第五話前編「猫を探して(依頼➀)」
嫌々ながら部室を訪ねる。
今日は来る気分でもなかったんだけどね。此処へはそうとう気分が乗った時とか、いつも放課後に集まるメンバーが集まらなかった時の避難所にしようとしてたのに。
神社よりはこの場所の方がましでしょ? あんな冬とか冷凍庫並みに寒い場所、二度と居たくない。寂しいと耐えられないんだから、あたしは!
重い溜息をつき、部室を眺めると、そこには総合の時間をサボっていた翔の姿があった。優雅に、机に突っ伏して…
「おい」
あたしは、どす黒い声を吐き出して、濁った溜息を大きくついた。
翔はびくっと体を震わせた。だけど、突っ伏したまま、また寝たふりをしている。ふりをしているぐらいは分かる。あたしが分からないのは苦しんでいるか、いないかの判別だけだから。
「サボってたよね」見えていないと分かっていながらもにっこりと笑いかける。そして翔の対面の席に座る。「さっき」淡々と言葉を紡ぐ。
「 サ ボ っ て た よ ね 」
……
黙っているのは、あたしの気迫に蹴落とされたから。ちょっと、威圧的なのは控えよう。いくらあたしがあの授業を大切にしてるからって、押し付けるのは良くないしね。
「もしかして、ずっと此処に居たの?」
今度はいつも通りに聞くと、翔は腕で隠している顔をもぞっと動かせて目だけあたしを見つめた。
その瞳は黒い。純真な黒とかじゃなくて若干灰色に色づいてるけどよく見ないと分からない、濃い灰色。時折金色に変わるのが石田翔の瞳。今は濃い灰色だ。いつもの色だ。
「居た」
ゆっくりとした言葉は彼はあまり話すことが好きじゃないことが伺えた。今でも嫌そうな雰囲気バリバリに出てるからね。
「あたしと同じか」
あたしもここが避難所。翔もそうなんだとしたら、この部室の意味は、個人的な私欲のための物。入部したのも同じ理由、か。
「こんなんでいいのかな」
「いいだろ」
分かってないのに、同意してこないでよ。
「今日、むぅちゃん来るんだけどいい?」
むぅちゃんが来るから、早くこの部室から出て行って。
「いい。俺は気にしない」
「ちーがーうー」
出て行ってって言ってるのに、翔は空気を読めず、その場で寝る姿勢のままだ。
そんなに眠いの? あたしも眠いけどさ、さっきまでずっと寝てたでしょ。
「もう、いいや」
いちから説明するなんて面倒くさい。あれこれ言って、やっと理解してくれた時にはきっと、もうむぅちゃんも、むぅちゃんの後に来る、あたしに相談したいって言ってた子も来てしまっているはずだ。
「いいのか?」
とぼけてるでしょ。
「いいの!」
強く言い放つと、部室の扉が開いた。でも、肝心の開けた本人が入って来ない。しどろもどろしていて、あたし達のことを外から見ている。
「どうしたの? 入っていいよ、むぅちゃん」
放課後の赤い夕日が差し込む中、この教室は狭い。そのため薄暗さが一層際立っている。外から見れば、此処は狭く暗い、路地裏のように見えるだろう。その中で窓は開けられていて、あたし達二人が機嫌悪そうにしている。
もしかして、こんな状況だから、むぅちゃんは入って来ない……と、か。
「でも、いいの? 私二人の中に入って」ごにょごにょとまた自信なさそうに言い訳している。
やっぱり、変なんだね。あたしと翔がこうして穴倉みたいな場所で話しているってのは。
むぅちゃんの頭には今獣耳はなし、スカートの下からは尻尾がない。
惜しい。あったら可愛さ倍増だったのに。
「大丈夫だって。別に食べたりしないし。どうぞー」
「う、うん」
そもそもいつもの場所で集合した時に聞く内容だったのに、あたしの都合でこの部室に呼んだんだから、そんな自信なさげにするのはお門違いだ。あたしに不満の一つぐらい言ったらいいのに。でもそんなことむぅちゃんはしない。そういう子だ。
部室にある教室と同じ木製の机と椅子は、温かい赤色に照らされている。赤色は始まりの時を告げる時計みたいだ。あたしが魔法を使うと魔法石が発っする灯りが照っているみたいで、何かの始まりを祝福しているように感じられた。
むぅちゃんは椅子を引き、そこに座る。翔の横にあたしは移動して、翔とあたしで隣り合わせになる。むぅちゃんと対面する形になった。まるで三者面談だ。隣の彼は未だに寝ている姿勢でいるんだけどね。細い体躯が机に寄りかかっている。こんな体で家の屋根まで跳べるなんて嘘みたいだけど、本当なんだよね。
むぅちゃんは座ったら、床に学校指定の藍色の鞄を下ろす。するりとそこからあたしへと顔を移す。その瞳は黒い色。黒い髪。何の混じりけのない色をしているのは珍しい。黒い髪は肩までかかっていて、一、二本癖っ毛が跳ねていた。
「絢ちゃんって、魔法石のこと、詳しいよね。ほら、春祭りの時貰ったやつとか、凄い珍しいものだったから」
目を忙しなくあっちこっちへと動かしている。顔もきょろきょろとやり場が見つからっていない。
「あ、あの石ね、“星雲石”。あれぐらいなら、知ってる」
「じゃ、じゃあね…」
次に下ろした鞄からむぅちゃんは一本の透明な容器を取り出す。それはガラスの瓶で、中には透き通るぐらい真っ赤な液体が瓶の半分ぐらいまで入っていた。たっぷんとむぅちゃんが瓶を揺らすと赤い液体は跳ねあがる。
あたしの鼻が反応した。あれは血だ。でも甘い匂いを醸し出している。血と断定したのはあたしの鼻だけど、しかしそれには早急すぎる。まだ分からない。
「これって、魔法石の一つなのかな?」
魔法石は固体が大半で、液体物はほとんどない。でも、ないとは言えない。世界各国で確かに液体の魔法石は確認されている。
「魔法石として使えるの?」
あたしはまず確認のために、問いかけた。
新しい石の発見に、胸の高鳴りが徐々に増していく。それを抑えながら、その液体を眺め続けた。綺麗な血の色をしている。あたしの好きな赤がそこにはあった。
「使える、見てて」
むぅちゃんは両手で瓶を抱える。するとほんのりと赤がきらめいた。淡く、目を細めて見るとやっと分かるぐらいの発光を示して見せた。
途端にあたしの中のくすぶっていた火が燃え盛る。
「ね、今のは獣交じりを解除する魔法を使ったんだけど…」
「凄い」
そうだ。世界的に見てほとんど見ない、下手すれば世界に数個しかない物が目の前にある。これって、無料で世界遺産を無料で見れるのと同じだ。ドキドキとときめきが止められない。
「絢ちゃん、これって何だろうね」
「凄い凄い」
「絢ちゃん?」
「凄いよ。むぅちゃん。どこでそれをもらったの?」
むぅちゃんは頭を傾げる。その表情は、分かっていないみたいだった。
この重要なものを、むぅちゃんは、もうむぅちゃんの魔法石として使ってしまっている。もったいない。しかし、使っていたとしても、高価に売れるのは間違いない。あたしなら秘蔵のコレクションに加える。
「これは、多分昔にもらったんだと思う。でも、どこで貰ったとかは覚えてない」
「それは残念」
あーそれちょっとでもほしいな、なんてじっと見て合図するけど、むぅちゃんは分かってない。
「それ、列記とした魔法石だよ。液体の魔法石とか高価すぎて、買えないのに」
なんか悔しい。ほしい、あたしが持っている全部の魔法石コレクションを売りさばいてもこんな高価なもの買えない。
「そうなんだ。これそんなに凄い物なんだね」
むぅちゃんは瓶を見つめる。赤い液体が胸を張っているように思えた。
「ね、思い出して! むぅちゃん、それどうやって手に入れたの?」
ずいっと机を乗り出してあたしはむぅちゃんに尋ねた。どうしてもその石が欲しい。それを手に入れられるなら、一回魔法使いに戻ってもいいぐらいだ。喉から手が出るほど欲しい。欲しくてたまらない。
「う~ん」むぅちゃんはちょっと考えてる。「ほんの少し前の朝に思い立って、部屋を掃除してみたんだ。するとね、大事そうに小堤になっている袋があったから、それを開けてみたらあったの。まるで、どこかの怪盗さんが届けてくれたみたいに」
「そんなの、銀髪銀眼の怪盗じゃないのにないない。絶対誰かに貰ったか、自分で取ったかしたんだって」
「絢ちゃん、銀髪怪盗知ってたんだねぇ」
「知ってるよぉ。て、話逸らさないで」
銀髪怪盗はテレビで賑わっている怪盗のことだ。怪盗、怪盗と騒がれているけれど、事実いるのかすら怪しい。噂が尾びれがついて、ネットで話が盛られただけの架空の怪盗だとは思うけど。今日もクラスで噂になっていた。実際に居たら、面白いよねって。
「でも、忘れちゃったし。これどうしよう?」
むぅちゃんは本当に困っているんだろう。そんなに高価なものだと知った今なら、扱いに困るし、しかも売却目的で狙ってくる人もいるだろう。そんな物、魔法が苦手で獣交じりな彼女が持っていると、危ないに決まっている。
「あたしにくれる、とかは?」あたしなら、使用したものでも大歓迎。
「絢ちゃんに上げると、なんだかこの石に申し訳ない気持ちになるんだよね。なくされるのは勘弁してほしい」
「むぅちゃん偶に毒舌になるよね」
あたしの言葉にそんな冷たい答えで返してくるのむぅちゃんぐらいだよ。あとユウも。
「これが魔法石なら、持ってるの辛いんだ」
「辛い?」
むぅちゃんは瞬きをゆっくり繰り返し、真っ直ぐにあたしの方を見つめた。その瞳はさっきの黒い瞳ではなく金色の瞳に変わっていた。今の一瞬で獣交じり化したのだろう。瞳は鋭く狼のように吊り上がっていた。今にも人を襲って喰らいそうだ。
「魔法石を持っているとね、ぴりぴりするから。獣交じり化したら特に。この石は結構強いから、今も触るのが辛い」
「なら…」
「それは無理」
「あたしまだ『なら』しか言ってない」
「なら、俺が預かる」と割って入ったのは翔だった。むっくりと起き上がり、とても残念そうな表情をさせている。「俺なら、いつでもあんたに渡せる。こいつと違って」
窓から風が靡く。温かい湿った風は翔の黒い短髪を揺らせていた。眠そうな眼の下には隈が浮かび上がっている。その瞳はよく見ると灰色にくすんでいる。
「それならどうだ?」
提案した翔は瓶を受け取るために、手を差し出す。
「『こいつと違って』ってどういうこと?」むかっとくるなあ。
「石田君なら、大事にしてくれそうだし、いいよ」
むぅちゃんもむぅちゃんで、あたしに何でそんなに辛辣なの!?
「ごめんね。これ、すっごい大切なんだ。何でだか分からないんだけどね」
「そういうことだ。アヤカは黙ってろ」
「アヤカ!?」
むぅちゃんがあたしに対して翔が名前呼びになっているのに驚いて、スカートの中からしゅぴーんっと尻尾を立てた。いつの間に出て来たんだろね。
「いいから、それ、渡して」翔が手をふる。
いつもあたしはそのむぅちゃんに対して「かわいい」と言うんだけど、今回はぷいっと顔を背けた。
あたしにとって、それほど魔法石ってものは大事で、珍しいものだから。こんな物見ちゃったらほしくなっちゃう。今でも隣から強奪してしまうぐらい、あたしはその魔法石がほしい。でも、今はぐっと堪えて、翔にむぅちゃんが世界でも数個あるかないかの、珍しい魔法石を手渡す。
いいなあ。後で翔から力ずくで取り上げよっと。
翔の手に渡るむぅちゃんの表情は恐る恐るといったようだったけど、とても朗らかになっていた。安心しきっていた。
……やっぱやめよう。




