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元亀争乱後のあれやこれ

 九月、信長は北伊勢に出兵した。次々と城を落としていき、伊勢長島の一揆勢の半数を削ぐことに成功する。抑えに滝川一益を置いて、信長は岐阜へと帰る準備をした。


 しかしそう一筋縄にはいかなかった。帰還する織田勢が狭い道へと差し掛かった時、一斉に追撃してきた。弓鉄砲を手に山に分け入り先回りをして矢の雨を降らした。その中には伊賀・甲賀勢もおり、その腕は折り紙付きである。


 織田軍は勝者から一転敗者へと転がり落ちてしまった。


 十一月、信長に抵抗を続けていた三好義継が家臣に裏切られて死亡した。立て籠る城に織田勢を引き入れられた義継は敵陣に突入し、大暴れして死んだ。


 天正二(一五四七)年正月、馬廻りだけの宴の際に異様なものが酒の肴に用意されていた。その肴とは去年討ち果たした浅井久政・長政親子と朝倉義景の首である。三人の首は漆で固められ金で彩られていた。宴は歌や躍りで盛り上がり、信長も大変ご機嫌だったそうだ。


 正月が明けて数日、越前を任せていた前波が討ち取られてしまった。前波の治世に不満を覚えた者達が一揆を起こしたのだ。これにより越前は一揆の持ちたる国となった。


 さらに数日後、明智城に武田勝頼の率いる武田軍が来襲する。救援のための兵を送り、信長自らも出陣した。しかし間に合わず落城してしまう。落ちてしまってはどうしようもなく備えの対策を施し、岐阜へと帰還した。


 三月、上洛した信長は蘭奢待の切り取りを許される。寛正六(一四六五)年に足利義政公が許されて以来のことでとても名誉なことだ。


 四月、甲賀石部城にいた六角承禎が退去する。六角家は最後の拠点が無くなった。


 五月、加茂の例祭である競馬の神事で競わせる馬を出してほしいと要請される。信長は戦場で乗り回した馬を自分と馬廻りの分を提供し、名物の馬具を着け、大量の進物を付けて送り出した。信長の馬はいい馬なので、どれも一番だった。集まった民衆も大喜びしていた。

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