第四話「狂気と葛藤して(ボーイミーツガール)」
ESSの部室から出ようとしていたのに、誉が居て、思わず後ずさっていしまった。部室に後戻り。
これじゃあ、翔の後を追えない。かといって、翔みたく窓から飛び降りでもしたら、姿がばれて、有名になるし。もしかして魔法使い!?とか言われると面倒だから、あたしの力が晒されるのは極力避けたい。とすると、誉がドアの前に立ってて邪魔だ。
何で今になってこの前の翔の言葉が効いてくるんだか。「聞いてみたらいい」とかいう無責任なあの言葉が頭の中を何回も行き来している。邪魔、どいての一言が翔の一言にさえぎられて言えない。仕方がない、今はこの言葉を消化すればいいや。
「あのさ、誉…」
っっって、
「何でこんなところいんの?」
言えるわけないじゃん!!!
誉が鬱陶しそうに部室の中を見回す。誰かを探してるみたい。こんなところに居るのあたしと翔しかいないから誰を探してるかなんとなく分かる。でも誉があいつを探す理由ってなんだろう。
そう思っていると、誉が口を開けた。
「石田に、総合のプリント渡すよう担任から言われてんだ。ここにはいねぇみたいだな」
「翔なら、窓から飛び降りて姿消したよ」
「何だそれ。怪盗かよ」
あたしだって言ってることわけ分んない本当のことを言ってるんだよ。消えたの本当だし、窓から飛び降りたのも本当だし。何一つ嘘何てついてないからね。あたしだって誉と同じこと思ってて気持ち悪いとか思ってるのに。
「まあ、いいけど。どーせ、からかってんだろ?」
誉が好戦的に言い放つ。
その戦い買ってやりたいけど……買ったら面倒だけど…なんだか腹立たしいし…ええい買っちゃえ。
「からかってないから、魔法の副作用って知ってる?」
「どーでもいい」誉が投げやりに言い放つ。
「ちょ、なんなの」
「俺はこれ、渡しに来ただけだって言っただろう? あいつ、総合の時間全部休んでるんだ。俺が毎回渡せって言われてんだけど、ぜんぜん受け取ってくれねーの。お前渡してくれよ。おんなじ部活なら、あいつの不規則な登場も、対処できんだろ」
誉があたしにかざしてきたのは、総合の時間を休めば書かなきゃならないレポート。でもこれって、ただの調べて感想を書くだけの代物。ただ面倒くさいだけの代物のはず。律儀に渡しに来るなんて、誉も真面目だなあ。
「あいつから避けられてんのか、毎週渡す前に消えんだよ。これで三枚目」
一枚だと思ってた紙を扇形に広げた。手札を指示しているみたい。これ全部翔の、サボった回数分のレポート用紙か。わぁ、凄い!!!……じゃない。総合の時間って魔法の授業だから、全てサボってるなんて、あたしからしたらありえない。
「あたしは渡さない」つんとして言い張った。
面倒だし。ちょうどいいけど、こいつの役割を担うなんてまっぴらごめん。
「そういうと思った」
既に火花をバチバチさせながら誉とあたしの目線があっている。買ってしまった喧嘩はやり返すのが性分だからね。引けない、ううん。引かない!
……じゃなくて、あたしは翔を追わなきゃ。
火花を遮って、あたしは目を背け、誉を放ってしまう。今更ながら喧嘩より自分のことを思い出した。
そうだよあたしは翔を追ってたはずなんだ。
「あたし、追わなきゃ」呟くと、誉があたしを見上げる。彼は小さいから見上げることでしか、あたしの顔を見ることが出来ない。
かわいそう。
「で、石田は?」
またその会話続けるの?
「だから、あの窓から飛び降りたんだって」
「意味が分からない」
ようやく信じてもらえた。はあとため息をつく。
「「どうしよう」」
あたし達二人の声が重なった。
少しだけ誉の方を向く。見下げてしまうのは誉が小さいから仕方ない。濃い茶色の髪が真っ先に目に入る。瞳も黒じゃなくうっすらと茶色い。そんな姿がどことなく一般的で平均的な少年のように見えた。一般的な男の子って言ったら、こういう子だよねとあげられる容姿をしていたから。あんな過去とか持っていない、普通の男の子。あたしとは逆な、それでいて似てるな、と思ってしまう男の子。
あたしだって、外見で言えば一般よりもちょっと背が高いぐらいで、普通の女の子。それは過去に何があったとか何を抱えているとか分からない。
みんな何かを抱えているんだ。誉みたいに、あたしみたいに。
「俺はこれ以上プリント持つとか、嫌だね」
あたしはさっきの怪盗姿の翔を思い出す。もしかしたら、こういうときって、あの法則が使えるんじゃないかなって思えて来た。
「犯人は現場に戻る、とか。誉は知らない?」
嫌だけど、この場限りは共同戦線をはろう。
「もしかしたらだけど、ここに居れば翔は帰って来るかも?」
「まさか」
とか言いながら、あたし達は大人しく部室の席に着いた。
全然翔が戻って来る根拠もないのに、戻って来るだろうって心の片隅にどこかで確信があった。もしかしたら、翔は誉と話す機会を与えたかったんじゃないかって。そんなの都合がいい解釈にしかならないよね。
席に座ると、誉は部室を見回した。興味深そうに棚にしまわれた英語辞典を眺めまわし、何故か羨ましそうにうっとりと目を細めていた。
「そう言えば、誉は部活入らないの?」
四月も来週で最終週になる。今週いっぱいで部活動員募集期間は締め切りだ。この期間中に入らなければきっと取り残される。
「俺は、入らねぇよ」
それでも、この部室を眺めている姿は羨ましいみたいで、何か気が引ける。
「あの病気があるから?」
踏み込んじゃった。怖いし、心の奥がぞわっとした恐ろしい感覚が湧き上がって来る。でも何か大切なことがそこにあるなら、それを聞かなきゃならないとも、感じていた。もっと怒られるならそれはそれでいいかなって。
「病気?」
とぼけたふりしてる。知ってるでしょ。あたしは、誉が倒れたのを間近で見てたんだから。じっと真剣に見つめてたら、誉がぷはぁと息を吐いた。
「ああ、あれは持病だよ。でも、あれはお前のせいじゃねぇって」
「あたしのせいだよ。あたしが全然気づかなかったから。あたしが……」
「おいおい。どうしたんだ。いつもの絢香らしくねぇな」
うるさい。黙って聞いてよ。
「あたしっておかしいでしょ。妖し者の話とか楽しんで話してたし。プラント、見つけたら、嬉しくって、つい刈りに行っちゃうし。魔法、凄い使えるし」
はぁ?と誉が頭を傾げてる。
「それのどこが?」
誉の一言が翔みたいに自然と出ていて、逆に驚いてしまう。
「もしかして、俺の両親のことを聞いたとか?」
それも軽いことのように尋ねてくる。
もっと、重い話のはずでしょ? 自分の両親が妖し者だったって、あたしはそれを刈る者だったのに。
「でもさ、ずっと俺も思っていたけど」
誉は小さい声で恥ずかしく、呟く。
「お前はさ、お前でいいじゃないか」
「あたしらしく?」
あたしは自分が何であるか分からない。この心の狂気がいつ他人を傷つけるか分からない。もしかしたら、むぅちゃんや、すぅちゃん、誉……家族全てを捨ててまであたしは狂気に身を浸すかもしれない。でも、この狂気ごとあたしになるのだったら。この考えも、矛盾したこの心も全部あたしなら、それなら、あたしはあたしで居られる。あたしは狂気を否定して、それを好きでいる。それひっくるめてあたしなんだ。
誉も、翔もそれでいいんだ。
あたしがそんなふうでもいいんだ。
「きっと俺は何者にもなれないよ。でも、絢香はさ、何かするだろ」
「何かってなに?」くすっと笑えた。
その漠然とした答えが、あたしらしいのかもしれない。あたしはこのまま、矛盾をはらんで、生きていいんだね。
「ほら、えっと…何かは何かだ」
ばんばんと机を叩き誉は抗議する。
「そうだね」
ははと笑い、思い返してみる。
そっか。あたし、みんなに『あたし』であることを、別に責められていたわけじゃないんだ。
「何だよ、そのスッキリした顔、気持ちわりぃな」
意地悪く返すのはいつも通り。そのつっぱねた表情の下で誉が微笑んでいるのが分かる。
誉も変わった。ついこないだまで誰かを演じていて、ぜんぜん楽しそうにしてなかったのに、今は誉そのままを見ているようで、気持ちがいい。最初よりずっと。たまに演じている癖がまた出て来るのが、傷だけどね。それも誉だ。
あたしは『あたし』だ。
「何か……かぁ」
その何かが魔法石に関わる仕事なら、いいな。
「俺は部活に入らないのは、普通にバイトとかあるからだからな」
びしっと誉は指さす。
放課後の温かい風が過ぎ去る。窓が開きっぱなしだ。カーテンが揺れる。
もう迷わない。誰もあたしのことを否定しないのなら、あたしはあたしのやることを突き通そう。あたしである限りその選択は間違ってないはずなんだ。狂気に溺れても、あたしにはその反対の心がある。
頬を撫でる風があたしの髪を揺らす。そして、吹き止んで、さらっと髪が滴る。
「ほんと、誉は馬鹿だなあ」
いつもの低レベルな悪口があたしの口からぽろりと零れた。
「俺は正当な理由を述べているんだが」
「バーカバカバカ」
こんな奴に泣かされるなんて、それを見られるなんてされたくない。悪口で、涙を隠すんだ。
あたしは誉になりたかった。どうせなら普通の女の子に、とか思ったりもした。でもね、今はこれはこれでいいんじゃないかなって。
「バカ」
ぐっと口を抑えて、震える頬を両手で抑えた。
「ありがと」
呟く。
がらっ
運よく部室のドアが開いてあたしの言葉が覆い隠される。瞬間的にドアの方を見ると、翔がそこには立っていて、誉は立ち上がった。
「石田!!」
翔は青ざめた顔をさせて、二三歩下がる。次の瞬間身を翻し、逃げた。
「待て」
机に広げたプリントを握りつぶし、誉はその後を追った。
その参事は一瞬だった。台風のように来て、去っていく。あたしは茫然とその様子を眺めて、すっかり誉の一言で悩みが晴れてしまって、駆け出す気にもなれなかった。
翔と言う謎は確かに魅力的。でも、今は、そういう気分でもなく、ただ呟きたかった。
「ほんと、変な人」
放課後の灯りを灯し、流れる時間をただただ堪能した。




