはどんなにいいことだろうか。どんなに悲しい事だろうか。どこかで音をたてて、破裂する日常が愛おしい。それなのにいつもと同じ日常だ。


 あたし、この雨を知っている。この、寂しさを知っている。この、悲しみも、この痛みも、知っている。夜には彼のことを思い浮かべる。朝には集団の中に彼がいるかどうかを探している。彼に触れられるとしたらと考えると、胸が痛んだ。


 そうしたら、ついつい道の真ん中で立ち止まってしまう。学校ももう目前なのに、たった一歩が踏み出せない。

 頬に伝う雨は、果たしてどちらなのだろうか。この悪天候のものなのか、それともあたしの……



 後ろから誰かが傘を差しかける。


「絢ちゃん、風邪引くよ」


 その声は聞きなれた声で、いつもの学校のチャイムと同じように安心できた。ほっとしていると、はらはらと目からとめどなく涙が流れた。振り返ると、あたしの涙を悟られるので、じっと前を見ながら、肩を震わせていた。


 あたし、自分が今どんな気持ちなのかよく分からない。


 悲しんでるのに、どこかほっとしている。あの姿の彼に出会えたことにすっごく嬉しいのに、今のこの瞬間が、彼を知らない瞬間がどれだけ続いていたのだろうかと考えると、怖くなる。辛くなる。忘れていたことに、あの彼のことを思い出そうともしてなかったことに、自分を怒りたくなった。すっごく、大事な人だったのに、すっぽりと記憶が消えているんだ。


 こんな姿見られたくない。


 後ろから背中をさすられる。その手は柔らかくて、温かい。


「ありがとう、むぅちゃん」


 盾倉矛月ちゃんは優しい。その優しさについついいつも甘えたくなる。


「何があったか分からないけど、辛いのなら相談のるよ?」


 俯くと、むぅちゃんのスカートが見えた。雨でスカートの端が濡れて萎れている。そのスカートの傍に、ズボンが近寄って来る。こちらは二人分だ。ズボンのすそは泥水で汚れて、本来の色より濃く、重くなっている。一人は背が低く腰がちらりと見えて、もう一人は背が高く腰が見えない。


「誉、祐、先行ってて」


 駆け寄って来た二人の男を、むぅちゃんは話しかける。この二人には、いや背の低い方には情けない姿を見せたくなくて、毅然として振り向いた。目から落ちる涙は手の甲ですぐにふき取って、頭を上げる。


 さらっとあたしの短くそろえた茶髪が頬に掛かる。曇天で日差しがないせいか、いつもの輝いているあたしの茶髪は生気を失っている。


「いや」駆け寄った一人、あたしの宿敵である鳥羽誉が遮った。「俺も待つ」


 その言葉に意志がこもっていた。黒い瞳に、濃い茶髪をした彼はまっすぐにあたしのことを見つめている。その立ち姿はりりしく、頼もしい。


 傍らにいた唐崎祐はその選択に笑顔で頷いていた。あたしよりも背が高い。髪はスポーツ刈りで、見ただけで野球部なのが分かってしまう。その肩には学校指定の鞄ではなく、斜め掛け出来る大きなエナメル鞄がかかっていた。


 二人とも傘を差している。三人があたしに透明な傘を差しかけている。透明だから空の暗雲がよく見えた。透き通った傘はそこにあるようでない幻だ。雨宿りするには快適な場所だった。


 心が落ち着くまで、そう決めてあたしは三人の言い分にのることにした。

 あまりにもその空間が優しくて、甘えちゃった。


 引きつった頬にまた涙がこぼれてしまう。



 □□□



 暫くして、やっと落ち着き、あたし達は遅めの登校をした。そのことについてむぅちゃんも誉もユウも不満も不平も言わない……



「あーあ、どっかの誰かのせいで遅れたじゃねぇか」



 前言撤回。そこまでこいつは優しくなかった。



 誉は不平不満をたらしつつ、靴箱を開ける。当然そこには誰のラブレターもない。ただ、その隣でユウが靴箱を開けているところを見ると、ラブレターが三通ほどひらりと落ちていた。


 昇降口にあたし達は三人だけだ。時間的に朝のホームルームで、登校してくる生徒は見当たらない。整然と並べられた靴箱は、誰も居ないためか寂しそうで、ぽつんと一人ひっそりと佇んでいるように見える。


「誉がモテないのがよく分かる発言だねぇ」あたしはいつものように誉の悪態を、にやりと笑い返した。


 誉はお隣のユウをちらりと見て、少しだけ目を吊り上げた。そしてあたしに向き直る。戦闘態勢万端。あたしは次に何を言うか、ありったけの嫌味な言葉を準備する。


「祐、誰から?」


 ……と、した時、むぅちゃんの声で遮られた。


「一組の子だ」


 ユウが一枚のラブレターを拾い上げながら答える。

 けっと誉がばつの悪そうな顔をして、むぅちゃんをちらりと目をやった。


 おそらく、あたしと誉の言い合いを止めようとしてむぅちゃんは普段言わないことを言ったんだ。それも、ユウの気に障るようなこと。だって、ユウはむぅちゃんのこと……


「まだ五月だって言うのに、凄いね」祐に近寄り、むぅちゃんは微笑みかけた。


 あれ?


 まるで彼女はユウの心を知らないみたいだ。気づいてないはずないよね。だって、まだここ数か月しか付き合ってないあたしだって分かったのに。もしかして、だけど、いやいや、そんなことはないはずだ。


 さっきはあたしと誉の喧嘩を止めようとして、言ったんだよね?


「悪趣味だ」誉がぼそりと呟くのが聞こえた。


 その意味がどういった理由かは分からない。目の前の風景を誉は、そっぽを向いて、目を伏せていた。


「ああ、どんな子かまた見て来るよ」ユウがむぅちゃんに優しく笑いかけた。

 むぅちゃんは深く頷いて「うん。付き合ったらさ、また教えてね」


 恋かあ、いいなあ。なんてむぅちゃんは頬に手をやり、上を向く。


 その光景にぞっとした。背筋に悪寒が一瞬走り、吐き気がする。あたしはどうしてそんなことを感じたのか分からないけど、目の前のユウが遠い存在に感じた。それに乗せられているむぅちゃんは気づいていないんだ。あたしは人一倍感じられるから分かる。ユウは本気で誰とでも付き合えるんだ。さっきの一言は、あたしにそれを確信させた。


「誉、ユウってモテるよね」気を紛らわせようと、誉に吹っ掛けた。

「何だ。あいつに惚れたのか?」


 何でそんな返ししか出来ないんだか。


「どうだろうね」ケロッと思わせぶりな発言をしたら、誉が頭を掻く。

「あいつと付き合うのはやめた方がいい。あいつはお前が思っているほど綺麗じゃない」


 それは一種の忠告とも取れる発言だった。その発言はどこまでも深く、彼を表しているように思えた。彼はどんな人? と言われると、今の私は分からないと言ってしまうだろう。誉やむぅちゃんは分かるのに、ユウの捉えどころのないひょうひょうと嘘をつくあの雰囲気は、あたしには分からない。彼が、彼だけが分からない。


 恐ろしい。


 最初に会った時、その端正な顔つきからちょっと惹かれた彼だけど、今は分からない。裏にどんなことを抱えているんだろう。それを覗き見るのが引ける。あたしの狂気とは、また違った狂気をはらんでる。


「ね、絢ちゃん。絢ちゃんは好きな人いる?」


 むぅちゃんがとんとんと肩を叩いて来る。とんとん、よりもちょんちょんと軽く叩かれて少しだけ和んだ。むぅちゃんはいつも通りだ。いつも通り可愛くて臆病者だ。そんなに気を使わなくてもいいのにね。


「好きな人、か」


 思い出されるのは、やっぱりあの殺人鬼の彼ことだった。彼に抱くこの感情がまさにそうだと言うのなら、あたしはどうすればよかったのだろうか。


 あの時、翔が傍らに居た。腹がどういったわけか刃物で貫かれた。あれはきっとあの殺人鬼の魔法だ。刃物を生成して、それを動かした。違った場所から出るようにした、こっちの方がしっくりくる。あの銀色の刃物、とてもきれいに輝いていた。とてもとてもきれいに、鮮血をまとっていた。あたしは、あの状況で誰も殺さない選択肢を選んだ。だから、翔を持って逃げた。


 あの時翔を見捨てて、彼のことをもっと知れたかもしれない。なんて一番やっちゃいけないことなのに。それでもあの人が気になって仕方なかった。


「あー、絢ちゃん、さては好きな人いるね」


 あたしが考えていたら、むぅちゃんがあたしをいじってきた。その表情はいつもの自信なさげな様子はなく、にやにやと口元をにやけさせている。


「好きな人……」口にすると、ぽっと頬が熱くなる。「い、るかも」


「絢ちゃんが恋してる!」


 本当にそうは思ってなかったのか、むぅちゃんが驚いて目を大きく開く。多分「いないー」とか言って、いつものあたしを取り戻させようとしていたのかもしれない。あたしこういう話題っていっつも冗談気味に返してたから。


「嘘だろ。お前がそんな女子っぽいこと」


 誉が悲惨な声を上げているから、思わず思い切り頭を叩いてしまった。縮めっ!身長。



 □□□



 丁度朝のホームルームが終わり、先生が教室から出て来たところ。そこにあたし達は出くわした。廊下であたし達を見た先生はやれやれと言った風に手を振る。


 先生は今年三十路になると言っていた。そのわりに、四十歳のような老け顔をしていて、いつも暗い雰囲気を漂わせている。その雰囲気を取っ払ったらそれなりに生徒から好かれそうな性格と真面目さと、クラスを引っ張っていく度胸を持っている人だと思うのに、いつも自信なさげだからあまり好かれてない。

 「あの人っていろいろ普通だよねってお姉ちゃんがぼやいてたよ」と最近よく喋るようになった舞薗真夜が噂していた。


「先生もいい人ができたらいいのにね」


 ESSの部室で、真夜はおしゃべりしていた。ここ最近入り浸っていると思えば実は彼女も顧問にESS部とソフトボール部を兼部していた。こいつとは絶対合わないだろうな、なんて考えていたんだけど、意外と気が合って、部室にいる時はぺちゃくちゃとおしゃべりしている。


「いい人?」

「もう、絢ちゃん勘が悪いなあ。奥さんのことだよ」


 奥さん、つまりは結婚。つまりつまりは……好きな人。


 いけない。最近気持ちが塞いでるからか、恋みたいな話題に頭が向いている。これもあれも先生がぱっとしない人柄をしているからだ。


 そんなある日のESSの部室の出来事をほんのり思い浮かばせる。

 今はどうでもいいことだ。


 遅刻した私達のことを何も言わずにおいて、先生は職員室に戻ろうとしていた。


 そこで教室から先生の後を付けて今度は黒木翠ちゃんことすぅちゃんが出て来る。


 黒い長い髪に、無表情。青い瞳をあたし達に向け見開かせた。大きく瞳が見える。まるでブルーサファイアのようで美しい。

 こうしう瞳をした子は確かに珍しくないんだけど、すぅちゃんみたく青い瞳に、どこか外国人染みた顔つき、それに白い肌をした子は少ない。茶髪とか、緑の瞳とか、見かけるには見かけるけどどこかに黒が入っていることが多いし、今居る国の顔つきなのは変わらない。彼女は教室の中では浮いていない性格をしているが、容姿は浮いている。でも、人間関係を築くのは上手くて、するするといじめをかわしている。


「おはようございます」


 丁寧なあいさつを私達にした後、すぅちゃんは先生に向き直った。その先の言葉をあたしは知っている。ここ数日聞きなれた、その言葉。あたしも同じように周りに聞きまわった。


「今日も石田さんは休みですか?」


 先生はいつものように返す。

「今日も何も聞いてないよ」


 そうだ。ここ数日石田翔は学校に来ていない。あの殺人鬼に会った時から姿を消してから、あたしはやつのことをあれから見ていない。駄菓子屋に行ったけど、開いてないし、中から生気も感じられない。部室に避難しているのかもしれないと思い、毎日行っているけど、そこにもいない。手あたり次第探して、靖神社とかも行った。どこにもあいつはいなかった。おまけに学校も無断欠席が続いている。


 遺体もないし、生きているのかどうかすら不明だ。


 見かねたすぅちゃんとむぅちゃんはあたしに協力して、探してもらったりこうして先生に聞いたりしている。あの日依頼して来た真夜は罪悪感を持ったのか、果てに入部してくるし、あたしは気が気でないし、最近は疲れていて、それでふっと気を抜いたら、ぽろっと涙を流してしまったみたい。


 廊下から見える外は雨景色で、血の雨みたいに降り続けている。


 鮮血が降り注いだら、あたしは笑うかな。翔がいなくなって、あたしが恋に落ちて、それで血を見て嬉しさと悲しさで涙を流して、それって良いことなのかな。あたしの狂気が叫んでるのは、いつも翔がいなくなってせいせいした、これからは簡単に殺せるね、なんてことで、それって、やっぱり恐ろしい事だ。


 翔が居ないと怖いんだ。今にも狂気に身を浸してあたしのことだけ焦点を当てて『恋』しか目に写らなさそうで。


 死んでないよね。大丈夫だよね。



『死んで別れる方が云百倍辛いんやで』



 ふと、とっても昔に言われた言葉を思い出した。

 駄菓子屋のお婆ちゃんは優しく頭を撫でて、あたしに説いたことがあった。あたしはまだ何にも分かっていない時で、何を言っているのかも分からなかったけど、今にして思えばおばあちゃんの言っていたことは正しかったんだ。


 あたしは、ぜんぜん分かってなかった。

 誰かが死ぬことってこんなにも怖いんだって。


「石田君に預け物しているんだけど、あれって大丈夫かな?」


 むぅちゃんが、先生とすぅちゃんが話している間に呟いた。その呟きにあたしは答えることが出来なかった。

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