Antidote─朱い紅─
デウェルは眠れなかった。目を閉じると瞼の裏の暗闇の中で、金糸の髪に青い瞳の少女が蝕まれるように紅く染まる。それは炎に焼かれるように、或いは血溜まりの中の白い花の様に。
デウェルはベッドに蹲り、持っていた煙草の灰がシーツに落ちて小さな焼け焦げを作るのにも気付かない。
──早晩、『Antidote』の仕事が始まる。「処理」の対象にはデウェルの初めての友と呼べる存在であるアズリエフも含まれていた。
デウェルはこの事を誰にも、──アルギントにも言えずに居た。
あいつに言ったってどうにもならない。あいつはそんな事に情けなんてかけない。
──何でだろうか。こんな事が解った所で俺の悩む事は一つだって解決しないのに。
隣のベッドでシャルフリヒターが身動ぎする音にびくりと我に返る。
「……くそっ……」
結局、瞳の奥の朱を拭えないまま朝陽の朱がデウェルの瞳を染めた。
時間の過ぎるのが憎く惨く思うのは久しぶりだった。
「ねぇ見てニック!これ素敵じゃない?こっちのとどっちがいいかしら?──ニック?」
デウェルはアズリエフと三番街の雑貨屋に居た。今夜の事を思うとデウェルが自分がどの道を辿ってここまで来たかも朧気だ。アズリエフはデウェルのその様子を不思議そうに見ていた。
「……いや……なんでも、ねえよ……」
「嘘よ!うそウソ!今日のニックはなんかおかしいわ!具合悪いの?──そうだ!少し休みましょ!ねぇニック!」
そう言ってデウェルとアズリエフは二番街と三番街の狭間の料理屋の一席に腰を下ろす。アズリエフは初めて会った時と同じようによく飲んで食べた。デウェルはその様子に、そんな場合では無いのだろうが口元が弛む。それを見たアズリエフが顔にソースの付いた顔でにこりと笑った。
「良かったぁ!ニックやっと笑ってくれた!私にばっかり笑ってって言うなんてズルよ!──ねぇニック、あなたも笑って?」
──自らの顛末を知らない人間とはこうも馬鹿で居られるものなのだろう。──それもそうか。自らの顛末など、知ろうと思って知れる事では無いのだろうが。
デウェルは思わず口を付く。
「──お前っ……あ……いや……」
その様子にアズリエフは不思議そうに小首を傾げる。
「なぁに?ニック?」
「──お前…これから……どうするんだ…?」
その問いにアズリエフはサラダを頬張りそれを咀嚼する口で答える。
「今日?これから?…うーん、実はちょっとお呼ばれしてて、夕飯は外で済ませるの。二番街のちょっと上の方のラクスって言うレストランなんだけど…それがどうかしたの?」
その言葉にデウェルも繕うように視線を動かす。
「……いや…──なぁ、それ…行かないと駄目なのか…?」
アズリエフはうーんと考え、そして頬に掌を当てて返す。
「よく分からないのよねぇ。とっても大事なお誘いらしいけど、私は招待状くれた人には会った事が無いの。ちょっと変だけど行かなくちゃ。パパも困るみたいだし。」
「そっ…か……」
デウェルは結局その日のうちにアズリエフにさえ、自身が知りうる事を伝えられないまま、彼女と別れる時間が訪れてしまった。
──言える訳がない。
『お前の世界は今日、お前も解らないうちに終わってしまう』
などとは。
何時もの様ににこにこと笑んでいるアズリエフと、デウェルは目が合わせられない。すると急に彼女に右手を熱い掌で掴まれる。涙を流さずとも熱のある手に、デウェルは思わず力を込める。
アズリエフはデウェルに手を握り返された事に僅かな驚きを感じ、大輪の花のように笑う。
「ありがとうね、ニック。──えへへ。あのね、大好きよ。ニック。『友達』なんて──」
そう言って頬を少しだけ染めて、アズリエフは走って去って行った。その様子を、デウェルは少しだけ霞む視界で捉え、そこから店迄は走って帰った。
息を切らし店の扉を開けると、そこには「家族」が揃っていた。家長のアルギントがカウンターで脚を組んで座っていた。
「──やぁ、揃いました。それでは行きましょうか。『仕事』へ。」
家族は仕事に向かう時に会話をしない。各々何を考えているかなど察する事も出来ない。──だが、デウェルは初めての仕事の時よりも強い足取りで行く。その目には走り去る少女の姿が浮かんだ。
一行が足を止める頃には陽は沈み、今夜の仕事の場が浮かぶ様に明るく光っていた。
「───それでは、仕事を始めましょう。」
そう言うアルギントは何時もと変わらない調子で煙草に火をつけた。
歩き出す家族を追い越して。
デウェルは店へ走り込んだ。
──next end──