第五話後編「猫を探して(少年の裏事情)」
――世界は植物によって脅かされていた。
と、言われているが、はっきり言って一番大きな脅威は植物ではなく身近な自分たちの力だろ言うことに、みな気が付いていない。
だから、俺みたいに均衡を保つような存在が居るわけで、それに頼っている。
いつもこのことを思う時は人間なんて、と人間を蔑んでしまう。そうすると、最近シロみたいになってきたな、と悪く感じてしまう。気をつけなければ。
背中に大荷物を背負っている。歩くのは、植物が多い茂った森の中だ。もう何時間も歩いている。山を越えて、やっと自分達の街に帰っていこうとしている最中だ。
あの街に帰るなんて不思議な言葉だ。ここ数年、帰る場所もなく、どこへ行くともなく彷徨っていたのに、もう『自分の街』呼ばわりだ。全く笑える。
それにしても重い。電車にでも乗ればよかった。でも、この傷なら周りの目が厳しいだろうし、だから、歩いて帰るしかなかったのだけど……重い。人一人を背負うって、こんなに重かったか?
険しい山道が続き、踏み出した足場が崩れる。ちょこちょこ荷物がずり落ちる。足を踏み外す。そこでなんとか姿勢を保ち、上へもう一歩上へと踏み出す。木の葉枝ごとが顔にぶつかる。
今だけは邪魔しないでほしい。逆に手伝はくれないか。
木の根を跳んで、乗り越えた先に黒猫が目の前に居た。その猫は、笑っている。にゃーんとらしくなく猫のまねごとをして、俺を煽っていた。
足を止め、そいつをみやる。
その姿を見ていると、傷口が再び広がってきそうだ。ようやく塞がってきたと思ったのに、こいつのせいで最悪の展開にもつれ込む。体の中の痛みは続いているっていうのに。荷物が重いってのに。
「ネズミ」意地悪くそいつの名前を呼ぶ。「アヤカと俺があいつに会った時、途中で逃げただろ」
するとそいつはふふふと猫らしからぬ笑い声を発したかと思うと、くるりとその場で回った。黒い鮮やかな毛並みを披露したいのだろう。それをわざわざ見ていたら、日が明ける。なんとか明けるまでには家に着きたい。
「凄いでしょ、この姿」と、ネズミ。
スゴイネーとは言わない。
ネズミを置いててくてくと登っていく。
鳥の音も、植物たちが動く音も、人が喋る騒がしい音もしない。俺の足取りと、時たま当たる葉が揺れる音しか鳴らない。ネズミはその中で最もうるさい奴だ。
ネズミが猫の姿のままついて来る。俺の重い足取りなど気にしなていない。猫の軽い足取りは羨ましくさえ思う。ぴょんぴょんと跳ねながらついてくる。
「置いてかないでよ」
猫が喋る姿は滑稽だ。骨格にあっていない口の開き方をしている。猫と言うよりは人間の口に次第に戻ってきているように思えた。
「ネズミが猫になってどうする」
俺は当初、このネズミと言う人物を見た時の疑問をぶつけた。このごろこいつは家に帰ってきていなかったから、会っても居なければ、喋ることもしなかった。二人っきりの時しか、こいつは喋ろうとしない。他に人が居ると途端に無口になる。そんな奴に会ったとしても、黙っていたら会っていないのと同じだ。
「みんなが僕をいじめるから、猫になったんだ。ネズミの姿のままじゃ、また『ネズミがちょろちょろしてんぞ』って言うだろ?」
「お前が鳥羽と遊んでいたのを見た時、おかしかった」
思い出すと、笑いが込み上げてくる。良く知っている奴が狸に化かされているように見えていたから。鳥羽はよくも悪くも、騙されやすい。絢香は、少しだけ気づいている感じがあったが、しかし今日の驚いた表情を見るに、こいつに化かされていると気づく心配はなさそうだ。
「やっぱり凄いでしょ」猫姿のネズミは尻尾を右左に揺らす。
「凄くはない。俺はネズミが猫に見えない」
ネズミはどんな姿になろうとあの頃と同じ姿に見える。俺の隣や、施設のあちこちをうろちょろとしている小さなやつ。邪魔者と言えばこいつが一番先に思い浮かぶ。シロの後ろに隠れていたこともあった。あの頃が一番可愛かった気がする。
思い出すと、腹の傷が痛んだ。あの頃の思い出なんて良い思い出なんて一つとしてない。思い出さない方がいい。
ケチ、とネズミに罵倒される。そんな一言で、俺が落ち込まないことを知っているはずだろ。
「……藤村絢香、結構元気そうだったね」
ネズミは、話を止めない。いつもなら、黙ることだったのに。
俺は返すのも面倒で、無言を突き通した。
「時の流れは早いね。僕は今でも若いと思い込んじゃうよ。あんなに小さなあの子が大きくなってたなんて」
「会話の端々が老けてんぞ」思わず口を出してしまった。「まあ、時間なんて、意味ないだろ。時間も、言葉も、俺には全部無意味だ」
「兄さんは相変わらずだ」ははとネズミは笑い、俺が背負っている荷物をちらりと見る。「この人も相変わらずだ」
ここ数日俺はこいつを探していた。家からいなくなったこいつの噂を何度も確認し、今何を殺しているか、どんな場所に居るか、吟味し探し続けた。しかしその努力は報われず、一向に見つからなかった。そんな寝られない夜を過ごしていた。
いつも気が気でなかった。こいつが誰か殺してないか。血が流れるのはうんざりだったから。
「植物が世界を襲うようになって、この世界で魔法が見つかって、クリーンに殺す術を身につけた人間は第一次PLANT殲滅戦、第二次殲滅戦でまた殺して……そんな愚かな人間に、兄さんは優し過ぎんだよ」
そうかなと頭で言葉を思い浮かばせる。少なくとも、俺は自身の意志でしか行動していない気がしている。優しいとは、きっと他人に無償で何かをしてやることを幸福としている人間がすることだと、俺は考えている。俺はその定義に入らない。
「こんな奴、誰を殺そうと、どうだっていい。一人二人殺そうと、それは僕達の預かり知らぬところだしね」
その次の言葉はなんとなくわかってしまった。ネズミがよく口にする言葉だ。
「みんなこんな危険なものが近くにある中で平然と暮らしている。誰もそれが悪いとは言わない。日常はいつも戦争と隣り合わせなのに……それが分かる良い機会だったのに」
戦争と隣り合わせ。それは理解できた。
「プラント、みんな怖がらないよな」呟くと、溢れ出るのは彼らの日常への嫌悪だ。「プラントを怖がらず、恐れず、自分たちの魔法に頼り切っている」
魔法は特に苦手だった。これ一つでどれだけの人生と、プラントたちの命運をかけられただろうか。
理不尽に殺されるところを見た。相手の主張を聞き入れずに、自分たちの主張だけ貫き通した。誰もそれが悪い事として見ていない。
しかし、見ている俺達も結局のところここから離れることなんて出来ない。
「毛嫌いしている割に、ネズミはどっち側にも立たないな」
「兄さんだって」
背負っている気絶した殺人鬼を、持ち直す。血は乾ききっているが鉄錆びた歪な匂いと植物の青々とした瑞々しい香りが漂ってくる。重い重りが、その匂いでより一層重く感じる。此処で置いていってしまえば、何をするか分からない。
ネズミはそんな俺を見て、表情を柔らかく微笑む。
「兄さんだって、そいつが誰も殺さないように、記憶が戻る危険を冒してまでさ……」
ネズミの言葉が先ほどよりも嫌味に近くなる。その言葉が俺の胸に突き刺さって来た。
「藤村絢香の鼻まで利用して、今背負っている者をじゃないか」それぐらいには、人間に偏っているーー
「黙れ」
自分の探られたくない深層心理に近づきそうで嫌になる。ネズミはそうやってほじくり出そうとするところがある。嫌な性格だ。それを見て、にやにやしだすのだ。乗せられて会話しだすと悪い方向しか進まない。
おおー怖い怖い、とネズミはぴょんぴょんと前へ行き、逃げる。俺の感情が見れて本当の所嬉しいのだ。軽快なステップはそれが分かる。
「俺はそんなやつじゃない」
人間にも偏ってもいなければ、シロが言ったような『優しさ』を持ち合わせてもいない。ただ誰かが死ぬのを見過ごすくらいなら、俺は自分が嫌だと思った行為でも簡単に差し出す覚悟が出来ているだけだ。それに俺の体からほんのりと香るこの血の香りが示すように、俺の手は血に染まっている。この血は忘れられない。
俺はどうしようもなく人殺しだ。
そんなこと分かっている。
だから『優しく』もなければ、人間でもない。
月の光は昔のことを思い出して嫌いだ。魔法は理不尽だから嫌いだ。言葉は苦手だ。他人が苦手だ。全てが嫌いだ。俺は、こうして生きている自身が嫌いだ。
山の中の影が動く。雲が動き、影と光が交互に右から左へ動いていくのが目に写る。ちょうど開けた時、雲とは違う影が頭上に過った。木と木の間から見えるその影の正体に、立ち止まり目を凝らす。
それは大きな木が動いている姿だった。何の種類の木だろうか。枝は少ない。しかし幹は太い。その太い幹が頭を傾げるようにして、動いている。他の木より抜きんでたその木の上に一人の少女が立っていた。木が頭を傾げているところに、少女は両足を立たせ、きょろきょろと周囲を探っている。
その少女に見覚えがあった。黒い髪。肩までしか伸ばしていない。最近切ったとされる髪は整っている。漆黒の瞳は吸い込まれそうなほど暗く、それでいて透き通っていた。
「シロ」ネズミが彼女を呼んだ。
それに気づいたシロは、手を振った。その笑顔は柔らかく、温かみのあるものだ。ついつい見とれてしまう。
木に乗ったまま近づいて来ると、シロは良かったと溜息をついた。そうとう心配していたのだろう。木を俺達の場所まで近づけさせると、すぐに飛び降り、抱き着いて来た。
この行為はどちらの愛か、恋愛と言うより、家族愛。反吐が出るごっこ遊びをシロは続ける。
俺はその行動をひょいと避け、後ろの『兄』とごっこ遊びで称されている殺人鬼を見せる。やっと見つけたことをこれで知らせた。シロはそれを見るとまた嬉しそうに微笑んだ。
「あら、ネズミも」
シロが足元に顔を向ける。ネズミがにゃーんと、ひと泣きした。
「翔、類、ネズミ、兄弟水入らずね」
血だらけの姿を見ても彼女は何も思わない。
やるせなさだけが、残ってならない。
殺人鬼はまだ目覚めない。
夜は明けず、俺達は闇夜に紛れた。




