第二話「夢(➁)」
「いやぁ、驚いた」
祐がようやく口を開いた。
ここ、PLANT対策支部の前に来るまで、全くと言っていいほど他の五人は口を聞いてくれなかった。
「集合場所に行けば、みんな時が止まったみたいに固まっているし、誉は珍しく、女の子に抱き着かれているし、俺の居場所ないんじゃないかって、一人で家に帰るところだった」
「俺は悪くない」
とりあえず、言わなければ俺が全面的に悪いような印象が残る気がした。
事実、俺は突然抱きしめられただけで、全くの被害者だ。
抱きしめられた後、あの少女は何かにはっとし、優しく離れた。そして恥ずかし気に頭を下げ、謝った。その対応はどことなく大人っぽくて、姿が俺と同年代ぐらいなのに、行動と姿がちぐはぐで不思議な雰囲気を醸し出していた。
「ごめんなさい。余りにも、わたしの知っているヒトに似ていたものだから」
少女が大人のような口ぶりで俺を宥める。少女の黒い髪は、少女の腰辺りまで伸びきっていて、整えられていないのか毛先が痛んでいた。
「シロ」
かすれがかった声が静まり返ったその場に響いた。誰だろうと思い、声の方を振り向くと、興味なさそうに寝転がっていた石田が、体を上げ少女を親し気な眼差しで見つめていた。
「ショウ?」
少女も石田に気が付くと、笑顔で石田を見つめ返す。
「そっか。そっか。じゃあ、あなたがアヤカちゃんね」
少女は頷きながらも、今度は藤村へと視界を移した。
石田と、俺、藤村以外は少女の瞳には写っていないような気がした。矛月や翠には一度も目も顔も向けていない。人へと注意を向ける行動は自然なのでそれは意図的というよりかは、興味がないだけなのかもしれない。
「おい、石田」俺は石田翔の傍により、耳打ちした。「こいつは何なんだ」
「この人は…」
石田は聞けば可能な限り答えてくれる。感情の機微が小さくて伝わりづらいが、どれだけ言葉を紡ぐのが遅くても、必死になって答えてくれる。石田が次の言葉を探していると、少女が丁寧に礼をしてきた。
「翔と友達になってくれてありがとう。わたしは、翔のお姉ちゃん、『白』いつも弟がお世話になっています」
石田が不満そうに眉をしかめていた。
それから、白こと石田の自称姉のシロは俺に「支部まで案内してくれない?」と頼んできた。知らないうちに遠目から事の流れを見ていた祐には白い目で見られ、興味津々に藤村はどんな関係なのかと尋ねて、何回も知らないと言っているのに矛月には疑いの目を向けられ、信じてもらえないことに心が参っているのに、シロに頼まれたのは俺だけのはずが、五人とも引っついて来て、歩いている間は視線が刺さり申し訳ない気持ちになってしまった。そんな気持ちになる必要もない。
俺は絶対被害者だ。それだけは言える。
そんな俺の気持ちとは打って変わり、シロは案内を物ともせず俺の前を堂々と進む。まるで道を知っているかのように歩くので、どうして俺に道案内をさせたのか疑問を持つほどだ。石田も石田で、俺がシロの近くに寄ると機嫌悪そうに鋭く目を睨ませてきていた。重く圧し掛かる空気の中で祐がやっと口を開けてくれたのは、まるで水の中からやっと水面に顔を出し息が出来たような感覚だった。
支部の辺りの廃屋は所々崩れていた。蔦が絡み、雑草が廃屋に寄りかかり、人がここら一帯は住んでいないゴーストタウンだと再認識させられた。廃屋の影は怪物のように一体となって立ちはだかっているように見られた。一体の影が伸びる先には影を払拭するような光を帯びていた。光を帯びた建物であるビルには中心に大木が刺さった奇天烈な建物だ。一階はフロントになっている。フロントは外から見えるようにガラス張りになっていて、外からも中を伺える。
ひと際眩しい建物に俺は目を細めた。
「シロ、こんなところに何の用が?」
石田が訝し気に尋ねる。
「ほら、わたし達この街に帰って来たばかりでしょ。挨拶しなきゃと思って」
石田が分かりやすいように一語一語丁寧にシロは言っていた。それから、俺の方に体を向け、小さく頭を下げる。
「一緒に居てくれてありがとう。」
案内、ではなく、居ることに意味があるとでも言っているようだった。俺のどこにそんな要素があるのだろうか。居ることにより何かが変わるようなことがあるとも思えなかった。あるとしたら、父関連だろう。父なら、少女に何か大きなこと、それも少女の大恩となしえるものを残し得れたと思う。推測が捗るが一旦「いいえ」と返した。
「会えて良かったわ」
シロが小さく呟くと、俺達に背を向け光の中へと歩みを進めた。
こんなにもの言葉をシロが残してくれたと言うのに、俺はさっぱり以前シロと会った記憶も関わった覚えもなかった。
「誉、帰ろっ」
シロを見送った後、矛月が背後から呼び掛けて来た。
しかし、俺は気がかりでならなかった。
今日はバイトもない。このまま帰って、ご飯を食べ、勉強して、寝て…で、また変わらない明日を迎える。だが、この気になったまま、明日もまた変わらないことなんて出来るのか。そう思うと帰るに帰られない気がした。夜にまた嫌な思い出を見るならば、この気が収まるまで此処で謎を抱えたままのシロを待ちたかった。
「ごめん。矛月。俺は残る。先帰っといて」
「でも、帰らないと」矛月が心配するのも分かる。
「俺達もう高校生だろ。大丈夫だ」
「誉、私…」怖いのは分かるけど。
「俺はシロを待つ」俺は言い切った。
隣の祐が心配そうに目で訴えかけてくる。矛月だけが心配なのは知っているけれどそんな目で見られると堪える。
「俺も待つよ」
石田が空気を読まずに言い出した。ちらっと翠を見ると、臆することなく光に包まれたフロントに入っていった。
「ほまれぇ」矛月が泣きそうな声を出す。
まるで昔、矛月がいじめられて怪我をし、帰りたくないと、しばらく一緒に居てと泣きそうな顔で笑顔を作っていたあの時の矛月みたいだ。俺のトラウマでもあり、矛月や祐のトラウマでもあったな、あの時のことは。
「大丈夫、です」シロが居た時は目を伏せっていた翠が矛月に薄く笑って見せた。「私も用があるので残ります」
矛月の門限を知ってか、翠が名乗り出るが、無理をしているのが分かる。シロと関わることが翠は何故か恐れている。ここに来るまでずっと翠がシロのことを見ていたのを知っている。いつも無表情で、分かりにくいが、曇った表情は隠しきれていなかった。
ここは引き下がろう。俺は仕方なく頷こうとした。
その時、
「前、失礼してもいい?」
背後に大きな影がよぎった。
それまで、沈黙を突き通していた藤村の目が大きく見開かれる。顔が晴れやかになり、頬が緩んでいた。勢いよく振り返って、弾けんばかりの声色で名を呼ぶ。
「商人さん」
この人は、俺も知っている。
背は小さいが、体格はしっかりしている。背が小さいと言っても俺よりも背がほんの少し高い。足で全国を巡る仕事を生業としているからか、足は人一倍大きい。恐らく、俺達六人の中で一番大きいと思われる祐より大きい。もうすぐ40となると聞いてはいるが、年齢を感じさせない童顔が印象的だった。俺はゆっくりと振り返るが、やはり印象は変わらない。背に重そうなリュックを背負っている。
「商人さん、商人さん」と藤村が何度もリュックを背負う女性の名を呼ぶ。
商人は彼女の職業だ。彼女の名前は忘れてしまった。藤村も彼女の名を呼ばないあたり忘れているのだろう。彼女自身、名前なんてどうでもいいと言っていたことがあったほどだ。名前なんて、彼女にとって大切なことではないに違いない。
「藤村、ごめんやけど、後にして」
彼女が独特な方言で藤村を除ける。彼女の方言はここらの地域に伝わる方言だが、この方言を話している人は彼女か駄菓子屋のおばあちゃんぐらいだ。
彼女は俺達の状況か一瞬で判断じたのか、藤村を尻目に俺や矛月へと顔を向けた。
「困っているようやな。」にやりと商人はほくそ笑む。「そうや。私の家って、たまたま誉の家の隣やったなあ。どうしよ。これから此処に私も用があんねんな~。めっちゃ偶然やん」
確か俺はアパートに住んでいて、俺の部屋の隣は長いこと帰っていない住人だったはずだ。表札も飾られていなかったはずだが、商人がその人だとは思はなかった。
「これでどうやろ。お嬢ちゃん」
商人は不安で堪らない矛月の頭を撫でた。矛月の口元が嬉しそうに綻んでいる。
違う。きっと商人は矛月が安心するために、それが嘘でも本当でも、矛月に提案したんだろう。
大人って凄い。一言で全てが収まるのだから。
***
結局商人に言いくるめられた矛月は、祐と共に帰っていった。翠も無理しなくていいとだけ述べると、大人しく帰路を他の二人とともに共にした。残ったのは商人と商人に金魚の糞のように付きまとっている藤村、そして俺だけになった。石田に関していえば、フロントに入った時には姿は見えなかった。
「シロに用があんの?」
藤村が何回も呼び掛けているのを無視して商人が俺に尋ねて来た。あんまりに藤村が鬱陶しくて、顔を背けている。
「用ってほどでもない」ただ気になったことがあっただけだった。
「あんまり深入りしんとき、魔法使いでもないんやし」
サラッと俺にきつい一言を言い放つ。全て御見通しと言われているようだ。
その時、その一言をかき消すように藤村が先ほどより大きな声で商人を呼び掛けた。
「今回はいつまで居るんですか?」
俺が知る今までの藤村の中で最も目が輝きを放っていた。
はいはいと面倒くさそうに「前回と同じやって」
「じゃあ、一週間ってことですよね」えーと口が歪む。
「そ、そうやな」
藤村の言葉に押され商人が苦々しく笑った。
「で、次訪れるのは来年ってことですか?」
「そうそう」
商人の仕事は半ば旅人のようなものであるから、当然のことであるのに藤村の反応はやけに残念そうだった。それほどに商人に魅力があるとは思えない。
毎年、商人はこの時期に帰って来てはすぐに街を出ていってしまう。俺もこの支部にバイトでよく来るから、この人の顔はよく知っているし、面識もあるが、商人から話しかけてくることがなければ俺からは関わらないし、商人も商人で俺を魔法使いとして見ていないため接する機会なんてなかった。商人の人を見透かした態度で関わりたくない者も多い中、藤村のように関わりたいと思う方が珍しい。
商人は重そうなリュックを掛けなおし、ちらっと受付を見た。受付には誰もいない。
此処の支部は雇用している人数も少ない。自然、受付などあってないようなものになっている。魔法使いの数や下請けの数も他の支部より一桁も、二桁も小さい。都会な隣町の下請けの人数の方がここよりも何倍も多いときている。おまけに、この建物の見た目だ。フロントに居ても分かる幹の大きい木の存在はこの支部の不思議さをより一層引き立てている。他の支部からはこの支部は丸ごとひっくるめて変わり種だと噂をされるほどここは異常な空間だった。
「ソファで待たん?」
フロントの端にある応接間を商人は手で示した。商人は疲れているのか、目が閉じかけていたので、俺は文句なしに賛成だった。頷くと藤村の意見など聞かず商人は一番手前にあるソファに腰を下ろした。俺や藤村も続く。
それにしても人がいない。フロントは冷たい照明で部屋の隅まで照らされているのにどこにも石田の姿は見当たらない。あのシロでさえいない。上階に行ったとすれば、やはりあの二人は魔法使いか、支部の関係者なのだろうか。
商人の先ほどの言葉がふと引っかかった。
「シロに用があるのか」と商人は俺に尋ねていた。
シロに会ったとか、俺は何にも言っていなかったのに、何故この人は俺がシロのことで残ったのかを知っているのだろうか。
「商人、何で俺がシロを待っていると…」
俺は気になってつい商人に疑問を投げかけていた。
商人は嫌な顔せずに答える。
「情報は大事やねんで、誉。つぎはぎの情報だけでも案外推測できる。私はそこから誉が言った回答に至っったんや。知りたいなら、それなりの代償を払ってぇや」
この人にとってはこの答えは確かに当然だ。質問したのは時間の無駄だった。
「商人さん、今日は何を持ってきたの?」
ねぇと藤村は商人が下ろしたリュックを何回も見ては商人を物欲しそうに見つめる。
「絢香、商談なら上の階行こか」
「商談じゃない」藤村は感触れたのか、歯を剝く。
矛月ほどでないが凶暴な犬歯が垣間見られた。いや、こっちの方が何百倍も凶悪だ。
「分かってる分かってる」ケラケラと商人が笑う。
「からかっただけや。よく考えてみ。私、今日、今、さっき、この街に帰ってきたとこや。疲れてるし、許可証がないから入れんって」
商人の方が一枚上手だ。藤村はすっかり丸め込まれて、への字も返せなくなっている。俺も商人同様に心の中で笑ってしまった。
それから商人は大きなリュックの中から四角い形をした小さな薄い板を取り出した。どうやら何かの機械らしくボタンが取り付けられていた。商人はそのボタンの中から一つを迷わず押し、起動させた。すると薄い板の片側から白い光が灯る。これが携帯だと二泊置いて気が付いた。白い光の中には携帯と思わせる画面が広がっていた。流石、機器を扱う職業である商人は最先端をいく機器を扱っている。俺の周りには折り畳み式の携帯しか使っている奴を見たことがなかった。こんな板、まさか携帯だと思わない。藤村もそれを知ってか、じっと商人を見つめている。
板を耳に当て誰かと話す。
「うん。フロントにいるで。…あー、まぁ、シロ、それは後にしよか」
相手はシロらしい。携帯をシロも持っているならば、俺が居ることは筒抜けだろう。
電話の相手をしている時、エレベーターが一階に着いた音が響いた。
「えっ」と商人がエレベーターの方を振り向く。
エレベーターの方からは着いたと同時にフロントの床を歩くこつこつとした音が近づいて来た。こつこつは俺達の前でぴたりと立ち止まる。その人の足元を見て、ああ今日はヒールなんだと珍しいなと思った。
「帰ってくるときは事前に連絡しなさい」
するりと俺はその人の足元から胸元まで見上げた。また小言だ。黒木香奈支部長は小言に取りつかれた小悪魔だ。しかし、小悪魔の目にも今日は涙が浮かんでいる。この人らしい。
「でも、無事でよかった」涙を香奈さんは拭う。
「おかえりなさい」
支部長の後ろには「はろー」とシロが手を振っていた。片手には商人との電話中になっている携帯が握られていた。感動的な再開を支部長は見せているのに、シロの行動が全てを壊している。商人は、と言えば素っ気なく頭を掻き、そっぽを向く。
「ただいま」恥ずかしそうに目を背けていた。
「通話途中で電話が切れてそれっきり電話がなかったから、本当に心配したのよ。ついにPLANTに殺されてしまったんじゃないかって」
商人がくるりと支部長に向き直る。
「それは申し訳ない」商人があっけらかんと手に持つ板携帯を見せた。
「携帯買い換えたねん。いいやろ、これ」
この後、支部長の怒号が支部全体に響き渡ったことは、まあ言うまでもない。




