第二話「夢(➂)」
「香奈、ちょっと大事な情報があんねんけど、買うか?」
と、商人が支部長に持ち掛け、フロントの端でシロや商人、支部長がそうして立ち話をすること数分が経った。中身は聞こえそうで絶妙に聞こえない。遠目から見ている分にはドラマの中でよく映されている母親たちの雑談のようだ。
ああして情報を扱っているようには思えない。
商人は情報や機器、主に魔法機器、道具、そして珍しい魔法石を扱う職業だ。売るのは全国各地に散らばる魔法使い、そして今回のような支部。噂だけで聞く限り、各地に散らばる魔法使いの居場所をこうして支部から買う代わりに自身の持つ魔法使いの居場所や特徴などの情報、PLANTの同行の情報を売るらしい。情報をつかさどり、魔法使いに会うため必然的にPLANTに会う可能性もある、危険性の高い仕事だ。
しかし、一昔前までは人気の職だった。商人たちの姿は子供の目には何でもできるスーパーマンに見えたのかもしれない。実際、魔法使いより商人たちは何でもできるから。
ただ、交通や流通が栄え始めた現在は商人の数がめっきり減ったと聞くが、彼女は未だにこの支部お抱えの商人としてやって来る。
こんな噂も聞いたことがある。減った原因の一つとして、政府が情報の塊である商人を消して回っているのではないかと。まあ、ただのしょうもない都市伝説だ。
「すっごいよ。今日は本当にラッキーだよ〜」
藤村は商人と会ってから終始ご機嫌だ。
そう言えば、春祭りの時、藤村は弾の存在を知っていた。あれは中に使い捨ての石が入っていて、投げると速さが倍増し銃弾のように飛ぶ魔法道具だ。しかも、魔法石にやたら詳しいな。こいつ魔法石オタク、か?
「では、今後ともよろしくお願い申し上げます」
立ち話が商人の一言で締めくくられるのが聞こえた。
「こちらこそ今後とも変わらぬお引き立てのほどよろしくお願い申し上げます」
支部長が手を商人に差し出すのが見えた。
「で、君はわたしに何か用があるって聞いたんだけど、教えてくれないかな?その用」
「わあああ」と声をあげてしまった。
唐突に背後からシロの声がかかる。先ほどまで立ち話をしていたのだが、いつのまに。何かの間違いではないかと思い、ゆっくりと振り返るが、やはりそこにはシロがソファに腰かけていた。シロの長い髪先がソファまでついている。
「別に、用があるって程じゃない」ぼかすしかなかった。
用があると言っていないのに、間違って伝わってしまっている。これは、絶対商人の仕業だ。ちらっと商人を睨みつけ、再びシロの方を向く。いつの間にか、俺の座っているソファの向かいに石田が居た。一つ欠伸をつき、俺の隣のシロを正面からぼんやりと眺め始めた。
「血筋だねぇ」シロが意味ありげに微笑んだ。そして俺のことを知ってか知らずか続ける。
「健のことならわたしは何も教えないよ。わたしは彼をよく知っているけれど、思い出一つ一つに君みたいな思い入れはないんだ。それに、君の知りたい部分は一体どこかもわたしは理解しているけれど、わたしの口からは一切君に話さない。それ以外は話してもいいけど、君のその期待は答えない。君には…」
口の前に人差し指を添えた。その行動が余りにも既視感があって、胃が絞めつけられた。
「内緒だから」
つまりは父さんのことを教えない。俺が最も聞きたくなかった答えだった。
「じゃあ、またね」俺の返事も、反応も待たず、シロは手を振った。
「翔、帰るよ」
石田が眠そうに大きく頷いた。
「藤村」と支部長が呼んだ。
視界が一瞬藤村へと向く。
シロにまだ何も伝えていない。焦って再び隣を向き直すが、そこにはシロや石田の姿は消えていて、誰かが居ただろうソファのへこみがあるだけだった。
***
人差し指の合図で思い出すのは、あの日のこと。
黒服の人々が行きかっていたあの日。
そんな中、その人は赤く美しいワンピースをなびかせていた。
白い肌で、シルエットが怪物のようになっている。それは黒く長い髪がうねっていたからだ。
俺より何倍も大人びていたのに、その人の瞳には何も映っていなかった。
その人は自身の唇の前に人差し指を立てて「しー」と合図した。
表情は平然としたものだったのか、「目だけ泣いている人だなんておかしな人だなあ」などと思ったのを覚えている。そして、赤い色も色濃く目に焼き付いている。
誰だったのだろうか。
その人は告げた。
優し気に、小さく、脳に刻み付けるように……
「誉はきっと大丈夫。
君のことは香奈とハチが守ってくれるから。
大丈夫、大丈夫だよ。
きっと、君は健と違って大人に。
なれるから」
脳に刻み付けられている、と言ったが実際の所、顔も声も覚えていないから、思い出しているとは言えないのかもしれない。
そうでなくとも俺自身の夢の可能性すらある。
ただ、覚えている言葉があるだけなのだから。
***
どちらかと言えば支部長が押していた。遠目から分かるのは藤村が困りはてた顔をし、何度も謝っていることだけだ。押しの強いセールスマンに引っかかっているようだ。と、言うよりかは支部長が藤村を魔法使いにスカウトしているようにしか見えない。あいつは本当に魔法使いではなかったのだなと前言を全て撤回しよう。これであいつに会うまでの記憶が撤回されたらいいのにとは思うけれど、高望みはしないでおこう。
なんだ、ただの天才かとだけ俺の中の藤村の正体は収まった。
藤村と支部長の論戦を尻目に何事もないように俺と商人は支部を後にした。
商人がいないと気づいた後の藤村の顔が見ものだ。
「藤村とは仲良いん?」
考えていると、意地悪く商人は尋ねて来た。
「良くねぇ」
「そうなん?てっきり彼女やと思ったわ」
「そんなわけあるか」てめぇの目は節穴か。
からかわれると腹が立つ。普段は専らする側だから数倍苛立つ。
商人と支部を出て、廃屋が広がる街を歩く。周りは暗いが、駅からPLANT対策支部までは一本の道に薄明かりの電灯が灯って居た。ひび割れたコンクリートの荒れたこの道をまさか商人と帰るとは数日前までは思いはしなかっただろう。
この新鮮とほんの少し灯った苛立ちついでに、愚痴を一つ放り込もう。
「藤村、あいつって支部長にスカウトされるなんて、よほどの天才なんだな」
俺は歩みを進めるが、お喋りな商人の答えが返って来ず、気になってその場に立ち止まった。隣に首を振るが、そこには商人の姿がなかった。
「知らんかったんやな」
後ろから商人の声がする。振り返ってみると、商人が思い詰めたように俯いていた。背負っていたリュックは地面に下ろされている。地雷を踏んでしまったのかもしれない。俺は大人には怒られることがほとんどなかったから、商人の怒りが恐ろしくなり、商人に歩み寄った。
「誉、商談しぃひん?」ゆっくりと顎を引いたその顔には笑顔が見えた。
「えっ」声が上ずる。
「いや、本当は別にそんな大層なもんじゃないねん。交換条件や」
「どういうことだ」
商人の手が下ろしたリュックに置かれている。
「重いぃ。お姉さんもう持てん。手伝ってぇ」
「オネエサン?」
商人はそんな年でもない気がする。多分40近い…
「誉、今何思ってるん?」
そっと握りこぶしを作っていた。人の心覗けるとか恐ろしいお姉さんだ。
「おば…」言い間違えた。
「お姉さん」威圧感が全てを物語っていた。次間違えば、握られた拳が俺に向かってくる。もちろんわざと言い間違えた……多分。今度は大丈夫だ。
「商人は、この交換条件で何を出すんだ」
「私は絢香のこと教えたるわ」
俺は首を大きく縦に振り足元のリュックを背負った。持ち上げるが意外と重い。ふらっと前後に体重を移動させ、安定する一点を見つけ、踏みとどまった。なるほど。持ち歩けないほどではなかった。
「ごめんなぁ。こんなん持たせたら、背ちっこくなるのに」
こいつ俺の気にすること分かっていてやっているだろ。絶対最後まで持ってやる。
「構わず教えろ」
俺は一歩踏み出すと、商人も歩き出した。
「大人には敬語やで」
「教えてください」
「オッケー」
末恐ろしい奴だ。同年代の気軽さが醸し出されているにも関わらず、こっちのことを全て御見通しのような口調だ。実際知ってていているのだろうが、商談となれば絶対関わりたくない。
「まぁね。絢香のことはほとんどの魔法使いが知ってるから情報の価値としては低価格やねんな。おっと、口が滑った」
「それって、俺がこれ持つ意味なかったってことじゃ…」
「お?やめる?」
「持ちます、持ちますって」俺はやけくそになりながら言い放つ。
商人がケラケラと笑った。何故か心底楽しそうだ。
「じゃあ、初めから話すわ。誉は、絢香のこと天才なんて呼んでるけど、天才にも種類があんねん。
魔法なんて特に才能ってのが顕著に出る。誉なら魔法の才能なんてもの感じたことがあるはずや。私みたいな少し魔法をかじって、魔法道具に力を貸してもらってるタイプなんて、人より勉強しただけの秀才って言うねん。秀才は誰でもなれるけど、天才は違う。
先天的に才能がある、秀才よりも頭一つも、二つも飛びぬけた天才。それが魔法使いや。
でも、絢香の才能は天才と言う器に収まらんかった。絢香は化け物や。だから、全国各地の魔法使いは絢香のことを知っている」
藤村が有名人。嘘らしい。
「わたしは職業柄嘘なんてつかん。そんな嘘やろ、みたな顔しんといてぇな」
こいつもしかして藤村の鼻や黒木支部長みたいな未来視みたいな力があるんじゃないか。
「あ、わたし、そんな特別なことしてへんから。魔法に関してはわたしも才能ないねん。本当に」
嘘はつかないらしいから、今は信じることにする。
「続けんで。何で有名かって言うと、まだ世間が絢香の力を知らない時に、香奈が魔法使いに引き入れてん。どうして香奈が絢香の力を知ったかは知らんけど、一回絢香は魔法使いとして働いてた。」
「あいつは事あるごとに魔法使いを嫌っている素振りをしていた。あいつが魔法使いを辞めたのは理由があるのか」
「魔法使いを嫌う理由なんか本人に聞いて。わたしも知らんし。けど、辞めた理由は知ってる。数年前あった時あっさり辞めたのを間近で見てたからな」
「辞めた理由、か」
あいつは魔法使いが嫌いだった。しかしそれ以上に魔法を使うのが楽しそうだった。壊すのが嬉しそうだった。魔法使いが嫌いだからと言う理由で辞めるのは答えに合っていない気がするほどに。
「絢香が魔法を捨ててまで何をしたいか、分かる?」
「少し考えさせてくれ」
考えながら歩くと背負っているリュックの重さが増したように感じた。
もう少しでこの廃屋の住宅街から抜け、街を分断する線路へさしかかる。廃屋と住宅街の間は錆びれた踏切があった。そこまで歩き着くと、線路を渡る前に踏切がその手を下ろした。甲高い音がけたたましく鳴っている。赤い信号は上へ、下へと動く。俺も同時に思考を上下へ揺れ動かしたが、藤村のことを心底嫌いな俺がいくら考えたって分かるはずもなかった。
唐突に、商人は人差し指を立てた。
「ヒント」と頼んでもいないのに、勢いよく声を上げる。
「絢香は魔法石が好きやな。特に、30年物とか。私から上げた魔法石なんか大切に持ってる」
これは知っていた事実だけあって、ヒントにもならい。
「ヒント」今度の商人の声は穏やかだった。
「魔法道具なんかも大好きやな。弾なら買えるけど、大抵の魔法道具は高価なもんやし、買えんから私が使って見せんねんけど、おかげで終始追っかけみたく私に引っついて来る。鬱陶しいやろ」
ちょっと引きつつ、先ほどの藤村の輝やく瞳を思い出した。
「最後のヒント」
電車が左から横切って来る。商人の頬に車窓からの灯りが照り映える。商人は薄っすらと嫌悪感を滲ませていた。大きな風が通り過ぎ去り、俺の髪と商人のショートカットの髪が大きく揺れた。気づいた時には電車は遠く、踏切は鳴りやんでいた。
「商人を尊敬している」
具体的には、『宝』や私なんかをね、と商人は呟くように付け加えた。何が何だか分らない人物名を出され戸惑う俺に気にせず商人は線路へと進む。線路を渡り切ったところで、商人は俺が立ち止まっていることに気付いたのか、そっと振り返った。その振る舞いが余りにも女性らしく商人ではない何者かだと思わせた。
「なあ、私思うねん。絢香の才能は魔法使いでこそ発揮されるものやって。そうじゃないと、もったいない。天才は才能が生かされるからこその天才」
商人が手招きする。
「そう思わん?」