終わりの始まり
天正八(一五八〇)年、一月六日。
播磨三木城が陥落する。別所長治は落城の間際に「腹を切るので、他の者は助命されたし」と申し出てきた。総大将の羽柴秀吉はこの申し出に感嘆し、酒を本丸へと届けさせた。首は安土に送られる。
二月。
信長は京に滞在する際に使う座所を本能寺にすると発言した。村井貞勝は普請を命じられる。
三月頃。
朝廷から本願寺に大阪退去の件に対する勅使が遣わされる。これに対して本願寺方は、これを断ると松永や荒木の如く根切りにされると判断したのか和睦を受け入れた。これにより七月までには退去することが決まる。
九日。
柴田勝家が加賀・能登へと侵攻する。方々を焼き払い、一揆勢を追い立て切り捨てる。敵対者をことごとく討ち果たすことに成功した。
四月。
羽柴秀吉は姫路に入る。姫路は西国へ至る地であったので、ここを拠点にするべく城を改修する。弟の羽柴秀長を但馬に送り制圧させた。
ついに本願寺の門跡顕如が大阪を退去した。寺は新門跡教如に引き渡される。しかし大阪方は再度挙兵する動きを見せ、新門跡教如も同調する。
六月。
羽柴秀吉は伯耆・因幡国に進軍する。この軍勢に対抗する統べなく、国境近くの城主たちは次々と降伏の使者を送り込んできた。
七月。
雑賀へと退去していた門跡顕如から御礼の使者が送られる。織田は返礼に黄金を贈った。これに前後して、新門跡教如も大阪の明け渡しを受け入れる。翌月には寺に詰めていた門徒たちも続々と雑賀へと退去していった。




