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PLANT-プラント-  作者: 千羽稲穂
第一章『青春と葛藤と恋愛と…』
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第三話「誉(3)」

 あの人は言った。「私の誉」と。


 母さんは「誉」をどう捉えていたのだろうか。あの日以降ずっと考えているのに全然答えが見つからなかった。だから、母さんの身近に居る人を「誉」だと思い込むことにした。母さんの身近な人、しかも母さんの名誉なる人。考え着くのは一人だった。


 鳥羽健とばけん


 俺の父さんだ。


 車窓に俺の顔を写してみる。こうして鏡に顔を写すのは気が引ける。と、言うのも家に飾っている生前の父さんの写真に写る姿と俺の姿は全く持って似ていないからだ。窓に写った自身の姿を何度見ても、似ていない。しかし、母さんに似ているかと言われると母さんにも似ていない。


 それでは一体あの二人の子供である証拠はどこにあるのだろうか。考え着いた先は性格だった。父さんみたく人を引っ張っていくことができない俺は結局のところ穏やかな母さんに似てしまったのだろう。だから、周囲の人はみな「母さん似」だと言い張ったのかもしれない。


 性格は母さん。

 見た目はどこかの先祖様。


 俺は母さんの誉なのに、父さんの要素が何一つなかった。これでは、母さんの誉になれない。どうしても母さんの誉になりたい。あり続けたい。そう思って、父さんのフリだってしているのに、何一つ完璧に出来ていない。


 情けないな。


 絢香に大見え張って叱ったのに、俺自身はこんなにも人の夢にすがってる。


 馬鹿みたいだ。


 また車窓に頭をぶつけてしまった。



 ***



 矛月と祐がランドセルを揺らす。


 その日の荷物は重かった。リコーダーに教科書数冊。体操服に、魔法石。学期末になると矛月は最終日に一気に持って帰ろうとする。置き傘なんか何本もしていて、決まって最終日に数本の傘を持って帰る羽目になるのだが、その時の矛月の腕は何本物傘で隙間なく埋まっている。腕が引きちぎれそうなほどだった。重みで潰れそうにしている上にまだ荷物は嵩張る。


 仕方なく祐と俺が矛月の荷物を分け合って持つのが常だった。


 こつこつと持って帰ればいいものを何故、矛月は一気に持って帰ってしまうのかとからかったことがある。本人は顔を赤らめて学校に忘れてしまうのだ、と答えていた。


 本人は気づいていないだろうが、俺は本当の理由を知っていた。


 答えは単純で、矛月の荷物はいつも突然消えていたことがあったからだ。気づけば戻っている程度にしか矛月は考えていなかったかもしれない。消えていた本当の理由はクラスの奴らが勝手に矛月の荷物を隠していたからだ。最終日までにクラスの奴らから矛月の荷物を取り返すことを何度となくした。傘なんて格好の標的で、折られたりして、最終日までに出てこない時もあった。俺と祐はその度に、クラスの奴らと物取り戦争を起こした。まるでヒーローだ。矛月にはそう見られたっておかしくないが、実際は戦争を楽しんでいたりもしたからヒーローなんて言えるものじゃない。


 矛月が持つ荷物はいつも重かった。


 偏見や差別なんか矛月には当たり前で、それなのにいつも助けは請わなかった。肩の荷を俺らに渡すことなんてせず、一人で持っている。本物の荷物のように俺らに分け合ったらいいのに、一切せず苦笑いを返す。それが矛月にとっては“正しい”から。きっといじめた奴らでさえ矛月は「自分が間違った存在だから」と言って許してしまうのだろう。矛月は不憫だ。


 だから誉であるために、俺はこう思うべきだと思った。


「矛月を守りたい」


 矛月や祐をあの赤色に巻き込むのは嫌で堪らない。あの日見た赤を見るのは俺一人で十分だ。


 そう思うべきだと思った。本当にそうだろうか。思うべきだったのだろうか。分からない。答えが出てこない。


 矛月、祐と別れる道にさしかかると、俺は「迎えが来るから大丈夫だ」と伝え、立ち止まった。矛月が心配そうにちらちらと向き変える。二人の背中を見送って、矛月が向き変える度に「大丈夫」と口を動かした。


 二人の背中が見えなくなって暫くすると、翠が迎えにやって来た。


 また「約束ですから」と繰り返す。

 翠にとっての約束は生きていく上の絶対的なものなのだろう。なくてはならないものなのだろう。


 俺も、翠のそれと同じように繰り返した。


「俺、翠を守りたい」


 父さんなら、こうした。

 あの人は守れる人だ。人を守る人だ。

 だから、俺はまた続けた。


「俺、みんなを守りたい」


 小学校低学年だった幼い俺が出した答えに翠は馬鹿にせず、静かに手を握ってくれた。俺に目線を合わせるようにしゃがむ。母さんのように冷たい手、雪を思わせる白い肌。青い瞳を細めて、涙を浮かべていた。灯りが灯ったように頬は赤らんでいて、今にもくしゃくしゃになりそうな顔だった。


 翠は掠れた声で告げた。

「ありがとうございます」


 いつもは表情が硬いのに、こんな上っ面な俺の一言で翠は泣いた。俺には翠が泣いた理由もお礼を言った理由も分からないけれど、その一言が何よりも翠にとって嬉しかったのは分かった。


 翠はずっと傍にいてくれた。泣いてくれた。支えてくれた。そんな彼女が愛しいかった。今もそれは変わらない。


 その日から、翠と並んで歩くことが気恥ずかしくなった。


 クラスの中では大きな体のくせして翠の大人な体に比べると小さくて、惨めに思った。


橙色の夕日が俺達を照らして、影を作る。翠の方が影はまっすぐに大きく伸びていた。

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